第七百九十二話「簡単な問題ではない」
成績発表があった日の夜、俺は自宅で花梨から衝撃の報告を受けていた。
「それで……、大丈夫だったのですか?」
「はい。教室に戻ってからは何もされていませんし大丈夫です」
今日五組であったという騒動を聞いて俺はサッと血の気が引いた。花梨の無事を確かめてからよろよろと背もたれに体を預ける。
今日の成績発表を確認した後で五組では少々騒ぎが起こったらしい。簡単に言えば本来成績が良いはずの特待生達は軒並み成績上位の発表には名前が並んでおらず、特待生達から見れば成績が悪いと思っていた内部生や百合達のような上位貴族の名前がズラリと並んでいた。それを見て外部生や特待生達が不正ではないかと騒ぎ出したということだった。
ここまでならまだ気持ちもわからなくはない。特待生達にとっては成績というのは自分達のアイデンティティや存在価値そのものだといっても過言ではない。それが成績が発表されてみれば自分達より下だと思っていた内部生に負けていれば文句の一つも言いたくなるだろう。
外部生達だって本当に俺達が不正していると思っているわけじゃないはずだ。ただちょっと自分達の成績が振るわなかったから文句の一つでも言いたかっただけだと思う。でもその結果暴動寸前や、花梨や向日葵を糾弾するかのような事態になったというのなら笑っていられない。
ちょっと冗談半分、恨み言半分くらいで『あいつらの成績が良すぎるのは不正でもしてたんじゃないの?』というくらいならつい言ってしまうこともあるだろう。でもあたかもそれが事実であるかのように吹聴し、対象者を断罪するかのように吊るし上げるなどあってはならない。
どうやら吊るし上げになりそうになった所で向日葵が倒れて気を失い、そのまま今日は有耶無耶になったらしい。ただそれで終わりじゃないだろう。冗談やちょっとした恨み言で言ったくらいならまだよかったけど、今回の件は本気で不正をしたと決め付けて吊るし上げてやろうという空気になっている気がする。
「私が花梨にこのようなことを頼んでしまったために……、申し訳ありません。もし花梨にも身の危険があるようならすぐにでもこの活動は止めて安全の確保を……」
「いえ、私は大丈夫です。ですからこのまま続けさせてください」
「花梨……」
俺がこんなことを花梨に頼まなければ花梨が五組中から狙われるかのような事態になることもなかっただろう。このまま下手な活動を続けたら花梨の身も危ないかもしれない。だから無理をせず手を引くように言おうとしたのに花梨は俺を遮って力強い瞳を向けてきた。
「…………」
「…………」
「はぁ……。わかりました……。もう少しだけお任せします。ですが決して無理だけはしないでくださいね?」
「はい。お任せください」
いつもは気が弱くて周囲に振り回されがちな花梨が今回のことに関しては決して引こうとしない。俺の指令を途中で投げ出すのが嫌だというのもあるかもしれないけどそれだけじゃないと思う。恐らく花梨は向日葵ともかなり親しくなってしまったんだろう。だからその向日葵を見捨てるようなことは出来ないと思っているに違いない。
「本当に……、花梨は臆病なようでお友達のためならば自分の身も省みないのですから……」
「九条様……」
椅子から立ち上がった俺は花梨の前に立ってそっとその頭を抱き寄せた。普段はヘタレで、怖がりで、遠慮して、周囲に流されがちだというのに……、いざという時は友達のためならば一歩も引かない強情っぷりを発揮する。
俺が指示したせいで花梨が酷い目に遭うところは見たくない。だけど今更俺がやめろと言っても花梨は親しくなった向日葵を見捨てて自分だけ逃げるようなことはしない。だったら俺は無理に花梨を止めようとするのではなく、万全の態勢で花梨のバックアップをする覚悟が必要だ。
「まったくこの子は……、普段は大人しくて気が弱いくせに……、言い出したら聞かないのですから!」
「あっ!ちょっ!?九条様!駄目です!プニプニだめぇっ!」
胸に頭を抱き寄せていた花梨のお腹をプニプニする。急に流れが変わって花梨は慌てていたけど手は緩めない。
そうだ。俺達に深刻な雰囲気やシリアスは似合わない。俺達は面白おかしく、楽しく、お気楽に、コミカルに過ごすんだ。それが九条咲耶お嬢様とその取り巻きメンバー達の日常だろう?だから深刻にもシリアスにもならず、こうして笑い飛ばして乗り越えていけば良い。
