第七百九十九話「不憫な……?」
俺と菖蒲先生だけ少し蕾萌会のビルに入ってアリバイ作りを行った。それから暫くして二人でビルを出ると菖蒲先生の車に向かう。先に待っていた椛とエモンと合流して菖蒲先生の車で街へ繰り出した。
「車持ってるんだ~?凄いな~」
「安い車だけどね。これくらいならエモンちゃんでもすぐ買えるわよ」
「え?いやぁ……、私はちょっと……、あははっ……」
菖蒲先生の言葉にエモンは視線を逸らせて誤魔化していた。フリーターで仕事も度々辞めているエモンが車を買うのは簡単じゃないだろう。生活費とかがどうなっているかは知らないけど、もし両親や師匠に生活は支えてもらっているのなら、半年から一年くらい真面目に頑張って働けば安い車くらいなら買えるかもしれないというところか。
「もしかして……、エモンちゃん……、ちゃんと働いてないの?」
「あははっ……」
笑って誤魔化そうとしてるみたいだけどその態度で答えは明白だった。菖蒲先生も少し微妙そうな表情で何と言って良いものか考えている。
「それぞれのご家庭のこともあるし他人がとやかく言うことじゃないけど……、自分の生活くらいは自分で支えられるようにしておいた方が良いわよ」
「それはまぁ……、はい……」
菖蒲先生の言葉は正論だ。そしてエモンもそれはわかっている。そもそも両親に呆れられて、性根を叩き直すためにと祖父である師匠の所に送られたわけだしな。これが最低でも自分で自分の生活を支えていたのなら両親に逆らってでも、家を出てでも、どうにでも自分の意思や意見を通すことが出来た。
それが出来ずに師匠の所に素直に送られてきたというのは本人も自分だけで自分の生活を支えられないと理解していたからだろう。菖蒲先生の言う通り各家庭の問題なので他人がとやかく言うことでもないんだけど、かつては教師を目指したり、今も塾講師をしている菖蒲先生からすれば生徒の進路指導のようなことも気になるのかもしれない。
「こんな安物の車一つでそんな偉そうに言われても……、という感じでしょうけど」
「椛……、いくら何でもそれは菖蒲先生に失礼ですよ。謝ってください」
蚊帳の外だった椛がボソリととんでもないことを言った。さすがに椛の主人として見過ごせないので注意する。これで黙っていたら俺までそれを肯定していることになる。
「まぁ安物っていうのは本当だし気にしなくて良いのよ咲耶ちゃん。それより私の何倍もお給料をもらっている癖にそんな安物の車一つ買えない子の方が残念すぎるわよね?」
「くっ!私は買えないのではなく必要がないから買わないのです!その気になれば車くらいすぐにでも……」
そうは言いながらも椛は視線を逸らせて声が次第に小さくなっていた。確かに椛の月給ならば安い車なら数か月分で十分買えるだろう。衣食住は九条家で保証しているので自分が無駄遣いさえしなければ最短一ヶ月でも買えなくはないかもしれない。
ただ例えば一ヶ月分の給料を使って百万円の軽自動車を買ったとして、車庫などの保管場所の問題や今後の税金や整備にかかるお金や手間を考えて果たして買う必要があるのか?という疑問は拭えない。
椛は俺付きのメイドとして働いているからほとんど自由時間らしき自由時間もないみたいだし、移動するとしても家の車などで送迎してもらうことも可能だ。私用で出掛ける場合でも九条家の家人達は九条家の車を使える。行き先とかを知られずにこっそり移動したいというのなら九条家の車は頼めないけど、そんな時のためだけに車を買って維持するというのは手間の方が大きい。
この国では公共交通機関も発達しているし運行時間も正確だ。お金に糸目をつけないのならタクシーでも何でもある。滅多に使わないとか、明確な使用目的があるわけでもないのにわざわざ車を買う必要性がないというのはわからなくはない。
ただ椛が車を買わないことと、菖蒲先生の車を馬鹿にすることは別問題だ。そこはきちんとしなければならない。
「椛、話を逸らしていますが謝っていませんよね?」
「ぅ……、ごめんなさい菖蒲……」
「いいのよ。安物の車っていうのは本当だからね」
椛は渋々ながらも一応謝った。そして菖蒲先生はそんな態度の椛も許してくれた。本当に菖蒲先生はよく出来た大人だと思う。それなのに椛ときたら……。
「椛はどうしてあのようなことを言ったのですか?椛らしくありませんよ?」
「うぅ……。咲耶様は何度も菖蒲の車に乗られていますし、今も話題に私だけついていけなくて……」
「「「…………」」」
