第九十三話「戻った日常」
俺は布団を抱いてゴロゴロと転げ回る。
「あ~!も~!」
昨日は恥ずかしい思いをしてしまった。まさかまた、それもあんな大勢の前で泣くなんて……。
講堂での全校集会は俺の予想していなかった展開の連続だった。近衛母の挨拶から始まって、皆が出てきて……、黒幕と言われた洞院青木とかそもそもほとんど関係もない相手だし……。何故洞院青木や桑原桂が俺を狙ってきたのか……。
まぁ……、想像はついている。母達は何も言わないけどたぶんそういうことだろう。俺を貶め九条に喧嘩を売れる相手と言えば……、洞院、桑原両家の門流の長である一条家しかあり得ない。
一条家は九条家と家格はほぼ互角。一応九条家の方が長者ということになっているけど実質的にほぼ互角だ。そして門流の数では九条家は一条家に遠く及ばない。門流で言えば近衛と一条が突出しており、そういう意味での全体の力関係で言えば正にナンバーツーは一条家だと言える。
何故一条家が俺や九条家に喧嘩を吹っ掛けてくるのかは知らないけど、今回の関係者の門流を考えれば他にあり得ないだろう。格下の洞院家が、門流の長の許可もなく勝手に他の五北家に喧嘩を売るはずがない。
はぁ……。これは俺が考えても無駄か。両親が情報を教えてくれない以上は俺にはそれを知る術はない。問題はこれで一条家との争いも決着なのか、それともこれからまだ続くのか……、それが問題だろう。
そ・れ・よ・り・も!あんな大勢が見ている前で!茅さんを除いて他は小学校一年生の女の子達と一緒になってワーワー泣きながら抱き合っていたなんて……。しかもそれを思いっきり見られてたなんて恥ずかしすぎる!
皆が俺のために頑張ってくれていたのはうれしい。何も恨んでなんていない。仮に皆が俺のために頑張ってくれていなくても恨む気持ちなんてまるでなかった。ただちょっと悲しくはあったけど、だからって両親や周囲に言われているのにそれに逆らって俺と親しくするなんて無理だろうと思っていた。
それなのに、皆はそれどころかあれだけの人が見ている前で俺のために頑張ってくれた。裏で動いてくれていただけじゃない。あの場で、講堂で、他の生徒や保護者、自分達の両親がいる目の前であれだけのことをして、言葉にしてくれただけでも相当なことだ。それを思うと胸が温かくなってくる。
皆泣いてたけど……、それは悪い涙じゃなくて……、とても綺麗な涙で、そして良い笑顔で笑ってくれていた。そんな皆と抱き合って……、とても素晴らしい時間だった。俺はロリでもペドでもないけど……、皆のことが大好きなんだってはっきりわかった。
「でもでも!あああ~~~~」
ベッドの上でゴロゴロと身悶える。そして……。
ゴチンッ!
とベッドから転げ落ちた……。
「咲耶様、朝です」
「はい……」
何か白けた目の椛に見下ろされている。おかしいな。前なら『大丈夫ですか!?咲耶様っ!?』とかいって助け起こしてくれていたはずだけどな……。
「椛……、何か拗ねているのですか?」
「拗ねてなどいません……」
ぷいっと顔を背けた。でもその顔は明らかに拗ねてる顔だ。椛って本当にわかりやすい。まぁそういう所が可愛い所ではあるんだけど。
「それでは起こしてください」
「咲耶様はもう立派な大人でしょう?それくらいはご自身でなされるべきかと」
ベッドから転げ落ちたままの俺は手を上げて椛に起こしてくれと頼む。でも椛はそっぽを向いたまま頬を膨らませていた。本当に可愛いなぁ。
「椛……、おねがぁい」
「――ッ!?……や、止むを得ませんね……。まったく……、咲耶様はいつまで経ってもお子様なのですから……」
ブツブツとそう言いながら椛が俺の手を引っ張って起こしてくれる。相変わらず俺の方を真っ直ぐ見てくれないけど、真っ赤な顔をしてそっぽを向いている椛の態度が照れ隠しであることは俺にはすぐにわかった。
~~~~~~~
「んなっ!なんっ…………ですかこれはっ!?」
学園の玄関ロビーに来た俺は叫びを上げてしまった。
「咲耶、少しはしたないよ」
「申し訳ありません……。ってそうじゃないでしょう!お兄様!これは何ですか!?」
辺りを見回してみれば……、俺や薊ちゃん達が泣きながら笑って抱き締めあっている場面の写真をポスターにしたものがあちこちに貼られている。色んな構図や距離で……。八人で抱き合っている遠目からのものもあれば、薊ちゃんと二人の顔だけが写っているアップのもの、何人かで抱き合っている少し離れた距離からのショットなど色々だ。
そんなポスターがあっちにも、こっちにも、色んな場所に、いろんなショットのポスターが貼られている。一体誰がこんなものを作ってあちこちに貼ったというのか……。
「あっ、これなんてよく撮れてるじゃないか」
「わぁ!本当ですね~……。って違うでしょう!そういうことじゃありません!」
兄にのせられたわ!何だこの兄は!兄弟漫才か?