「あっ!あっ!あっ!プニプニらめぇ~~~っ!」
そう……。だからこれは決して花梨のお腹が気持ち良いからやめられなくなっているわけじゃない。ただちょっと場を和ませるついでに俺の手も止まらなくなっただけなんだ。
~~~~~~~
花梨の話を聞いてから何か良い解決策はないかと考えているけど何も思い浮かばない。イジメもそうだけどこの手の問題は答えというものがない。人や状況によっていくらでも答えが変わるからこれという解決策もないし、条件が同じでもタイミング次第で変わることだってある。
そもそも俺も当事者側になっているわけで、俺が何かしようとしたり考えてもうまくいかないだろう。少なくとも俺が表立って何かするのではなく、誰かを使ってうまく解決しなければならない。
特待生達は俺達に反感を持っているわけで、その俺達が何か言ったところで火に油を注ぐことになるだけだろう。何か実力を示す方法でもあれば良いのかもしれないけど、仮に俺達の実力を示したところで解決出来るとも限らないし……。
それから花梨がイジメられるのも見過ごすわけにはいかない。以前にもクラスメイトに水をかけられていたし、今回の成績不正疑惑とは関係なく花梨達も一部の生徒からはイジメのターゲットにされている。
これらの問題を同時に考えて片付けようと思ったら何も良い方法が思い浮かばない。両者は密接に関係していて無関係なわけじゃない。だけど両方がいっぺんに片付くなんていう魔法の解決策もないわけで、だからといって個別に解決しようにもそれすら思い浮かばず……。
「あ~~~っ!も~~~っ!」
ベッドに寝転がった俺はゴロゴロと寝返りをうちながら枕やぬいぐるみを殴ったり、揉みくちゃにしたり、抱き締めたりしながら転げまわった。考えも纏まらないし良い解決策も浮かばない。どうにかしなければと気持ちばかり焦ってしまう。
「咲耶様、何を悩んでおられるのかはわかりませんが咲耶様ならば解決可能なはずです。少し冷静になられてはいかがでしょうか?」
「椛……」
俺がゴロゴロしながらむしゃくしゃしていたから椛がベッドの足元の方からこちらを心配そうに見ていた。丁度足元の高さくらいに頭が来るようにしゃがんでいる。その姿勢のままじーっとこちらを見ていた。俺も顔を上げて足元の椛の方を見て暫く停止していた。
「椛がそのように信頼してくれているのはうれしく思いますが、私は所詮何も出来ない子供です……」
俺は前世の経験もあるから精神的には大人だなんてよく言っている。でも実際にはまったく何も出来ない経験不足の子供と同じだ。今まで色々な問題が起こるたびに思い知らされてきた。俺の前世の経験や知識なんてほとんど何の役にも立っていない。役に立ったのなんて学校のお勉強に少し有利だったくらいだ。
前世で人生経験も人付き合いもほとんどしなかった俺はこういう時にどうすれば良いかわからない。そういう経験も知識もない。本当に出来る大人だったならこういう時に何か良い解決方法を思いつくんだろうけど、俺の浅い人生経験では糸口さえ掴めない状態だ。こんなことでは花梨の身が……。
「咲耶様……、世に言われる大人や親、教師や先生などと呼ばれる者達も咲耶様も何も変わらないのです。親だって間違えもしますし迷いもします。教師や先生だって間違いだらけです。大人でも間違えますしわからないことを手探りでしているのです。ただその試行回数が多いとその場を切り抜けたり、正解に辿り着ける方法を見つけるのが少し早くなるだけなのです」
「…………」
椛に言われたことを頭の中で反芻する。確かに大人だからといって間違えないわけでもなければ様々な解決策を知っているわけでもない。ただ経験が多いと以前に似たケースに遭遇していたり、どこからか他の例での解決策を知っていたりするだけだ。
うちの両親だって最初から親として完璧だったわけじゃない。むしろ親として良い親ではなかったかもしれない。それでも子供と向き合って手探りで一緒に歩んできたんだ。一足飛びにいきなり最初から何でも出来る者なんていない。なら俺が今出来ないことを嘆くのではなく、それが出来るように頑張るしかない。
「ありがとう椛。解決策は浮かびませんが気持ちは楽になりました」
「いいえ咲耶様。このような時に咲耶様をお支えするのが私共の役目です」
「椛……」
「咲耶様……」
ベッドの足元の方でしゃがんでいる椛と見詰め合う。よぉし!椛に励ましてもらったお陰で少しだけ元気が出てきたぞ!