しょんぼりした椛がそんなことを言った。それはつまり……。
「「「あははっ!」」」
「ちょっ!?笑うことはないじゃありませんか!」
「だって……」
「椛は寂しかったんですね」
少し恥ずかしそうにしながら拗ねたようにそう言う椛がとても可愛かった。
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菖蒲先生の車で店が並ぶ区画へとやってきた。この辺りはいつも俺が利用するような高級店街と違って比較的リーズナブルなお店が多い。かといってただ安いだけではなくJKやOLに人気の若い女性向けの流行最先端という感じだろうか。
「ところで椛、貴女ついてきたのは良いけどお金持ってるんでしょうね?いつもいつもお金持ってないわよね?」
「私が咲耶様以外のために使うお金など持っているはずないでしょう」
「げっ……」
菖蒲先生と椛が後ろでこっそり話している。街の喧騒もあって内容を全て聞き取れるわけじゃないけど何となくお金の話をしているのはわかった。
「え~っと……、エモンちゃんは?」
「私はフリーターでこっちに来てからは働いてないんだよ?お察し!」
「「「あ~……」」」
きゃるんとかてへぺろみたいな感じでそういうエモンに俺達三人の呆れた視線が突き刺さった。でも当のエモンは特に気にしている様子もない。
「あっ!あっ!別に高辻さんに集ろうとは思ってませんよ?自分の分くらいは自分で出します。でもそれ以上は期待しないでくださいって意味です!」
「「「あっ……、はい……」」」
そりゃそうだろう……。今日急についてくると言い出して、しかも勝手に来ておいて相手に集るとかしたら本気でその人の神経を疑うところだ。とにかくエモンは自分の分くらいは自分で出すと言っているので問題はない。この辺りはそう高級な店もないし普通の予算があれば大丈夫だろう。問題があるとすれば俺と椛だ……。
「そんなにいつもいつも菖蒲先生にご負担いただくわけにはまいりませんし……」
「咲耶ちゃんは良いのよ!お金を使えないのがわかっていて私が呼んでるんだから!それくらい私が出すわ」
う~ん……。そう言ってくれるのはありがたいし、いつもお世話になっているんだけど……、そう毎度毎度奢ってもらうだけというのもどうなんだろう。
「……あっ!今日は椛がいるのでカードがあるではないですか!それなら……」
「確かに九条家より咲耶様のためにとお預かりしているカードは持っていますが、これを使えば履歴が残り奥様や旦那様に使用日時と使用店舗が筒抜けになってしまいますがよろしいでしょうか?」
「あ~……」
椛の言葉に俺は天を仰いだ。わかっていたはずなのに忘れていた。確かに今日はカードを使えるだろう。ただし使えば両親に全てが筒抜けだ。金額云々よりも使用した日時と場所を知られるのがまずい。今日この日この時間、本来なら蕾萌会で夏期講習を受けているはずだ。それなのに遠く離れた町で買い物をしていたらおかしいとすぐにバレてしまう。
カードというのは本当に不便だな……。使用履歴が残ってしまうので下手な所で使えない。自分のお金で自分のカードなら良いだろうけど、俺のように両親に現金を与えられずにカードで支払いしろと言われているのは全てを監視、管理されているのと変わらない。
「咲耶ちゃんは心配しなくて良いのよ。エモンちゃんも自分の分は大丈夫って言ってるし椛だけ放っておけば解決だから」
「そうですよね。フリーターよりお金持ってないってどれだけ薄給なんですか?しかも勝手に押しかけてきておいて自分の分の支払いも出来ないとか」
「「「…………」」」
エモンの言葉に三人で顔を見合わせた。確かにエモンの言っていることはその通りなんだけど、今日突然押しかけてきて、フリーターであまりお金を持っていないと言っているエモンがそれを言うか?というこの空気はどうしようもない。
「……わかりました!少々待っていてください!」
「あっ!椛!」
そう言った椛は駆け出していった。向かった先は……、質屋だ。今時は質屋とは言わずにリサイクルショップとかその手の呼び方か。ともかくそんな店に入って行った椛が暫くして出てきた。その顔は半笑いのようなやけくそのような表情だった。
「お金は用意しました。それでは参りましょう」
「椛が仕切ることじゃないでしょ。あと貴女何を売ったのよ?」
「ハンカチと財布です……。ってそんなこと菖蒲には関係ないでしょう?」
「いくら?いくらになったの?」
