第八百五十七話「お手軽お菓子のはずが……」
急いで作業を進めていると家庭科調理室の扉がノックされた。
「はーい!」
ちょっと余裕がありそうだった椿ちゃんが扉を開けて対応に出てくれた。もしかしたら他の人の可能性も少しはあるかと思っていたけど、やってきたのは大方の予想通り下級生達だった。
「「咲耶お嬢様、参りました」」
入り口から一歩入ってから海桐花と蕗が二人揃って頭を下げた。今は俺の行儀見習いじゃないしそんなにかしこまらなくても良いのになぁ……。俺としてはもっと自然に、可愛い後輩達に『先輩』『先輩』って呼んでもらいたいだけなんだけど……。
「海桐花……、蕗……、今は行儀見習いの時間ではありませんよ?」
「はい……」
「ですが……」
「…………」
「「うぅ……」」
俺がじっと二人を見詰めていると二人は困ったような表情を浮かべていた。でもそれも少しのことでやがて諦めて向こうが折れてくれた。
「「わかりました……。九条先輩……」」
うっほぉ~~~いっ!九条先輩!九条先輩いただきました!
「咲耶ちゃん?」
「――ハッ!?んんっ……!え~……、プライベートの時はそれで通すようにと前にも言っておいたはずですよ。忘れないでくださいね」
「はい……」
「恐れ多いですが……」
二人は恐縮しながらも頷いてくれた。前から何度も同じようなやり取りをしているけど毎回こんな感じだ。何度『先輩』呼びしてくれと言ってもいつの間にか『咲耶お嬢様』呼びに戻っている。まぁ俺も他人のことは言えないわけで、名前で呼んで欲しいと言われていてもついつい苗字に様をつけて呼んでしまったりするわけだけどね。
ただ俺がそうしてしまうからといって海桐花と蕗にもそう呼ばれて良いという理由にはならない。俺はつい○○様と呼んでしまうけど、二人は俺のことを先輩と呼びなさい!なんなら九条先輩じゃなくて咲耶先輩って呼んでくれてもいいんだからね!
「御機嫌よう、九条様」
「おはようございます咲耶様!」
射干達も李も調理室に入ってきて挨拶してくれた。でも何か李の挨拶は薊ちゃんみたいだな……。性格も似たタイプのような気がするしまるで小さい薊ちゃんのようで可愛い。まぁ小さいと言ってもこの子達ももう中等科一年生だ。昔のイメージがあるからいつまでも子供のように思うけどこの子達だって成長している。
こういうのって何か親戚のおじさんやおばさんがいつまでも自分のことを子供扱いしてくるのと似ているのかもしれない。前世では俺が親戚のおじさんおばさんに子供扱いされる立場だったけど、今は精神年齢的に俺が皆のことをそんな風に見てしまっているんだろう。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「坂本さん達もそんなにかしこまらないでください。これは以前の皆さんの活躍へのお礼なのですから」
酢橘達も入室してから頭を下げて挨拶してくれた。まだどことなく距離を感じるけど前よりは親しくなれたんだろうか?一条派閥だからということでちょっと遠慮や距離があるんだろうけど、百合自身はそんなに俺達と敵対的ではないということもわかったし、今となっては一条派閥だからと遠慮する必要もないと思う。
「おや?まだ誰か……?」
招待した子達は全員揃っている。でも何か廊下にまだ気配が残っている。誰かが扉の陰に隠れているようだ。
「九条先輩、申し訳ありません!」
「私達の独断である方もご一緒させていただけないかとお呼びいたしました!」
「そうでしたか。何も謝ることはありませんよ。それではその方にも入っていただきましょう」
俺が外の気配を察すると海桐花と蕗が謝ってきた。でも別に誰かを呼んではいけないとも言ってないし、皆が呼ぶような相手とすればどうせ俺達の顔見知りだろう。もしかしたら他の下級生達に見つかってしまって呼ぶことになったのかもしれない。
そう思って気楽に構えて扉の方を見ていると、一度外に出た海桐花と蕗に連れられて入って来たのは……。
「まぁ!?萩原様でしたか」
「うぅ……」
紫苑が何か情けない顔をして入って来た。一応申し訳ないとかそういう気持ちはあるのかもしれない。そりゃ呼ばれてもない席に勝手に押しかけていくというのはかなり勇気のいることだ。紫苑の性格だったら平気で乗り込んで行って我が物顔で踏ん反り返っていそうだけど、今日は何だか大人しいというかソワソワしている。
「萩原様もご同席させていただいてもよろしいでしょうか?」
「お願いします!九条先輩!」
「ふふっ。構いませんよ。それくらいならタルトにも余裕はありますしね。ただ萩原様の分だけ皆さんの取り分が減ってしまうかもしれませんけれど?」
「まぁ!咲耶ちゃんったら!」
「「「あははっ!」」」
