第七百五十三話「藤花学園高等科入学式」
藤花学園高等科入学式……。この国で最も豪華で格式が高い入学式と言われている。そんな入学式に野暮ったい少女が一人歩いて会場へと向かっていた。
お下げの三つ編みに瓶底メガネ、顔にはややソバカスかシミのようなものも窺える。見た目は完全に地味で野暮ったい田舎娘のようにしか見えない。しかしこの少女はただ地味で野暮ったいだけではない。
この少女の名前は藤原向日葵という。藤原という苗字だがこの国のほとんどの貴族と関わりや血縁のある『藤原氏』とは関係がない。庶民も苗字を名乗れるようになった時に先祖が『藤原』を名乗っただけで縁も所縁もなく、ただの『藤原』という苗字を持つだけだった。
向日葵は藤花学園の外部生の入試において過去最高点を叩き出して入学した才媛である。全教科ほぼ満点であり藤花学園の外部生入試が始まって以来の天才と教職員の間でもそれなりに話題になった。今年度の新入生の中で文句なしに最高の成績を誇る特待生だった。……特待生の中では。
そんな向日葵の実家は裕福ではなく、弟妹達もいる中で向日葵が良い学校に進学するためには藤花学園の特待生として合格するしかなかった。高等科の学費や環境のみではなく、特待生は良い大学に合格すれば学園の規定によって入学金の補助などを受けられる。入学後の学費までは面倒を見てくれないが、入学金や初年度の学費などを大学のレベルによって補助してもらえる。
この国で最も高偏差値の大学に合格して入学するならば入学金と初年度の学費全てを藤花学園が払ってくれるのだ。家が貧乏でまだこれから弟妹達にもお金がかかる藤原家では向日葵に高額な学費を払えない。それらを解決するためには向日葵は藤花学園に入学するしかなかった。
元々勉強が得意だった向日葵は藤花学園に入学するためにひたすら勉強に励み、ついに過去最高点を叩き出して特待生として入学することが出来た。ただし……。
「ひぃぃっ!みっ、皆さん輝いて見えます……。わっ、私はこんな所で無事にやっていけるんでしょうか……」
ひたすら勉強に励んでいたガリ勉である向日葵は人付き合いが苦手だった。同じ庶民である元の同級生達が相手でもうまく付き合えないというのに、ましてやここは自分とは住む世界が違う貴族達の集まる学園だ。
家からは通えないので入学が決まってから花寮へと入寮している。その部屋のなんと豪華なことか。初日は驚きすぎて腰を抜かした。何日も経っている今でもまったく慣れない。
実家では弟妹達と共同の部屋しかなく、ふすま一枚を挟んで両親達もすぐそこにいた。寝る時は家族で揃って川の字になって寝転がる。そんな生活をしてきた向日葵には一人で生活するだけだというのに何部屋もある花寮は信じられないほど豪華なものに映った。
寝室と自室は別にあり、リビングもダイニングもキッチンもある。お風呂もトイレも別々にある。しかもキッチンがあるのに食事は寮の食事を食べることが出来るのだ。しかもしかもその食事は自室まで運んでもらうことも出来る。向日葵にはまったく理解出来ない世界だった。
花寮に入寮してからも驚きの連続だったが、こうしていざ入学式に向けて学園へと歩いていると周囲の人全てが輝いて見えた。
誰も彼も綺麗に着飾り、優雅に歩いている。自分のような田舎者は歩き方も作法も知らない。化粧っ気もなく野暮ったいことは自覚している。周囲を歩いている生徒は皆学生だというのに当たり前のように化粧をしている。藤花学園では化粧をすることは校則違反ではないようだった。
「本当にこんな学園に入っていいんでしょうか……」
向日葵はついに学園に到着してしまった。受験の時にも来たので初めてではないが、それでもこの威容を見れば萎縮してしまう。小中高大学と並んだ巨大な一貫校はただ施設や敷地が大きく広いだけではなく、その建物や庭先、何なら周囲を囲う壁ですら豪華なものだった。こんな所に自分のような者がいるのは場違いとしか思えない。
「ちょっと貴女!何してるのよ!」
「えっ!?あっ?すっ、すみません?」
