第八話「入学式」
藤花学園初等科入学式の日。この日は各名家にとっては特別な日でもある。藤花学園に通う生徒達の実家を全て合わせれば日本のほぼ全てを動かしている企業や著名人が揃うことになる。そんな藤花学園に入学して通えるだけでも大変な家だが、当然その中にも序列が存在する。
世間一般から比べれば藤花学園に通っている生徒は一番序列が低い者でも雲の上の存在のような相手だろう。しかしただの旧家で小金持ちという者と日本経済を支配する大財閥の名家とでは圧倒的な差である。そんな者達が通う藤花学園ではこの日、入学式の日に序列がほぼ決まる。
また小さな家は大きな家との繋がりを得る場でもあり政略や経営戦略のために色々と陰謀と計略が渦巻いている。ここで親同士が知り合い、子供を政略結婚させ企業統合や合併を行なった企業や財閥も数多くあった。その重要なお披露目とお近づきになるための初日が入学式なのである。
そんな藤花学園初等科の入学式において、一台の高級車が停まるとまるで人形のような美しい少女が降りてきた。
「ほぉ……」
「あの子だぁれ?」
「歩く姿も美しい」
「あれは九条家のご夫人……」
「ということはあれが九条家の……」
黒い瞳に黒い髪。真っ直ぐストレートな長い髪は艶々と美しい。まるで背中に芯でも入っているのかと思うほどにシャンとした姿で静かに歩く。その歩く姿まで全てが美しく教養の高さが窺える。まだ小学校一年生、六歳を越えたばかりの子供とは思えない。僅かに微笑み真っ直ぐ前を見詰めながら静々と歩くその姿に同伴の大人達全てが驚嘆する。
「かわいー」
「あんな子見たことないね?」
そして子供達は子供達でその人物に興味津々となっていた。普通なら藤花学園初等科に入学するようなレベルの子ならば大半は入学以前から誰か顔見知りがいるものだ。もちろん最上位の者と最下位の者ではそうそう繋がりもないだろう。しかし同レベルくらいの家同士ならば親同士の繋がりやパーティーで顔を合わせたことがある者がいるはずだ。
それなのにその少女、九条家のご令嬢とそういった場で顔を合わせたことがある者は誰一人いなかった。答えは簡単だ。何故ならば九条家のご令嬢、咲耶はそういった場に出たことが一切ないからだ。
「見て見てアザミちゃん。あの子かわいいね~」
「そっ、そうね……」
周りの友達や大人達全員がその人物を『凄い』『かわいい』と持て囃す。それがアザミには許せなかった。自分は徳大寺薊だ。そこらの子達とは家も育ちも違う。この日本を支配する五大名家のいずれかに嫁いでもおかしくはない者だ。
今年の藤花学園には近衛家や鷹司家の御曹司が入学してくる。両家と婚姻関係を結んでお近づきになりたい家はたくさんある。その中でも徳大寺家は最有力候補の一つだ。他にもいくらか有力候補と言われている家の娘はいるが藤花学園入学までのパーティーやお披露目ではアザミが一歩リードしていた。
その自分を差し置いて周りの全てにチヤホヤされるあの女が一体どれほどのものだというのか。
自分の方が可愛い。自分の家は徳大寺家だ。自分の方が近衛伊吹と親しい。それなのに……。悔しい!悔しい悔しい悔しい!許せない許せない許せない!
今日一番注目されるのは自分だったはずなのに!近衛家の嫁入りに一番近いと言われているのは自分なのに!
「あっ!見て!」
「あれは近衛家の……」
そこへ、近衛家の車がやってきた。当然降りてきたのは近衛家のご夫妻とその息子、伊吹。今年藤花学園初等科に入学する生徒の頂点に君臨する王子様だ。
「アザミちゃんは伊吹様とごけっこんするんだよね?いいなぁ……。わたしもあんな王子様みたいな人とけっこんしたーい!」
「ふっ、ふふ……。そうかな?まぁみんなもがんばればそれなりの人はつかまえられるわよ」
小学校一年に入学したて、いや、今から入学するような子供が何を言っているのかと思うかもしれない。しかし周囲の大人達も子供達もそうは思っていない。ここはそういう世界だ。小学生の頃からもうどの家と繋がりを持つために子供を結婚させるか考えている者達の住む世界だ。
「あっ!見て!伊吹様があのかわいい子とおしゃべりしてるよ!」
「あっちからは鷹司様が……、槐君もご一緒だ」
あろうことか……、アザミが一番の婚約者候補であるはずなのに……、そのアザミに声をかけてくる前に伊吹はあのわけのわからない女に親しげに声をかけている。双方のご両親も親しげだ。
あり得ない!なんなのあの女は!
