第八百四十六話「色々回ってみる」
午前のマナー講習は無事に終えることが出来た。恐らく大成功だったと思う。参加者達だけではなく廊下などで聞いていた聴衆の反応も上々だったように思う。でも一番の収穫は柳ちゃんだろう。
文化祭の準備期間中に俺と皐月ちゃんは女装して街を出歩いている錦織を見つけた。そのことから察するに錦織はまた人前で女装を披露したいと思っているに違いない。そう判断した俺達はあの後錦織に頼み事という体でその機会を用意してあげることにした。それがこのマナー講習だ。
俺達は女性用のマナーにはある程度精通しているけど男性向けというのはさほどわからない。共通部分もあるから簡単なことならば教えられるけど、俺達が自分のマナーと同じつもりで教えて男性に女性向けのマナーを教えてしまったら大変だ。そこで男性用の講師として錦織にお願いすることにした。
そう……。女装して『柳ちゃん』の格好で!
錦織も口先では『嫌だ』とか『どうして女装して……』とか言ってたけど実際にはノリノリだったことを俺達は知っている。今日実際に女装して登場した時に男子達に『可愛い』とか『あれは誰だ?』とか言われて顔がにやけていた。
いくら口先では『俺は男だ!』とか『錦織柳だよ!』とか言っていても、マナー講習に参加していた男性に可愛いとか全然わからなかったとか言われてチヤホヤされて喜んでいたのは間違いない。錦織にも花梨と向日葵のことを頼んだりしていたし、これでちょっとした恩返しになっていれば良いなと思う。
瓶底メガネ少女の名前も『ひまり』だと判明したし、ガーベラと一緒にマナー講習に参加していたけど一生懸命頑張っていてとても可愛らしかった。あの子はきっと根が真面目なんだろう。それに努力家に違いない。少し教えただけでスポンジが水を吸うように吸収していたのは教えていて気持ちが良かったくらいだ。
ちなみにガーベラも多少マナーが自国風であること以外は普通に出来ていた。俺達も料理や相手の国によってある程度はマナーの種類も使い分けている。ガーベラの国もメジャーな国なので俺達の知っているマナーでも対応出来たけど……、ガーベラはわざわざマナー講習に参加する必要はあったんだろうか?
俺達に言われるまでもなくガーベラは十分にマナーが出来ていた。今日も参加していたけど何も得る物はなかったに違いない。折角参加してくれたんだから何か一つでも得る物を持って帰ってもらいたかったけど、事前に予告していた通り今日のマナー講習は初心者向けのものだ。あれだけ出来ているガーベラが今更聞いても何も目新しいものはなかっただろう。
初心者のためのマナー講習だったんだから出来るだけ初心者の子達に参加してもらいたかった。だけど事前に公平な抽選だと告知していたからそういう篩い分けはしていない。全員一律の抽選結果だったから中には今日の講習は必要なかっただろうと思われる子もいた。
もうこんなことをするつもりはないけどこれは今回の反省点と言えるだろう。抽選を公平にするために相手のレベルは問わないことにしていたけど、講習を受けるべき初心者が落選して、講習を受ける必要がない中級者以上が当選しているケースもあった。今後もしこんなことがあるのならそういう部分は改めるべきだ。
まぁもうするつもりはないけどね?
