第八百七十七話「欅の確認」
日曜日を挟んで翌月曜日、朝登校してきた俺は三人に挨拶をした。
「御機嫌よう、薊ちゃん、皐月ちゃん、芹ちゃん」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
イベントの後は皆早く来て話をしていることが多い。でも今日はいつもの二人に加えて薊ちゃんが来ているだけだった。他のグループメンバーは鷹司家のパーティーに呼ばれていない。共通の話題が出来ないから他の皆は朝早くに来なかったんだろう。
例えばこれが一緒のパーティーに出席していたなら共通の話題としてとか、滅多にないパーティーに出席したというのならその話を聞きたいと思って皆も早く来ていたかもしれない。でも俺達にとってはパーティーなんてしょっちゅうある催しだし、鷹司家のパーティーの話なんてもう何度もしたことがある。
珍しいものでもなければ、自分達が一緒に参加したわけでもないパーティーの話題など今更聞くこともあまりない。だからパーティーに出席した薊ちゃん以外のメンバーは今日早く来ていないのだろう。あくまで俺の予想や想像にすぎないけど当たらずとも遠からずだと思う。
「土曜日は楽しかったですね!またやりましょう!」
「……え?あまり大きな声では言えませんが……、鷹司家のパーティーなんて楽しかったですか?」
薊ちゃんの言葉に俺は首を傾げた。正直鷹司家のパーティーなんて何も楽しいことはない。招待客が五北会メンバークラスの家ばかりで少数だから楽だというのはあるけど、それでもわざわざ自分から出席したいと思うようなパーティーじゃない。
でも薊ちゃんは楽しかったとかまたやりたいと言っている。それは薊ちゃんにとっては鷹司家のパーティーは良い思い出だということだろう。
「あははっ!咲耶様!鷹司家のパーティーなんて楽しいわけないじゃありませんか!」
えぇ?でも薊ちゃんが今さっき『楽しかった』とか『またやりましょう』って言ったんだよね?これは俺がおかしいのか?
「楽しかったのは咲耶団子で押し競饅頭ですよ!場所の問題じゃありません!」
「あぁ……」
『咲耶団子』というのは意味がわからないけど押し競饅頭というのはわかる。先日のパーティーでも女の子達皆で集まってキャッキャウフフしていた。俺は皆に圧殺されるのかと思うほど揉みくちゃにされてしまったから『楽しかった』と思う余裕もなかったけど、皆にとっては女の子同士で集まって楽しかったのかもしれない。
「何ならこれからは勉強会の時や五北会サロンで毎日したいくらいです!」
「それはちょっと……」
薊ちゃんはまだ心が子供なんだな……。子供だったら理由もなくただ押し競饅頭をしているだけでも楽しいかもしれない。でも俺は心が汚い大人だから女の子達と揉みくちゃになっていたら違う欲望が湧いてきてしまう。それに純粋に遊びとして楽しめない。どうしても違う風に捉えてしまうし意識してしまう。
本当に俺は最低の汚れた大人だ……。
「あの……、何故か咲耶ちゃんにダメージが入っているようですけど……」
俺が自分の心の汚さに落ち込んでいると芹ちゃんが気付いて背中をさすってくれた。薊ちゃんに悪意はなかったんだろうけど、年頃の女の子達と揉みくちゃになっているとどうしても男の欲望が出てきてしまう。それを突きつけられたようで精神的ダメージを受けてしまった。
「それにしても一条様は段々と欲望を隠さなくなってきましたね」
「そうね。この前のパーティーでもグイグイ迫ってたし……、芹もちゃんと咲耶様の周りに目を光らせておいてね」
「はいっ!私でどこまで出来るかはわかりませんけど……、見張りや伝令くらいはしっかり務めさせていただきます!」
俺がダメージを受けて落ち込んでいる間に皐月ちゃんと薊ちゃんと芹ちゃんは先日のパーティーの話題で盛り上がっているようだった。
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三学期は短いし特に重要なイベントもない。いや、卒業式とかは重要なイベントだろうけど一年生である俺達にとってはそれほど関わりがないと言うべきか。俺にとって関わりがありそうな三年と言えば石榴くらいしか思い浮かばない。女子では杏がいるけど男子では石榴くらいだろう。
