第七百八十六話「もういない……」
咲耶を九条家の車に押し込んだ薊はグラウンドへと戻ってきた。伊吹は槐に抱えられて校舎の方へと向かっている所だった。その後姿を見送りながら皐月に声をかける。
「咲……、九条様には一度お帰りいただいたわ」
「ありがとう薊」
まだグラウンドに座り込んでいる欅を一度見てから皐月に咲耶を帰らせたと報告する。あのショッピングモールで欅に制服姿を見られて学園を特定されてしまったのは皐月と薊の落ち度だ。欅が昔にイジメられていた所を助けてくれた咲耶を捜しているらしいことは皐月によって予想出来た。
問題は自分達があのショッピングモールに行って不用意に欅と関わってしまったために、咲耶に迷惑をかけるわけにはいかないということだ。
あれから学園の前に通ってきている欅を見て皐月と薊は今後の対応を話し合っていた。どうにか欅を呼び寄せてしまったのは自分達が原因だと知られないように、こっそりとうまく欅を追い返せないかと散々話し合った。しかし良い案は浮かばなかった。
咲耶に知られないように、それから欅に自分が捜している人物が咲耶だと気付かれないようにどうにかしようと思っていたが、そうすると咲耶のいない所で欅と話をするしかない。しかしいつも咲耶と一緒の二人が急に『校門の前にいつもいる不審者と話をするので咲耶だけ先に帰ってくれ』と言うのはおかしすぎるだろう。
そんなことを言われて咲耶が『はいそうですか』と二人を放って帰るはずもない。絶対に皐月と薊の身を案じて『自分も同席する』と言ってくれるのは目に見えている。
そのこと自体は自分達を心配してくれて素直にうれしいが、自分達のせいで欅を学園へ呼び寄せてしまったことと、欅が捜している人物が咲耶であることを知られるわけにはいかない。どうにか咲耶に知られずに解決する方法はないかと考えているうちに今日まで過ぎてしまっていた。
今日伊吹と槐がやってきてこんなことになったのはまったくの計算外だったし、咲耶を先に帰らせようとして色々と不自然になってしまった部分もある。咲耶も不承不承ながら今日の所は引き下がってくれたがどう考えても不審に思われているはずだ。
しかしそれでも良い。咲耶へのフォローはまだ後でどうにかなる。それよりもまずはこの大男をどうにかする方が先決だった。
「とりあえずあちらでお話をお伺いいたしましょうか」
「そうね。いつまでもこんなところにへたり込んでる場合じゃないわ」
「……ああ」
そう言われて欅はのそのそと立ち上がった。欅との一戦を終えた伊吹は早々にこの場を立ち去っている。校内に欅を入れた時に自分が責任を取るというようなことを言っていたはずなのに、自分がボロボロだからと欅も放って後始末もせずに帰ってしまったのだ。そのことに思う所がないわけでもないが、伊吹と槐が居ても鬱陶しいので結果オーライだと思って三人で校門へと向かった。
「それではこの方にはこれから校内より出ていただきますね。サインもした方が良いでしょうか?」
「あっ、はい。お願いします」
校門に戻ると皐月が門衛達に声をかけた。困った様子だった門衛達は皐月の言葉に笑みを浮かべて応える。入場者の名前や入退場時間を記入して門から離れる。
本来ならばこんな雨の中、外で話をするなんてことはなかったかもしれない。しかし今の皐月は九条家のお世話になっており送迎の車も運転手や家人やメイドも全て九条家の人や車を借りている。そんな人物達の前で話をすれば折角咲耶を帰らせたというのに咲耶の耳に話が入りかねない。
そして借り物の車だというのにこれだけ泥だらけになっている欅を乗せるという選択肢もないだろう。人の家の車に勝手に泥だらけの他人を乗せるなんて非常識すぎる。西園寺家の車であったならば皐月の裁量で乗せただろうが、九条家に借りている車で同じようにするわけにはいかない。
薊に言って徳大寺家の車に乗るという選択肢はなくはないかもしれないが、薊や徳大寺家に迷惑をかけてまでわざわざ車に乗って話をする必要があるとは思えなかった。そのため校門を出てから三人だけで離れた場所に移動して顔を突き合わせた。
「まずは自己紹介をいたしましょうか。私は西園寺皐月と申します」
「私は徳大寺薊よ」
「あぁ……。俺は鬼庭欅だ」
