第七百六十八話「伊吹は変質者」
昨日はつい皆に無理やり帰るように追い出されてのこのこと帰ってしまったけど本当にそれでよかったのだろうか?
それでなくとも咲耶お嬢様は風評被害を受けやすい。それなのに人を気絶させておいてその張本人がさっさといなくなっているなんて相手からすれば許せないことじゃないだろうか。何か皆に乗せられて無理やり帰らされたけどやっぱりよくなかったような気がして仕方がない。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「咲耶ちゃんおはようございます」
もう過ぎたことなので今更考えていても仕方がないんだけどどうしても考えてしまう。そんなことを考えながら教室に入るといつもの皐月ちゃんと芹ちゃんが先に来ていた。
芹ちゃんはいつも通りだから良いとして、皐月ちゃんは九条家に泊まるようになってからも以前と同じような時間に行動をしているようだ。さすがに俺が起きて朝練に行く時間にはまだ寝ているけど、俺が朝練を終えて学園に来るともう来ている。
俺がいない間に一人で九条家に居るのは居心地が悪いんじゃないかと思っていたけど、皐月ちゃんの方は案外ケロッとして九条家に滞在している。俺だったら人の家にお世話になっていたら恐縮して落ち着けないだろうけど、皐月ちゃんはそういうのも平気なのかもしれない。
「何かお悩み事ですか?」
「え?え~……、悩みというほどのことではないのですが……」
席に着いて荷物を片付けていると皐月ちゃんと芹ちゃんが集まってきてそんなことを聞いてきた。どうやら俺は見てわかるくらいに考え事に没頭していたようだ。
実際悩みというほどのことではないんだけど、本当に昨日の対応はあれでよかったのかどうかついつい考えてしまう。昨日のことはもうなかったことには出来ないけど、今後同じような状況があった時に当事者である俺だけさっさと立ち去るなんてやっぱりしない方が良いんじゃないかと思える。
それに昨日さっさと立ち去ってしまったのはもう取り消せないけど、もしそれで失礼なことをしてしまったのなら今日にでも謝るとか善後策を考えて行動する必要があるだろう。
誰にでも失敗や間違いはある。一つの失敗や間違いをいつまでも悔やむのは良いことだとは思えないけど、その失敗から学んで次に活かすとか、失敗や間違いを取り返すような後の行動を考えなければならない。
「……って、あっ!」
「「え……?」」
俺は昨日の自分の対応のことばかり考えていたけどよくよく考えたら問題はそこじゃないじゃないか!いや、俺の対応も問題なんだけどもっと重要な問題があった。
そもそも西園寺躑躅があれだけで済ませるはずがない!
俺はそのことを完全に失念していた。躑躅の性格からして昨日の騒動の相手をあのままに放っておくはずがないじゃないか。もしかしたら今頃呼び出されて俺達の目の届かない所で何かされているかもしれない。昨日俺達が割って入って有耶無耶になったからそのままってことはないだろう。どうして俺は今までそのことに考えが回らなかったんだ。
「少し出てきます」
「え?あっ!」
「咲耶ちゃん……」
そのことに気付いた俺は荷物の片付けもそこそこに教室を飛び出したのだった。
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もし百合や躑躅が昨日の瓶底メガネ少女に再び何かしようと考えていたらどこでどうするだろうか?
俺はまだ百合や躑躅のことをあまりよくわかっていない。だけどゲームの咲耶お嬢様のようにわざわざ大勢の人の前で相手を糾弾しようとか、責め立ててやろうとか、そういったことはあまりしないような気がする。というかさすがにそこまでお馬鹿なのは咲耶お嬢様くらいだろう。
となればまずは人目の少ない場所に連れていかれている可能性が高い。一階の教室である一年で人目が少なくて連れて行きやすい場所と言えば……。
「いいから早く脱げ!」
「――ッ!」
中庭の方へ向かっていると言い争っているような男子生徒の声が聞こえてきた。まぁ男子生徒というか伊吹の声だと思うけど何故こんな場所で伊吹の声が聞こえるのかはわからない。それに俺が探している瓶底メガネ少女と関係があるかもわからないけど放っておくわけにはいかない。俺は急いで中庭に飛び出した。
「そこで何をしているのですか!」
校舎から声が聞こえた中庭に飛び出してみれば……、何だこの状況は?
