第九百六十六話「女性を誘う練習」
「はぁ~~~……」
「咲耶ちゃん……、今日は昨日にも増して憂鬱そうですね」
「ええ、まぁ……」
今日は昨日に引き続いて槐と昼食に行かなければならない。伊吹は馬鹿だし鬱陶しいけどその分だけあしらうのも簡単だからまだ良い。でも槐は油断ならないから相手にするのは疲れる。信子様も槐も鷹司家の人間は本音を話さないし態度にも出さないタイプが多いように思う。そういう性格の上に陰険というか陰湿というか、嫌味っぽいし話していても油断出来ず楽しくない。
今日もこれから槐と外食に行かなければならないわけだけど、昨日の伊吹と違って槐が相手では下手なことを言うと揚げ足を取られるだろう。そしてこちらが失言しなくとも向こうからわざとこちらに余計なことを言わせようとしてくる。そんな相手との食事が楽しいはずがない。
「それでは行ってまいりますね……」
「咲耶様ファイト!」
「頑張ってくださいね」
「咲耶ちゃん負けないで!」
皆にエールを送られつつ待ち合わせの玄関口へと向かう。何で玄関口で待ち合わせなのかは知らないけど、多分伊吹が先に玄関口で待ち合わせだって言ったから槐とも自然とそうなったんだろう。
「鷹司様、本日は食事にお誘いいただきありがとうございます」
「やぁ九条さん。来てくれてうれしいよ。こちらから無理に誘って悪かったね」
槐は胡散臭い笑顔でそんなことを言ってきた。でも絶対悪かったなんて思ってないよね?無理に誘ったという自覚はある癖に遠慮もしないし、自分達の方が悪かったとも思っていない。それくらいは槐や伊吹の様子を見ていたらわかる。
「それじゃ早速向かおうか。九条さん、手を」
「はい。ありがとうございます」
槐にエスコートされて車に乗り込む。こういう所は伊吹と違って一応五北家の御曹司らしく振る舞えるようだ。ゲーム『恋に咲く花』では俺様王子の方が目立っていて白雪王子はやや裏方扱いだった。でもこちらの世界ではどうだろう?確かに伊吹は悪い意味で目立ちまくっているけど、槐の方が裏で伊吹を操っているような印象すら受ける。
もしかして原作ゲームでも『白雪王子』鷹司槐は裏で『俺様王子』近衛伊吹を操ったりしていたんだろうか?
まぁそんなことを考えていても答えなどわかるはずもなく、こちらとしては油断ならない槐に対して隙を見せないように振る舞うことしか出来ることはない。
「さぁ到着したよ」
「はい。ここは……」
槐が俺を連れて来たのはイタリアンのリストランテだった。フレンチよりはカジュアルだからまだ良いけど俺達は学園の制服姿だ。この店に入るなら服装を改める必要があるのでは?
「えっと……、鷹司様?私達は学園の制服姿ですが……」
「ああ、大丈夫。ここは僕も昼食で度々訪れているからドレスコードは気にしなくて良いよ。そもそもこの国では子供は制服も正装の一種でしょ?」
「う~ん……。それはそうかもしれませんが……」
確かにこの国では子供は制服を着ていれば大体通る。でもそれは冠婚葬祭などであってドレスコードも全てクリア出来るわけではない。セーラー服やノーネクタイの場合は店によって可と不可の場合がある。とはいえ槐が予約して大丈夫だと言っているのだから大丈夫なのだろう。もし相応しくないと思われたら受付で追い返されるだけだし気にするほどでもないか。
「お待ちしておりました鷹司様」
「うん。それじゃ案内して」
「はっ」
俺達は制服姿だというのに特に何も言われずに席へと通された。槐が事前に店側に伝えていたのか、あるいは槐が言うように日頃から制服姿で昼食に来ていたのか。何にしろ五北家の御曹司が来たとなれば多少ドレスコードを破っていても追い返されたりはしないのかもしれない。
「季節の野菜三種盛りでございます」
席に着いて待っていると前菜が運ばれてきた。フレンチよりはカジュアルといってもやっぱり面倒臭い。これなら居酒屋で焼き鳥を頬張りながら一杯ひっかける方がよほど良いんだけどなぁ……。
「獲れたて地魚のカルパッチョでございます」
「九条さんは何でもおいしそうに食べてくれるから一緒に食事をすると楽しいね」
「あら?そうですか?おほほっ!」
あぁムカムカする!どういう意味だよ?女にしては大食いだって言いたいのか?槐の嫌味を聞きながらじゃ折角の料理もまずくなる。
「オマール海老のトマトソース フェットチーネでございます」
