第八百四十九話「誰かが陰で支えてくれているから……」
花梨やガーベラ達の人力遊園地でフラフラになった皆はヨロヨロと屋外テントから出た。シーソーはともかくあのメリーゴーラウンドは危険だ。色々な意味で……。物理的に危険というのもあるし精神的にも疲れる。俺はあれくらいの絶叫マシーンならどうってことはないけど、お嬢様育ちが多いグループのメンバーはすでにヘロヘロになっていた。
「楽しかったねー!」
「それは譲葉だけでしょ……」
「あれはさすがに私もきつかったわ……」
譲葉ちゃんは案外ケロッとしているけど他の子達は足取りも怪しいくらいフラフラしている子もいる。あれはメリーゴーラウンドじゃなくて絶叫マシーンだ。デイジーが馬鹿力で回す時……、あれは凶器へと変貌する。
「でも確かに楽しかったと思いますよ」
「それはまぁ……」
「「「はははっ……」」」
皆も楽しかったことは否定出来ない。ただ本当に安全に配慮されていたのだろうか?と思うと玉がヒュンとするだけだ。まぁ俺達には玉はないんだけどな!
「次はどこへ行きましょうか?」
「そうですねぇ……」
人力遊園地を楽しんだ俺達は玄関口へ向かいながら次はどうするか話していた。すると向こうから見知った顔が近づいてきているのが見えた。
「茅さ……」
「咲耶ちゃんっ!」
「むぎゅぅ……」
こちらに気付いた茅さんが駆け寄ってきて思い切り抱き締められてしまった。その柔らかな胸に俺の顔が埋まる。柔らかいために形を変えて顔を全て覆ってしまうかのようなフィット感があるけど、デイジーのように馬鹿力で締め上げられないだけまだ余裕がある。
それに……、実は俺はこうして茅さんに抱き締められるのはそんなに嫌いじゃない……、いや、大好きなんだよなぁ……。綺麗なお姉さんの胸に抱かれて嫌な気持ちがする男はいないと思います!
「咲耶ちゃん!今年は喫茶店に入れそうもないし、代わりと言っては何だけど一緒に回りましょ」
「菖蒲先生……。そうですね!是非ご一緒しましょう!」
茅さんに遅れて菖蒲先生と椛もやってきた。どうやら三人で仲良く文化祭を回っていたようだ。そこで俺達を見かけたから声をかけてきたというところだろう。折角なのでこの綺麗なお姉さん達三人と一緒に回ろう。
「咲耶様、本日は何でも買って良いと旦那様よりお金をお預かりしておりますよ」
「まぁ!お父様が?ふふっ。それは楽しみですね」
どこを回ろうかと相談しながら歩いていると椛が財布を見せながらそんなことを言ってきた。俺が現金を自由に使える機会は限られている。こういう時しか買い食いは出来ないし是非父の厚意に甘えて文化祭を楽しませてもらおう。
「咲耶ちゃ~~~ん!お姉さんと一緒にあれを食べましょう!」
「ちょっ!?茅さん!」
露店を回ったりしていると茅さんが俺の腕を抱いて引っ張り始めた。でも何を買うとかよりも茅さんに抱かれている腕から感じる胸の感触で頭が一杯になって何も考えられない。茅さんは相手である俺が女の子だと思ってこんな大胆なんだろうけど、中身が男である俺にとっては茅さんの行動は大胆すぎてドキドキが止まらない。
さすが茅さんは大学生にもなっているためか色々と慣れている。俺は露店を見ても何を買おうか迷ってしまって結局決められずにウロウロしているだけだというのに、茅さんはテキパキと決めてさっさと買っている。この時期に食べるには少し寒いかもしれないけどカキ氷なんかを皆で一緒に食べた。
「う~~~っ!頭がキーンッ!ってします!」
「薊は一度にたくさん口に含みすぎなのよ。もっと落ち着いて食べなさい」
「何よ!皐月だってさっき頭を押さえてたの知ってるんだから!」
「ちょっ!?わざわざ言うことないでしょう!」
薊ちゃんと皐月ちゃんがカキ氷でキーンとなったの何だのと言い合っている。他の子達もフランクフルトとかアメリカンドッグとか、露店の定番メニューを食べて笑っている。とても穏やかな時間が流れていて文化祭で忙しいことを忘れてしまいそうになる。
「や~!咲耶ちゃ~ん!こんなところで顔を合わせるなんて奇遇だねぇ」
「エモンさん!?」
そんな時急にエモンが人混みから現れた。エモンが居ることにまったく気付かなかった。向こうから声をかけてこなければすれ違っても気付かなかったかもしれない。