「何か良い感じに言ってますけど椛師匠は咲耶お嬢様の御御足を覗いてただけですよね……」
扉の前に立っていた柚も俺達の会話に感動したのか一度深く息を吐き出していた。やっぱり椛と柚は最高のメイドさんだ。
~~~~~~~
椛のお陰で気持ちは楽になったけど結局解決策は浮かばない。花梨達がイジメられないようにすることと、俺達の不正を疑っている特待生達をどうにかすること。こうして言葉にすると簡単で単純なことのように思えるけど、その背景なども考えたらそう簡単に解決出来る問題じゃない。
あまり状況が長引くと固定化してしまいかねない。だから出来れば長期休暇までには何らかの解決策を出したいと思っていたけど結局それも無理だった。まだ長期休暇には入っていないけど今から解決策を考えて、準備と段取りをして、実行するとなれば一学期中に何らかの形にするのはもう無理だろう。
いっそ開き直って夏休みの間に準備と段取りを整えて二学期から本格始動するか?それも悪くはないかもしれないけどあまりイジメや不満が長期化するとそのまま固定化されてしまう恐れもある。そうなるとますます解決が難しくなるだろうしどうしたものか……。
「九条咲耶!」
「ああ、押小路様、御機嫌よう」
廊下を歩いていると柾が声をかけてきた。花梨達へのイジメが抑えられているのは生徒会に巡回を頼んでいるからというのもある。百合・躑躅には生徒会の圧力はあまり効果がないかもしれないけど、それ以外の五組の生徒達には柾達生徒会が巡回しているというだけでも十分に牽制になる。
「巡回していただきありがとうございます」
「それは気にするな。生徒会としてもイジメは放置出来ない。これは何も九条咲耶の要望だからというだけじゃない」
柾はそう言うけど俺が言わなければわざわざ巡回なんてしていなかっただろう。俺が花梨達へのイジメを抑止するために巡回してくれと言ったからしてくれていることだ。
「それは良いがいつも放課後に校門の外で待っている瓜生高校の不良……。あれは九条咲耶の関係者だと聞いたが本当か?」
「え~……。関係者ではありません。ただ彼の目的の一つに私が入っている可能性はあります」
柾から欅の話を聞かれて俺はげんなりした気持ちで答えた。ぶっちゃけると恐らく欅が未だに校門の外で待ち伏せしているのは俺との再戦を望んでのことだろう。欅は強い相手を探しては喧嘩を吹っかける不良だ。ゲームでは伊吹と戦ったことで伊吹に興味が移るけどこちらでは違うと思う。
欅と戦った伊吹は弱かった。はっきり言ってあれは欅が本気だったら伊吹が負けていただろう。欅が手心を加えたから明確な勝ち負けがつかなかっただけだ。それなのに欅が今もしょっちゅう藤花学園に来ているのは欅を投げ飛ばして失神させた俺が狙いだからに違いない。
一時のように校門の前まで来て叫び声を上げることはなくなったけど、かなりの頻度で放課後に校門の近くまで来てじーっとこちらを見ている。俺がのこのこと出て行けば喧嘩を吹っかけられるに違いない。
「ふむ……。九条咲耶の言いたいことはわかった」
おお!わかってくれたか!
確かに俺は欅と顔見知りではあるし、恐らく欅の狙いは俺との再戦だと思う。でもだからって欅が俺の知り合いで校門の近くで立っているのも俺のせいかと言われたらまったく違う。絡まれて喧嘩を売られているだけなのにその責任が絡まれただけである俺の方にあるとか言われても納得出来ない。
「九条咲耶がやらせているわけではないが原因には関わっているというところだろう」
「え~……、当たらずとも遠からずというところでしょうか……」
何か柾の言い方は釈然としないけど、言ってることはあながち間違いじゃなさそうだ。まぁ柾にわかってもらったとしても学園中が俺のせいだと思っているのならあまり意味はないんだけど……。