「とても良い写真のポスターばっかりじゃないか。何が不満なんだい?」
「それは不満でしょう!こんな泣き顔ばかり、それも皆で抱きしめあっている恥ずかしい写真ばかり、というよりそもそも勝手に撮影して勝手にポスターにするなんて肖像権侵害です!」
「このポスターを作られたのは近衛様で、写真の使用はお母様が許可されたものだよ。はい。これで何も問題ないね?」
「うぅ~~っ!」
そう言われたら何も言えない……。近衛が相手で母が許可したなら俺がとやかく言う理由も根拠もなくなってしまった。でも納得はいかない。
「うわぁ……。素敵なポスターね~」
「あっ!見て見て!咲耶ちゃんよ!」
「本物だぁ!可愛い~!咲耶ちゃ~ん!ごきげんよう」
「あっ、御機嫌よう」
玄関ロビーで兄と話していると他の生徒達が登校してきた。そしてポスターを見てそんなことを言い、さらに俺に挨拶までしてくれた。まったく事態が飲み込めず混乱するけど挨拶されたら返すしかない。俺が挨拶を返すとまた『可愛い~!』とか言いながら手を振って各々の教室へ向かって行った。何なんだこれは……。
「うまくいってるようだね」
「え?」
そのやり取りを見ていた兄が何か優しい笑顔になりながらそんなことを言った。うまく?
「このポスターの案は近衛様がイメージが悪くなってしまった咲耶のために、どうにか咲耶のイメージ回復をしようと考案してくださったんだよ。それもたった一日でこれだけ用意してくださったんだ。お礼を言うならともかく文句を言うものじゃないよ」
「それは……、そうかもしれませんが……」
そういうことは本人に聞いてやって欲しい。確かに俺のためを思ってしてくれたと言われたら文句も言えない。でも勝手に人のこんな恥ずかしい写真を使って大々的にポスターを作って貼るなんて俺を悶絶死させるつもりなのか?
「咲耶はこれが『恥ずかしい写真』だと思うのかい?」
「それは……」
恥ずかしい。泣いてるし……、女の子達と抱き合ってるし……。
「この写真を選んだ近衛様も、僕も、お母様も、これを見ている他の全ての生徒達も保護者の方々も、誰もこれが恥ずかしい写真だなんて思っていないよ。とても美しい、素晴らしい写真だ。それなのに咲耶は、この子達が恥ずかしい状態だというのかい?」
「ん……」
そう言われて何も言えなくなる。別に薊ちゃん達が恥ずかしいと言ってるわけじゃない。ただ……。いや、でもやっぱりそんなことはない。うん!そうだ!恥ずかしい写真なんかじゃない。確かに俺は泣いてるけどこれは悲しい涙じゃない。うれしい涙だ。そのうれしい涙と皆の笑顔の何が恥ずかしい写真なんだ。これはとても素晴らしいポスターだ。
「素晴らしいポスターです。皆の綺麗な顔がよく撮れています」
「うん。そうだね」
本当に良実君は小学校六年生かね?もう良い歳であるはずの俺が諭されてどうするよ……。でも……、兄のお陰で俺は温かい気持ちのまま教室に向かうことが出来たのだった。
~~~~~~~
教室に入ると……、今日はいつもの皐月ちゃんだけじゃなくて、薊ちゃん、茜ちゃん、椿ちゃん、譲葉ちゃん、蓮華ちゃんが勢揃いしていた。
「あっ!おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「咲耶ちゃんおはよ!」
「御機嫌よう皆さん。……一体どうされたのですか?」
いつもならまだ来ていない皆が勢揃いしている。何かあったんだろうか?
「実はね!」
「あっ!ちょっと!私から言うから!……ごほんっ、咲耶様!私達、前のお出かけの約束通り出かけても良いって許可がもらえたんです!」
「えっ!?」
お出かけの約束って……、七人で行こうねって約束してた?あのお出かけ?してもいいって?