「う~ん……。九条さんならウニの方がよかったかな?」
「それはどういう理由や基準でしょうか?」
「え?何となく?イメージかな?」
はぁ?どういうイメージだ?俺の頭はウニ頭だって言いたいのか?大体ウニの方がよかったならウニを頼めばよかっただろ?何で出てきてから今更そんなことを言い出すんだ?会話の意図や言いたいことがさっぱりわからない。
「ハモのカツレツ タルタルとハーブサラダ添えでございます」
「あ~……」
「ん?どうかした?鱧は苦手だった?」
魚料理を見た俺の反応に気付いて槐が声をかけてきた。こういう所は中々目ざとい。伊吹なら気付きもせずにそのまま進めてただろうにな。
「いえ。どうというほどのことでもないのですが、先日近衛様にお連れいただいた料亭でも鱧の湯引きが出たもので」
「あぁ、そうだったんだ。それは失敗しちゃったね。変えてもらう?」
「いえ。鱧はおいしいですし不満があるわけではありませんよ。ただ先日のことを思い出しただけです」
旬といっても本当においしい時期よりちょっと早い気はする。でも最近ではどこも旬でおいしい時期を大事にするよりも、他に先駆けて旬のものを出す方にばかり頑張っている気がする。それはそれで営業努力の一種ではあるのかもしれないけど、他の店より遅れて出すことになっても本当においしい時期に出す方がお店としても客としても良いと思うんだけどな……。
服などが春には夏物を売っていて、夏になればもう秋物が売っているのは仕方がないと思う。売れ残ったら処分に困るわけだし来年には流行りも変化してしまう。倉庫に置いておけば良いというものじゃない。でも食べ物は先取りするよりも本当においしい旬に出してくれる方が消費者にとっても良いはずだ。
まだ熟していないはずの時期に野菜や果物を先取りで出したり、わざわざ旬の前に遠くに行ってまで獲ってきた魚を食べるよりも、本当にそれが一番おいしい時期に自然に合わせて食べる方が良い。店も話題のためにまだおいしくもない食材を使って店の味が落ちるよりも良いと思うんだけどなぁ……。
「神戸牛フィレ肉のローストでございます」
「このお店の本店は西の方にあるんだよ。だから料理も食材も向こうのものが多いんだよ」
「へぇ。そうなのですね」
知ってるけどね。うちがこの店に来たことがないとでも思っているのか?槐に言われるまでもなくよ~く存じておりますよ。でも俺はそんな無粋な突っ込みは入れずにニコニコしながら槐の話に相槌を打つ。ここで『言われなくても知ってるよ』なんて言っても角が立つだけだ。
「季節の特製デザート メロンのグラニータでございます」
「今日は天気が悪いからグラニータは女性には少し冷たくて寒いかな?」
「いえ。大丈夫ですよ」
何か料理が出てくる度に声をかけてくる槐が面倒臭い。しかも女性を気遣ってあげている僕、優しいでしょ?みたいな感じがヒシヒシ出ていていちいち癪に障る。気遣いの押し売りみたいで鬱陶しい。こういうのはうちのお兄様のように自然に、さりげなく、何なら男の方のわがままや原因かのようにフォローしてあげるのが良いだろう。
槐のは何か押し付けがましくて、しかもコースを注文したのはお前だろ!っていうのが腹が立つ。自分で注文しておいて出てきてからあんなことを言うのを聞かされても、それはお前の注文が悪かったのでは?としか思えない。
ともあれドルチェに罪はない。おいしくメロンのシャーベットをいただく。確かに今日は、いや、今日も天気が悪くて気温はそれほど高くないけど、やっぱり梅雨のムシムシした暑さは感じる。すっきりしたドルチェで気持ち良く帰りたいものだ。
「九条さんはいつも紅茶だね。コーヒーは飲まないの?」
「飲まないということはありませんよ」
槐はコーヒーを飲んでいる。俺は紅茶だ。家で椛が淹れてくれる紅茶に比べたらここで出されている紅茶なんて安物のティーバッグかと思ってしまう。もちろん文句を言うつもりはない。それに茶葉自体は良いものだ。淹れ方があまりよくないから香りが死んでしまっているんだろうな。
俺もたまにはコーヒーを飲むし、そもそも前世ではコーヒーはよく飲んでいた。ただ前世で飲んでいたのは安物や缶コーヒーであり高級なものは飲んだことがなかった。こちらではそれなりに高級なものも飲んでいるけどやっぱり紅茶の方が良い。もしかしたら俺は咲耶お嬢様の体だから元々咲耶お嬢様が好きな物に影響されているのかもしれない。
