第九百六十話「えっ?またコンサート?」
「何をしている?九条咲耶」
「あぁ……、御機嫌よう押小路様」
「御機嫌よう」
「おはよう!押小路君!」
俺達が二組の前の廊下で話していると柾がやってきた。とっくに登校はしてきていたんだろうけど朝から生徒会室にでも行っていたのかもしれない。荷物も持たずにトイレとも違う方向からやってきた。俺が柾に挨拶をすると三つ葉と南天も挨拶をしていた。三人とも同じ二組だし柾は生徒会長だし顔見知りで挨拶くらいはする仲なんだろう。
そもそもで言えば両者がまったくの見ず知らずでも俺と柾が顔見知りで挨拶をすれば一緒に挨拶をするのは当然だ。ただそれにしても南天の気安さは凄いと思う。押小路家なんて実質準堂上家みたいなものと言っても差し支えないのに、あれだけラフで人懐っこいというのは一種の才能だろう。
俺の周りにも一部そういう子はいるけど俺にはそういうのは無理だ。前世からして俺はあまり人と接するのが得意ではなかった。今生ではそうも言っていられないから表面的にはにこやかに取り繕っているけど、今でも心の中ではあまり親しくない人と話すのは緊張……、とは少し違うとしてもあまり得意ではない。
「先日の噂について西村様方が訂正に尽力してくださったのでそのお礼をしようというお話をしていたのですよ」
「あぁ……、壁新聞の件か。あんなもの嘘だとすぐにわかりそうなものだがどうしてあんな噂を信じたり流したりするのだろうな……」
柾は少し呆れたという顔でそんなことを言った。柾ならば俺と多少は接点があったから俺の性格や行動も多少は理解しているだろう。そんな柾だからこそ嘘だと見抜けたのであって、俺のことなんてほとんど知らない相手は壁新聞の記事と写真だけで簡単に信じてしまうものだ。
『真実は簡単に作れる』
これは世のマスゴミが散々やってきたことだろう。
「まぁ嘘だとは思っていたが……、嘘でよかった……」
「え?押小路様?何かおっしゃられましたか?」
「いや!何も言っていない!」
「はぁ?そうですか?」
柾が何か呟いたと思って問い返したのに逆ギレみたいなことを言われてしまった。何かやましいことを言ってしまったから慌てて誤魔化したのかな?まぁ柾になんて興味はないからどうでもいいけど。
「ともかく連絡を回したのは高等科だけで五百人以上だからコンサートをするなら小ホールか大ホールだよね?」
「あっ……、待って……。確かに高等科生だけなら五百人以上かもしれないけど大学も中等科も初等科にまで指示を出して連絡を回させたわよね?全部だとすると……二千人くらいにならないかしら?」
「…………」
南天と三つ葉の言葉に俺は絶句するしかなかった。え?俺のソロコンサートで二千人以上集めるつもり?そんなに大層なものでもないしソロだったら出来ることにも限りがある。せめてバンドだというのなら曲数も時間も稼げるけど俺のソロコンサートで何千人も集めて披露するようなものはないぞ!?
「ふむ……。それなら大ホールを使うしかないな。そこまでするのならいっそ学園行事として生徒会が取り仕切るか?そうすれば大ホールの確保も時間の確保も出来る」
「それいいね~!押小路君に任せちゃおうか?」
待てぇ~~~いっ!ちょっと待て!アホか?この似非冷徹王子め!お前は今日からアホ王子だ!余計なことを言い出すんじゃねぇよ!
例えば吹奏楽部やマーチングバンド部が部活動で全国大会出場とかになって全校生徒の前で披露するというのならわかる。野球部が甲子園に出たりしても全校生徒の前で挨拶をさせられたりするだろう。それは良い。それならわからなくもない。だけど何の賞も取っていない俺がいきなり大ホールで全校生徒を集めてコンサートをするとか頭おかしいと思われるだろ!
九条家の娘が何の賞も取っていないのにいきなり学園行事として大ホールでコンサートを行う……。絶対それってコネを使って自分でコンサートを開いた自己顕示欲の強い痛い人だと思われるに決まってる!
