第八百九十四話「九条様ディナーショー」
打ち合わせを終えて、九条様には控え室で準備を進めてもらっている間に三つ葉は参加者達を空き教室に誘導してから壇上に立った。
「え~……、本日の参加者は全員揃ってますね?それではまず私の方から重要な……、ほんっっっとうに重要なお話をします。決して軽く考えず、聞き流したりせずきちんと聞いてください」
三つ葉の念押しに参加者達は若干ざわついていた。ここにいるのは貴族もそれなりにいるのだ。全校生徒の貴族と一般外部生の割合から考えれば、厳正なる抽選を行って参加者を選べば確率的には貴族の生徒の方が多くなるのは当然だろう。分母が多い分だけ貴族に当たる確率も上がる。おおよそ人口比の割合と同じになるはずだ。
だからここに集まっている参加者達も貴族の方が多い。貴族ならばこれから三つ葉が言うこともある程度理解出来るかもしれない。しかし貴族と言えど今から三つ葉が言おうとしていることが伝わらない者もいるだろう。三つ葉が理解出来ているのは家がたまたまそういった教育に熱心だったからだ。
「まず……、九条様が差し入れてくださったお茶とお茶請けを配りたいと思います」
「わぁっ!」
「九条様が?」
「うれしいサプライズね!」
参加者達は無邪気に喜んでいる。しかし三つ葉は手が震えそうだった。これらを九条様に代わって『下賜』していく大役を仰せつかったのだ。さらに何もわかっていないであろう地下家や一般外部生にこれがどういったものであるのか説明してきちんと理解させなければならない。
「うわっ……、素敵な柄……」
「凄い箱……。この箱だけでもお金かかってそう……」
それぞれ自分の名前の書かれている『お土産』を受け取った参加者達はそんな暢気なことを言っている。だが一部の生徒達はそれを受け取った瞬間固まっていた。一部の者達はこの箱の意味がわかるようで三つ葉は少しほっとした。もし誰も理解してくれなかったら大変なことになる。
「全員に行き渡りましたね?それではこの九条様からの差し入れである『お土産の箱』について説明していきます」
三つ葉はゴクリと喉を鳴らしながら説明を始める。
「まず……、この箱はただのお土産の箱ではありません。九条咲耶様直筆の花押と自分の名前が書かれているのがわかりますね?これは『九条家お墨付き』となるものです。絶対に安易に捨てたりしないでください。それからつまらないことに使ったり、ましてや悪用は絶対にしないでください」
三つ葉の言葉に一部の参加者達は真剣な表情で頷いていたが、それ以外の参加者達は意味がわからず首を傾げていた。
「もし何かあった場合にこの箱を貴族家に見せて要望や要請を伝えればほとんどの貴族家は便宜を図ってくれます。これは一種の証なのです」
三つ葉はよくわかっていない参加者達にもわかるように細かく、何度も、具体例も交えて説明した。
例えば全権大使が全権を持っている根拠として持っている物、あるいは一見さんお断りの所への紹介状、この箱の花押や署名とそこに名前の記されている者は『九条家から緊急時の権限を与えられている』ということを意味する。
一部の貴族達は最初にこの箱が配られた時点でそれを理解していた。しかし小さな地下家などはこれらの物とは一生無縁であることがほとんどだ。両親達はその存在を知っていてもまだ実務にも関わっていない子供達には教えていない地下家も多い。
両親ですら実物を見たことがなく、ましてやまだ高等科生である子供達には教えていない地下家もある。最初からわかっていた者達は家がそういう教育をきっちりしているのか、派閥などの関係ですぐにでも教えておく必要がある家か、あるいは堂上家ならば子供にすぐに教えているかもしれない。
それ以外の者達は三つ葉や、最初から知っていた者達に散々説明されてようやく何となく理解し始めていた。それと同時に意味がわかると恐ろしくて箱を持つ手が震えてきていた。
「悪用した場合、それを提示、提出した相手から九条家に連絡がいきますので即座にバレます。そしてそうなればどうなるか……、言わなくてもわかりますね?」
「「「…………」」」