「それじゃそろそろ戻ろうか」
「はい。ご馳走様でした。とてもおいしかったです」
ようやく学園に帰れる……。コース料理は時間がかかるから大変だ。あるいは時間を長々稼ぐためにあえてコース料理にしたのかもしれない。俺達みたいな学生の昼食なんてトラットリアで十分……、いや、俺ならピッツェリアでも良いとすら思える。それなのにわざわざこんな店に来るなんて槐は何か企みや目的があったのではないかと疑ってしまう。
ともかくようやく伊吹と槐の食事の誘いを終えられた。これで明日からは自由だ。
~~~~~~~
槐と昼食に出かけた日の放課後……。五北会サロンでは伊吹と槐がお互い一歩も譲らずやや言い争っていた。
「ふんっ!咲耶は古風な女だ!絶対料亭の方が好みに合っている!」
「う~ん。そうかなぁ?九条さんは洋食の方が好きだと思うよ。それに何より提供した料理の種類よりも食事中に楽しくトーク出来るかどうかじゃないかな?」
「俺様は咲耶と楽しくトーク出来ていたぞ!」
「それって九条さんが伊吹に気を利かせてくれてただけじゃない?伊吹っていつも自分の自慢話ばっかりするから相手の人は気を使ってるだけで退屈していると思うよ」
「なんだとっ!」
とうとう伊吹が槐の胸倉を掴んだ。でも槐はそれでも動揺することもなく伊吹を見詰め返している。
「ほら、そういう所だよ。会話っていうのは相手とのやり取りなんだよ?でも伊吹のは一方的に自分の言いたいことを言ってるだけなんだよ。それでも周囲が聞いてくれているのは伊吹が近衛家の御曹司だからだよね?」
「このっ!」
とうとう伊吹が拳を振り上げた。殴るのかと思ったけどそこで思い留まったのか、俺と目が合うと数秒止まってから手を下ろした。
「ふんっ!」
「…………」
胸倉を放した伊吹はドカッ!とソファに座り直した。槐も黙って席に着く。でもあのテーブルの他のメンバーは滅茶苦茶気まずそうにしている。そりゃそうだろう。近衛派閥と鷹司派閥のメンバーが集まるテーブルだ。お互いに相手を非難するわけにもいかないし、伊吹や槐を宥めることが出来る人物もいない。
あのテーブルのメンバーに出来ることはああやって黙って伊吹と槐の機嫌が直るのを待つことだけだ。
ただ槐の言っていることは確かにその通りではあったけど、だからって槐との会話が楽しかったかと言えばそれは違うと言いたい。むしろ槐の会話はこちらを気遣っているようで嫌味や、いっそ自分で仕込んだマッチポンプじゃないかと思うようなことが多々あった。決して楽しいトークではない。
それにしてもいつも人の話など聞かない伊吹と、その伊吹の腰巾着をしつつ裏で伊吹を操っている槐が喧嘩のように言い争うなんて珍しいな。いつもだったら槐の方が適当にヘラヘラして伊吹の言葉を受け流していると思う。それなのに今日は槐も伊吹に反発するというか突っかかるというか、受けて立っていたような印象を受ける。
「あの二人……、咲耶ちゃんのことになったら引かなくなってきましたね」
「そろそろ咲耶様を巡って一悶着あるかもね」
皐月ちゃんと薊ちゃんの話を聞いてピンときた。つまりあの二人はどちらの方がうまく女性をエスコート出来たかで争っていたわけか。俺にこれだけあからさまに拒絶されているんだから二人とも九条家と縁を結ぶのはもう不可能だと理解しているだろう。ということは俺はターゲットである本命の女性を誘う前に練習として呼ばれたということだ。
俺との練習を経て二人はそれぞれ本命の女性を誘うつもりなんだろう。それでどちらも自分こそが相手よりもうまく俺をエスコート出来たと言い争っていたんだな。それならそうと練習だと言ってくれていればよかったのに。それなら俺ももうちょっと気を張らずに食事が楽しめた。そういう気遣いがないのが君達の駄目な所だぞ?
「ちょっとどういうことですの九条咲耶!あの者達と昼食に出掛けたというのは本当ですの!?」
「え~……、まぁ……、近衛様、鷹司様と昼食に出掛けたのは事実ですね」
何故か今更百合がそんなことを言いながら俺に詰め寄ってきた。君、俺が伊吹と槐に誘われた時もサロンに居たよね?何で今更そんなこと言ってるの?もしかして日頃はほとんど人の話を聞いてないのかな?
「わかりましたわ!」
「はぁ……?」
百合はそれだけ確認するとズンズンと自分の席へと戻って行った。一体何だったんだ?