皐月の提案によりまず三人は自己紹介を行った。皐月や薊は今後長々と欅と関わるつもりはない。だから名前も聞かずに知らないままここで話を終わらせてもよかった。しかし一応礼儀として名乗り合う。
「鬼庭様は二つの目的があるとおっしゃられていましたが先に帰られた彼女への用というのは何ですか?」
「……」
欅は皐月への用と咲耶への用があると言った。普通ならばこの場に残った皐月に直接用を伝えるのが先のはずだろう。しかし皐月は欅を真っ直ぐ見据えてそう問い質した。その視線を受けて少しだけ考えた欅は口を開いた。
「あんたを捜してこの学園に来た時に少し関わることになってな……。一目惚れした」
「「ハァ……」」
予想通りの言葉に皐月と薊は同時に溜息を吐いた。欅の態度からして咲耶に一目惚れでもして付き纏うようになったのだろうことはわかっていた。しかし本人に直接ここまでストレートに言われればもう間違いようもない。
「だから咲……、九条さんを待ち伏せしていたと?鬼庭様と九条さんでは住む世界が違うんです。それくらいはおわかりいただけますよね?」
「…………」
「何黙ってんのよ?あんたが九条様の周りをウロウロしてたらご迷惑をおかけするって言ってるのよ!」
「そう……、だな……」
皐月と薊の言葉に長く息を吐き出した欅はようやく頷いた。自分でもわかっている。ここは貴族の通う学校だ。そんなところに不良高校として有名な瓜生高校の生徒である自分がウロウロしているだけで相手に迷惑をかけてしまうことはわかっていた。ただどうしても話がしたくてわかっていても抑えられなかっただけだ。
しかし彼女達が言う通り、欅の行動はこの学園の生徒にも、そして彼女自身にも迷惑をかけてしまっている。芸能人が交友関係でスキャンダルになるように、企業が反社と取引をしただけで問題になるように、貴族である彼女の周りを自分がうろつくだけで迷惑をかけてしまうことはわかっていたはずなのだ。
それでも自分の気持ちを優先して相手の迷惑を顧みず押しかけてしまっていた。これで話を聞いてくれなどと言っても相手にされないのは当然だ。欅はそのことをようやく自覚して項垂れた。
「それで私に用というのは?」
「ああ……。実はあんたとは昔に会ったことがある。前に会ったのと同じショッピングモールの駐車場だ。そこで上級生に絡まれていた俺達をあんたとヒーロータクヤが助けてくれた。俺はそのヒーロータクヤを捜している。あんたならヒーロータクヤの居場所を知っているかと思ってあんたを捜しに来たんだ」
「「…………」」
皐月と薊はお互いに目配せし合う。欅の用件はこちらも予想通りだった。そしてそれについてもどう対応するかはもう決まっている。
「その人を捜してどうされるおつもりですか?」
「いや……、どうしたいということはない……。ただあの時のお礼と、あの時のヒーロータクヤのように胸を張れる生き方をしてきたことを伝えたい」
「それは鬼庭様が直接会って伝えなければならないことなんですか?」
「ああ。俺はそのためにこれまで信念を貫いて生きてきたんだ」
「「……」」
皐月と薊は再び顔を見合わせた。こう言われると何だか隠すのが悪いような気がしないでもない。しかし欅が捜している相手はヒーロータクヤではなく咲耶なのだ。自分を助けてくれたヒーローだと思っていた相手がまさか女の子で、しかも今惚れている相手であると知らされたら欅はどう思うだろうか。
ショックを受けるのか。むしろタクヤと咲耶が同一人物で手間が省けたと思うのか。
何にしろ欅を咲耶と関わらせないと決めた以上はヒーロータクヤについても諦めてもらうしかない。お前が惚れている先ほどの彼女がヒーロータクヤだからもう付き纏うのはやめろと言うわけにはいかないのだ。
「残念ながらその時に鬼庭様を助けた方とお会いすることはもう二度と出来ません」
「何故だっ!?」
「…………」
「……」
皐月の言葉に初めて声を荒げた欅だったが、静かに、しかし強い意思の篭った皐月の眼を見て『勝手に察した』。
「まさか……、ヒーロータクヤは……、もう……」
「貴方が捜しておられる『ヒーロータクヤ』とはもう二度と会うことは出来ません」
「そう……、か……」
