第八百九十一話「どこかで話が行き違いに……」
三学期も二月に入り、ついに高等科一年も残す所あと僅かとなってきた。俺達はまだ一年生だから普通に授業もあるし、今年度が終わっても春休み明け……、来年度から二年生になるくらいの違いしかない。でも三年である杏や石榴はもう卒業であり、大学進学に向けて通常とは違う生活を送っている。
それらとは特に関係はないんだけど、少し前にひまりちゃんや花梨がよくしてもらっているという西村三つ葉やそのお友達と挨拶をしようという話になっていた。その予定日が今週末に迫っている。
まぁ迫っているというかむしろ遅すぎたくらいであり、何故話が持ち上がってから実行までにこれほど時間がかかったのか、正直なところ俺にはよくわからない。
花梨からの報告を聞く限りではどうやら三つ葉達に随分助けられているらしいということはわかる。ひまりちゃんと花梨が助けられていることを俺が感謝したりお礼を言うのは変だけど、俺の気持ちとしては三つ葉達に感謝を表したいから別の形で会ってそのことを伝えられないかと思っての提案だった。
それがようやく今週末に迫っているんだけどどうにも相手の反応が硬いというか、難しく考えすぎなんじゃないかと思える。
こちらとしてはちょっと放課後にでも顔を合わせて、簡単な紹介でもして、挨拶やお礼や感謝を伝えられたらそれで良いと思っていた。ひまりちゃんと花梨も度々三つ葉達と放課後に集まっているらしいから、俺も五北会サロンに行く時間か勉強会の時間を潰してその場に混ぜてもらえば済むと思っていた。
それなのにいざこの話を花梨から三つ葉達に通してもらったら会える日というのがここまで先になってしまった。しかも放課後ではなく土曜日に学園に教室を開放してもらってそこで会いたいと伝えてきた。
俺の考えていた『放課後に短時間だけアフタヌーンティー代わりにちょっと会って話す』程度のものを、向こうは『九条家のご令嬢との会談の場』と思ったのかもしれない。そんな正式な場ではなくあくまで個人的な顔合わせやお茶会のつもりだったんだけどなぁ……。
まぁ俺がそのつもりでも相手からすれば俺は『九条家のご令嬢』と思われてしまうのは仕方がない。
これまでだっていくら俺がフレンドリーに接しようと思っても向こうは『九条家のご令嬢』として畏まって接してくる相手がほとんどだった。今でこそグループメンバーになって溶け込んでいる芹ちゃんですら当初は俺のことを『九条家のご令嬢』として避けていたんだからね……。
そう身構えられたり、正式な会談ではないという形で花梨を通して話を伝えたはずなのに、それでも向こうは俺を『九条家のご令嬢』として礼を尽くして接しようとしてくれているんだろう。あるいは単純に俺が悪役令嬢だから避けられているだけかもしれないけど……。
そんなわけで向こうのメンバーの都合が合うのが今週末だったんだろう。俺はちょっと習い事をズラしてもらえば一日くらいは空けられる。こういう時人と会う約束が多い人は相手もあることだから予定を動かせないだろうけど、俺のように自分の都合の用事がほとんどの場合は都合がつけやすい。
相手のメンバーがどういった子達なのかわからないけど、むしろ少し前に言っただけなのに今週末に全員が集まれるように予定を調整してくれたのだとしたら無理をさせてしまったかもしれない。そう思うと余計なことを言わない方がよかったのかな?と思ってしまう。
だからこうならないようにもっと簡単でお気楽な感じで少し個人的に話をするだけにしようと思っていたんだけど……、相手はそう思わずに『九条家のご令嬢』が相手だからと身構えてしまったんだろうなぁ……。本当に申し訳ないことをしてしまった。
「そう言えば明日西村様が打ち合わせをしたいとおっしゃられていましたね……」
ただちょっと会って話をして、いつもひまりちゃんと花梨を守ってくれてありがとうと伝えるだけなのに今更何の打ち合わせが必要なのかはわからない。ただ相手が求めてきているんだから会う機会を提案した俺としては応じるしかない。
どんな話や打ち合わせがあるのかはわからないけど……、とりあえず明日の放課後にまた三つ葉と会ってみればわかるだろう。
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一日をいつも通りに過ごして、放課後の勉強会もしてから五北会サロンに行く前に三つ葉達との打ち合わせに向かった。相手がどれくらいの人数が居るのかわからないけど、俺が会う機会を設けようなんて提案してしまったために向こうの人達の予定を無理に空けてもらうことになってしまったに違いない。
もしかしたら今日の打ち合わせというのも今週末の土曜日に無理に予定を空けてもらったことについてかもしれないな。あるいはそれだけでは全員の都合がつかなかったから土曜日に会うメンバーは全員ではないとか言われるかもしれない。
事前打ち合わせとして呼び出されて一体何を言われるのか不安ではあるけど、とにかく俺が余計な提案をしてしまったことが発端なんだからまずは謝った方が良いだろうか?