ただ生徒じゃなくて教師で問題の人物がいる。それは久世無患子……。現三年生を受け持つ教員であり、来年度からは桜達、新一年生を受け持つことになる。この久世無患子は伊吹ルートをクリアすると出てくるもう一人の隠しキャラ、そして俺がまだ関わっていない最後の攻略対象だ。
久世家は久我家の分家筋であり村上源氏の流れを汲む。羽林家には久我分家、村上源氏の堂上家がいくつかある。その中の一つであり本来は武闘派の武官タイプだ。でも無患子はとてもチャラい。
チャラい言動と大人なこともあってか女子生徒達からはキャーキャーと黄色い声援を受けている。そんな無患子は女子生徒達に手を出すかのように口説いている。だけど無患子ルートに入ってみるとそれがまったく違うことに驚かされ困惑することになる。
その他のキャラのルートでは女子生徒達にキャーキャー言われてチヤホヤされながら、もしかして教員という立場でありながら女子生徒達に手を出しているんじゃないかと思うようなチャラさを発揮している。でもいざ無患子ルートに入ってみれば本気で付き合ったり口説いたりしている特定の女性はおらず、チャラい言動も表向きのものだと徐々に明らかになっていく。
無患子は昔に貴族間の権力闘争やゴタゴタに巻き込まれたことに嫌気が差して教員をしていることになっている。しかしそれは表向きの顔であり実際には貴族や、そして実家ですら恨んでいる。その恨みを晴らすために復讐の機会を狙っているのが久世無患子というキャラクターだ。
表向きは家や貴族のことなどもう忘れているかのようにチャラく振る舞っているが、その心の奥底にある復讐心を忘れたことはない。虎視眈々と復讐の機会を狙っている無患子ルートはそれまでの『恋に咲く花』の雰囲気から一転してダークな印象を受ける。名前の『むくろじ』というのが骸を暗示しているかのようだ。
だけど主人公・藤原向日葵と出会った無患子は向日葵の明るさと前向きさに影響を受けて復讐の空しさに気付くことになる。
ただ無患子ルートは選択肢を間違えるとバッドエンド直行が多い。結局復讐を止められずに復讐を実行してしまって死亡とか、向日葵の説得で止めたにも関わらず相手方に復讐を狙っていることが漏れていて何もする前に消されるなど死亡エンドのオンパレードだ。そして何故かそこに巻き込まれて咲耶お嬢様も死ぬ!
ちょっと待って欲しい!無患子ルートでは咲耶お嬢様は特に関わらない。それなのに何故か無患子や向日葵と一緒に咲耶お嬢様まで巻き込まれて死ぬことになる。制作会社の悪意や悪ふざけとしか思えない。そんな悪ふざけで殺される俺の身にもなってみろ!
ともかくそんなわけで俺が一番接触を避けてきたのが久世無患子だ。下手に関わって無患子ルートに入ってしまったら俺の死亡フラグが多すぎる。その全てを回避するなんて俺がプレイヤーとして操作でもしない限りは不可能だ。現実世界の一発勝負で無患子ルートの死亡フラグを全て回避しろなんて無理がありすぎる。
そもそもほのぼの学園恋愛ゲームに何故いきなりバイオレンスをぶっこむのか!?制作会社は馬鹿なのか?馬鹿なんだな?皆で楽しくのほほんと恋愛をするだけじゃ駄目だったのか?駄目だったんだろうなぁ……。
何キャラも攻略対象がいるのに全員普通に同じ調子の恋愛ばかりじゃプレイヤーも飽きてしまう。それに教師と生徒という形も倫理的にどうなのかという批判も出るだろう。そこで特定のルートに関してはまったく世界観の異なる内容になったり、性と暴力が支配するような話になったりする。
この手の手法は乙女ゲーに限らずよくあるものだ。ギャルゲーでも本来はただの学園恋愛ゲームなのに特定のルートだけ幽霊とか妖怪とかが出てきたり、唐突に戦いモノになったりすることがある。製作側としては『キャラが多いから同じようなものばかりじゃ飽きるだろう』という配慮のつもりかもしれない。でもそれに巻き込まれていきなりバイオレンスで殺される咲耶お嬢様のことも考えろよ!
