第七百八十四話「ストーカー?」
やばい……。大変なことになってしまった……。
花梨と瓶底メガネ少女に欅が絡んでいて、俺が割り込んで投げ飛ばした日の翌日……。今日は俺がサロンから帰る時に皐月ちゃんと薊ちゃんも一緒に帰ることになった。むしろ昨日がたまたま二人は残っただけで、高等科になってからは俺が帰る時に一緒に帰ることの方が多い。
毎回必ずというわけじゃないけど、サロンに残っていても伊吹や槐に加えて今では百合や躑躅までいる。あの中でネチネチ言われながら座っているのは苦痛以外の何物でもないだろう。だから高等科になってからは俺が帰る時に一緒に帰る日の方が多くなった。
それは良いけど今日は昨日と違って三人で一緒に帰ろうと思ったら校門の向こうに見慣れたプリン頭があった。欅だ……。俺を見つけて何かを叫んでいる。
藤花学園は貴族学校だからセキュリティは厳しい。変な人が入り込んで貴族の子女である生徒達が被害を受けたら大変だ。だから警備やセキュリティには力を入れている。家人やメイドがやってきたり、送迎の車はしょっちゅうやってくる。でも身元不明の不審者なんてまず侵入することすら出来ない。
案の定欅も校門の前で警備員達に取り押さえられている。でもこっちを向いて何かを叫んでいた。このままじゃ俺に用があって乗り込んできたと周囲にバレてしまう。
「それでは皐月ちゃん、薊ちゃん、御機嫌よう」
「えっ、ええ、それでは咲耶ちゃん、またあとで」
「さようなら咲耶様!」
俺の不自然な態度に気付かなかったのか、気付いていてもスルーしてくれたのか、二人はいつも通りに挨拶をして車に乗り込んでいった。俺も車に乗り込んでさっさとこの場を離れる。
校門を通り抜ける時に欅がまた何か叫んでいたけどそちらに視線は向けない。スモークを貼っているから向こうからは見えていないだろうけど何となく視線は合わせてはいけない気がした。
何とか無事に校門を通り抜けたのを確認してから考える。今日も欅が来ていたのも、俺達の方を見て何か反応していたのも俺のせいだろう。昨日俺が欅を投げ飛ばしたからに違いない。黒服達にはちゃんとアフターケアをするように言っておいたはずなのに……。
「昨日あの後の対応はどうだったのですか?」
「先ほどの者への対応ですか?治療費も慰謝料もいらないと言われて帰ったと報告を受けておりますが……。連絡先は伝えているので後から何か怪我が出てきた場合もそちらに連絡するように伝えているはずです」
う~ん……。今日来ていたのは治療費や慰謝料や示談金の話ではないということか?だったら何だ?
怪我をしたとかその手の話だったら事は簡単だった。治療費でも示談金でもお金で済ませられるのなら話は早い。どちらが悪いとかそういう話は置いておくとしてもお金や治療の話だけだったらすぐに済む。でもどうやらそういう話ではないようだ。
椛は昨日俺が欅を投げ飛ばした所も見ていたし、その後の対応も知っている。黒服達に後は任せたしその黒服達からの報告も椛が受けているはずだ。そして今言ったように連絡先も伝えているということなので怪我の治療やお金に関することならそちらに連絡があるはずだろう。それなのにそちらに連絡せずにこうしてやってきたということは別の目的があるとみるべきだ。
『恋に咲く花』の鬼庭欅は不良のリーダーだ。喧嘩なんて毎日のようにしているし怪我なんてしょっちゅうだろう。だから欅にとっては怪我がどうとかお金がどうという話ではない。ゲームの時も人生で初めてというくらいに伊吹にコテンパンに負けてから主人公や伊吹に執拗に付き纏うようになる。
欅だってまったく負けたことがないというわけじゃない。設定資料でも別に無敵や不敗だったとは書かれていなかった。ただ同級生くらいの相手に一対一でまったく手も足も出ず負けたのは『俺様王子』近衛伊吹が初めてだったとは言及されている。
伊吹に負けてから欅は主人公や伊吹にますます興味を持ち幾度となく伊吹に挑む。もしそのゲームの時の性格がこの世界でも同じだとすれば……、欅を投げ飛ばして一発で失神させた俺が、ゲームの時の伊吹のように粘着される可能性は十分にあり得る。
「はぁ~~~……」
「あの者……、消しますか?」
「えっ!?いえ!そのようなことをする必要はありませんよ!駄目ですからね!」
俺の様子を見て椛がそんな物騒なことを言い出した。九条家の力を使えば本当に人一人、いや、一家丸ごとくらい消してしまえそうだから洒落にならない。椛は俺を心配してそう言ってくれたんだろうけど、そんなことのために椛やうちの家人が犯罪行為に手を染めるような真似はして欲しくない。