「御機嫌よう」
「お待ちしておりましたわ!九条様!」
「さぁこちらへ!」
指定された空き教室に到着するとひまりちゃんと花梨の他に二人の女子生徒が居た。一人は先日も顔を合わせた西村三つ葉。そしてもう一人は赤尾南天という子だ。名乗られていないのに何故知っているかと言えばこの子も初等科の頃から一緒の同級生だからだ。さすがにそれだけ一緒なら顔と名前くらいはわかる。
南天の赤尾家というのは平氏赤尾家であり、滝口の地下家の一つだ。滝口は滝口武者とも言われ、……まぁ一言で言えばまさに内裏の警護を行う武士だ。そして武士と聞いて多くの人が思い出すのは北面武士だろう。彼らは同じ警護を担当する武士のようでいて微妙に違う。
滝口武者は蔵人所の下であり、北面武士は院司の下の組織だ。蔵人所は当初、天皇の秘書的な役割を果たしていた。そこから色々と業務が拡大していくことになる。その中で内裏の警護を行う武士達も管轄することになり、滝口と呼ばれる御溝水の落ち口近くの渡り廊下を詰め所にしたことから警護の兵士達を滝口と呼ぶようになった。対して北面武士は院司に属する者達だ。
院政とは上皇が天皇に代わって、というか、天皇に実権を譲らずというか、政務を取り仕切ることを言う。その上皇(院)の政務を補佐するのが院司だ。そして当然ながら院は内裏とは別の場所なので別の警護が必要になる。その大事な警護を政敵である他の者になど任せられない。だから院司の指揮下にある警護の兵力として武士が置かれた。それらの武士達は院御所の北面に詰めていたために北面武士と呼ばれるようになった。
両者は役割は似たような要人警護でも管轄する部署や担当場所が異なる。そもそも置かれるようになった背景や時代も違う。赤尾家はその滝口武者の一つであり文官ではなく武官の家系だ。
ノックをして挨拶をすると案内された席に座った。お互いに簡単な自己紹介を終えてから早速本題に入る。
「本日は今週末の会談の打ち合わせと伺いましたが何か問題でもありましたか?」
まずはこちらから先に切り込む。俺はちょっとしたお茶会のような感じで挨拶でも出来たらと思っていたのに、わざわざ土曜日に学園の教室を確保してまで会談の場を用意しようとした相手だ。こちらから聞き出さなければ遠慮して中々こちらに本題を言えないかもしれない。そう思って聞いてみたんだけど……。
「いえ、用意は問題なく進んでいるのですがやはり九条様と直接打ち合わせをしたり、場合によってはリハーサルも必要になると思いまして……」
……ん?リハーサル?
「あの……?リハーサルとは……?」
「九条様がどのような楽器を使われるのかもわかりませんし、握手会や記念撮影が出来るのかもお聞きしておかなければなりませんので」
…………んん?握手会?記念撮影?楽器って何のことだ?
「今週末の土曜日のお話ですよね?」
「はい!今週末に開かれる九条様のディナーショーのことです!」
………………んんんんん?ディナーショー?なんぞそれは?
「私達のために九条様による生演奏、生歌のディナーショーを開いていただけると聞いて全員一日千秋の思いでお待ちしております!」
はぁっ!?生演奏のディナーショー?なんだそれは?なんでそんな話に……?
「花……、いえ、りんちゃん?」
「はいっ!」
どういうことか花梨に聞こうと思ったけど花梨はとても良い笑顔で拳を握り締めてキラキラした目でこちらを見ていた。どうやら花梨が勝手に何か変なことを伝えたとか、俺を嵌めようとしているようには思えない。何かの手違いでどこかで話が変わってしまったのだろうか?
「え~……、それはもう確定なのですか?ディナーショーは?」
「もちろんですよ!ディナーショーに参加出来る四十人ももう選定が終わってますし!」
よっ……、四十人……?まさか俺が一人でその四十人の前で演奏や歌を披露しなければならないのか?何か今更勘違いや行き違いがあったようだからディナーショーなんてするつもりはないよって言えない雰囲気じゃないか?
