第八百九十二話「準備は万端!」
『なんちゃってディナーショー』の打ち合わせを終えて習い事をしてから家に帰ってから一人で考える。どうしてこんなことになってしまったのかわからない……。一人になると急にそんな風に思って少し鬱になった。
まぁもう決まってしまったことを今更なかったことには出来ない。向こうの勘違いで勝手にやり出したのかもしれないけど、それでも三つ葉や南天達は自腹の持ち出しや無償で手伝いをして企画を行い準備をしてくれている。それを今更『何かの間違いだったからやるつもりはない』と言えば大変な拗れ方をしてしまうと思う。
元々ひまりちゃんや花梨に良くしてくれている人達と挨拶したりお礼を言いたいと思っていたのに、その相手が自腹を切ってまで用意してくれた場を『俺はそんな話聞いてない』とか『俺はそんなことを言ったつもりはない』と言って突っぱねてしまったらひまりちゃんや花梨にまで迷惑をかけかねない。
そもそも当初の状況で俺がちゃんと相手と話し合ったりせず人任せにしたまま何日も放っていたことにも問題がある。最初に伝えてもらうのを花梨に頼んだこと自体は間違いだったとは思わないし、今回の件が花梨のせいだと言うつもりもない。その後でちゃんと三つ葉達と直接話さなかった俺が悪い。
三つ葉達が企画していた『なんちゃってディナーショー』は安く見積もっても数十万円、もしかすると数百万円は予算がかかっているかもしれない。
九条家にとっては数百万円なんてはした金であり、俺の衣装一式でも買えばそれくらい一回で使ってしまう金額だろう。でも地下家や一般生徒も混ざっているらしい三つ葉達にとって自腹の持ち出しで数百万円の予算なんて結構な負担のはずだ。
確かに彼女達の多くは地下家などの貴族のご令嬢だと思う。向こうのメンバーや参加者達を全員把握しているわけじゃないからわからないけど、少なくとも西村家や赤尾家は地下家だし、三つ葉と南天は貴族のご令嬢だろう。
そんな彼女達でも家に何の利益もない学生の遊び、『なんちゃってディナーショー』に実家から何万円、何十万円という予算を出してもらうのは大変だと思う。いくらお金に余裕のある親だったとしても、子供がわけのわからない理由でそれだけの予算を出してくれと言ってきたら渋い顔をするだろう。
具体的にどれくらいの予算を何人で分担して負担しているのか分からないけど、仮に百万円の予算を五人で均等に負担しているとしたら一人頭二十万円の負担ということになってしまう。二十万円といえば、制服の冬服は買えないまでも夏服が買えてしまう。それだけの予算を子供の遊びで負担させて、その上今更やっぱりやめますなんて言えない。
予算だって客にチケットを売って利益を出さないとしてもいくらかでも回収出来るならともかく、参加者達は無料で参加出来ることになっている。そんな条件でお金をほいほい出してくれる親なんて……、まぁ五北会クラスの家の親だったら子供の成長を喜んで出すかもしれないけど……、そこらの地下家ではかなりの負担なのは間違いない。
もう今更やっぱりやめるとは言えないのでやるからにはきっちりやろう。そのためにもまずは色々と考える必要がある。あと準備もしなければ……。せめてもっと前に教えてくれてたらこちらも準備出来たというのに、今週末に本番だというのに今日いきなり教えられた俺の身にもなって欲しい。
ともかくざっとした流れは午後から始まって夕方には終わるということだ。『なんちゃってディナーショー』とは言っているけどディナーにしては早く、ランチにしては遅い。夜遅くまで学園の教室を借りていられないので夕方には終わらなければならないのは仕方がない。
まず午後から始まって最初に提供されるのはアフタヌーンティーの代わりのようなものになるようだ。このアフタヌーンティーやモーニングティーというのが日本人には分かりにくい。それらのティータイムというのは日本人が考えるようなちょっとお茶を一杯飲んで休憩するのとは違う。日本人にとってはかなりの量と思えるような軽食を摂ることも含めてのティータイムだ。
日本人なら朝はトースト一枚とコーヒー一杯だけという人も多いかもしれない。それに比べればモーニングティー、アフタヌーンティーは前菜からデザートまで揃った軽食だ。サンドイッチ、スコーン、デザートを食べるだけでも朝食より遥かに多いことになってしまう。
今回の『なんちゃってディナーショー』は開催出来る時間が中途半端なため、まず午後からアフタヌーンティーの代わりにお茶と簡単なお茶請けが出される。それらを楽しみながら俺が壇上で演奏や歌やトークを披露する。
第一部とも言える午後からのショーを終えると俺は一度下がり休憩に入る。さすがに俺一人で何時間も前に立って演奏や歌やトークをしっ放しというわけにもいかない。そこで時間は早いけど軽い夕食のようなものが出される。そういう意味ではやっぱり一応ディナーショーと言える。
参加者達に少しの間食事を楽しんでもらい、俺の休憩や着替えが終わると再び壇上に戻る。そこで残った食事を楽しんでもらいながら俺も何かしらのショーをしたり、トークをしたりして盛り上げる。食事も終えてから最後に皆で盛り上がれるように演奏や合唱があっても良いかもしれない。