「私も!」
「皆、皆でいけるんですよ!」
「今度こそ七人で!」
「あっ……、あぁ……」
「わっ!わっ!咲耶様!最近涙もろくないですか!?」
「咲耶ちゃん大丈夫?」
皆が心配してくれるけど俺は涙が止められなかった。行けるんだ……。皆で……、お出かけに!
「あはっ!あははっ!」
「ふふっ」
「あははっ!」
顔を上げてみれば……、皆も目に涙を溜めながら、やっぱり笑っていた。皆で行けるんだ。皆もうれしいんだ。よかった。よかった……。
「あ~も~!咲耶ちゃんが泣くからもらい泣きしちゃった。これから授業なのに!」
「あら?私はうれしいわ。咲耶様の美しい色々なお顔がこんなにたくさん見れるんですもの」
「ふふっ。続きはお昼休みにしましょう」
「「「「「は~い」」」」」
皆でゾロゾロとそれぞれの席に着く。いくらいつもより朝早かったとは言ってもそんなに時間があるわけじゃない。他の生徒達の邪魔にもなるし……。
「ねぇ咲耶ちゃん?誰か忘れていないかしら?」
「ひょぇっ!」
自分の席に着いた俺の後ろから、地獄から聞こえたのかと思うような暗い声が聞こえて飛び上がった。ぎぎぎっと後ろを見てみれば……。
「さ~く~や~ちゃ~ん……」
「ひぃっ!」
お化け……、じゃなくて物凄く暗い顔をした茅さんが俺の後ろの席に座っていた。全っ然気付かなかった。溶け込みすぎだろ……。まだ心臓がバクバクいってる。
「わっ、忘れてなどおりませんよ茅さん」
「ふ~ん?あの子達とはあんなに楽しそうだったのに?私もあの子達と一緒に頑張ったのにお姉さんには何もないのかしら?」
うわぁ……。完全に落ち込んでる。これならいっそいつものようにグイグイこられる方が気が楽だ。茅さんは自分だけ蚊帳の外に置かれたことに本気で落ち込んでる。かやだけに……。
…………ごほんっ!
「茅さんのことを忘れてなんていませんよ。あの約束は以前からしていたので……」
「お姉さんも頑張ったのになぁ……。咲耶ちゃんはお姉さんなんてどうでも良いのね……」
よよよっと茅さんが泣き真似をする。本当に泣いてるわけじゃないけど顔は相変わらず暗い。
「どうすれば良いですか?」
もうどうすれば茅さんが機嫌を直してくれるのか俺にはわからない。ならば本人に聞いてみるのが一番だ。
「それじゃあね!お姉さんとも遊びましょ?二人っきりがいいわ。他の、お付きもいらないわよ。前の……、あのメイドは絶対に連れてこないで。ね?ね?いいでしょ?」
「ひぃっ!」
ヌラリと迫ってくる茅さんが怖い!井戸から出てくるビデオの人とか、その家に関わっただけで出てくる関節がぐにゃぐにゃで這ってくる人みたいだ!本気で怖い!
「二人きりというのは看過出来ませんね」
「まったく、油断も隙もありませんね」
「皐月ちゃん!薊ちゃん!」
救世主が間に入ってくれた。これで助か……。
「邪魔しないで頂戴」
「正親町三条様こそ一年生とばかり遊んでいないで相応の年齢の方と遊ばれてはいかがですか?」
「年下に混じって威張っていてはみっともないですよ」
三人がいがみ合って罵りあう。
「ちょっ、ちょっと!皆さん落ち着いて!」
全然救世主じゃなかった!火に油だ!誰か助けて!
…………結局誰も助けてくれず、俺の後ろの席の子はずっと茅さんが席を占拠しているために涙目になりながらもずっと待たされ、予鈴が鳴ってホームルームが始まって先生が来ても茅さんは中々帰らず、散々大騒ぎになってからようやく俺と遊ぶ約束をして満足して帰っていった。
結局俺は茅さんと遊ぶ約束をして、皐月ちゃんや薊ちゃんも仕方ないとばかりに折れ、代わりに自分達とも七人のお出かけとは別に遊ぶ約束をしろと迫られ……、俺はこの日三つも新たに遊ぶ約束をさせられた。
俺はいいんだけど……、勝手に遊びに行くことを禁止されてるんだけど……、果たして母から許可を貰えるだろうか……。