それだけでもアザミの怒りは頂点に達していたのにさらに腹の立つ出来事が続く。近衛家に続いて入って来た鷹司家まで一緒になってあの女の一家と楽しそうに話している。鷹司家の息子、槐もにこやかにあの女に話しかけていた。
近衛家の伊吹、鷹司家の槐といえば今年藤花学園に入学する生徒達の憧れの的だ。その二人とあんなに気安くしゃべっているあの女は何者なのか。
許せない!許せない!許せない!大人達の、周囲の友達の、そして伊吹や槐の注目まで集めるあの女が許せない!
周囲は近衛家、鷹司家、九条家の関係性を見て『もしかして近衛家か鷹司家のどちらかと結婚するのはあの子では』とまで言っている。
そんなこと認めない。伊吹と結婚するのは自分だ。伊吹の一番の許婚候補はこの徳大寺薊だということを思い知らせてやる!
両家に頭を下げてから離れていく九条家と呼ばれていた家の女をアザミはずっと睨みつけていたのだった。
~~~~~~~
全員が講堂に入って入学式を終えてから……、アザミは取り巻き達を集めてあの女を捜していた。九条家なんてパーティーでも名前を聞いたことがない。どうせ自分達が参加するようなパーティーにも呼ばれないようなつまらない家の子だろう。そんな子が伊吹や槐と親しくするなんてあってはならない。
「あっ!アザミちゃん!あそこ!」
「――ッ!」
取り巻きの一人があの女を見つけた。アザミはすぐにそちらを確認する。
「よくやったわ!いくわよ!」
その姿を確認したアザミは取り巻き達を連れてその女の下へと向かった。移動しようとしている女を自分の取り巻き達で囲む。
「ちょっとあなた!」
「え……?」
周囲を囲まれているというのにようやくそれに気付いたかのようにその女はポカンとした顔でアザミを見た。そして周囲に視線を送る。自分が囲まれていることに気付いて泣き出せば良い。伊吹や槐の前で無様な姿を曝け出して呆れられれば良い。そう思っていたのに……。
「あ~っ!薊ちゃんだぁ~~~!きゃー!すごーい!本物の薊ちゃんだぁ!」
それなのにその女はキャッキャ言いながらアザミに抱き付いてきた。突然の出来事にアザミも取り巻き達もポカンとしてどう反応して良いのかわからない。
ただその女に触られて、抱きつかれて、手を握られて思いっきり振られる。
取り巻き達もどうして良いかわからずただオロオロするばかりだ。こんな予定ではなかった。皆で囲んで圧力をかけて伊吹や槐に近づくなと釘を刺すつもりだっただけなのに……。そもそもその女はアザミに随分気安い。もしかして知り合いなのかと思って取り巻き達は余計にどうしたらいいかわからない。そして当のアザミの方は……。
「あなた……、どこかで会ったことある?」
もしかして自分が忘れているだけなんだろうか。どこかで会った?まったく記憶にはない。しかし向こうは自分を見るなり名前で呼んできた。もしかしたらどこかで会ったことがあるのかもしれないと思って確認してみる。
「えっ……?あっ!そっか……。えっと……、直接会うのは初めてかしら。でも私は薊ちゃんのこと良く知っているよ。私は九条咲耶です。これからよろしくね徳大寺薊ちゃん」
そういって丁寧にお辞儀をして挨拶してくる咲耶と名乗った女の所作はあまりに完璧だった。アザミとて高位の名家の育ちだ。これまで厳しい躾も習い事もこなしてきた。自分では随分出来るつもりだった。しかし自分と咲耶を比べたら自分のしているのはただの子供のお遊戯だ。礼儀作法とはかくあるべしという先生のお手本のようだった。
「皆もよろしくね」
周りにいる取り巻き達にも、一人一人の名前を言いながら挨拶してくる。全員ポカンとするしかない。自分達は会った覚えがないのに向こうは全員の名前を正確に言い当てているのだ。
たまたま名前を知っていることはあるだろう。アザミ達にも名前は聞いたことがあるが会ったことがないという相手くらいはいる。しかしこれだけいるのに全員の名前を名乗ってもいないのに知っているなどどう考えてもおかしい。全員頭に疑問符をつけて首を傾げていた。
「あっ……、あまり調子に乗らないで!」
