第八百九十八話「杏の卒業」
学年末試験だの何だのと言っている間に結構日が過ぎてしまった。試験結果で一番驚いたのは紫苑が薊ちゃんに勝ったことだろうか。いつも試験範囲の広い学年末試験は苦手としている紫苑がまさかの薊ちゃんに勝っていた。勝負の前にあれだけ自信満々だったのはやっぱり秘策があったからだろう。
一体どんな秘策を使ったのかはわからないけど、そう毎度負けてばかりもいられないと紫苑は必死になり、どうせいつも学年末試験では勝っているからと驕った薊ちゃんは敗れてしまった。別に何か賭けているわけでもないから勝った負けたで何かあるわけではないだろうけど、薊ちゃんも今後は慢心せずに勉強を頑張ってもらいたい。
それはともかく試験前に配った九条家のパーティーの招待状の返事が続々と返ってきている。その日のうちに送り返してきた相手もいれば暫く経ってから送り返してきている相手もいるし、基本的にはほぼ全員参加の返事がきているけど中には不参加の者も多少はいる。
そんなのはいつものことだし、ランダムに招待している招待客のうち、内部生はともかく外部生の一部は不参加率が高い。もっと具体的に言えば外部生でも貴族はかなり参加率が高いのに対して、一般外部生は不参加率が他の分類に比べて飛び抜けて高い。
それはいつものことだからいいんだけどそれよりも俺は招待状を配った時に一つの仕事をやりきった。それは……、『ひまりちゃん』にどうやって招待状を渡すかということだ!
まさか今更『ひまりちゃんのフルネームがわからないので教えてください』なんて言えるはずがない。かといってフルネームがわからないことには招待状を送れない。そうなるとひまりちゃんだけパーティーに招待しなかったということになってしまう。
その問題を解決すべくピンク色の脳をフル回転させた俺が導き出した答え……。それは『ひまりちゃん』宛で招待状を作って手渡しする!ということだった。
郵送でなく手渡しならば名前も住所もわからなくても問題ない。そして手渡しならばきっと『ひまりちゃん』と書いてあっても誤魔化せるはずだ!そう思って『ひまりちゃん』宛の招待状を作り、無事に手渡しすることが出来た。
あとランダムに招待状を送っている相手もいるんだけど当然ながら一部は俺の作為によって呼びたい相手に招待状を送っている。その中に主人公・藤原向日葵を入れておいた。自分から関わるのはどうかとも思ったけど、逆に招待しなければしなかったでまた何か揉め事の原因になったりする可能性は高い。
それならどうせ同じリスクを負うのならば自分の目に見える場所に相手を置いておいた方が状況をコントロールしやすいだろう。まぁそんな理屈をつけているけど単純に俺が藤原向日葵とまた会いたいというか、ドレス姿を見たいというのが主な理由なんだけど……。
どんなに俺自身が違うと言い張ってもやっぱり俺は主人公・藤原向日葵を見たい、会いたいと思っている。その想いに嘘はつけない。
その藤原向日葵からはパーティー出席の返事が来ているというのに何故かひまりちゃんからはまだ返事がない。不参加の返事がきたわけじゃないんだけど未だに参加の返事もないというのはどういうことだろう。
花梨にそれとなく聞いてもひまりちゃんも参加するつもりで準備していることは窺えるのに、当のひまりちゃんから参加の返事はまだない。何日までに返事をしなければならないという締め切りは書いていないけど、さすがに相手が準備しなければならないことも考えたらもうとっくに返事が来ても良いはずだけど……。
試験前までだったなら試験の準備や勉強があったからという言い訳は通じる。でもさすがにもう試験も終わって、なんなら試験結果ですら返ってきたというのに未だに返事がないのはさすがに遅すぎるだろう。
一応こちらではひまりちゃんは出席の予定で準備を進めるけど……、どうして返事をくれないんだろう?