「ん十万ですよ。ってだからどうして菖蒲にそんなことを教えなければならないのですか!」
何か菖蒲先生と椛がコソコソと言い合っている。二人は本当に仲良しだなぁ。俺もこんな気の置けない友人が欲しい。同級生の皆とも友達だとは思っているけど、やっぱりどうしても精神的に異性ということで少し距離があったり、気を使ったりするからなぁ。
「どうしていつもお金がないって言ってる椛がそんな高級品を持ってるのよ!?」
「九条家のメイドとして品位を保つためにこの程度の物は定期的に支給されるのです。ですからそれを質に入れたということが公になれば少々困ったことに……。ってだから菖蒲には関係ないでしょう!早く行きますよ!」
「はぁ……。まぁいいわ。椛も自分で支払い出来るようだし行きましょうか」
「はい」
「この辺りに来るのは久しぶりだから楽しみ!」
先々行こうとする椛を追いかける。エモンは何年か前まではJDだったわけだしまだその感覚が抜け切っていないんだろう。こういう場所に一番馴染んでいると思う。俺は街に出るのもたまにだし、こういう若い女の子向けの所はあまり来ない。椛も日頃は俺と一緒だから行き先や行動も同じだし、菖蒲先生は仕事で忙しいだろう。
「エモンさんが一番この辺りに馴染んでいそうですね」
「う~ん……。そう言われると案内してあげたい所だけど、私がこっちに来るのはたまにだし本当に久しぶりだからね~。今日は高辻さんに任せるよ」
「そう?それじゃ私が考えた所へ案内するけど……、始まりからバタバタして少し喉が渇いたわね。あのお店で少し何か頼まない?」
菖蒲先生が指したのはアイスやジュースを売っているお店だった。女の子向けのファンシーな感じだ。俺一人だったら絶対こんなお店には入れない。
「お?いいね。私はクレープでも頼もうかな~?」
「私は紅茶を……」
「こんなお店に来て紅茶はもったいないよ。フルーツジュースでも頼んでみれば?」
紅茶を頼もうとした椛にエモンはジュースを薦めていた。確かにコーヒーや紅茶ならもっと他に良い店がいくらでもある。こういうお店だったらアイスとかクレープとかジュースの方がお薦めだろう。かく言う俺も最初はお茶にでもしようかと思ったけど、椛とエモンのやり取りを見て考えを変えた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「私はバニラアイスとホットを」
菖蒲先生はアイスとコーヒーのようだ。コーヒーを持ってくるタイミングなどを店員に告げている。
「私はシーチキンクレープ!」
「「「えっ!?」」」
そしてエモンはまさかのシーチキンクレープらしい……。何かそれって男の人とかが頼みそうなんだけど?というかエモンがさっき椛に『せっかくこんな店に入るんだから~』みたいなことを言ってたのに、まさかのシーチキンクレープ?
「咲耶様はいかがされますか?」
「私はトロピカルジュースを。椛は?」
「それでは私はバナナジュースで」
「かしこまりました。ご注文を繰り返します。バニラアイスとホットがお一つ、シーチキンクレープがお一つ、トロピカルジュースがお一つ、バナナジュースがお一つ。以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
店員さんが注文を受けて下がっていった。それから程なくして注文の品が届く。エモンはクレープにかぶりつき、菖蒲先生もスプーンでアイスを掬っている。俺と椛はジュースを飲んだ。
「あぁ……、これこそが普通の女の子達がしていることなのですね!」
「「咲耶ちゃん……」」
「咲耶様……」
「あっ……」
俺はつい本音をこぼしてしまった。前世が男だった俺はこんな普通の女の子がしているような普通の買い食いなんて滅多に出来ない。滅多に出来ないそれをこうしてしていると思うとつい感動で言葉が漏れてしまった。これは絶対ヤバイ。俺の中身がおかしいことに気付かれてしまったんじゃないか?
「こういうお店に自由に入ることも出来ない咲耶ちゃん……」
「……え?あの……?菖蒲先生?」
「マジ?お嬢様とは思ってたけどそんな自由もないの!?ひっどーい!もっと自由に青春を謳歌したいよね?」
「はぁ?」
「何と不憫な咲耶様……。不肖この椛が咲耶様をどこへでもお連れいたします!今度は私とお出かけして普通の女の子が行くような場所を堪能いたしましょう!」
「えっと……」
何か三人から変な目で見られている……。これは……、俺が中身男だってバレてしまったのか?




