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第八百九十三話「五北家とはどういうものか」


 土曜日の藤花学園はクラブ関係のこと以外では普段は生徒はいない。しかしそんな土曜日のお昼前から一部の生徒達が忙しそうに駆け回っていた。


「急いで!もう本番まで時間がないわよ!」


「「「はいっ!」」」


 西村三つ葉の指示を受けてボランティア達がテキパキと準備を進めていく。今日のために学園に土曜日という休日でありながら空き教室の使用許可を取り、事前に出来る限りの準備はしてきた。しかし当日にしなければならない準備や搬入というものはどうしてもなくせない。『九条様ディナーショー』の本番直前の空き教室や控え室はまさに戦場と化していた。


「西村様、これはどちらに……?」


「それは九条様の控え室に運んでおいて!」


「三つ葉ちゃ~ん!たっけて~!」


「はいはい!何事?」


 陣頭指揮を執っている三つ葉は登校してきてからずっと大忙しだった。皆が頼りにして相談してくるのでいちいち全てに対応しなければならない。その上三つ葉は立場上運営予算を出さないわけにもいかず、今回のディナーショーのための予算も結構な額を寄付していた。


 それなのに参加者としての抽選には落ちるし、一般会員には『幹部だけが良い思いをしている』と妬まれる。まったく割に合わないのだが他に適任もおらず多少は止むを得ないと我慢しながら幹部の仕事を続けていた。


 ただしたまには先日のような『九条様との打ち合わせ』のような幸運も舞い込むことがある。それに九条様の入り待ちの時も大体は良い位置を確保させてもらっている。そういった多少の見返りでもなければとてもではないがやっていられない。


「はぁ……。何とか九条様が来られるまでに間に合ったわね……」


「いやぁ~……、大変だったねぇ……」


 搬入や最終準備を終えた三つ葉の隣で南天は汗を拭っていた。一通りの準備は終わり現在は各担当が最終確認を行っている。確認の報告は受けなければならないが一先ず準備は終わったので二人とも一度椅子に座って休む。


「抽選に外れても運営側としては立ち会う必要があるよね?」


「そうね……」


 ニヤニヤと悪巧みをしているような表情を浮かべている南天に三つ葉はヤレヤレと首を振りながらも同意した。今回のディナーショーの抽選に三つ葉も南天も落選している。一年の最高幹部である三つ葉でも抽選に落ちている辺り、ファンクラブの抽選はかなり公平公正なものだと言えるだろう。


 ただ参加者としては落選した二人だが、運営側の役員として現地にも居らずにさっさと帰るというわけにはいかない。当然舞台袖からにしろ、裏方にしろ、現場にて待機して運営や進行を見守り、何か問題があった場合には対処しなければならない。終わった後の片付けだってある。