確かに俺達は小ホール、大ホールのこけら落とし公演でコンサートを開いた。でもそれはグループの子達も一緒のバンドだったし、近衛財閥系の芸能事務所に所属していてそこからの繋がりでコンサートを開いた。そういった建前や理由すらなく俺が個人でソロコンサートを開くなんて言われたら絶対痛い人だと思われるって!少なくとも俺が逆の立場で聞けばそう思う。
「ちょっと待ってください!そのような私的なことを学園行事にするなど言語道断ではありませんか?」
「そうですよね。それに生徒会や押小路様に押し付けるわけにもいきませんよ」
おおっ!三つ葉は俺と同じ意見のようだ。そうだ!言ってやれ!このアホ生徒会長に言ってやれ!
「しかしそれならどうやって開催するつもりだ?」
「それは……」
柾にそう言われて三つ葉は尻すぼみになってしまった。空き教室一つでなんちゃってディナーショーをするのとはわけが違う。大ホールで数千人規模のコンサートを開こうと思ったらそれなりの知識と経験、それから予算と人材が必要になる。
三つ葉がどんな組織で活動しているのかはよくわからないけど、空き教室のなんちゃってディナーショーを経験した限りではそれほど本格的なものではないんだろう。限られた予算に人手は全て生徒達という簡単な組織でしかないはずだ。それがあの時のディナーショーを経験した俺の偽らざる感想だった。
確かに生徒達が自分達で運営しているにしてはそこそこしっかりしている。予算も藤花学園の生徒達は実家が裕福な家が多いのでそこからある程度は引っ張ってこれるのだろう。前世で学生の頃に見ていたような『子供のごっこ遊び』レベルの組織に比べればかなり本格的とも言える。でもやっぱりそれだけでは予算も経験も人手も足りない。
しっかりした計画と予算を立てて、毎日のように仕事で経験を積んでいる会社組織と、子供の思いつきをちょっとした予算で実行してみるだけの遊びでは比べるべくもない。
その点、柾は生徒会として学園行事をそれなりに取り仕切った経験がある。しかも藤花学園は予算が他の学校に比べて格段に豊富だ。人手も外注することでプロを雇って使っている。そういった指揮をしてきた柾と、ごっこ遊びの域を出ない三つ葉では経験値も指揮能力も違いすぎる。ただだからって黙って柾に任せるつもりはない。
「場所については最悪の場合は九条家のホールをお貸しいたしましょう。ですがまずは本当に何人くらいの規模で開くのか、それだけの人が集まるのか、それが重要ではないでしょうか?」
「本当ですか?やったぁ!九条家の噂のホールに入れるんですね!」
「こら南天!えっと、九条様?本当によろしいのですか?九条様にコンサートを開いていただくだけでも厚かましいのにその上九条家所有のホールまでお貸しいただくなんて……」
南天は素直に喜んでいるけど三つ葉はまた申し訳なさそうな顔をしていた。九条家のホールを使うことそのものは別に問題ない。日頃は使っていない場所だ。場所の確保はどうとでもなる。生徒会に仕切らせて学園行事にされるよりは遥かにマシというものだろう。でも問題はそこじゃない。
「九条家のホールを使用することについては問題はありません。ただ本当にそれだけの人が集まるかどうかです。二千人規模の用意をしておいて百人も集まらないでは笑い話にもなりません。それだけの人手や予算を使うからには相応の見込みというものがなければならないでしょう」
別に九条家にとって二千人規模のホールの用意をして、実際に十人しか集まらなかったとしても予算的な痛手としては大したことはない。どうせそもそもチケットを売って売上を確保するものじゃないんだ。二千人満員になろうが一人しか入らなかろうが予算を回収しないのだから損失は変わらない。
問題なのはそこまで人と予算を使って準備して実際にそれだけの価値や甲斐があるかどうかが問題になる。二千人規模の用意をして千九百人が入れば十分だろう。準備してくれた人達も準備してよかったと思えるだろうし予算を出しても甲斐があったと思えるはずだ。でもそれが百人しか集まらなかったらどうだ?