三つ葉の言葉に参加者達はブンブンと首を縦に振った。誰が、いつ、どこで、誰に対して、どのようにこれを使ったか、ということが即座に九条家に伝わるように出来ている。当然つまらない用事でこれを使ったり、ましてや悪用すればすぐに九条家から制裁を受けることになるだろう。それは悪用して得られる利益よりも遥かに恐ろしい制裁が課されるに違いない。
「それから安易に捨ててもいけません……。我が国は千何百年も昔の書類もきっちり残っている国です。当然誰がいつこれを受け取ったかは九条家に控えられています。そしてそれは恐らく今後何百年も残るでしょう。もし使っていないのなら出してみろと言われて捨ててしまっていたら……」
「「「…………」」」
それを聞いてまた参加者達は青褪めた。
この国は千何百年前もの文書が当たり前のように残っている国だ。むしろ貴族というのはそういった物を継承していくことに重きを置いている。だから先祖の日記から朝廷での公文書から前例から何から何まで継承されて残っている。
近隣の国は都合が悪いと全て焚書してしまうために、後世で都合良く書き換えた写本は残っていても本当のことが書かれている原書は残っていない。嘘と改竄に塗れた歴史しかない。それに比べてこの国ではどれほど都合が悪いことが書かれていようと、何なら書かれた当時に矛盾、辻褄の合わない記述があったとしてもそれをそのままに保存してある。
何も矛盾や辻褄が合わないことは悪いことではない。例えば一方の言い分だけを正しいとして書き記して残していれば矛盾は起こらないかもしれない。しかしそうではなく、もう一方の言い分も書き記し、後世に残すことで書かれている内容に矛盾があったとしてもそれはそういうものとして残されている。
矛盾なく辻褄を合わせるために一方の意見や供述を封殺したり、勝手に辻褄が合うように書き換えたりなどしない。ありのままに供述や残されている伝承をそのまま残す。この国にはそういった『バカ正直なまでの愚直さ』がある。
貴族とはそういった前例や過去の出来事などを継承していき、帝に教え、答えるのが仕事だ。だから一度保存した文書は長い間きちんと継承されていく。今日ここで『九条家お墨付き』を貰った者達の名前は今後何百年、何千年と九条家の文書の中に残される。
何十年か先に突然『お前の家にはこの日にお墨付きを出したはずだ。使っていないのなら手元にあるはずだから出してみろ』と言われるかもしれない。それらをきちんと保管し継承していくことも貴族としての仕事なのだ。まさか『いらないと思って捨ててしまいました』などと言えるはずもない。
これを受け取るということは非常に名誉であると同時に重い責任も背負うことになる。そのことを参加者達はようやく理解した。
「え~……、それから……、今日の演奏のために九条様は御自身のヴァイオリンを持ち込んでくださっております。グァルネリウスという……、そうですね。ストラディバリウスと並ぶ名器であり、ストラディバリウスよりも現存数が少ないために希少で高額なヴァイオリンです。罷り間違っても九条様のヴァイオリンに傷をつけないように注意してください。グァルネリウスは何億から十何億もしますので……」
「「「――ッ」」」
三つ葉の説明に息を飲む音が聞こえた。ここにいるほとんどの者にとっては何億というだけでも途轍もない大金だ。むしろ一生かかっても払えないような金額だろう。もし万が一にもそんな金額のヴァイオリンを壊してしまったら……。そう思うだけで恐ろしくて安易に手で触れる気すら起こらない。
「え~……、それでは九条様を呼んでまいります。今日は九条様ディナーショーを存分にお楽しみください」
「「「…………」」」
始まる前にあれだけ脅されて心から楽しめるか!と思ったが誰もそこは突っ込まず、三つ葉は空き教室を出て九条様の控え室へと向かったのだった。
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「ぐすっ……」
「凄い……」
「これが……」
『九条様ディナーショー』の参加者達のほとんどは涙を流していた。始まる前に三つ葉にあれほど脅されたのでどうなることかと思っていたが、いざ九条様がやってこられて挨拶の言葉を述べられて、そして最初にヴァイオリンの演奏が始まると皆が泣き始めたのだ。
「素晴らしすぎる……」
「これは名器のお陰なのか、九条様の腕なのか……」