俺のジョークに皆も笑ってくれた。紫苑なら皆顔見知りだし断る理由もない。ただ今回は文化祭の喫茶店を守ってくれた子達と喫茶店を開いていたメンバーの集まりだった。だから紫苑や鬼灯達や花梨達には声をかけていない。たまたま紫苑が何かでこの催しのことを聞いてやってきたのだとしても迎え入れるだけだ。
他のクラスのメンバー達を呼ばなかったのも別に意地悪とかじゃなくて、あくまで文化祭の騒動のお礼ということで当事者達だけで集まっているだけで、決してそれ以外の子達を仲間外れにしてやろうとか、黙って自分達だけで楽しもうというつもりはない。
「そろそろ焼き上がってきたようですね。皆さんもそんなところにいないで入って座ってください。私達は続きを作りましょう」
「「「はーい!」」」
焼かない物は盛り付けて終わりだから出来ている。一部の焼く物は良い匂いがし始めていた。そろそろ焼き上がる物も出てくるだろう。お客さん達には座って待ってもらって、俺達は残りもどんどん作っていくことにしよう。
「「よかったですね隊長!」」
「うぅ……。とべらぁ~……、ふきぃ~……、ありがとねぇ~!」
視界の隅で海桐花と蕗と紫苑が抱き合っているのが見えたけど、あまり無粋な突っ込みをする必要はないと俺は気付かないフリをしてそのまま調理に戻ったのだった。
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「さぁ!それでは出来た物から食べていってくださいね!」
「うわぁ!」
「どれもおいしそうです!」
準備の出来た物から下級生達の前に並べていく。カップにクリームやフルーツを盛り付けただけのものは作るのも簡単だし手間も時間もかからない。焼き上がるのを待っている間に先に出せる物から出していく。
でも冷静に考えたら焼いてるのってチョコムースとかチーズとかその手の物だよな……。先にフルーツ系を食べてから後でチョコやチーズ系を食べるというのもどうなんだろう?俺としては前後が逆の方が良いような気もする。
まぁそうは言っても出せる物から出していくしかないんだから気にするほどのことでもないか……。
「いただきま~す!…………ん?これ……、チョコレートがそのまま入ってるだけじゃありません?」
「ん!?こっちはザリザリと砂糖の塊が……」
「チョコレート乗せタルトは革命だと思うんだー!流行るよー!」
「あははっ……」
やはり一部不安だった子達のタルトは予想通りの結果になってしまったようだ。お礼なのに人体実験みたいな物を食べさせて申し訳ないような気もしてしまう。でもいくら高価なものでも買って来た物をただ渡すだけだと味気ない。多少失敗していてもやっぱり手作りの方が気持ちは伝わるんじゃないかと思うんだ。
その気持ちが『こんな失敗作を渡すような気持ちなのか!』って思われる可能性もあるけどね……。
「あっ!このキッシュおいしいです!」
「えへへっ!でしょ?でしょ?それ私が作ったんだから!」
「「「えぇ~~~っ!?徳大寺様がこれをっ!?」」」
「ちょっ!?どういう意味よ!皆して!」
薊ちゃんが作ったキッシュを食べて皆驚いていた。今回の薊ちゃんの出来はかなり良い。いつもなら奇抜なことをしすぎて失敗してるけど今回は皆の予想を良い意味で裏切れたんじゃないだろうか。
「まぁほとんど咲耶ちゃんに作ってもらったものなんですけどね」
「皐月っ!どうしてそれを言っちゃうのよぉ~~~っ!」
「あぁ……」
「やっぱりそういう……」
「やっぱりって何よ!」
「「「あははっ!」」」
薊ちゃんの料理下手は下級生達にまで知れ渡っているようだ。何かもうそれをイジられるのが定番みたいになっている。でもあまりイジりすぎると拗ねたり、イジメに繋がったりするかもしれない。俺達はお互いに気心が知れてるからとか、薊ちゃんもそれをネタにしている節があるから成り立っているけど、あまり下手な相手にそういうイジりをしてはいけない。
「これは絶対九条様が作られたものですよね」
「うんうん」
「これだけレベルが違うし……」
皆が俺の作った物を載せたトレーをマジマジと見て何か言い合っている。もしかしてあまりおいしそうじゃないとか好きじゃない材料でも使ってしまっていただろうか?何かいつも自分の作った物を人に食べてもらう時はドキドキする。
俺は元男で料理もそんなに得意じゃないし、もしおいしくなかったらどうしよう、口に合わなかったらどうしよう、そんな不安ばかり浮かんでしまう。
「まず私がいただくわ!」
「あっ!隊長!ずるい!」
「私も咲耶お姉様の手作り食べたいです!」
「向こうで奪い合いをしている間にこっちで確保するのよ!真弓!薺!」
「「はいっ!」」
「させないわ!これは私達が確保するのよ!檸檬!蜜柑!」
「「応っ!」」
皆でタルト争奪戦が繰り広げられていた。でも俺のタルトは皆から避けられているようだ。やっぱりあまりおいしそうに見えないのかな?それとも嫌いなフルーツが乗ってたとか、チーズやチョコにアレルギーがあるとか?
