第八百五話「トラブルだらけ」
あ~、びっくりした……。まさか近衛家のパーティーでいきなり主人公・藤原向日葵とばったり出くわすとは思わなかった。いや……、冷静に考えたらそうなんだよな。そうなることはわかってたはずだ。
今年の近衛家のパーティーは一年生全員を招待している。そして今年の一年生に藤原向日葵がいることもわかっていた。ならば近衛家のパーティーに来れば主人公と顔を合わせることは簡単に予想出来たはずだ。
ただ言わせてもらうならば、俺は一学期の間中ずっと学園に通っていたというのに藤原向日葵と一度も顔を合わせたことがない。遠目に見たことすらなかった。だから心のどこかで俺はもう主人公とは直接関わることはないかのような錯覚を持っていたのかもしれない。そんなわけないのにな……。
今回ようやく主人公・藤原向日葵と初めて顔を合わせることになった。いつかくるはずだったその時が今回やってきただけのことだ。それにしても……、向日葵は可愛かったな……。
今の俺は向日葵をイジメる悪役令嬢・九条咲耶お嬢様になっている。でもだからって俺は別にヒロインが嫌いなわけじゃない。むしろゲーム『恋に咲く花』ではヒロイン・向日葵を操作していたわけで、それなりの好感はあっても嫌悪しているとかそんなことはない。
実際に高等科に入るまでは色々と不安だった。もしかしてよくある悪役ヒロインのように無害なライバル令嬢を悪人に仕立て上げるとか、男を手玉に取ってもてあそぶとか、そういう展開もあるかもしれないと不安だったものだ。でも実際にはそんなことはなかった。
この世界のヒロイン・藤原向日葵はこれといって何か騒動を起こすわけでもなければ、攻略対象達に次々と手を出していくようなこともない。ライバル令嬢達にイジメられたと吹聴したり印象操作することもない。報告を受けている限りではただ普通に一生徒として学園に通っているだけだ。
ヒロインがそんな娘だったらどうしようかと思っていたけどそんなこともなく、向こうが普通にしてくれているのならこちらだってヒロインを嫌う理由も避ける理由もない。実際今日初めて会ったヒロインはゲームのスチルそのままの可愛い少女だった。
ただ……、少し疑問がある。
藤原向日葵がパーティーに呼ばれるイベントは確かにゲーム中でもある。でもそれは攻略対象達とある程度仲良くなった中盤以降、ルートによっては後半に入ってからだ。こんな一年の夏休みなんて時期にはシナリオではパーティーに招待されたりしない。
そして向日葵は実家が貧しくてパーティーに着ていくドレスもないはずだ。それをライバル令嬢になじられたりする。そこをルートに入っている以外の攻略対象に助けられたりして豪華なドレスを用意するはずだ。
例えば伊吹ルートだったならば三年の夏にようやく近衛家のパーティーに呼ばれる。ドレスを用意出来ない向日葵は伊吹ルートのライバル令嬢である咲耶お嬢様に散々なじられる。それを見かねた槐が向日葵にドレスを準備してあげることになるはずだ。
伊吹はそのことを知らずに、パーティー当日に槐が用意してくれた高級なドレスに身を包んだ向日葵に見惚れる。槐は向日葵と伊吹のために身を引いて、でも陰で向日葵を助けてくれる。伊吹ルート以外でもそれに近いような形で誰かが手助けしてくれてパーティーに着ていくドレスが用意されるはず……。
それなのに今日の向日葵はもういきなりゲームのスチルと同じドレスを着ていた。ゲーム中ではどのルートに行っても同じドレスを着ている。それはたぶんゲームや製作上の都合で同じ絵を使いまわしているからだろう。今日向日葵が着ていたドレスもそれと同じものだった。
俺達が着ているような最上級とまではいかないまでも、普通なら向日葵の状況や家庭環境で用意出来るようなドレスじゃない。むしろ近衛家のパーティーに一年生全員が招待されてから用意したとしたら、残された時間や状況で考え得る最上級の物を着用していたと言っても過言ではない。
普通に考えたら向日葵が自力で用意したものじゃないだろう。そう言えば隣に立っていた花梨もいつもより仕立ての良いドレスを着ていた。それこそ向日葵と同程度の……。ということは誰かが向日葵と花梨に協力してドレスを用意したということだろう。
他の一般外部生達は安物のドレスや、人によっては制服で来ている者さえいたくらいだ。そんな中で向日葵と花梨が着ていたドレスだけは異彩を放っていた。一体誰が向日葵と花梨に協力してドレスを用意してくれたんだ?