俺はいつもある程度は周囲に気を張っているつもりだ。不審者が近づいてきたらそれだけで気付く自信がある。それなのに今のエモンはそこにエモンが居るということすら気付けなかった。近接戦闘にはあまり自信がないらしいエモンだけど、こうして人混みの中に堂々と居てもこちらに気付かせない何らかの術を心得ているんだろう。うちの姉弟子はこういう所が侮れない……。
「咲耶ちゃんの後輩ちゃん達が喫茶店や文化祭を守るために頑張ってるみたいだよ?」
「――!?」
そっと耳元に顔を寄せたエモンはボソッとそんなことを言った。具体的に何のことかはわからない。ただそれを聞いた瞬間俺は走り出していた。グループの皆も茅さん達が居ることも忘れてとにかく人混みを掻き分けて校舎へと走る。
「くっ、九条様……」
「咲耶様……」
職員室の近くに来た所で中等科の後輩達が集まっているのが見えた。海桐花と蕗が中等科一年の子達とある程度親しいのはわかる。射干達や李も一緒に行儀見習いをしているから皆仲が良いんだろう。でもそこに酢橘達の姿もあった。
酢橘達と海桐花達の間を取り持ったけどその後両者がどれくらい打ち解けたのかはわからなかった。海桐花達の報告でうまくやっているとは聞いていたけど実際に俺がプライベートでの両者の関わりを見ることは滅多にない。ただこの場を見る限りでは本当にうまくやっているんだろう。そして……、もしかしてだけど酢橘達も俺達のために危険を冒してくれたのかもしれない。
「ごめんなさい……。貴女達に危険なことをさせてしまって……」
「「「――ッ!」」」
俺は中等科生達をまとめて抱き締めた。皆驚いた顔をして固まっていたけどこちらはそれどころじゃない。胸が詰まるというか、何かがこみ上げてくるような気がしてとにかく中等科生達をギュッと抱き締める。
具体的に何があったのかはわからない。ただ中等科生達が出てくるために開けたのか、開きっぱなしだった職員室の扉から一年五組の生徒達が教師達に囲まれているのが見える。恐らく五組の生徒達が何かしようとして中等科生達が止めてくれたんだろう。
俺は少し考えが甘かった。これまで何もなかったんだからとか、今までうまく乗り越えられたんだからと思ってちゃんと注意していなかった。でもそれは相手が大したことがなかったからとか、俺がうまくやっていたから大丈夫だったんじゃない。俺の知らない所で誰かが頑張ってくれていたからうまくいっていたんだ。
今回はたまたまエモンが教えてくれたから俺は中等科生達が何かしてくれていたことを知ることが出来た。でもいつも俺が知らない所で誰かが頑張ってくれていたんだ。俺はそんなことにも気付かずにあまりにのほほんとしすぎていた。
何があったのかはまだわからないけど今回中等科生達がうまくやってくれていなければ取り返しのつかないことになっていたかもしれない。それなのにそんな危険な役目をこの子達に押し付けて俺は何をしていたんだ……。
「あっ……、あの……、九条様……」
「あっ!ごめんなさい。苦しかったですか?」
あまりにギュッと抱き締めすぎたのかもしれない。中等科生達から声が上がったので慌てて力を緩める。デイジーほどじゃないにしても俺も身長体重性別からすると馬鹿力の部類だからな……。か弱い女の子を相手に俺が力を入れすぎたら壊れてしまいそうで怖い。
「ハァ……、咲耶様……、急にどうされたんですか?」
「この子達は?」
置いてけぼりにしてしまった薊ちゃんや皐月ちゃん達が追いついてきた。俺も具体的に何があったのかはわからない。ただ恐らく一年五組の一部が何か善からぬことを企んでこの子達がそれを阻止してくれたのだろうということがわかるだけだ。
「私も具体的なことはわかりませんが……、この子達に聞いてみましょうか」
「えっとぉ……」
「あははっ……」
何か中等科生達は気まずそうな顔で視線を逸らしている。でも何も怒ろうと思っているわけじゃない。それどころか感謝しているし申し訳なくも思っている。中等科生達も諦めたのか逃げる様子もないし、皆で中等科生達の話を聞くことにしたのだった。
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「何それ!腹立つ~!」
「信じれなれないようなことをする人達ですね……」
中等科生や教職員の話を聞いて大体のことはわかった。どうやら一部の生徒が喫茶店で自分の飲み物に虫を入れてクレームをつけようとしたり、投票システムの投票所近くで根も葉もない出鱈目な噂を広めようとしていたようだ。それを中等科生達が気付いて止めてくれたらしい。