「急に手を出されそうになったとはいえ投げ飛ばしてしまった私にも落ち度はあります……。恐らく彼は『自分を簡単に失神させた相手』に興味があるだけでしょう……。別の相手に興味を抱けばすぐに離れるとは思います」
どうせ欅は俺が欅より強いと思って興味を持っただけだろう。原作のように伊吹にでもコテンパンにやられたら伊吹の方に興味がいくはずだ。そもそもゲームでもヒロインの芯の強さに興味を抱いて藤花学園まで乗り込んでくるほど付き纏い、そこで伊吹にやられてからは伊吹に挑むことに夢中になるわけだしな。
「あの者は恐らく咲耶様に一目惚れでもして付き纏っているのだと思いますが……」
椛は何だか納得していないという顔をしてブツブツと言っていた。でもまぁこの件に関しては原作ゲームである『恋に咲く花』を知っている俺の方が詳しい。無視してあしらっておけばそのうち他の強い男に興味が移って俺のことなんて忘れるだろう。
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おかしい……。もうあれから何日も経っているというのに、あれ以来欅は毎日放課後に藤花学園の前までやってきて俺を待ち伏せしている。
最初の頃は無理に校門を突破しようとしていたのか門衛達に取り押さえられていたけど、今では少しは学習したのか無理に押し入ろうとはせず外から声をかけてきている。俺達は無視してロータリーですぐに車に乗り込んでいるというのに毎日毎日大声で叫ばれて良い迷惑だ。
貴族にとっては外聞というのは重要であり、下手な交友関係などがあるとそれだけでスキャンダルになりかねない。芸能人が反社な人との交友関係があると言われるだけで好感度が下がったり、場合によっては引退にまで追い込まれるのと同じだと思えばわかりやすいだろうか。
いくら知り合いじゃなくて一緒に写真を撮ることを頼まれただけだったり、サインに応じただけだったとしても、そういう相手と接触したというだけでも好感度が下がりダメージを受ける。ましてや友人知人関係であるとか、何らかの形で付き合いがあるなんてことになったら本当に引退させられることもある。
貴族だって会社を経営している時点でその手の手合いを相手にしなければならない。土地を買収するために悪質で非合法な地上げ屋に頼む、というのはもちろん大問題だけど、自分が頼んだわけでもなくたまたま土地を買った相手が悪徳業者や非合法な地上げ屋だったというだけでも責任を追及されかねない。
見るからに不良の格好をしている欅だけどあの制服を見れば本当に不良高校の生徒だということは誰にでもわかるだろう。ゲームでも不良の学校として瓜生高校は有名だという設定になっていた。実際この世界でも瓜生高校のことを知っている者は多い。
そんな瓜生高校の生徒が毎日毎日放課後に俺を待ち伏せしていたら……、当然俺のスキャンダルを狙っている者からすれば格好の的になるだろう。親密な関係どころか無関係だったとしてもこれだけ連日騒いでいれば俺が原因だと言われてしまいかねない。
しかも今は梅雨の季節で雨の日も多いというのに欅の奴は雨の中でも毎日毎日ひたすらじーっと俺が出てくるのを待っている。そして出てきたら校門の前に立って大声で叫んでいる。最初のうちは無理に侵入しようとしたりして門衛達に止められていたけど、今では門衛達も備えながらも見守っているだけのようだ。
侵入しようとすれば止めるのは仕事だけど、さすがに表の道路にいるだけでは門衛達が実力で追い払うというわけにはいかないんだろう。大声を上げて騒いでいるのも注意くらいは出来ても力ずくで黙らせたり追い払ったりは出来ない。結局侵入しないように見張りながら口で注意するくらいしか出来ず傍観しているしかないんだろう。
もうすぐ七月に入るとはいえ雨に濡れれば体調を崩すこともある。それでも連日表に立っている欅に門衛達も段々絆されているんじゃないかとすら思える。早くどうにかしなければいずれもっと大きな騒ぎになってしまうかもしれない。
「今日もいますね」
「いい加減追い払いますか?」
「う~ん……」
今日も皐月ちゃんと薊ちゃんと三人でサロンから出てきた。玄関口から校門の方を見てみれば今日もいつも通りに欅が立っている。何か叫んでいるけど雨の音もあってよく聞こえない。今まで散々無視してきたけどこのままじゃ埒が明かない気がしてきた。いっそもう来ないように手を打った方が良いんだろうか?