「さぁ咲耶様!片付けも終わりましたし遊びに行きましょう!」
「そうですね」
俺達はマナー講習の後にまた休憩時間が入っている。俺達が抜けている間も喫茶店は回っているし、マナー講習で人が抜けても大丈夫なようにシフトが組まれている。そんな俺達はマナー講習の片付けを終えたら昼休み前まで休憩だ。
この手のお店は昼休みこそ忙しくなるわけで、当然忙しくなるであろう時間帯には人員も多めに配置している。早めに休憩をするメンバーと、昼休みが終わってから休憩するメンバーが分かれていて俺達は昼前に先に休憩するグループというわけだ。
今のうちに休憩と、ちょっとだけ文化祭を回って楽しんでから昼休みにがっつり喫茶店に入る。俺達のグループが皆で揃って文化祭を回れるのはこの時間だけだからこの時間はたっぷり楽しむとしよう。
「咲耶ちゃんと一緒に文化祭を回れるのはこの時間だけですからね~」
「私達は接客と演奏の主力メンバーですからね……。全員同時に抜けるのが難しいのは止むを得ないです」
「そうですね……」
茜ちゃんの言う通り、俺達は接客と演奏の中心メンバーになっている。そんな俺達が纏まって抜けるのは本来難しい。それでもクラスの皆が気を利かせて午前のマナー講習の後にそのまま俺達全員が休憩に入れるように調整してくれた。
俺達は皆でグループだと周囲にも思われている。そんな俺達がせめて少しでも一緒に文化祭を回れるように配慮してくれたクラスメイト達には感謝しかない。折角クラスメイト達が用意してくれた貴重な時間なんだから皆で楽しく文化祭を回ろう。
「それではどこへ行きましょうか?」
「私は二年三組の喫茶店を見てみたいです」
げっ……。二年三組は令法のクラスじゃん……。今年の高等科文化祭で二クラスだけが喫茶店を開いている。そのライバルである二年三組の様子を見たいというのはわかるけど……、俺としては令法に近づきたくないんだけどなぁ……。
「入るかどうかはともかく様子だけでも見てみましょうよ!」
「それでは行ってみましょうか……」
「「「はーい!」」」
とりあえず皆で家庭科調理室へとやってきた。客の入りは……、まずまずというところか。以前の伊吹がやっていたような喫茶店と違って閑古鳥が鳴いているというほどではない。ただ俺達のクラスほど混雑している様子もなかった。文化祭の出し物としては可もなく不可もなくというところだろうか。
「何か地味ね」
「まぁ……」
皆も気持ちは同じらしい。さすが『普通王子』澤令法のクラスだけあって普通だ。特に目を見張るようなものはないけど大失敗もしない。あくまで普通……。全てがそこそこ……。良くも悪くも小さくまとまっている。
「所詮私達の敵じゃありませんね!」
「薊ちゃん……、声が大きいですよ……」
いくら何でも相手の目の前で言うことじゃない。例え客観的に見てその通りだったとしても、当事者の一方が相手の目の前で言えば角が立つ。余計な衝突や揉め事は避けたい。
「それじゃもう用はないので戻りましょうよ!こっちを通って!」
「ちょっ!?薊ちゃん!?」
何か意図がありそうな薊ちゃんが先導して歩いていく。止めたいけど止める暇もなく歩いていくのでついていくしかない。そしてやってきたのは一年一組の教室の前だった……。
「うわっ……」
「これはひどい……」
一年一組の教室は閑散としていた。数人の一組生徒達が一応待機しているだけで他には誰もいない。いや、休憩場所として利用しようとしている子はチラホラいる。どこかで買って来た飲食物を広げて休んでいる。でも一年一組の出し物……、展示を見ている子は誰一人いない……。
喫茶店が却下されてから一組は展示が第二候補ということで展示をしている。でも展示の内容も何か壁新聞に本やネットの情報を書き写しただけという感じで、しかも誰も中身も見ていない。空き教室代わりにそこらに座って休憩している者がいるだけという寂しいものだった。
「誰が見たがるのよ、蟻の生態なんて」
「「「まぁ…………」」」
展示をするにしても何故よりによって『蟻の生態』なんて内容を選んだのか。あまりに地味すぎて逆に興味を引かれて入って行った人もすぐに微妙な顔になって出てきている。これはある意味狙い通りなのか、それとも失敗なのか、俺達には判断がつかない。
「隣は小物販売ですね」
「まぁまぁ流行ってるみたいね」
二組は槐と柾のいるクラスで小物販売をしている。以前の俺達と内容が似ているけど、だからって『真似をした!』とか言うつもりはない。どうせ人が考えるようなことなんて似たようなものだ。二年三組の喫茶店よりは人の入りも多い。何故か女子にそこそこ人気のある槐と柾がやってる小物販売ならこれくらいの反響があってもおかしくはない。