俺の予想通りと言って良いのかどうか。確かに瓶底メガネ少女と花梨はそこに居た。その向かいには百合と躑躅も立っている。そこまでは俺の予想通りだったと言えるのかもしれない。でも俺にはここに変質者がいることまではわからなかった。
近衛伊吹が……、瓶底メガネ少女の服を脱がせようとしている……。
「何をしているのかと言っているのです!」
ズカズカと瓶底メガネ少女と伊吹の間に近づいた俺は伊吹の手を捻り上げて少女から放させた。
「無理やり女性の服を脱がせようなどと!貴方は一体何を考えておられるのですか!」
「ぐあぁっ!折れっ……、折れるっ!」
まだ加減をしているので折れるわけがない。俺がその程度の加減を間違えるとでも思っているのだろうか。少女に謝ったり事情を話すこともなく自分の腕を一番に心配するなんてこいつはどれだけ最低な奴なんだ。
「何をしていたのかと聞いているのですよ!」
「ぎゃぁっ!そっ、そいつが……、咲耶の制服を盗んで着ているから!取り返そうと思っただけだ!」
「はぁ!?」
こいつは何を言っているんだ?この少女が俺の制服を盗んだ?それを取り返そうとしただぁ?
「これは彼女の制服が汚れてしまったので私がお譲りしたものです!何故その程度の確認もせず彼女が盗んだと決め付け、あまつさえ女子生徒から無理やり服を奪い取ろうということになるのですか!貴方は何を学んできて何を考えておられるのです!」
「折れる!本当に折れる!」
「ふんっ!」
涙を浮かべた顔で伊吹が必死に自分の腕の心配をしている。呆れた俺は腕を放して伊吹を突き飛ばす。
「大丈夫でしたか?まさかこのようなことになってしまうとは……。私の配慮が足りませんでした。本当にごめんなさい」
「あっ!あっ!ちっ、違います!九条様のせいではありません!お顔を上げてください」
俺が頭を下げると瓶底メガネ少女はすぐにそんな反応をしてくれた。本当にこの子は良い子のようだ。普通に考えたら俺のせいでこんなことになってしまったのだから俺を責めても良いくらいなのに、こんなに気さくに許してくれるなんて……。
「許してくださるだなんて貴女はとても優しい人なのですね。このような場所にいては嫌なことを思い出してしまうでしょう。まずはここから離れましょう」
「はい」
俺は瓶底メガネ少女をエスコートして花梨を伴ってこの場を離れることにしたのだった。
「…………わたくし達まるで空気のようですわね」
「そうですね……」
後ろの方で何か声が聞こえたような気がしたけど気にせずさっさとその場を離れる。
「まさか私が制服を差し上げたことでこのようなことになるとは思いもせず……、申し訳ありませんでした」
「いえ!先ほども言った通り九条様のせいではありませんから。やっぱり私が九条様から制服をお借りするなんて分不相応だったんです。お返ししますね」
瓶底メガネ少女はいそいそと制服を脱ごうとしていた。それをそっと止める。
「あっ……、九条様……。手が……」
「良いのですよ。それは貴女に差し上げたものです。むしろ今後のことも考えれば是非このまま着ておいてください。近衛様の行動は予想外でしたし、一条様やその周囲の方にはあまり効果はないでしょうけれど、貴女がこの制服を着ていれば他の方達は貴女に下手なことはしないでしょう」
確か五北会メンバーの制服は少し特別なものだったはずだ。伊吹や百合みたいな同格クラス相手の場合や、五北会メンバーの制服だと気付かないような者には効果はないだろうけど、それ以外の生徒達にはこの制服を着ているというだけで牽制になる。
キーンコーンカーンコーン……
探し回ったり話をしている間に朝の時間が終わってしまったようだ。急いで教室に戻らなければならない。
「それでは何か困ったことがあればいつでも私に言いに来てください。場合によってはその制服を示したり私の名前を出していただいても構いません。今朝はもう時間ですのでまた……」
俺は瓶底メガネ少女と花梨に簡単な説明と挨拶をしてからその場を離れた。二人の教室はそう遠くないけど俺はまだ向こうの教室だ。早く行かないと担任が来てしまう。
「それは私が九条様のものだと宣言しておけということでしょうか……。なんて……、私は何てことをっ!きゃーっ!」
後ろで少女と花梨の声が聞こえていたけど俺には関係なさそうなのでとにかく急いで教室へと戻ったのだった。