「高倍率の抽選を乗り越えて選ばれた参加者達はとても楽しみにしてますよ!それに持ち出しやボランティアで準備を手伝ってくれた人達にも少しサービスしてもらいたいです!私も抽選に落ちちゃったんで!」
さっきから南天の圧が凄い。しかも聞き捨てならない言葉も聞こえた。どうやら彼女達は今回のことのために費用は自腹の持ち出しで、費用を出せない者は無償で手伝って労力の提供を行って準備をしてくれたようだ。それなのにまさか今更俺が『それは何かの間違いだったのでやりませ~ん!』なんて言えるわけがない。
「では今日の打ち合わせというのはそのディナーショーの?」
「はい。……え?他に何か心配な点でもありましたか?」
俺が確認すると『今頃何言ってんだこいつ?』みたいな顔で見られてしまった。これはもう駄目だ。今更俺がそのディナーショーとやらを断ったら完全にこちらが悪いことになってしまう。しかも持ち出しやボランティアで準備してくれたというのにそれを踏みにじって断るというのは俺には出来そうにない。
「えっ……、え~……。そっ、それでは打ち合わせを行いましょうか……?あははっ……」
「はい!まずは概要からご説明いたしますね!」
さっきからハイテンションの南天が資料を広げて説明を始めた。場所の確保や室内の準備は三つ葉達がほとんど済ませてくれている。というかここまでやらせておいて今更『間違いでした』なんてやっぱり言えない。
空き教室を利用してテーブルを置き、参加者達には食事やお茶を楽しんでもらいながら俺が壇上を舞台代わりにして演奏したり、歌ったり、トークを繰り広げて皆を楽しませるらしい。あと出来れば握手や記念撮影もして欲しいという要望が出ていることも教えられた。
「あ~……、それでは手で持てる範囲の楽器をこちらで用意して当日に持ち込みます……。演奏、歌、トークの配分についてはまた後ほど……」
何しろ俺はそんなことをするなんて今聞かされたばかりだからな。それで演奏する曲や歌を決めたり、間を持たせるためのトークや休憩や食事のタイミングなんて言えるわけがない。帰ってからすぐにプログラムを組まなければならない。
「それとディナーではないとしても『ディナーショー的なもの』というコンセプトなのですよね?それでは食事かお茶の提供があるということですよね?」
「はい。参加者達には簡単な食事やお茶をお出ししようと考えています」
ディナーショーはホテルや会場が食事を出すことで利益を出すという面もある。でもそれだけじゃなくて一人がずっと出ずっぱりで歌って踊ってしゃべっていては疲れてしまう。だから出演者の休憩なども兼ねて食事やお茶を出して時間を稼ぐ意味もあると思う。いや、業界人じゃないから知らんけどね?
だからこそただ簡素な食事やお茶を出せば良いというわけじゃなくて、出演者が不在の間も参加者達が楽しめるような食事やお茶を用意しなければならない。だけど今回はホテルで開くわけでもない。彼女達の持ち出しで用意している。なら豪華な食事や楽しめるお茶を用意しろと言うのは酷というものだろう。
「え~……、それではお茶とお茶請けに関してはこちらでご用意いたしましょう。申し訳ありませんがお茶請けは私の手作りのお菓子にさせていただきますね」
九条家のお金を使えば今日発注しても当日までに高級なお茶請けを用意することは簡単だ。でもそれでは意味がない。別に利益を追求しているわけじゃないけど客からお金も取っていないディナーショーで大奮発するのは違うだろう。そこは出来るだけ安く済ませて参加者達を満足させるべきだ。
俺の作ったお菓子なんて嫌だと思われるかもしれないけど、茶葉は九条家にあるそれなりの物を拝借してくるけどお茶請けは俺の手作りで我慢してもらおう。
「えぇ~~~っ!そんなサプライズありなんですか!?それなら当日裏方で手伝う私達にもお恵みください!」
「ちょっと南天!はしたないわよ!でも九条様!そういうことならば運営側に事前に渡していただくということですよね?その中に運営協力者達のための賄いも入れていただけませんか?」
「えっ……、えぇ……、それは構いませんが……」
そんなに皆良いお茶が飲みたいのかな?三つ葉や南天も地下家とはいえ貴族なんだから、俺が想定してるくらいのお茶なんて飲み慣れてるだろうに……。
ともかく何かもう引くに引けないようなので覚悟を決めた俺は、この後三つ葉と南天と『なんちゃってディナーショー』に向けてちゃんとした打ち合わせを行ったのだった。




