第八百八十三話「デイジーのリベンジマッチ」
伊吹と欅の勝負が終わり失神した伊吹を端に寄せてから、武道場の中央には咲耶とデイジーが対峙するように向かい合って立っていた。
「あの……、ロックヘラー様?本当に勝負されるのですか?」
「もちろんデース!サクヤーと直接対決デース!」
咲耶の方は困惑しているがデイジーはノリノリだった。量るまでもなく誰が見ても明らかなほどのウェイト差があるというのにデイジーは本気で咲耶と勝負しようとしている。
勝負を挑まれている方の咲耶は困った顔をしているだけで絶対拒否を貫いているわけではない。見た目だけでもわかるほどのウェイト差があるというのに『ヤレヤレ』とか『仕方がない』という程度の態度だった。
「ウェイト差がありすぎる。大丈夫なのか?」
自身も伊吹との圧倒的なウェイト差で二度とも圧勝している欅はあまりに不釣合いな対戦に不安を覚えた。伊吹に何発も攻撃を貰っても圧倒的な一撃で欅が勝っているのは恵まれたフィジカル、ウェイト差によるものだ。そして欅はデイジーの実力も知っている。
人種の違いによるものなのか、本来ならば性別的に有利であり体格でも勝っていたはずの欅がデイジーに完敗を喫している。いきなりのことだったとか、メンタルが戦いに集中出来ていなかったという言い訳は通用しない。あの時、間違いなく欅はデイジーに圧倒されたのだ。
「まぁ咲耶ちゃんですから……」
「咲耶様が負けるわけないでしょ?」
いつも一緒の二人、皐月と薊はケロッとした様子で咲耶とデイジーの対峙を見守っている。普通なら友達があんな猛獣のようなデイジーと戦うことになれば心配するものだろう。しかしこの二人は九条咲耶を信頼し切っており、万が一にも怪我すら負うことはないと信じている。
「そうか……」
欅はそんな二人の態度を見て自分も惚れた女を信じてみようと思った。ここで咲耶が怪我をするかもしれないからと止めることは九条咲耶とデイジー・ロックヘラーの誇りを踏み躙ることでもある。だから欅はただ咲耶の勝利を信じて見守ることにした。
「勝負は参ったするか戦闘不能になるまでデース!良いですネー?」
「え~……、まぁ……」
「打撃、投げ、関節、絞め、何でもありデース!禁止は急所と凶器はなしデース!」
「わかりました」
二人でルールを決めていく。結局の所は素手による何でもありの総合格闘という感じに収まった。
「それでは私が審判をしましょう」
「オーケー!」
「皐月ちゃん……、それではお手数をおかけいたしますがお願いいたしますね」
皐月が審判を買って出たことで全ての準備は整った。
「それでは無制限一本勝負……、はじめ!」
両者が離れて立ち、皐月の開始の言葉と共に勝負は始まった。
「ハッハーッ!力こそパワーデース!」
「…………」
開始と同時にデイジーが一気に間合いを詰めて本気の拳を突き出す。欅の時のようにがっぷり四つに組んで力比べではない。最初から拳、打撃、当身、呼び方は様々なれど狙いは単純明快だった。
「……ハッ?」
しかし……、デイジーはおろかギャラリー達ですら咲耶に拳が届いたと思った瞬間……、デイジーは逆さまに宙を舞っていた。
この場で何が起こったのか理解している者は咲耶を除いて誰もいない。確かにデイジーの拳が咲耶に届いたと思った次の瞬間にはデイジーは逆さまに宙に放り投げられていた。しかし当の咲耶にとっては何も難しいことはしていない。
デイジーの拳を払い受けのように腕を回転させて受け、そこからさらに捻るとまるでデイジーが自分から宙返りをするために飛んだかのように逆さまに飛んだ。本来ならば浮いている相手に追撃を仕掛けたり、頭から落としたりしてダメージを負わせる。否、止めを刺すのが百地流だ。
しかしこれは百地流の死合ではない。そのまま頭から落とすことも出来たが咲耶がデイジーの手を優しく引くと宙を舞っていた巨体はトスンと軽く畳の上に落ちただけだった。
「「「…………は?」」」
何が起こったのか誰もわからなかった。投げられた本人であるデイジーですら気づいた時には畳の上に座っていたかのような印象しかない。
「え~……、ロックヘラー様……、まだ続けられますか?」
「「「…………」」」
誰も口を開けない。いや、口はパクパクしているが言葉にならないという方が正しい。あまりに圧倒的、そしてあまりに華麗すぎた。
「…………オーッ!これがワザマエデース!?」