「両方よ!両方に決まってるでしょ!」
音響を考慮されていないただの教室で演奏しているというのにその音色は素晴らしかった。またそれを奏でている九条様の力もあるのだろう。九条様の演奏を聴いているうちに最初の緊張はあっという間に解れ、参加者達はその音色に酔い痴れていた。
「次は趣を変えて……、私が家で演奏して録音してきた他の楽器と合わせて演奏いたしますね」
「「「おおっ!」」」
それは文化祭の時に三組の喫茶店でも使われていた手法だ。その録音の方が本当に九条様の演奏であるのかどうかはわからない。しかし恐らく本当にそうなのだろう。それがわかるほどに録音の方も、この場で演奏されているヴァイオリンも、卓越した技術によって奏でられ、完璧な調和をなしている。
『これより九条様の生歌が始まります。生歌の間、九条様は各席を回られますので参加者の皆様は是非この機会に九条様と握手をして触れ合ってください』
「「「うおおっ!!!」」」
運営によるアナウンスを聞いて参加者達のテンションは一気に上がった。一度楽器演奏を終えられた九条様は今度は音楽に合わせて歌われる。そしてその際に歌いながら各席を回り、参加者達と握手してくれるのだ。これで盛り上がらないわけがない。
「きゃーっ!九条様!初等科の頃から大ファンです!」
「ありがとう」
「もうこの手は一生洗いません!」
「いえ……、ちゃんと洗ってくださいね……?」
「今夜はこの咲耶お姉様に握手していただいた手をオカズにします!」
「はっ……、はぁ……?」
歌いながら九条様は各席を回って順番に握手をしていった。純粋すぎる九条様には一部の穢れた思考の者達の言っていることは伝わらなかったようだ。この天使の歌声を持つ九条様に変な意味が伝わらなくてよかったと運営や参加者達はほっと胸を撫で下ろした。
『え~、九条様ありがとうございました。これより九条様は一度退出されます。参加者の皆様には食事が運ばれてまいりますのでしばし食事をお楽しみください』
「や~ん!九条様ぁ~~~!」
「あぁっ!咲耶お姉様がいってしまわれる!」
「また後で来ますよ。皆さんは食事をお楽しみくださいね」
「「「はぁ~い!」」」
九条様は一度部屋を出て控え室に向かわれた。それと入れ違いで参加者達には食事が運ばれてくる。九条様お一人で行われているディナーショーなので休憩時間も取る必要がある。何よりも『九条様ディナーショー』なのに食事が出なければ『ディナーショー』ではない。
休憩と着替えなど次の準備のために九条様が下がっておられる間に参加者達は食事に舌鼓を打った。ただし参加者達にチケットを売ったわけでもなく、運営による持ち出しと一部の会員による寄付で賄われているものだ。それほど豪華な食事が出るはずもない。しかしそれでも一部の生徒達にとっては十分過ぎる程に豪華な食事だった。
『お待たせいたしました。それでは九条様の再入場です!』
運営のアナウンスを聞いて空き教室が沸き立つ。そして着替えられた九条様が再び入室された。
「次は少し私の話を聞いていただこうと思います」
「わぁっ!」
「楽しみ~!」
楽器演奏、歌と来て次はトークの時間だった。まだ参加者達は食事の途中なので九条様も壇上に座られながらゆったりとトークを繰り広げられた。時々参加者の方にも話を振り、受け答えすることで九条様と会話することが出来た。それだけで参加者達は天にも昇る気分だった。
『それでは参加者の皆様も一緒に最後は合唱を行いたいと思います。歌詞の分からない歌はお配りしたカードに歌詞が書かれておりますのでそちらをご覧ください』
トークショーも盛り上がり、食事も終えて、少しだけ再び九条様の演奏や歌を聴き、最後に全員による合唱が行われた。良く知っている歌から校歌や国歌などカードに書かれている曲を何曲も歌う。
『え~……、これにて全てのプログラム終了となります……、がっ!九条様のご厚意によりこれより記念撮影の時間を取ります。希望者の方はまだ帰らずにそのままお待ちください』
「えっ!本当に!?」
「九条様と記念撮影出来るなんて!」
当然誰一人帰る者など居るはずもなく、参加者全員が九条様との記念撮影を撮ってこの日の『九条様ディナーショー』は大成功のうちに幕を閉じたのだった。