「九条咲耶……。九条咲耶……。おいっ!九条咲耶!」
「ひゃいっ!?」
急に耳元で大声を出されて驚いてしまった。何か変な声を出してしまった気がする……。恥ずかしい……。
っていうか誰だよ!いきなり人の耳元で大声を出した馬鹿者は!
「何を睨んでいる?俺達が挨拶しているのに無視して考え事をしていたのは九条咲耶の方だぞ」
「へぁ?」
俺の耳元で大声を出した張本人を睨んでいたらそんなことを言われた。そこに立っていたのは柾と棗と石榴だ。
「あぁ……、御機嫌よう、速水生徒会長様、押小路様、難波君」
「「「…………」」」
俺が挨拶をしたというのに三人は変な顔でお互いに顔を見合わせているだけだった。
「今更取り繕われてもな……」
「まぁまぁ……。九条さんにも色々と考えることもあるよ」
「ご無沙汰しておりました!咲耶様!」
お?よく考えたらこの組み合わせは……。はっは~ん……。わかったぞ!修羅場だな?修羅場なんだろう?
元々愛し合っていた柾と石榴、そこに現れたライバル棗との三角関係だな?しかも棗はさらに赤松と銀杏との三角関係も出来上がっている。この複雑に絡み合う生徒会役員同士による愛憎……。うん。俺はわかってるから。何も言うな。全てわかってるから!
「今何か悪寒が……」
「速水会長……、九条咲耶の毒牙にかからないように気をつけてください。こいつは腐ってるので……」
いいからいいから。俺は全てわかっているぞ。
「じゃあ挨拶はしたからな。俺達は下位の会場に入って一番に挨拶を行う。そして藤原向日葵と吉田花梨の身の安全を確保すれば良いんだな?」
「あっ、はい。お願いします」
おっと……、忘れるところだった。柾と棗には花梨達が挨拶に向かっている間のボディガードを頼んでいたんだった。
本来なら一般外部生が増えた分だけ下位の会場にいる貴族の一部が上位の会場に配置換えになる予定だった。でもそうすると向日葵の身の回りにいるはずの者が全員同時にいなくなってしまう。
花梨も鬼灯も鈴蘭も挨拶の順番はそう大きく変わらない。そうなると現状で向日葵を守ってくれている者が全員一度に離れることになる。そこで本来なら上位の会場に配置換えになるはずの柾と棗を下位の会場のままにしてもらい、挨拶もトップクラスの早さで済ませてもらうことにした。
もちろんこんなことは俺一人で勝手に決められない。一年生を全員招待すると聞かされて、その後のパーティーへのトラブル対策もほとんどないと聞いた時に俺が近衛母に相談して頼んだことだ。それを聞いて近衛母は俺の危惧を察したのかすぐに了承してくれた。伊吹に相談していたらややこしいことになっていただろうから近衛母がすぐに了承してくれて助かった。
知り合いが全員、挨拶の順番が最後の方でまとめて離れてしまったら向日葵が一人になってどんなトラブルが発生するかわからない。だから早い順位で挨拶を済ませられる柾と棗に、他のメンバーが離れている間の向日葵の安全の確保を頼んでおいた。残念ながら石榴も家格は高くないからこれを頼めるのは押小路家と難波家だけだ。
というか俺も事前に柾と棗にボディガードを頼むのならドレスのことも考えておけよな……。ゲームでも例えば伊吹ルートで伊吹は向日葵のドレスのことに気付かず、槐が代わりにドレスを用意したりしていた。その時にどうしてルートに選ばれたヒーローは気付かないのかと思っていたけど、いざ自分が似たような状況になったらすっかり忘れていた。
もちろん俺が向日葵のドレスを用意してあげなければならない理由はない。そもそもで言えばまだ学園で会ったこともない相手のドレスをいきなり用意してあげましょうなんて言われたらその方が不審者だろう。でもどうにかそのことを考えてうまくドレスを用意してあげるべきだったかもしれない。今回は誰が用意してくれたのかわからないけどその人物に感謝だ。
「それでは俺達はもう行くぞ」
「また後ほどお会いしましょう」
石榴、柾、棗の生徒会トリオは会場へと入って行った。学年が違うから石榴と棗は一緒に同じ科の生徒会に入ることはない。でも恋のライバル、三角関係としてはお互いに無視出来ないだろう。あの三人と、さらに赤松や銀杏も交えた四角、五角関係がどうなるのか。とても楽しみだ。
「お~っほっほっほっ!わたくしが来て差し上げましたわよ!九条咲耶!」
「……ようこそおいでくださいました、一条様」
最後の方で一番騒がしい奴らがやってきた。百合、躑躅、朝顔は三人一緒に来たようだ。
「今日のパーティーがどうなるか……。楽しみにしておきますね、九条様」
「西園寺様のご期待に副えるかはわかりませんが、楽しんでいただければ幸いです」
な~んか躑躅の言い方はトゲがあるんだよなぁ……。しかも何か俺が主催者だと勘違いしていないか?俺はあくまで伊吹のパートナーなだけで主催者は近衛家なんですけど?このパーティーで何があっても俺のせいじゃないぞ?
