第七十九話「閉幕」
短距離走を終えた俺は学年全員参加以外のものはもう午前中にすることはない。適当に皆の応援でもしながら時間を潰すことにする。
譲葉ちゃんと蓮華ちゃんは二人で二人三脚に出ていた。はっきりシャキシャキした譲葉ちゃんと、おっとり大人しい蓮華ちゃんで息が合ったり、運動神経が揃ったりするのかと思う所だけどかなり速かった。やっぱり二人三脚は運動神経とか足の速さじゃなくて二人の息次第なんだなと実感させられる。
二人は性格が正反対のようだけど、いや、あるいはだからこそ息がぴったりだった。二人で揃って『イッチニ、イッチニ』と掛け声を出しながら走っているのはとても可愛らしかった。
茜ちゃんと椿ちゃんは他のクラスメイトと一緒にムカデ競争に参加していた。他の学校は知らないけど藤花学園ではほとんどの競技は全学年が参加したりしている。ムカデ競争も各学年の代表が連続で走る。一年の次に二年が交代していくわけだ。
一レースごとに終わりじゃなくて、一年生が走り、二年生に交代して、三年生が……、と一気に全学年が順番に交代していく。リレーで繋がっているから途中で次々順位が入れ替わって手に汗握る。
茜ちゃんと椿ちゃんはそれなりに健闘していたけど、そういう団体競技かつリレー形式だから結果三組は二位になってしまった。まぁ二人のせいでもないし結果は何位でもいいんだけど……。
そして薊ちゃんと皐月ちゃんは大玉ころがしだった。大玉ころがしは学年単位で決着していく。各学年男女二人ずつが代表でその四人が走り終わった時点で一レース終了だ。
大玉ころがしもタイムの遅い順に並ぶのがセオリーのようで男女とかは関係ない。それに普通の走りとはまた違うから、練習の時にそれぞれ各クラスでタイムを計ったりして順番を決めている。意外なことに、と言うと失礼なのかな?薊ちゃんが最後だった。皐月ちゃんが三番手だ。三組の代表は男子より女子の方が速いらしい。
まぁ前述通り単純に足が速いから大玉ころがしも速いというものじゃない。下手に力一杯大玉を押すよりも、軽い力でうまく転がす方が速く走れるんだろう。いや、良く知らないけどね?
そんなわけで見ているとやっぱりというべきか、みんな一年生だと大玉が大きすぎて持て余していた。そんな中で一組が一位だったけど途中で大玉の交代で失敗して最下位に転落していた。次の人に大玉を渡す時に力一杯押し付けすぎて次の走者が大玉に轢かれてしまったのだ。
結果一組はそれで大幅にタイムロスをして脱落。三番手だった皐月ちゃんと二組の争いになった。
それまでの三組の男子が苦戦していたのが嘘のように皐月ちゃんが華麗に大玉を転がす。最初は最下位だった三組が皐月ちゃんから薊ちゃんに交代する時には二組とほぼ同率まで追いついていた。
ほぼ同時に交代した薊ちゃんだったけど、薊ちゃんの番になってからは一方的だった。うまく大玉を転がして無駄なくスイスイ進む薊ちゃんは二組をぶっちぎって余裕で一位フィニッシュを飾っていた。
確かに薊ちゃんは華麗だったけど……、でも多分本当の立役者は皐月ちゃんじゃないかと思う。薊ちゃんも多少差をつけられていても追いついただろうけど、あれだけ余裕を持って対処出来たのは皐月ちゃんが速かったからだ。それに……、皐月ちゃんはちょっと手を抜いていたような気がする。
もし……、皐月ちゃんが本気でやってたら最終走者は皐月ちゃんだったんじゃないかな?皐月ちゃんはちょっと手を抜いてそれなりにやってる気がする。
まぁ俺の想像というか予想というか、見た感じから受ける印象の話だ。もしかしたら皐月ちゃんだってあれで精一杯やっているのかもしれないし、全力だけどある程度余裕があるように見えるだけなのかもしれない。
そもそももし仮に手加減してたりしているとしても俺がとやかく言うことじゃない。俺自身だって手を抜いているわけだし、人にはそれぞれ事情というものがあるだろう。
そんなわけで午前中に皆の競技が終わって午前中最後のイベントが開かれる。これからするのは競技とは違う。一・二・三年生合同による踊りだ。
運動会も全て競技だけというわけじゃなくて、応援合戦とか、四・五・六年生による組体操とかがある。一・二・三年生は合同で踊りをすることになっている。
踊りといっても難しいものじゃない。ただポンポンのようなものを持って皆で並んで動くだけだ。円になって回ったり、円を小さくしたり大きくしたり、色々と皆で形や動きを表現する。
一・二・三年生が合同で入場してグラウンドに分かれて音楽に合わせて動き出す。俺も参加してるわけだけど、参加しながら、目の前で小さい子達が一生懸命に踊っている姿はとても可愛らしかった。俺はロリでもペドでもないけど、それはもうとても可愛らしくて心が癒される。
そんな最後の出し物も終わって昼休み。両親の所へ行って一緒に食べても良いし、食堂を利用しても良い。ただいつものように外出しても良いかと言えばそれは禁止されている。