「何らかの嫌がらせや妨害はあるかもしれないと思っていましたが……、まさかそのような直接的な手段に打って出るとは想像もしていませんでしたね……」
まさかいくら何でもそんな直接的な手段に訴えてくることはないだろうとどこかで思っていたのかもしれない。藤花学園は実は結構厳しい。そんなことをすれば普通に退学もあり得る話だ。それをわかった上でそこまでしてくるなんて思ってなかった。まさか退学を賭けてまでそこまで……、と誰もが思うだろう。そのまさかをされて驚いたというところだ。
「とにかく私達も喫茶店に戻りましょう!」
「そうですね!」
「それと皆さん……、助けていただいたことには感謝しています。ですがもうそんな危ないことはしないでください……。私にとっては皆さんの身の安全の方が大事なんです……」
「九条様……」
「咲耶様……」
もう一度中等科生達を抱き寄せる。こんなことを言うとアレだけど正直に言えば俺にとっては喫茶店の成功云々よりも皆の身の安全の方が大切だ。だからもうこんな無茶はしないで欲しい。
「茅さんや菖蒲先生は折角来ていただいたのに申し訳ありません。私達はクラスに戻りますね」
「仕方ないわね」
「頑張ってね咲耶ちゃん」
空いている喫茶店ならこのまま一緒にどうぞと言えるけど、残念ながらうちのクラスの喫茶店は皆を招待しようにも混雑しすぎている。知り合いだからと順番を抜かして招き入れるわけにもいかず、折角だけどここでお別れとなってしまう。
中等科生や茅さん達と別れた俺達は急いで教室へと戻り、今後は同じようなことがないようにと見回りの強化もしつつ喫茶店を最後までやり切ったのだった。
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文化祭が終わった五組の教室では『イケてる組』が集まっていた。
「これから打ち上げしよーぜー!」
「さんせー!」
「俺達が奢ってやるよ!」
「え?マジ?」
「太っ腹~!」
二人の男子生徒の奢りと聞いて七人の『イケてる組』の男女が集まって打ち上げに行こうと盛り上がっている。それとは別に残りの五組の生徒、『設営班』は『設営班』で集まっていた。
「お疲れ様でした」
「HAHAHAー!楽しかったデース!」
「疲れたわ……」
人力動力の中心はデイジーだった。そのデイジーはまだまだ疲れていないとばかりに笑っている。それに比べてガーベラは疲れ果ててげっそりしていた。他の生徒達も皆疲れているがそれなりに良い笑顔を浮かべていた。
「人気やお客さんの入りはそれなりでしたけど良い思い出になりましたね」
「まぁ投票なんて最初から人気投票になるからどこが勝つかはわかってましたしね……」
向日葵と花梨は苦笑いを浮かべる。客の入りからして圧倒的だったから投票結果を待つまでもない。一応勝負とは聞いていたがムキになって勝とうと思っていたわけでもなく、こうして文化祭を楽しめて無事に終えることが出来て良かったと思った。
始まる前はどうなることかと思っていたが、デイジーとガーベラが『イケてる組』を排除してくれてからはスムーズにうまくいくようになった。表立ってそれを言うと角が立つので黙っているが『設営班』は皆そのことを感謝していた。
もしかしたらデイジーとガーベラは最初から『イケてる組』をパージするために最初は彼らの横暴を放置していたのかもしれない。今になって考えてみればそんな風に思えた。
「あれ~?柴田さん達は~?」
「何かやらかして職員室でお説教食らってそのまま帰されたらしいよ」
「うわっ!だせーっ!」
「「「ギャハハッ!」」」
いつもはつるんでいるというのに、その場にいなければ日頃つるんでいるクラスメイトでさえ馬鹿にして笑いものにする。笑われ、馬鹿にされるようなことをした本人の自業自得と言えばそうかもしれないが、それでも『イケてる組』の話し声が聞こえてきて『設営班』は顔を顰めていた。
「そういえば岡屋さん達もいないね?何かやらかした?」
「噂では田中さんと鈴木さん退学になるかもって」
「マジ?」
「え~?何やらかしたん?」
「ばっかで~!」
「「「ギャハハッ!!!」」」
『イケてる組』は八手グループや岡屋グループを笑いながら教室を出て打ち上げへと向かって行ったのだった。その後自分達に何が待ち受けているかも知らずに……。