「九条様こんばんわ~」
「御機嫌よう三条様」
それから朝顔はマイペースだなぁ……。何か一人だけ自分の時間が流れているかのように空気を読まないというか我が道を行くというか。
「お~っほっほっほっ!果たしてこのわたくしを満足させられますこと?楽しみにしておりますわよ!お~っほっほっ!」
「え~……、本日のパーティーは『近衛家主催のパーティー』ですので、是非近衛家の方々にもそのように伝えられると良いのではないでしょうか。きっと近衛家の方々も喜ばれることと思いますよ」
「お~っほっほっほっ!それでは楽しみにしておりますわよ!」
いや……、あの……、俺の話聞いてましたか?百合は高笑いしたままこの場を離れた。躑躅と朝顔もそれに従って会場へと向かう。俺はわざわざ『近衛家主催のパーティー』だと強調したというのに、何か百合や躑躅は俺が主催者側だとでも勘違いしていないだろうか?
五月の九条家のパーティーは俺が主催の一人だったけどこっちのパーティーのことは知ったことじゃないぞ?予定も準備も運営も俺は関わっていない。俺はただ伊吹のパートナーとして隣に立っているだけだ。
でもここで俺が一人心の中でそう言ってても意味ないんだよな……。多分今日のパーティーで何か問題があれば俺のせいだ何だと言われるんだろうなぁ……。さすがに理不尽な言いがかりをつけられるのは嫌だなぁ……。
「よし、咲耶!会場へ戻るぞ!」
「はい……」
伊吹に言われて会場へと戻る。間もなくパーティー開始の挨拶を行い、俺と伊吹は下位の会場へと向かった。上位の会場では近衛夫妻が挨拶の対応を行っている。伊吹が挨拶を受けて下位の者達に対してなら多少何かやらかしても笑って済ませられるけど、上位の家に対してやらかしてしまったら大事になるからだろう。
つまり近衛夫妻も伊吹のことを全て任せられるというほど信用しておらず、万が一やらかしても大丈夫な所しか任せていないということだ。それは良いことなのか悲しいことなのか……。
ともかく伊吹のパートナーである俺も一緒に下位の会場へ入り、最初に柾や棗の挨拶を受けた。本来ならこちらにはいないほどの地下家の中では最上位格の二人だ。この二人の挨拶を早々に終わらせておけば、下位の家の順番になった時に向日葵の周りにこの二人が待機していられる。
柾や棗の挨拶を受けた後はいつもの近衛家のパーティー以上に多い人達の挨拶を受けていく。でも人は多いけどこちらの挨拶はいつもよりも短く済むかもしれない。何しろ増えている人数は一般外部生だ。一般外部生は作法もわからないだろうし挨拶もしないだろう。そうなれば上位の会場に貴族が移った分だけこちらの挨拶が減る。そう思っていたけど……。
「はぁ……。予想通りあちこちでトラブルやアクシデントが起こっているようですね……」
「勝手にやらせとけ」
俺の言葉に伊吹は鼻で笑ってそう言っただけだった。こちらの会場に居るのは下位の貴族家とはいえ、それでも貴族は貴族だ。そんな貴族達が一般外部生の失礼な行いに晒されたら当然揉め事が起こる。多少の無礼、失礼なら不快ながらも許したとしても、あまりに度が過ぎれば貴族側も笑って許すというわけにはいかなくなる。
あちこちで起こっているトラブルを無視している伊吹の背中を見ながら俺は溜息が止まらなかった。