こういうイベントの時に外出可にすると車が混雑する。それに時間までに戻ってこない者も出るだろう。普段なら許可制とはいえ外食しても良いことになっているけど、そんなに毎日毎日たくさんの人は外食しに出て行かない。遅れても個人的に授業に遅刻するだけだ。
それに比べてこういう時に外出可にしてしまうとかなりの数の人が出て行くことが予想される。当然混雑もするし、時間までに戻るのが間に合わないということも考えられる。今日は禁止というのは合理的で当然の判断だろう。
俺の周りの子達はほとんど皆家族とお弁当だ。かくいう俺も九条家で揃ってお弁当ということになっている。
「それでは皆さん、また後でね」
「またあとでね~!」
「それでは……」
「うぅ……、咲耶様……」
皆はバラバラと自分の家族の下へ向かったけど薊ちゃんだけ中々行かない。でも徳大寺家の夫人、薊ちゃんの母親は俺にあまり良い印象を持っていないから一緒に食べましょうねとは言えない。
ようやく薊ちゃんと別れて九条家が陣取っている観覧席に来てみれば……。
「茅さん……、何故ここに?」
「だって!私が走り終えて汗に塗れている咲耶ちゃんの肩を抱き寄せて、着順に並ばせる案内をしてあげようと思っていたのに!咲耶ちゃんに当たらなかったどころかあんな遠く離れた所で雑用をさせられていたのよ!お昼くらい一緒にしなきゃおかしいでしょう!?」
いや……、茅さんの言ってることの方がおかしいでしょう……。
確かに茅さんは遠くだった。でも運動会実行委員だって色々仕事があるわけで、そうなることは目に見えていたでしょうに……。それに競技の時に俺の担当になれなかったからって、だからお昼は一緒でなきゃおかしい、という話にはならない。
いや、別に良いよ?一緒にするというのならそれは良いとしよう。俺以外の人がそれで了承するのなら俺は文句はない。でもその因果関係というか関連付けは何も関係ないよね?そこだけは譲らないよ?
「まぁいいじゃないか。正親町三条さんも一緒でいいだろう?咲耶」
「私は構いませんが……」
兄の言葉にチラリと父と母を見る。父は何で正親町三条家のお嬢さんが?と思ってるな。顔に書いてある。母は感情が読めない。ただあまり良い感情は持っていなさそうだ。
でも母も勘違いしてそうだな……。母は茅さんが兄の許婚とか結婚を狙ってると思ってそうだけど……、茅さんはそんなこと考えてないよ?サロンでも兄にまったく興味を示してないし……。余計なことを言ったら余計ややこしくなるから言わないけど……。
ただ誰も表立って反対しなかったから結局茅さんも一緒にお昼を食べることになったのだった。
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午後からは応援合戦や高学年による組体操。他の学年による玉入れとか、それに続いてPTAの玉入れ。同じく他学年による綱引き、PTAによる綱引きなど盛り上がる競技が続いたり、PTA参加種目が増えてくる。そしてついに……、PTAによるリレーが行なわれ……、最後の競技、組対抗男女混合リレーの時間がやってくる。
現在順位は一位が一組、二位が三組、三位が二組。ただし点差とリレーでの点数を考えるとこの最後のリレーで勝ったチームが優勝だ。まだどこのチームにも優勝の可能性は残されている。
ここまで熱い戦いが繰り広げられていた。確かに最後のリレーの得点が高いから全チームに優勝の可能性があるんだろうと言われたらその通りだ。でも……、ここまで接戦が続いていて点差があまりないからこそというのが一番だった。今年の運動会はとても熱い戦いだったと言えると思う。
最後に大歓声の中を入場門から入って所定の位置に並ぶ。リレーは走る距離が長い。一選手が一周百メートルを走る。短距離走に比べて長い。まぁそれでも短い方かもしれないけど……。一年生にはそこそこ長いだろう。
「九条咲耶!絶対伊吹君に勝てよ!」
「そうですね……。勝ちましょう」
二人の会話は微妙にかみ合っていない。俺はあくまでリレーはチーム戦だから錦織も頑張れよという意味で答える。錦織は俺と伊吹の勝負という意味で言ってるんだろう。グラウンド一周ずつだからスタート地点で分かれることもなく同じ場所に並んでいる。
『さぁ!いよいよ最後の競技です!まだどのクラスにも優勝の可能性が残されています!果たしてどのクラスが優勝するのでしょうか!』
放送部が会場を盛り上げる。運動会のボルテージは最高潮に達していた。
「位置について……、よーい」
パーンとスターターピストルの音が鳴り響く。第一走者が出た時点で第二走者である俺達はスタート位置に立って待つ。今は皆横並びだ。コーナーで外側が不利だろうけど三組ともほとんど差もなく走っている。
半周を超えて……、最後のコーナーに入って……。あっ!