具体的な出し物やプログラムは決まっていなくてこちらに合わせてくれるらしい。今言った内容は今日の打ち合わせで仮のものとして話し合っただけだ。具体的な内容や出し物についてはこれから俺が考える必要がある。
あと食事の用意の前、俺が下がる前に各席を回って握手するとか、全ての出し物が終わった後にでも記念撮影をしたいというような要望も聞かされた。まぁ握手や記念撮影は逆に最初に持ってきても良いかもしれない。その辺りのプログラムは俺に任されている。
大まかな時間や流れだけ教えてもらったのであとはそれに合わせて俺が何をどこにどれくらい配分するかの問題だ。ショーを終えた後で記念撮影だと俺も疲れていたり汗まみれかもしれない。そのために食事の前に途中で一度下がって着替えたりするつもりだけど、そんな短時間じゃ汗臭いかもしれないし……。
演奏を披露すると言われても一人で演奏出来る曲なんて限りがあるしなぁ……。楽器だって一人で演奏しても映える楽器なんて限られている。いっそ前みたいに他の楽器は事前に録音しておいて、それを流しながら当日手に持っている楽器で一人で合わせるというのも手か。
あと向こうは食事や飲み物やお茶請けに持ち出しの予算を使うことになる。そんな負担ばかりさせるわけにもいかないので最初に振る舞うお茶とお茶請けに関しては俺が用意させてもらうことで合意した。
茶葉は九条家に積んである物を両親に許可を貰って持ち出せば良い。問題はお茶請けだ。九条家が提供するとなると下手なお茶請けは出せない。相応のお店の相応の品を出す必要がある。だから今回は『九条家の提供』ではなくあくまで俺の手作りを無償で提供するという形にしてもらった。
いくら九条家にとっては大した金額ではないとしても急に高級店のお茶請けを多数用意してくれなんて言えないしな……。両親ならそれくらい二つ返事で引き受けてくれるかもしれないけどそんな負担を頼むわけにはいかない。
そうなると俺が何を作って提供するのかという話になるけど……。
「う~ん……。またクッキーというのも芸がありませんしねぇ……」
パラパラと料理本やお菓子のカタログを捲りながら何を作ろうか考える。参加者は四十人もいるらしいし、その上無償で手伝ってくれている運営メンバーにも提供して欲しいと言われている。万が一の予備なども考えれば六十人分くらいは必要だろうか?それだけの量を作るとなると出来るだけ簡単に大量生産出来る物が良い。
クッキーなら量を作るのも簡単だし、俺のような初心者が多少失敗しても何とかなる。初心者でも失敗なく安価で大量に作りやすい物筆頭だ。でもこれまでこうもクッキーばかり出していると『またクッキーか』と思われてしまうかもしれない。
たまには別の物も作りたいし、参加者達に『またクッキーか』と思われるのも駄目だろう。お金を取っているプロの仕事ではないとしても一応でも『ディナーショー』という形なんだ。相手をきちんとおもてなししなければならない。
「何か丁度良い物は……、あっ!これは良さそうですね!」
パラパラと見ていたカタログに丁度良い物が載っていた。それを見て俺もこれにしようと決めた。
「ケーキマフィンなら簡単に大量生産出来ますね」
簡単なお茶請けとして出すなら丁度良い。俺が作るからお茶に合うように作れるし、逆に俺が作ったケーキマフィンに合うお茶を選べる。
マフィンというとアメリカ式のカップケーキのようなケーキマフィンと、イギリス式の丸いパンであるイングリッシュマフィンがある。どちらもマフィンで通じるけど明確に区別する時はケーキマフィンと呼べば間違えることなく一発でわかる。
ちなみに今言ったようにケーキマフィンはカップケーキとそっくりで何がどう違うのかわからないかもしれない。どちらもほとんど同じじゃないかとも思える。でもマフィンはあくまでパンであり、カップケーキは名前の通りケーキだ。材料や作り方が似ていても厳密には両者は異なる。
料理というのは材料は同じでも加工の仕方が違うだけで別の物として扱ったり、加工は同じでも別の材料を使ったら別の物として扱うことが多い。何となくでしか理解していないとどちらもほとんど同じじゃないかと思うものでも、料理の分類上は明確に別になっていることもままある話だ。
ディナーショーは午後からだし、午前中に準備すれば百個や百五十個くらい作るのはそう難しくないだろう。午前の予定もちょっと調整しなければならないけどもうここまできたらとことん付き合ってやろうじゃないか。
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あっという間に日が過ぎて土曜日になってしまった。昨日から準備出来ることは全て済ませている。まぁそんなに事前に準備出来ることもないけど、仕事も料理も事前の準備と段取りが重要だ。それが出来ているのと出来ていないのでは、いざ仕事に取り掛かった時に効率や出来が格段に変わってくる。
「ふ~んふふ~ん♪ふふ~ふふ~ん♪ふんふんふ~んふふ~ん♪」
まずはバターや卵を常温に戻し~、卵を溶いて~、薄力粉、ベーキングパウダーを合わせてふるいま~す!