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何とかしれっと教室に紛れ込んだ俺だったけどグループの子達には滅茶苦茶見られていた気がする。そんな一日もあっという間に過ぎてお昼休みだ。いつも通り食堂で集まって食事を摂る。
「それにしても咲耶たんの周りはいつも騒動が起こるっすね~」
「え……?」
杏の言葉に首を傾げる。一体俺の周りの何が騒動だというのか。百合達一条派閥が騒動を起こしているのであって俺は何も関係ないぞ。
「そう言えば四組でも色々と話題になってるよ」
「……ん。四組は中等科の時の再来かと思って静観してる」
「まぁ!一体何のお話ですか?」
鬼灯や鈴蘭まで杏に同調してそんなことを言い始めた。一体俺が何の騒動を起こしているというのか。濡れ衣も甚だしい。むしろ俺は周囲が起こす騒動に巻き込まれているだけなのに。
「今年も五組の外部生貴族は内部生や中等科からの外部生、果ては同じ五組の一般外部生にまで絡んでるっすよね?」
「それは……、まぁ……」
確かに一部の五組外部生貴族達が暴れているというか、周囲に噛み付いているらしいことは聞いている。どれだけ抑えようと思っても一定数はそういう者がいて、そういう事件も起こってしまうものだ。でもそれは五組外部生貴族が騒動を起こしているのであって俺のせいじゃないだろう。
「咲耶っちは早速五組の問題に介入して解決しようと奔走してるって聞いてるよ」
「……ん。四組は中等科で経験してるからまた咲にゃんが恐ろしい力を使うと思って隅で震えてる」
「はぁっ!?何ですかそれは!?私は何も力なんて使ったこともありませんよ!」
俺がいつ恐ろしい力を使ったというのか。そんな凄いものがあるのなら是非問題解決のために使いたいくらいだ!俺はただの大人しい一生徒でしかない。そんな俺に何が出来るというのか。最低限お友達くらいは守りたいと思うし、出来るだけ穏便に問題が片付けば良いとは思っているけど、俺が何かしたことなんてないぞ!
「あははっ!咲耶様また冗談を言ってる!」
「咲耶ちゃんらしいねー!」
「「「あははっ!」」」
え?俺、笑われてる?何で?
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皆で楽しく食堂で昼食を摂っている時、紫苑だけはここの所ずっと静かだった。前までならば薊と言い合ったり、咲耶にべったりだった紫苑が少し距離を置いて大人しい。周囲も紫苑の多少の変化には気付いているが何か言うほどでもなく、無理に突っ込むことでもないと思って静観している。
何故高等科に入ってから紫苑が大人しいのか。それは……。
「何にもついていけない……」
紫苑はボソリと呟いた。その場で話していることくらいは何となくわかるしついていける部分もある。しかし今の紫苑には裏の情報だとか、他の勢力の動向というのがいまいち伝わってこない。何故ならば……。
「(海桐花も蕗もいない!科が違うから二人は諜報活動が以前ほど出来ないみたいだし!今まで教えてもらえてた情報が入ってこないのよ~~~っ!)」
紫苑の心の叫び通り……、優秀な参謀だった海桐花と蕗は中等科のままであり紫苑だけが高等科に上がってしまったために、影の親衛隊の活動や情報収集に支障をきたしていた。まったく入らないわけではなく海桐花と蕗がうまくやってくれている部分は大いにある。しかし科が違うためにどうしてもタイムラグが出てしまうのだ。
最新の情報に触れることが出来ない紫苑はどうしても他のグループメンバー達に一歩遅れる。前までならばそんなことなど気にすることもなく、事情がわからず情報がなくとも好き勝手にしていた。しかし海桐花と蕗によって裏の情報を常に齎されていた状況に慣れ切ってしまった紫苑は、今の情報が遅れて入ってくる状況に不安を感じていた。
「(どうにか……。どうにかしなきゃ……。私だけ取り残されるわ……)」
下級生達への影響力や隊員は拡大していた影の親衛隊だが、同級生へは影響力も少なく隊員もあまりいない。初期の頃に紫苑がスカウトしていた変わり者達ばかりなので海桐花と蕗のようにうまくやってくれる者がいなかった。
この状況をどうにかしなければと紫苑は必死に知恵を絞ったのだった。