「南天……、貴女そのためにボランティアに参加したんでしょ?」


「えへへ~」


 三つ葉に図星を指されて南天は笑って誤魔化していた。しかしその笑顔は憎めないもので三つ葉もヤレヤレと思いながらもボランティアに協力してくれた南天に感謝していた。


「さぁさぁ!そろそろ九条様がこられるわよ!確認を急いで!」


「「「はぁ~い」」」


 九条様がこられるまでに全ての準備を終えようと、幹部やボランティア達は最後の確認に奔走したのだった。




  ~~~~~~~




 約束の時間丁度に九条様はこられた。三つ葉は九条様を控え室に案内しながら最終確認を行う。


「リハーサルや舞台の確認はいかがされますか?」


「藤花学園の教室ですから確認するまでもないと思います。それよりも最後の打ち合わせに時間を使いましょう」


 本番前のリハーサルなどを行うかとも思っていたが残念ながらそれはなかった。参加者達が入る前に自分達だけ九条様の演奏や歌が聞けるかと期待していたが、九条様にとってはそれよりも重要なことがあったようだ。


「まずはこちらを……。九条家で飲んでいるお茶と今日のために用意したお茶請けです」


「ありがとうございま……、ヒュッ!」


 九条様から差し出されたサンプル分を見て三つ葉は変な空気が漏れた。九条様は三つ葉に茶葉の缶とお土産を入れるような紙の箱を見せた。参加者達や運営やボランティアのために用意されている分は別で九条家の家人達が運び込んでいる。今出されたのは現物を三つ葉に確認してもらうために咲耶が直接持ってきた分だけだ。それを見て三つ葉はガタガタと震え始めた。


「いただいた参加者の名簿を見てそれぞれにお名前を書いておりますのでご本人様にお渡しくださいね」


「はっ、はひっ!」


 このお土産を渡し間違えるわけにはいかない。何しろこれは『九条家のお墨付き』を表すものだからだ。


 九条様が差し出された差し入れ、お土産用の箱の両側面には九条家の家紋である九条藤が描かれている。そして表面には拾翠亭(しゅうすいてい)の絵が描かれている。


 描かれている絵は手前に九条池、奥に拾翠亭、隣には咲き誇る藤棚と池の畔にアオサギだ。これは古都にある御苑の九条家の茶室だ。さらに裏面には御苑厳島神社と唐破風(からはふ)の鳥居が描かれている。


 厳島神社といえば海に浮かぶ大鳥居がある方を思い浮かべる人が大半かもしれない。しかし古都にも厳島神社の分社がある。それは御苑の九条家の敷地内に取り込まれ九条家の鎮守社となっている。世にも珍しい唐破風の鳥居は三珍鳥居の一つに数えられているものだ。


 その裏面に九条咲耶様直筆の花押があり、今日の参加者やスタッフ達の名前がそれぞれ書かれている。この箱は実はただのお土産用の箱ではない。この花押や署名こそが『九条家お墨付き』を表している。


 この箱に九条家の花押や署名があり、受け取った人物の名前が書かれている場合、非常時にはこれを見せれば全地下家及び九条門流全ての家がこれを出した者に対して便宜を図ってくれる。


 ご老公の印籠は別に身分を保証するものでも何らかの効力があるものでもない。葵の御紋は徳川家以外にも下賜されており、葵の御紋が入った代物を持っている家はそれなりに居た。しかもそれで仮に身分を証明出来たとしてもその人の家がそれなりの家であることを示す以外には価値はない。しかしこの箱は違う。確かな効力を持っている。


 緊急時に九条家に相談する暇がない場合などにおいて、この『九条家お墨付き』を他の貴族に対して提示、提出した場合、それは九条家からの要請や命令と同等の意味を持つ。


 例えば昔ならば緊急の伝令が必要であった場合などに、いちいち駅で馬の使用について許可を取ってから借りるなどしていられない。その馬の使用許可を取れるのならその時に伝令も済ませれば良いのだ。それが出来ないから伝令に走っているというのに、その使用許可を持って来いと言われても持ってくることは出来ず、緊急の伝令として意味がなくなってしまう。


 かといって駅の管理者としてもどこの馬の骨ともわからない相手に『緊急の伝令だから』と言われたからといって馬を貸すわけにはいかない。そういう時に全権を与えられた者として何かしらの提示出来る物を預かる。この一見『ただのお土産の箱』に見える物はまさにそれと同じものなのだ。


 緊急時にこれを提示した場合、九条家の指示や命令を待つまでもなく九条家からの命令と同等に扱うようにという『お墨付き』がこの箱だ。だから九条様の花押とそれぞれの名前が書かれたこれを受け取るということは非常に重い意味がある。


 ただしこれを悪用することは許されない。気軽に使って良いものでもなければ、いただいた者の名前も恐らく九条家に控えられている。簡単に捨てることも出来なければ使うことも出来ない。万が一安易なことに使えばその家は九条家によって消されるだろう。


 これは九条家公認の命令として他の家に影響を及ぼすことが出来る。そしてそれに掛かった費用や負担については協力した家が九条家に請求すれば全て九条家が補償してくれる。西村家のような地下家が九条門流である堂上家に対しても命令出来るものだ。いや、並の堂上家どころか五北家でも二条家ならばこれを持っていけば話くらいは聞いてくれるだろう。それほどの物を今日の参加者達に配ってくださるのだ。


 これはまさに下賜!日頃から九条様を崇め奉っているファンクラブメンバーへの最上級のご褒美に違いない。