『おっと!ここで三組の選手が転倒!その間に一組と二組の選手が駆け抜けます!』
錦織は最終コーナーで転んだ……。でも……、今見たぞ。二組の女子が錦織を転ばせた。あの動きはわざとだろ。女子が後に走るのは三組だけだ。他のクラスは女子が先に走っている。何故二組の女子が錦織をわざと転ばせる?全然わからない。ただ転んだ錦織は起き上がってこない。あれは……、泣いている?
「うっ!ぐっ!ひぐっ!うぁ……」
皆はヒソヒソと話している。転んだから痛みで泣いている子供だと思っている。でも違う。俺にはわかる。錦織は転んで痛いから泣いているんじゃない。
レースが台無しになってしまった。伊吹に勝つって誓っていた。そのレースが……、自分が転んだせいで台無しになった。そう思ったから、錦織は感情がごちゃ混ぜになって泣いているんだ。自分でもどうしようもないその混乱した心のために泣いている。
気持ちはわかる。もう勝ち目もないと思ってるんだろう。他の第一走者はもうバトンを渡して第二走者が走り出している。でも……。
「何をしているのです、錦織柳!立ちなさい!私までバトンを持ってくるのでしょう?そんな所で転がっていてはいつまで経ってもバトンは私の元まできませんよ!早く立ち上がって走りなさい!」
俺の叫びに周りからドヨドヨとどよめきが起こる。でも気にしている場合じゃない。錦織!早く立て!
「錦織柳!近衛伊吹に勝つのでしょう!泣いている暇があったら走りなさい!このまま負け犬で終わるつもりですか!」
「ひっ……、ぐっ……、あぁ……、ああああ~~~っ!」
よし!立ち上がった錦織がまた走り出した。もちろん遅い。足も怪我をしている。気持ちも切れている。それでも懸命に俺にバトンを渡そうと走ってくる。
「貴方のバトン、確かに受け取りました……」
バトンパスも練習の時にしたような綺麗なパスじゃない。ただ普通の手渡しのように受け取っただけ。それでも……、確かに俺はバトンを受け取った。だったらすることは一つだ。
「――ッ!」
一気に最高速まで加速して伊吹を追う。すでに二人は半周先だ。伊吹の方が速く一位、二組が二位、俺は半周遅れ。普通に考えて絶望的状況だけど……、諦めるわけにはいかない。俺は確かに錦織からバトンを受け取ったんだから……。約束したんだから……。
「ハァハァハァ」
学校でこんなに息が一杯一杯になるほど走るのは初めてだ。師匠とならそんなの毎日のことだけど……。グングン距離が詰まる。第三コーナーから第四コーナーに入る頃には二組の男子を追い抜いた。
もう少し……、伊吹まであとちょっと……、くそっ!あと……、あとちょっとなんだ!せめて……、せめてあと五メートル距離があれば……。
『白熱したレースです!三組怒涛の追い上げで僅かな差で二位でバトンを二年生に託しました!思わぬアクシデントはありましたが……』
放送の声が聞こえるけど頭に入ってこない……。足りなかった……。あと一歩……。ほぼ同率……。でも明らかに追いつけなかった。ビデオ判定するまでもなく誰の目から見ても明らかな負け……。
「ハァ……、ハァ……、ハァ……」
「…………」
走り終わった俺は、ただ荒い呼吸を繰り返しながら泣いた後だとわかる顔の錦織柳と向かい合う。
「すみません……。追いつけませんでし……」
「ごめんなさい!」
「……え?」
まだ周りに他の者達がいる前で、錦織は俺に向かって大きな声で謝って頭を下げた。
「俺が……、俺が転んだばっかりに……、うっ、うえぇぇぇぇ~~っ!」
「ちょっ!ちょっ!とりあえず泣き止みましょう……」
俺の前で大声で泣き始めた錦織を宥めるのに散々苦労した。たぶん滅茶苦茶注目されたんじゃないだろうか。
途中のレース展開は見逃したけど、最終的に結局一組が一位となり優勝、三組は二位で準優勝、二組はリレーも運動会も最下位となって、今年の藤花学園運動会は幕を閉じたのだった。