「それでは私がお話を聞いてきますよ。咲耶ちゃんは先に帰っておいてください」
「え!?それは危険ですよ!皐月ちゃんだけ行かせるわけにはいきません!」
皐月ちゃんの言葉にギョッとした。この世界の欅はゲームの伊吹ルートの欅よりは大人しいように見える。でも日常的に暴力を振るう不良であることに変わりはない。欅は女の子相手でも容赦するような奴じゃないし皐月ちゃんだけに任せるわけにはいかない。そもそも欅が興味あるのは投げ飛ばして一発で失神させた俺の技だろうし……。
「いえ!大丈夫ですから!咲耶ちゃんは先に帰っていてください!」
「そうですよ咲耶様!皐月が心配なら私も一緒に行きますから!ね?」
「駄目ですよ!お二人にだけそんな危険な役目を押し付けるような真似は出来ません!」
「「…………危険?」」
俺の言葉に皐月ちゃんと薊ちゃんは不思議そうな顔をして顔を見合わせていた。どうやら二人は欅がいかに危険人物かわかっていなかったようだ。だったらやっぱり二人だけに任せるわけにはいかない。
「あの方は私が投げ飛ばしたので私に用があるのです。ですから行くのならば私が……」
「え?咲耶ちゃん、あの人を投げ飛ばしたんですか?」
「え?」
「……え?」
皐月ちゃんと薊ちゃんと俺で交互にそれぞれの顔を見ながら首を傾げる。皐月ちゃんや薊ちゃんもそれを知ったから俺の代わりに欅と話しに行くと言ってくれたんじゃないのか?
「おう咲耶!困っているようだな!俺様がお前のストーカーを追い払ってやるぞ!」
「こっ、近衛様?」
俺達が玄関口で話していると後ろから槐を連れた伊吹がやってきていた。欅が俺のストーカーというのは意味がわからないけど、粘着されて付き纏われているという意味ではそういう言い方も出来るのかもしれない。意味として適切かどうかはともかく、粘着したり付き纏ってくる相手をそう呼ぶのはあるだろう。でも問題はそこじゃなくて……。
「どうして近衛様が……」
「こんなに毎日毎日咲耶の帰りを待ち伏せしてる奴がいたら俺様の優秀な耳に入ってくるに決まってるだろ!そして俺様の許婚にストーカーをするような不逞の輩なんぞ俺様が追い払ってやるよ!」
う~ん……。欅が押しかけてくるようになってから結構経ってるし、今更出てきても『優秀な耳』どころか随分遅い耳だなと思うだけだけど……。でもゲームでもヒロインを守るために伊吹が出てきて欅と勝負して、伊吹にコテンパンに負けることで欅の興味は伊吹との勝負にシフトしていく。ここは案外伊吹に任せた方が良いのかもしれない。
「そこで俺様の勇姿を見ているといいぞ!」
「あっ……」
俺が考え事をしている間に伊吹は黒服に傘を持たせて校門の方へと歩いていった。槐も一緒に行くのかと思ったら槐は俺達の近くに立っていつものようにニヤニヤしているだけだった。
「はぁ……。仕方がありません……。私達も行きましょうか……」
「本当に仕方がありませんね……」
「アホボンの勝手な行動は良い迷惑ですよね!」
薊ちゃんの言葉はまさにその通りだと思うけど槐もいるので俺は苦笑いしただけで校門の方へと歩き出した。俺達は伊吹と違って自分で傘を持ち、黒服達は連れずに向かっている。俺達が移動すると槐も一緒についてきた。そして校門にかなり近づいてきた頃、男二人の言い争うような声が聞こえてきた。
「咲耶は俺様の女だ!俺様の女に近づくんじゃねぇ!このストーカー野郎が!」
「あ゛ぁ゛っ?お前なんぞお呼びじゃねぇんだよ!」
俺達が校門に近づいた頃、丁度伊吹と欅がお互いの胸倉を掴み合っている所だった。子供の頃は男女の身長差もあまりなかったけど、最近では伊吹や槐も俺達よりも結構背が高くなっている。そんな伊吹よりも欅はさらに大きい。体格だけ見れば伊吹が勝てるようには思えない。
それでも伊吹と欅はお互いに一歩も引くことなく、雨に打たれて濡れながらお互いの胸倉を掴んで睨み合っていたのだった。