どうしていいかわからないアザミはついに手を出す。ビンタで咲耶と名乗ったこの女の頬を思い切りひっぱたいてやろうと思ったのに……。
「はい、お友達の握手。これでもうお友達ですね」
あっさりビンタした手を掴まれたアザミはそのまま手を握られて握手させられた。そしてニッコリと微笑まれる。
その時、ドキリとしてしまった。柔らかい笑顔で真っ直ぐに微笑まれて……、綺麗だと思ってしまった。
許せない。伊吹や槐と親しくしていることも。周りの大人も子供も全てに注目されてチヤホヤされていることも、何もかも許せない。しかし本当は何が一番許せないのかようやくわかった。
それは自分だ。
アザミは自分が許せない。咲耶を見てかわいいと認めてしまっている自分が許せない。歩く姿まで美しいと見惚れてしまう自分が許せない。伊吹や槐と咲耶ならきっとお似合いだろうと思ってしまう自分が許せない。そしてこれだけ憎んで腹を立てているのに手を握られて友達だと微笑まれてうれしいと思ってしまっている自分が許せない。
「いくわよ!」
「あっ!アザミちゃん!」
「まって~!」
ポカンとしている咲耶を置いて……、アザミとその取り巻き達はそそくさと講堂から出て行ったのだった。
~~~~~~~
「咲耶はそろそろ入学式の最中かのぉ……」
百地三太夫は縁側に座ってお茶を飲みながらポツリと呟いた。ここ最近の百地三太夫の生活は全て咲耶が中心だ。可能な限り、時間がある限り咲耶にあらゆることを教えている。
自分はもう死ぬまで弟子を取ることはないと思っていた。最後の弟子が出て行って以来ただ一人でこの広い道場で佇んでいただけだ。それがまさか最後の最後であれほどの逸材と出会うとは思わなかった。このまま一人朽ち果てるだけだと思っていた百地三太夫はこれが最後とばかりに咲耶に全てを授けていく。
普通あれくらいの子供ならば叱られれば泣き喚き、拗ね、すぐに音を上げてやめてしまうだろう。三太夫にもそれくらいはわかっている。だから普通に表の百地流古舞踏を教えてきた子供達にはあそこまで厳しくしたことなどない。
しかしあの九条咲耶は違う。どれほど怒られようと決して諦めない。多少は拗ねることもあるがきちんと理屈をもって説明すれば自らに非があったと認めて謝り、また真面目に練習に励む。あんな気持ちの良い子供などこれまで一人も見たことがなかった。
どれほど怒られてもひたすら一生懸命に何度も何度も反復練習を繰り返せる。あれは天性のものだろう。ああいう子が大成するのだとこれまでの経験からもよくわかる。
「百地先生!是非今度審査員として……」
「待て!こっちはずっと前からオファーしてるんだ!百地先生!ぜひうちで……」
さっきからうるさい者達の面倒な話など全て聞き流している。百地流古舞踏関係でいつものようにあちこちから審査員をして欲しいだの、論評して欲しいだのとうるさくてかなわない。
「うるさいのぉ……。わしはそういうことはせん」
百地流の影響力は絶大だ。他の流派にまで強い影響力を持ち、百地流から巣立った者達が協会の幹部に何人も名を連ねたりしている。そういった第一人者達を育てた百地三太夫は決して本人は表には出てこない。その人物を何かで表に引っ張り出すことが出来ればそれは業界内でも相当に一目置かれることだろう。
「そこをなんとか!」
「百地先生!」
「わしは今弟子の育成で精一杯じゃ」
そこで漏らした一言で詰め掛けていた者達が顔を見合わせる。
「まっ、まさか百地先生に新たな弟子が!?」
「もう弟子は取られなかったのでは……」
「こっ、これは大変だ!」
大スクープを聞いたとばかりに詰め掛けていた者達は慌てて出て行った。それを尻目に三太夫は再びお茶を啜る。
「はぁ……、忙しないのぉ……。早く咲耶が来んかの……。暇で仕方がないわい」
今度は何を教えてやろうか。今は表の方を中心に教えているがそれも裏を教えるのに決して無駄にはならない。まるでスポンジのように何でも吸収し、怒られても不貞腐れることなく繰り返し繰り返し練習に励む咲耶の姿を思い出しながら、三太夫はこれからの教える内容をあれこれと考えていたのだった。