「私はどの席にどなたが座られることになるか把握しておりませんので、西村様の方で間違いなく配られるようによろしくお願いいたしますね」


「はいっ!この西村三つ葉!身命を賭して間違いなく参加者本人に配ることをお約束いたします!」


 九条様は自分を信じて配る役目を任せてくださったのだ。それに応えるために三つ葉は最上位の礼で九条様に応えた。


「まぁまぁ、そう硬くならないで。それで今日のプログラムなのだけれど……」


「はい!」


 こんな大役を任せてくださった上にこちらの緊張を解そうと九条様は笑みを浮かべて少し話題を変えてくださった。今日の流れや予定を確認しながら話が進んでいるとふと三つ葉は先ほど九条様が緊張を解してくださったので、今度はこちらから冗談でも言ってみようかという気になった。


「ところで九条様、もしかして今日の演奏で使われるヴァイオリンはストラディバリでしょうか?」


 まさかこんな学園の空き教室で素人を四十人ほど集めただけのディナーショーでそんな名器を持ってくるはずがない。そう思って冗談でそう言っただけだった。しかしそれを聞いた九条様は少しだけ首を曲げて笑みを浮かべられた。


「いえ、ごめんなさいね。今日はストラディバリウスではないのよ」


「あぁ、それはそうで……」


 まさかこんな場所にそんな名器を持ってくるはずがない。そう思いかけた三つ葉は次の言葉の意味が一瞬理解出来なかった。


「今日持ってきたのはグァルネリウスなの。やはりネームバリュー的には皆さんストラディバリウスの方がよかったかしら?」


「ヒュッ……」


 三つ葉の呼吸は再び変な音を鳴らして止まった。


「グァル……、え?グァルネリ・デル・ジェス?」


「ええ、そうそう。そのグァルネリウスですよ」


 三つ葉の血の気が一瞬で引いていく。もし万が一にもグァルネリウスに傷でもつけたら大変なことになってしまう。


 世間のネームバリュー的にはストラディバリウスの方が有名だろう。それは現存する作品数も多くテレビ等でも取り上げやすいからだ。それに比べてグァルネリウスは現存数がストラディバリウスよりも圧倒的に少ない。同じ師を持ち同等の評価を受けるストラディバリウスよりも希少であり、史上最高額のヴァイオリンはグァルネリウスの作品となっている。


 もちろんグァルネリウスだからといって全てが十数億もするということはないだろう。九条様が今日持ってこられたヴァイオリンは史上最高額の物ではないと思う。しかしそれでも万が一にも傷をつけたら平均的生涯収入全てを使って弁償しようと思っても、親、子、孫三代では到底払いきれない。下手をすると玄孫まで五代に渡って弁償し続けなければならないかもしれないような金額だ。


「それは……、絶対に傷つけないように指示を徹底しておく必要がありますね……」


「まぁ!西村様ったら!」


 何が面白いのか九条様は三つ葉の言った言葉を冗談だと受け取ったのか笑い出した。三つ葉には何が面白いのかわからない。むしろ冷や汗が止まらない。『九条家お墨付き』の意味が込められたお土産箱といい、こんな場所で演奏するにはあまりに高価すぎる名器といい、笑っていられないどころか冷や汗の止まらない事態だ。


 三つ葉は少し軽く考えすぎていた。堂上家や五北家と言っても同じ貴族同士そう大きな違いはないだろうとどこかで甘く考えていた。しかし九条様は住む次元が違う。まさか手土産が『九条家お墨付き』で、演奏する楽器が数億か十数億はする名器だなんて思いもしなかった。それに比べたら自分達のしていることなど子供の遊びだ。


 確かに必死になって考えて、どうにか九条様をお迎えしようと思っていた。しかし自分達が必死に考えて、最大限の敬意を払ったつもりのお膳立てなど九条様にとっては子供の遊び以下だった。それでも腹を立てられることなく自分に笑顔で応じてくださっている。その深い懐と慈しみの心に三つ葉は心の中で感涙に咽び泣いていた。


「本日の私達の用意は何かと至らないことが多いことかと思います!ですが私達は九条様をお支えするためならばどのようなことでもする所存です!それだけは胸に留め置いてください!」


「ええ。ありがとう、西村様」


 三つ葉は九条様に決意を語った。九条様も地下家のたわごとと笑うことなくそれを受け止めてくださった。ならばもう自分達は九条様のために体でも命でも全てを捧げて誠心誠意お仕えするのみだ。


 その覚悟が決まった三つ葉は……、しかし事の重要性が理解出来そうにない参加者達に九条様からの手土産の意味や今日持ってこられたヴァイオリンの名器についてどうやって説明したものかと早速頭を抱えそうになっていたのだった。



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― 新着の感想 ―
箱に関してはあまり理解してない人間には寧ろ教えないほうが被害はなさそう。綺麗でもたかが箱にそんな価値があるとは思わないだろうし仮にも貴族なら箱の使い回しなんてしないだろう。一般人ならあり得るけどそれこ…
[一言] あー、学校の懇親会とかでお菓子を持ち寄るときに、社長さんとかの子が御歳暮の高級品を持ってきちゃった感じ・・・ 子どもは気にせずバクバク食うけど、値段知ってる保護者は微妙な顔をするという。。。…
[一言] すっかり価値観か庶民とズレてる咲耶ちゃん( ˘ω˘ )
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