型にカップを載せて、オーブンを予熱しておきま~す!
ボウルにバターを入れてクリーム状になるまで練りましたら砂糖、塩を加えてふわふわになるまでさらに混ぜま~す!
溶き卵を分けて入れつつ、入れるたびに良く混ぜま~す!
牛乳、バニラエッセンスを加えて良く混ぜま~す!
薄力粉、ベーキングパウダーを加えて良く混ぜま~す!
用意しておいた型のカップに分けて入れて予熱しておいたオーブンで焼けばかんせ~い!
あっという間にお手軽マフィンの出来上がり~!
「ふふっふふっふふ~ん♪ふふっふふっふふ~ん♪ふふっふ~ん♪ふふっふ~ん♪ふんふんふ~んふふ~ん♪」
あとはひたすら作る。どうせ一度に全部焼けないし、あまり大量にまとめて作ろうとするとムラが出来てしまう。ある程度ずつ分けて何度も何度も混ぜる混ぜる混ぜる。料理……、というかお菓子作りなんて大半は混ぜる工程がほとんどのような気がする。女の子には大変な重労働だよね。
「ふ~んふふ~ん♪ふふ~ふふ~ん♪ふ~んふふふ~んふふ~ん♪」
「咲耶様……、随分とご機嫌なようですね」
「え~?そんなことありませんよぉ~?」
いやぁ……、お菓子作りって本当に面倒だよねぇ。混ぜて、加えて、混ぜて、加えて、ひたすらこの繰り返し。そして焼けてくると……。
「うん……。良い匂いですね」
段々と良い匂いが漂ってきた。俺のような料理やお菓子作りが下手な初心者でもこうして焼いている時の匂いはとてもおいしそうに感じる。実際に出来立てなら多少下手でもある程度はおいしく感じてしまうのだから不思議なものだ。
あっ!そうだ!さすがに一人一個のケーキマフィンだけじゃ寂しいし、チョコチップマフィンとプレーンを一つずつ二個で一セットにしようかな?まだ時間はあるし今から作れば十分間に合う。
「さぁ!それでは詰めていってくださいね!」
「「「はいっ!」」」
焼けた物は九条家の家人達やシェフ達に手伝ってもらって箱に詰めていく。そんな本格的なマフィンじゃないので箱もそこらにあった詰め物用の箱だ。ちょっと九条家の家紋や仰々しい柄が入っているけどこれしかなかったからこれでいいだろう。昨日のうちに渡す相手の名前をそれぞれ入れておいたから間違えることもない。
「お菓子作りは間に合いましたね。それでは着替えて出掛ける準備をしましょうか」
「はい。まずはお風呂で全身を洗いましょう」
「スンスン……。そんなに臭いますか?」
「咲耶様はとても良い匂いではありますがさすがに甘い焼き菓子の匂いがします」
「そうですか……」
まぁこっちも最初からお風呂に入ってから行くつもりではあったけど、まさか椛に臭いから風呂に入れと言われるとは思わなかった。椛はやんわり焼き菓子の甘い匂いがしていると言ったけど、多分あれは実際には動き回って汗臭いから風呂に入ってから行けという意味だろう。それくらいは俺にもわかるぞ。
これから大勢の人の前に立って一人でディナーショーをしなければならないのはちょっと億劫だけど……、何だかんだ言ってもちょっと今日のことを楽しみにしている俺もいたのだった。