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一年生、二年生の在校生も学年末試験が終わり、三月も半ばになった頃……、今日は藤花学園高等科の卒業式が行われている。平日の日中に行われているので在校生代表でもない俺達は普通に授業中だ。卒業生と二年生や一部の在校生代表は今頃講堂で卒業式を行っている頃だろう。
「咲耶様!杏が卒業ですし見に行きましょうよ!」
「え~……、はぁ……。わかりました……。それではまいりましょうか……」
予定通りならそろそろ式自体は終わって卒業生達が出てくる頃だろう。学園側も卒業生を送り出すために在校生の休憩時間に卒業生が出てくるように時間を設定している。部活動などで親しくしていた先輩後輩とか、家同士の繋がり、社交界関係などで密接に関わっている相手もいる。そういう相手同士、最後に見送れるようにという配慮だと思う。
俺だって杏の卒業を見送ってあげたいと思うし、多少とはいえ石榴にも世話になったこともある。そういう意味では恩や縁のある者もいるわけで最後の見送りくらいはしたり、記念撮影したりしたい。でもなぁ……、正直あまり乗り気はしないんだよ……。
「どうしたんですか、咲耶ちゃん?あまり乗り気じゃないようですけど?」
「あぁ……、えぇ……。杏さんや速水様をお見送りするのは良いのですが……、一部あまり会いたくない方もおられまして……」
誰とは言えないけど正直関わりたくない相手がいる。杏の見送りだけしてパパッと記念撮影をして終わりなら良いんだけど講堂から出てきた卒業生達に会いに行けば絶対に顔を合わせるだろう。今の所は直接の関係はないんだし無視してたら気付かれないとは思うんだけど……。
「案ずるより産むが易しとも言いますし……、こうしていても埒が明きませんので行きましょうか……」
「「「は~い」」」
さすがに杏の卒業式だというのに知らん顔で会いにも行かないというわけにはいかないだろう。うだうだ考えていても仕方がないので休み時間に皆で揃って講堂の方へと向かった。
「ざぐやだ~んっ!卒業したくないっす~~~っ!」
「お~……、よしよし……」
講堂前に行くなり泣きながら俺に抱き付いてきた杏の背中をポンポンと叩いて宥める。どうせ隣の大学に行くだけじゃんとか思うけどこの雰囲気の中でそれは言えない。それに杏が前に言ったように隣の大学だとしてもさすがに高等科以下と大学では生活時間や授業時間が違いすぎる。同じ敷地内にいても顔を合わせるのは難しくなるだろう。
「九条さん、僕からの最後のお願いってことで来年の生徒会役員選挙には是非立候補してくれないかな?」
「速水様……、それは何度もお断りしているはずですが……」
杏が騒がしいので俺達は随分目立っていると思う。周囲からも見られてるし……。そんな俺達に石榴が声をかけてきた。でも俺は五北会メンバーだし石榴に言われたからって『じゃあ生徒会役員に立候補します!』なんて気安く言えない。
大体ほとんどのルートにおいては主人公・藤原向日葵が生徒会役員になるはずであって、何故今年は向日葵が生徒会役員に立候補していないのかもわからない。そんな状況で俺が生徒会役員に立候補してしまったらますますややこしい事態になるんじゃないだろうか?
「速水さん、もっと言ってやってください。九条咲耶!来年は必ず立候補するとここで宣言するんだ!」
「え~……、押小路様?以前と言っておられることが違うのでは?」
ホ○ダチである石榴を見送りに来たらしい柾がそんなことを言ってきた。こいつは別に俺に無理に生徒会役員に立候補しなくて良いとか言ってる癖に何故急にこんなことを言い出したんだ?
「確かに無理強いはしない。だが誘えるなら是非生徒会に入ってもらいたいと思っている!速水会長……、いや、速水さんの願いを聞き入れて九条咲耶が生徒会に入ってくれるのなら大歓迎だ!その言質は今取れるなら取っておきたい!」
欲望に忠実すぎる!
普通に考えたら柾に『ふざけるな!』と言ってやりたい。でもこちらに無理強いするわけではなく、こちらの態度も考慮した上で遠慮している。本心では入れたいと思っているから泣き落としでも先輩の圧力でも何でもいいから『うん』と言ってくれたらラッキーって、正直すぎだし悪質すぎだろ!そんなことを言われては文句も言えない!
別に無理強いしてきているわけでも、何か条件をつけたり脅されたりしているわけでもない。だからこちらが断れば済む話であり柾も石榴もそれ以上は言ってこない。だけどこれだけ言われても一顧だにせず断ったらまるで俺が情の欠片もない人みたいじゃないか!
「アプリコッ……、杏!来年度からは同じ大学に通えるわね!」
「ちょうか~ん!咲耶たんと離れたくないっす~!」
「ええ!その気持ちよ~くわかるわ!私も存在感がなくなってしまったの!これからは二人で咲耶ちゃんを追い掛け回しましょう!」
「茅さん……」
いつの間にか茅さんも杏の卒業式を見送りに来ていたようだ。俺の胸で散々泣いて涙とよだれと鼻水をつけてくれた杏は今は茅さんと抱き合っている。今は杏も泣いてぐしゃぐしゃの顔をしているけど、茅さんと杏というお姉さん二人が抱き合っている姿は何か背徳的でビンビンきてしまいますなぁ……。ぐへへっ!