それなら俺だけじゃなくて他の子達のタルトも駄目なはずだけど、皆が作ったのはそれなりに食べられていたのに俺のだけお互いに押し付けあうかのようにテーブルの上を行ったり来たりしている。
「まだまだこれから作るからそんなに奪い合わなくても大丈夫よ!ね?咲耶様?」
「え?えぇ……、そうですね……。ですが私の作った物はあまり皆さんにウケが良くないようですし、残りの材料は他の皆さんで消費された方が良いかもしれませんね……」
まだタルトの材料はたんまりある。作りかけのムースやクリーム類もあるしまだまだ作れるけど、どうやら俺の作った物は不人気のようだし他の皆が作ってあげた方が下級生達も喜びそうだ。それなら俺は裏方に回って皆の手伝いをしよう。
「今日だけは遠慮していられないわ!ずうずうしいと思われても九条様におねだりするのよ!」
「「「はいっ!」」」
「九条様!あと五十個作ってください!」
「お土産に持って帰りたいのでお土産分もお願いします!」
おおっ!?どういうことだ?皆が急に俺に作ってくれと言ってきた。これはあれか?俺が一人で寂しそうにしていたから気を使われたのかな?それなら気にしなくても皆の食べたい物を好きなだけ食べてくれたらいいんだけどな?
「あぁ!良い匂い!」
「あれ?今日ってうちが調理室使うんじゃなかったっけ?」
「何か他の人が使うから時間をずらして欲しいって言われたみたいだよ?」
「……ん?」
何やら廊下が騒がしくなってきた。皆がグイグイくるからちょっとかわすために一度扉へ行って外の様子を確認する。
「どうかされましたか?」
「えっ!?九条様っ!?」
「もしかして今日急遽調理室を使われたのって九条様だったの?ちゃんと確認しておきなさいよ!」
「すみません九条様!私達は家庭科部の者です!」
「あぁ……」
外に居たのは家庭科部の子達らしい。家庭科部というのは所謂花嫁修業に近い。家事全般を行うような部で料理部とか、手芸部とかと内容は似ているようでちょっと違う。
家庭科部も料理はするけど料理部のようにひたすら料理を極めるようなものとは違う。将来家庭で料理を出す練習のようなものだ。家庭科部も裁縫などはするけど手芸部のようにひたすら手芸をするわけでもない。レースを編んだり刺繍をしたりというよりは、家庭科部は裾を直すとか、ほつれを直すとか、そういった実生活で使う家事を練習するという部だ。
話を聞いてみるとどうやら今日は元々家庭科部が調理実習を行う予定だったらしい。そこへ俺達が割り込んだために家庭科部の子達の実習時間が後ろ送りになったようだ。
「そうでしたか……。それは申し訳ないことをしてしまいました。私達の使っている場所は一部ですので他のスペースを使って出来るのでしたら一緒に実習いたしませんか?」
「えっ!?良いんですか!?」
「どっ、どっ、どっ、どうしよう!?九条様と一緒に料理出来るなんて……」
家庭科部の子達がヒソヒソと話し合っている。皆が家庭科調理室を確保してくれたと聞いていたから何も問題はないと思っていたけど、まさか他の部が使う予定だったのにそこに割り込んでしまっていたとは……。
今日この子達が何を作る予定だったのかはわからない。タルトじゃないことは確かだろう。でもとにかく俺達のせいで時間を遅らせてしまったんだから、せめてここからでも一緒にやればどうだろうか?
「「「よろしくお願いします!」」」
「ええ。こちらこそお願いね。それと本当にごめんなさい……」
「いいえ!私達はいつでも出来ますから!」
「まぁ料理部にどいてもらった時だけですけど……」
「こら!余計なことを言わない!」
あぁ……、やっぱり……。他の部との取り合いもあるからいつでも自由に使えるわけじゃないんだろうと思っていた通りだ。そんな貴重な機会を奪ってしまったんだ。俺は知らなかったは通らない。せめてこの子達にも何かお詫びをしなければな……。
「そうですわ!私が皆さんにタルトをお作りしましょう。お詫びにはまったく足りませんがせめてもの気持ちです」
「「「わぁっ!」」」
「九条様の手作り料理がいただけるなら……」
「調理室なんていつでもお譲りいたしますぅ~!」
家庭科部の子達は無理をして喜んでくれた。下級生達にもあまり人気のなかった俺のタルトじゃ本当はそんなにうれしくないんだろうけど……。ともかくお詫びも兼ねて俺はこの後下級生達と家庭科部の子達に大量のタルトを作ってプレゼントした。
そして何故かそれを見ていた同級生の皆にもお土産と称しておねだりされて、時間一杯になるまでひたすらタルトを作り続ける羽目になったのだった。