折角これだけ用意したのに、これだけの予算を使ったのに、これだけ必要だと言われたからその通りにしたのにまったく人が入らなければ準備に関わった人全ての努力まで無駄になってしまう。やるのならちゃんと最低限の見込みは確保した上でしなければ仕事を頼んだ人に対しても失礼だ。
「わかりました!それでは一次応募で数を確認しましょう!その上でまた九条様と詳しいお話を詰めたいと思います」
「そうですね……。まずは最低限どの程度の希望があるのか計ってからにしましょう」
「どうせファンクラブ会員ほぼ全員になると思いますけどね~!」
いきなりこんな場で俺達だけで決められる話ではなくなってきた。まずは最低限どの程度の応募があるか確認してから規模で開催場所や開催日程を決めることにして、今朝は三つ葉達と別れることにしたのだった。
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もしかしたら九条様にコンサートを開いていただけるかもしれない。そう思った三つ葉は滅茶苦茶テンションが上がっていた。九条様の前では少し遠慮していたが実際にはもう何をおいても是が非でもコンサートを開催したいと思っている。
「まずは咲耶様ファンクラブの連絡網の再整備と組織改革を進めるわよ!同時に新しく出来た連絡網で九条様のコンサートに関するアンケートを行うわ!」
「そうだね~!」
旧来のファンクラブの連絡網は幹部が各組長に連絡し、各組長が自分の組の班長達に連絡をする。班長達は自分の班の班員達に連絡するという方式が主だった。細かい単位で動くにはこれでも問題がなかったし、取り急ぎ全員に連絡をしたい場合でなければこれでも十分に機能していた。しかし先日の件でこの連絡網の問題点が浮き彫りになった。
確実に全員に素早く連絡したい場合にこの方式では本当に全員に伝わったかが確認出来ない。それを確認するために再度連絡を取り合っていては余計な手間と時間がかかってしまう。
いついつに九条様のコンサートがあるから参加したい人は申し込みをしてください、というような時間的猶予がある連絡ならば多少遅れても何の問題もなかったが、先日のように即日その場ですぐに全体に広めて確認したい場合には非常に手間がかかってしまった。
まず今後はファンクラブ運営として会員全員に一斉送信出来る体制の構築とそれらの管理。また会員からの折り返しや確認に対応する体制が必要になる。それから旧来の組や班による体制も若干手を加えつつも残す。特定の班や人だけを動員したい場合に全て一斉送信では面倒になるし情報の漏洩の危険もある。
今まではっきりとしたトップがおらず、ぼんやりと幹部だの運営委員だのとなっていた指導部の体制もきっちり決めることになった。
「それじゃ西村さんを初代咲耶様ファンクラブの会長に任命したいと思います!」
「おめでとー!」
「西村様ならきっとファンクラブをより良く導いてくださると信じてますよ!」
「ありがとう!精一杯頑張るわね!」
連絡網の新構築や管理者の選任、組織の体制の確立などを行い三つ葉が初代会長に選ばれた。そもそも九条様と同学年で色々と付き合いもあり、これまでもディナーショー、今度はコンサートのお約束を取り付けてくるなどの功績も三つ葉会長誕生の後押しをした。
「それでコンサートの希望者はどれくらいになったのかしら?」
「初等科、中等科、高等科、大学、全て含めて在校生だけで二千百人を超えてまだ増えてる途中みたい」
「それと卒業生や家族も同席したいっていう希望がたくさんきてますね」
「現時点では初等科の低学年はさすがに九条様との接点がなかったからか希望者が少ない傾向にあるわ。でも今後家族に言われたりして低学年の希望も増えるかもしれないわね」
「なるほど……」
新しい体制となったファンクラブは早速新体制最初の大仕事であるコンサートについて詰め始めた。ファンクラブ幹部達はもっと応募が殺到して人数が膨れるかと思ったが思ったよりも伸びていないことに不満気な表情を浮かべている。
「何か思ったよりも伸びが鈍いですね……」
「即座に小中高大の全校生徒が応募すると思いましたけど……」
「まぁ低学年は止むを得ないとして今後も増えるでしょうし、卒業生や家族の入場も許可すれば最低でも三千人は固いでしょう。九条様には三千席必要だとお伝えします」
「「「おおっ!」」」
「それならほとんどの希望者は入れそうだね!今度こそ九条様のコンサートをちゃんとした席で聴けるんだ!やったぁ!」
こうしてファンクラブの見積もりにより三千席のコンサートを開くよう九条様にお願いすることになったのだった。