三組の前を通り過ぎて四組の前も通り過ぎる。四組は劇なので教室には何もない。こちらも一組同様に休んでいる人が入り込んでいるくらいだ。そして五組の前にやってきたけど五組も一組と同じ展示だった。この辺りの経緯は花梨から聞いているので知っている。
五組は人力遊園地をするはずだったけど、一部のクラスメイト達がまったく何も協力してくれないのでデイジーとガーベラが学園に抗議して出し物を分けることになった。その結果人力遊園地から除外された者達は五組の教室で展示をしている。その内容はお察しだ。一組よりさらに人が少なく、展示の担当者も配置されていない。ただ壁新聞のようなものが一枚貼られて放置されているだけだった。
「ここが一番最低かもね」
「そーだねー」
皆辛辣だなぁ……。でもこれまでの経緯を花梨から聞いていればそう思うのも無理はない。しかも担当者の一人も置かずに全員いなくなっているなんて無責任にも程がある。
「それより人力遊園地に行きましょうよ!」
「花梨に会いに行きましょう」
「そうですね。それではまいりましょうか」
皆も花梨が元気にやっているか気になるようだ。人力遊園地は屋外の仮設テントで行われている。そちらに向かってみればテントにはそれなりの人だかりが出来ていた。少しだけ並んでからテントに入ってみれば……。
「オーッ!サクヤー!」
「むぎゅぅっ!」
人力遊園地に入ったらデイジーに思いっきり歓迎されてしまった。でも茅さんの柔らかい胸と違ってデイジーの胸はぱっつんぱっつんで硬い。しかも締め方が強烈だから本当に死にそうになる。
「九条様!」
「さっきぶりね咲耶」
「ようこそおいでくださいました」
ひまりとガーベラはさっきぶり。そして花梨とも掲示板への貼り出しぶりに顔を合わせる。
「敵情視察ってわけね」
「え~……、そういうわけでもないのですが……」
ガーベラが俺達が敵情視察に来たと思ってそう言ってくる。でも俺達にそんなつもりはない。そもそも一応投票で勝負はしているけど勝っても負けても良いし……。やるからには勝ちたいし全力で取り組むつもりではあるけど、だからって相手の偵察までしたりするほど何としても勝ちたいわけでもない。
「早速乗るデース!」
「ちょっ!?」
「じゃあ私も咲耶様と一緒に乗ります!」
「薊ずるい!私も!」
「早い者勝ちーっ!」
「「「ああぁ~~~っ!ずる~いっ!」」」
四人乗りらしい丸い乗り物に四人がそれぞれ乗った。看板にも書いてあったからこれはメリーゴーラウンドかな?薊ちゃんと皐月ちゃんと譲葉ちゃんが乗ってるけど馬?は皆別々だ。ただ同時に四方向に四人が乗り込む形になっている。
「いきマース!」
「「「――ッ!」」」
デイジーが外側を掴んで力を込めた瞬間……。
「ぎゃーーーっ!」
「ひぇーーーっ!」
「ちょっ!?」
薊ちゃん、譲葉ちゃん、皐月ちゃんの悲鳴がテント内に木霊した。デイジーは馬鹿力で単管とベニヤ板で出来たメリーゴーラウンドを思いっきり回した……。その急加速とメリーゴーラウンドとは思えない速度に皆の顔が強張る。単純な速度への恐怖よりも、安全装置もないのにこの速度ということに別の意味の恐怖を覚える。
「ぎっこんばったん!ぎっこんばったん!」
「うふふっ」
「あははっ!」
それに比べて人力シーソーに乗っている椿ちゃんと蓮華ちゃんはちょっと楽しそうだった。少なくともこっちのような身の危険を感じるような恐怖とは無縁だろう。
「止め……、止めてーーーっ!」
「ひょーーーーーっ!」
「――ッ!」
皐月ちゃんはぐっと声を出さないように堪えているけど、その表情が全てを物語っている。そして声を上げているけど譲葉ちゃんは実は一番余裕があるんじゃないだろうか?
「HAHAHAーーーっ!どーデース?」
「もう二度と乗らない……」
「…………」
「楽しかったねー!」
ようやく止まったメリーゴーラウンド?から降りた皆の反応は予想通りのものだった。薊ちゃんはげっそりしていて皐月ちゃんは黙り込んでしまっている。譲葉ちゃんだけは思ったより、いや思った通り?ぴんぴんしていた。
「次はシーソー組と交代しましょう」
「「「げっ……」」」
シーソーでそれなりに楽しんでいた残るメンバー達も、俺達がメリーゴーラウンドで振り回されていたのを見ていて交代と告げられた瞬間に顔を引き攣らせていた。でもそんなことで逃がすはずもなく、全員が両方の乗り物を堪能するまでちゃんと遊んでから人力遊園地を後にしたのだった。