そう言いながらデイジーは立ち上がった。咲耶はもう手を放している。デイジーは立ち上がると再び咲耶に襲い掛かった。
~~~~~~~
それから何度デイジーは空を舞ったことか。咲耶が軽く落としてくれているから少し尻餅をついている程度の衝撃で済んでいるが、もしあれらを全て本気でコンクリートやアスファルトにでも叩きつけていればデイジーはすでに何度も死んでいるかもしれない。それだけの明確な実力差が二人の間にはあった。
「合気道の達人とかいう胡散臭い人が手をかざすだけで人が倒れている動画は見たことがあるわ……。フェイク動画だと思ってたけど本当なのね……」
ガーベラは咲耶とデイジーの戦いを見て確信した。この国の合気道マスターは本当にあんなことが出来るのだ。こと戦いや勝負においては冗談の通じないデイジーが自分からわざと飛んでいるはずがない。これはデイジーが本気でやってもこうなっているという何よりの証拠だった。
「いや、違うから……。咲耶様とかほんの一部の人はあの通りだけど他のほとんどはフェイク動画よ……」
妙な勘違いをしそうになっているガーベラに薊が訂正を入れた。その手の動画のほとんどは示し合わせて行っているデモンストレーションであり、実際に襲い掛かってきている相手に同じことが出来るわけではない。
しかし世の中には稀に本当にそのようなことが出来る者達も存在する。咲耶は今実際に証明した通りであり、そして恐らく咲耶にそれらの技術を伝授した格闘技の師匠も同じようなことが出来るのだろうと推測される。皐月も咲耶ほどではないにしても似たような護身術を修めている。そう考えると程度の差こそあれど案外実際に出来る者はそれなりにいるのかもしれない。
「外から見ていても何が起こっているのかわからない……。強すぎる……」
欅も咲耶がヒーロータクヤだと知ってからその強さを疑うことはなくなったつもりだった。それでも自分をいとも簡単に倒したデイジーが面白いようにポンポン投げられている光景は理解の及ばないものだった。客観的に見せられているというのに何をどうすればあのようなことが出来るのかまったく想像もつかない。
「あの……、ロックヘラー様……、まだ続けられるのでしょうか?」
「まだまだデース!サクヤー!逃げていないでパワーで勝負デース!」
「はぁ……」
もう散々投げ飛ばしたというのにいつまで経ってもデイジーは諦めない。咲耶がその気になればいつでも失神KO出来るのだが、デイジーに怪我をさせないようにお尻から優しく落としているだけなので勝負がつかない。
本当はデイジーの方も咲耶との実力差を痛感している。だがここで終わりたくない。もっと戦っていたい。だから諦めることなく勝負を挑み続けていた。
「わかりました……。それでは最後に力で勝負しましょう。それで勝敗が着いたら満足してくださいね?」
「「「なっ!?」」」
「あり得ん!」
今までと違い咲耶がデイジーを投げ飛ばさなかったことで二人はようやく組む形になった。しかし体格でもパワーでも圧倒的に勝るはずのデイジーの動きがピタリと止まる。それは物理的に有り得ないことだ。
軽自動車がどれほどのパワーで突っ込んでも大型トラックやダンプカーとぶつかれば軽自動車の方が吹っ飛ばされる。デイジーと咲耶が組み合えば圧倒的なウェイトを誇るデイジーが押し勝つのが道理だ。しかしその明白な道理が覆されている。目の前の光景が理解出来ない。
「ワーォッ!信じられまセーン!」
「…………」
咲耶とデイジーが組み合っているというのにデイジーが押し切ることが出来ない。一体咲耶のこの細い体のどこにこんな力があるというのか。デイジーを投げ飛ばしている時は何をしているかわからなくとも技量の差だと思えた。しかしこの圧倒的なウェイトとパワーの差を覆している理屈や原理がさっぱりわからない。
「はい。これで私の勝ちで良いですね?」
「オゥッ……」
本気で力を入れていたはずのデイジーは……、しかし咲耶がちょっと横に力を入れるとポテンと倒れてしまった。デイジーは何をされたのか理解出来ない。
咲耶が行ったのは何も超常現象でも、物理法則を超えた有り得ないことでもない。人体には色々と急所がある。咲耶がデイジーとの力比べに勝ったように見えるのはそれらを利用した百地流の技術の一つだった。
人体はその構造上どうしても曲がらない方向や力が入らない方向というものがある。関節や筋肉によってどうやっても出来ないことというものが存在する。咲耶が今やってみせたのはそれらの応用であり、いかに相手には力を入れさせずに、自分の方は力を十全に発揮するかというテクニックの一種だ。