「フゥッ!フゥッ!」
「咲耶ちゃん?どうしたんですか?呼吸が荒いですよ?」
「咲耶様!?苦しいんですか?人工呼吸しましょうか?」
「あぁ……、いえ、何でもありませんのよ?おほほっ!」
どうやら興奮して呼吸が荒くなっていたようだ。五北会サロンの帰りに皐月ちゃんと薊ちゃんに指摘されたので慌てて取り繕う。まさか無患子ルートのことを考えて頭に血が上ってましたとは言えない。
「あら?あそこに居るのは……」
「「…………」」
サロンからの帰りにロータリーが見える位置まで来ると向こうの方に欅が立っているのが見えた。欅が学園内に入っている時はいつも伊吹達と一緒の時だったはずだ。それなのに今は一人でロータリー、いや、玄関口に立っている。どうやらこちらに用がありそうな雰囲気だ。
「御機嫌よう鬼庭様」
「ああ」
玄関口まで着いたので欅に挨拶をする。さすがに顔見知りなのに無視するわけにもいかない。でも欅は簡単に応えただけでどうにもはっきりしない様子だった。
「あの……、何か……?」
「九条咲耶」
「はい?」
用があるのかと聞こうと思ったら欅の方から声をかけてきた。欅と何か話すようなことなんてあったっけ?こっちから欅にはまったく用はない。関わる理由もないし攻略対象とは出来るだけ関わりたくないんだけど……。
「ヒーロータクヤ……、お前だったんだな」
「――ッ!?」
「「はぁ……?」」
俺と薊ちゃんの声はハモっていた。欅が何を言っているのか意味がわからない。ヒーロー……、何だって?何の話だ?
「その女の態度を見ればわかる。なるほど……。確かに『ヒーロータクヤはいない』というのは嘘ではなかったな」
「…………」
欅は皐月ちゃんの方をじっと見ていた。欅と皐月ちゃんの間に何かあったのか?一体何が起こっているんだ?これもゲームと関係あることなのか?でも俺はこんなイベントは知らないぞ?
「ヒーロータクヤ……、いや、九条咲耶……、あの時の礼、そして先日の礼はまた今度させてもらう。今日は確認に来ただけだ」
「はぁ?」
欅はそれだけ言うと校門の門衛に話しかけてから帰って行った。門衛達は欅がしょっちゅう来ているし伊吹が中に引き入れているからって油断しすぎじゃないだろうか?あんな簡単に部外者を出入りさせて良いものなのか?
「何が何やらよくわかりませんが……、帰りましょうか?」
「はーいっ!」
「…………」
薊ちゃんは元気良く返事をしてくれたけど皐月ちゃんは難しい表情をしたままだった。どうやら皐月ちゃんは何か知ってそうだけど、皐月ちゃんの方から話してくれるまで暫く様子を見ることにするか……。
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三学期が始まったある日の放課後、誰もいない薄暗い校舎の片隅で二人の生徒が話をしていた。
「これだけ支援までしているのに何も成果が上がってないじゃない、柴田八手さん?」
「――ッ」
声をかけられた片方の人物、柴田八手はビクリと肩を震わせた。
「私は柴田さんの苦労も成果もわかるよ?評価してあげても良いと思ってる。あれだけ大変な中で良くやってるよね?でも『上』の方々はそうは思わないわよ?」
「それは……」
八手はガクガクと震えながら視線を下に向けた。これだけ情報提供や支援を受けながら八手は何も成果を上げられていない。もし使えないと判断されたら一家丸ごと消されてしまう。そのことに八手は震えながら懇願した。
「お願いします!もう少し時間を!もう一度チャンスをください!家族には手を出さないでください!」
「う~ん……。それは私が判断することじゃないから……。わかるでしょ?私だってただの駒の一つ。何か不都合があれば切り捨てられる尻尾の一つなんだよ」
「――ッ!――ッ!」
堂上家であるこの人でさえも『上』の方々にとっては使い捨ての駒でしかない。ましてや自分のような一般庶民など一家丸ごと消されてしまっても騒ぎにもならないだろう。そのことに八手は青褪めて震えていた。
「私も消されたくないからさ……。こっちも必死なんだよね……。柴田さんには同情するけど私ごときにはどうすることも出来ないから……。お互い大変だよね」
「…………」
そう言って泣き笑いのような表情を見せた相手に八手も親近感を抱いた。この子も苦しいのだ。それでも逆らえずにこんなことに手を染めている。堂上家の娘ですら……。
「それじゃ、『上』にはもう少し猶予をもらえるように掛け合っておくけどあまり期待しないでね」
相手はそう言うと空き教室から出て行こうとした。その時にチリンとキーホルダーだかストラップだかのような物を落とした。
「あっ……、あの……、落としましたよ」
「あぁ、ありがとう」
八手はそれを拾って相手に渡す。それは有名なキャラクターのストラップだった。八手はそれほどグッズにまで詳しくはないが確か昔の限定品だったような気がする。
「これは昔……、大切な友達と一緒に行った時に買った思い出の品だから……」
ストラップを受け取った瞬間にピカッ!と雷が光った。その光と影に照らし出された相手の顔は泣いているような、笑っているような、自嘲のようでもあり、相手を蔑んでいるようでもある表情をしていたのだった。