呆然とした表情のまま、まるで魂が抜けたかのように欅は呟いた。
「邪魔したな……」
「御機嫌よう、鬼庭様」
「……あまり気を落とさず、気をつけて帰りなさいよ」
「……あぁ」
それだけ言うと欅は雨に打たれたまま傘も差さずにトボトボと大きな背中を丸めて帰っていった。皐月と薊はそれが見えなくなるまで見送ると長い息を吐き出した。
「は~~~……。何とかなったのよね?」
「ええ。恐らく……」
今回の皐月の作戦はギリギリ嘘を吐かずに欅を諦めさせることだった。
欅は皐月の言葉や表情や仕草から勝手に『ヒーロータクヤはすでにこの世にいない』と解釈した。しかし皐月はそんなことは一言も言っていない。『ヒーロータクヤ』とは二度と会えないと言ったが、そもそも『ヒーロータクヤ』などという人物は存在しないので、どれだけ捜しても『ヒーロータクヤ』に会えるはずはないのだ。
欅の捜している相手が『ヒーロータクヤ』ではなく『九条咲耶』だと教えてやれば誤解が解けて解決なのだが、咲耶にこれ以上付き纏って欲しくないと思っている二人がわざわざ誤解を解いてやる謂れはない。
皐月はただ『ヒーロータクヤ』というのは欅が作り出した幻想であり誤解なのでどこを捜しても『ヒーロータクヤ』に出会うことはないと言っただけだ。それがヒーロータクヤではなく咲耶であるということを伝えなかったにすぎない。
「皐月の屁理屈には驚かされるわ」
「あら。それなら薊が良い方法や言い訳を考えてくれればよかったのに……。結局何も意見を出してくれなかったじゃない」
「それは……、まぁ……」
皐月に逆に突っ込まれて薊は視線を逸らした。電話で散々対策を話し合ったが結局薊はまともな案は何も出せなかった。全て皐月任せだったのに事が終わってから何か言う資格はない。
「咲耶ちゃんも心配してるでしょうし私達も帰りましょう」
「ええ。そうね」
藤花学園へと戻った二人はロータリーで待っていたそれぞれの車に乗り込み、すぐに帰ることにしたのだった。
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翌日の朝はいつも早く来ている皐月と芹に加えて薊も早く来ていた。芹は二人が何を言っているのか少しわからないという顔をしていたが、皐月と薊は芹に軽く口止めをしてから昨日のことを話し合っていた。それから暫くするといつものように咲耶が登校してきた。
「御機嫌よう、皐月ちゃん、薊ちゃん、芹ちゃん」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「咲耶様!おはようございます!」
「おはようございます咲耶ちゃん」
薊が来ていたことに少し驚いた表情を浮かべていた咲耶だったがまずは挨拶を交わした。そして席に着いて荷物を降ろしてから皐月と薊に声をかけた。
「昨日は大丈夫でしたか?何も問題ありませんでしたか?」
実はこれを聞かれるのは今が初めてではない。昨日帰ってからメールや電話で確認されている。皐月は同じ敷地内に暮らしているので顔を合わせて直接聞かれた。しかしそうなるであろうことを予測していた二人は咲耶に何と言い訳するか打ち合わせ済みだった。打ち合わせ通りに口を揃えて同じことを言っているので咲耶もそれを信じるしかない。
「私への用事が済んだ時に咲耶ちゃんへの用事も一緒に片付けましたので、もうあの方が押しかけてくることもないと思いますよ」
「私のことで苦労をかけてしまってすみません皐月ちゃん、薊ちゃん。ありがとうございました」
「いえいえ!大したことじゃありませんよ!」
「そうよね。薊は何もしてないから大したことないわよね」
「ちょっ!?皐月っ!?」
「ふふっ!」
皐月と薊のやり取りに咲耶が笑ってくれた。昨日は本気で心配されて何度も謝られたり、感謝されたりしている。その表情は深刻そうでとても今のように笑ってくれるような余裕はなかった。しかし今日は少し気持ちも落ち着いたのか二人のやり取りを笑ってくれた。それだけで皐月も薊も芹も温かい気持ちになれる。
「それでは今日も一日頑張りましょう」
「「「おーっ!」」」
欅の問題が片付いたことで、ここ暫く曇っていた咲耶の表情も少し晴れていたのだった。