ボディビルによってとても強い瞬間的な力を持つ者でも、体勢や腕の向きなどによってはまったく力が入らなくなってしまう。長い時の中で培われた百地流の技術の中に、いかに組んだ相手に力を出させず、自分だけが有利な形で組み合うかというものが蓄積されている。
その極端な例としてデイジーは本気で力を入れているつもりなのに普段の力の何分の一にも抑え込まれてしまっていたのが今の組み合いだった。同じ百地流を修めた者同士が組み合えばこうも一方的に抑え込むことは出来ないが、対処法も、何をされているかすら理解出来ない者とではこれほど一方的な抑え込みが出来てしまう。
「今回もワタシの負けデース!」
「良い勝負でしたね」
ようやく負けを認めてくれたデイジーにほっとしながら咲耶は手を差し出して助け起こし握手を交わした。
「咲耶!次は私と勝負よ!」
「え~……、ロスチルド様はこういったことには慣れておられなさそうなのでちょっと……」
「お~っほっほっほっ!それでは九条咲耶!わたくしと勝負ですわ!」
「一条様はもっと無理そうなので……」
何故ガーベラや百合のような格闘技や護身術があまり出来そうにない者ほど咲耶に挑んでくるというのか。デイジーならば多少投げ飛ばしても受身を取って大怪我はしないだろうと思っていた。しかしガーベラや百合を同じように投げ飛ばしたら大怪我を負わせかねない。
どうにか迫ってくるガーベラや百合を宥めている間に結局サロンに行く時間はなくなり、咲耶は迎えに来た椛に守られて帰ることが出来たのだった。
~~~~~~~
放課後の一年五組の教室にて一部の生徒達がこっそりと集まっていた。
「ねぇねぇ皆さん?本当にこのままでいいのぉ~?あんな目に遭わされたのにさぁ~?お貴族様相手だからって泣き寝入りしちゃう?ねぇ?」
「「「…………」」」
今回の集まりを主導した柴田八手が集まっているメンバーを煽るかのように、否、明らかに煽っていた。煽られた生徒達は先の文化祭で処分を受けた生徒や、直接の処分こそは免れていたが同じグループに属する者達だった。
「そうは言うけどさ……。だったらどうするってんだよ?」
男子の一人が八手を睨みつけながらそう言った。確かにこのままやられっ放しで泣き寝入りなんてごめんだ。しかし前回の失敗と処分で自分達の方がダメージを受けている。メンバーの一部は退学になり、退学にならなかった者も大半は停学処分を受けた。もしまた問題を起こせば今度こそ自分達も退学になるかもしれない。
「あははっ!ビビっちゃった?でもさぁ……、そんなの方法なんていくらでもあるっしょ?」
「あ?」
ビビったと言われて男子生徒は額に青筋を立てて八手を睨んだ。しかし当の八手は平然としている。こんなしょぼくれた男子に睨まれた所で恐ろしくも何ともない。八手はこんな者達とは違う本当に恐ろしい相手を知っているのだから……。
「例えばどうするんだよ?」
「ん~……、例えば~……、こっちが悪くなくて相手が悪い形にすればいいじゃん?」
「はっ!それこそそんな簡単にいくかよ!」
八手の案は抽象的で現実味がない。前回の文化祭だって元々は向こうが悪い形にしようと考えていたのだ。しかし結果はご覧の通り、自分達が悪いことにされて処分を受けたのは自分達側だけだった。八手が言っていることは前と同じ結果になるようにしか思えない。
「まぁまぁ……。もちろん他にもあるよ?例えばさぁ……、相手が被害を届け出なきゃ良いわけじゃん?被害者がいなきゃ犯罪にはならないんだよ?」
「「「…………は?」」」
八手の言うことは半分正しいが半分は間違いとも言える。確かに被害者が被害を届け出なければ成立しない犯罪もあるが、被害者が被害届を出さなくとも罪になる犯罪もある。もちろん八手はそんなことはわかっているがアホなクラスメイト達を扇動するためにはあえて言う必要はない。
「だからさ……、相手が被害を届け出られないようにやればやりたい放題だよ。わかる?前の雪辱を果たせるよ?」
「そんなのどうやって……」
「まだ完璧じゃないけどいくらか考えてあるからさぁ……。残りは皆で考えてよ。ね?」
「「「…………」」」
八手の大まかな案を聞いて勝算があると思い始めた五組の『イケてる組』メンバー達は、下卑た笑みを浮かべながら『ソレ』を本当に実行する場合の案を考え始めたのだった。