「久世先生~!お別れなんて嫌です~!」
「久世先生!これからは教師と生徒じゃないですよね!私と付き合ってください!」
「こらこら君達。先生をからかうんじゃありません」
うわっ……、やっぱり居たよ……。久世無患子……。卒業生の女子生徒達にキャーキャー言われているけどあいつはヤバイ……。あいつに関わったらバイオレンスだ。
久世無患子には子供の頃から婚約者として育ってきた幼馴染がいる。もちろん家同士の政略結婚なんだけど子供の頃からの幼馴染だからか気が合ったというか、政略結婚を超えて両者は惹かれ合ったらしい。その相手は入江枸杞という。
入江家は藤原氏であり一条家諸大夫を務めている地下家だ。極位極冠は従三位であり同じ一条家諸大夫である難波家と並んで最上級だ。
原作ゲーム『恋に咲く花』では二人は政略結婚でありながらお互いに愛し合っていたけど、他の貴族による政争に巻き込まれて入江枸杞が殺されてしまう。枸杞が死んだことで空いた無患子の婚約者の座を巡って他の貴族達が新たな女達を送り込んでくるけど、枸杞を愛していた無患子は貴族社会に嫌気が差して家を出て藤花学園の教師になる。
でも本当はただ貴族社会が嫌になったとか家を出ただけではなく……、幼馴染で愛し合っていた婚約者を殺された恨みを晴らすべく復讐の機会を虎視眈々と狙っている。
その復讐劇の合間に何故か咲耶お嬢様は無関係なのに巻き込まれて、かなり雑な死に方でどのルートに行っても巻き添え死させられる。無患子ルートは一つ選択肢を間違えるとヒロインもろとも死亡するバッドエンド直行だけど、それに巻き添えにされる咲耶お嬢様の死に方はバッドエンドの数だけ存在する。
ちなみに設定資料集ではゲーム本編ではカットされている裏設定として、入江家から嫁を出すように画策したのも一条派閥であり、それでありながら久世家の嫁という地位を欲した他の一条派閥が『地下家の娘など羽林家の久世家に送るには不相応』とケチをつける。
結局の所は一条派閥内の争いで枸杞が送り込まれ、さらに久世家の嫁という立場や繋がりを巡って一条派閥内の内ゲバが起こって殺されることになる。そう考えると枸杞も可哀想な立場だし巻き込まれただけの悲劇のヒロインとも言えるかもしれない。
ゲームや設定資料ではそこまでしか書かれていなかったけど……、この世界を見てきた俺の感想としてはもしかしてそもそも枸杞を送り込もうとしたのって、一条派閥や一条家が久我派閥を味方につけようとして送り込んだんじゃないのか?と思ってしまう。
ゲームではそこまで細かい内容は言及されないし、設定資料にもそういったリアルな事情は書かれていなかった。でもこの世界で生きてきた俺としてはゲームの一条家が久我家や久我派閥を味方につけるために久世家と入江家の縁談を持ち出し、さらにもっと上位の家とくっつけて取り込もうとした結果の内ゲバだったんじゃないかと思う。
その争いの中で枸杞は邪魔になり、久世家の嫁という立場を手に入れようとした他の一条派閥の家の暗殺者によって殺されてしまう。しかも久世家自身もより家格の高い相手と息子を結婚させたいと思い枸杞の暗殺に協力する。だからこそ無患子は家を出て実行犯はもちろん久世家にも復讐しようとする。
まぁそれはゲームの話であって……、実はこの世界では無患子と枸杞は婚約もしていないし、何なら枸杞は今も生きている。俺達より結構年上とはいえ貴族のご令嬢のことなので俺が調べようと思ったら簡単に調べられるし、両親も家人達も俺が他の貴族家のご令嬢のことを調べても何とも思わない。
確かに無患子と枸杞はゲーム通り子供の頃に顔を合わせて幼馴染として育った。でも両者は婚約することもなければ愛し合ってもいないようだ。一条家や一条派閥がゲームと違う動きをしているのか枸杞が婚約者になることもなかったし、愛し合うこともなかったし、今も無事に生きている。
愛する婚約者が政争の果てに殺されることがなかったわけで今の無患子には貴族社会に復讐する動機はない。もしかしたら今も卒業生達に慕われているように普通の良い先生として生活しているのかもしれない。でも俺は関わりたくないし関わらない方が良いだろう。
三年生達は卒業だからほとんどの生徒達とは今後は社交場以外では顔を合わせることはないと思う。でも今年三年生を受け持った無患子は来年度からは新一年生達を受け持つことになる。出来ればこのまま俺とは関わらずに終わって欲しいところだけど……。