急に声をかけられた向日葵は反射的に謝っていた。何が悪くて何故責められているのかはわかっていないが、こうして責められたらつい反射的に謝ってしまうのだ。
「早くどきなさいよ!この芋女!邪魔よ!」
「ごっ、ごめんなさい……」
ぞろぞろと取り巻きを引き連れたご令嬢が向日葵の前に立った。その視線はまるで虫けらを見るかのように向日葵のことを見下している。
「この方をどなたと心得ているの!藤原氏、近衛家侍、従六位上であらせられる岡屋小手毬様よ!」
「はぁ……?」
貴族社会と関わりがなかった向日葵にはその凄さがいまいちわからない。そんな向日葵の態度が癪に触ったのか小手毬とその取り巻き達の顔色が変わった。
「……この女生意気ね」
「ちょっと思い知らせなければならないようね」
「えっ?あの……?」
「こっちへ来なさい!」
「あっ!あっ!ごっ、ごめんなさい!ごめんなさい!」
向日葵は事態がまずい方向に進んでいることを察して慌てて謝った。しかし小手毬とその取り巻き達は向日葵を取り囲むと逃げられないようにして校門付近から人気のない中庭の方へと連れていった。
「ここでいいわ……」
「私達をコケにしたこと……」
「思い知らせてあげる」
「ひっ!ゆっ、許してください……」
ガタガタと震えている向日葵に向かって嗜虐的な笑みを浮かべた小手毬とその取り巻き達が迫る。向日葵がもう駄目だと思ったその時……。
「貴女達、何をしているのですか?」
「「「えっ!?」」」
突然後ろから声をかけられて小手毬達が振り返る。そこにはいかにも上位の家のお嬢様という風体のご令嬢の姿があった。コツコツと足音高く歩く姿は美しく、あらゆる所作は完璧というより他にない。開いた扇子で口元は隠されているが小手毬達を見据えている視線は鋭い。
「くっ……、九条様っ!?」
「えっ!?」
「このお方が?」
小手毬はこの人物を遠くから見たことがあった。近衛家のパーティーで自分達の主、近衛伊吹の隣に立っている姿だ。その名を聞いて小手毬の取り巻き達はギョッとした顔をしていた。しかし向日葵には何が起こっているのかさっぱりわからない。
「あっ、あのっ!九条様、これは……」
「言い訳は結構よ。今回は目を瞑りましょう。ですが二度とこのような藤花学園生らしからぬ下劣なことをすることは許しませんよ」
「「「はっ、はひっ!」」」
言い訳をしようとした小手毬の言葉を遮ってぴしゃりとそう言われてしまった。小手毬達は固まることしか出来ない。
「もういいわ。行きなさい」
「はいっ!」
「失礼します!」
蛇に睨まれた蛙のようだった小手毬達は『九条様』と呼ばれた女生徒の言葉に慌ててこの場から立ち去った。向日葵はそれをポカンと見ていることしか出来ない。
「ごめんなさいね……。入学式早々にこのようなことがあって……。でもこの学園はこのようなことばかりではないのよ。今回はこのようなことに巻き込まれてしまったけれど……、貴女の学園生活が楽しいものになることを願っているわ」
「はっ……、はい。あっ!ありがとうございました!」
『九条様』と呼ばれた女生徒は扇子を外して向日葵に微笑んでからその場を立ち去った。
「『九条様』……か」
頬を赤く染めて、向日葵はいつまでも『九条様』が立ち去った方を熱い瞳で見つめていたのだった。
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小手毬達に絡まれたが難を逃れた向日葵は遅れることなく入学式に間に合った。講堂も広さだけではなく建物の各所が豪華で、貧乏育ちの向日葵でも何となく凄いということだけはわかる。
最初にクラス分けを確認し、自分のクラスの教室に行き、担任に簡単な説明を受けて並んで講堂へと移動した。入学式は学校によって、あるいは年度によっても多少変化するかもしれない。向日葵達は説明を受けた通りに動いていくだけだ。
新入生達はまだほとんど何も知らずわからないので式はただ勝手に進んでいく。特別何かを求められることもなく、新入生達の方も何をどうすればいいのかわからないのでただただ流されるだけだ。
『新入生代表!九条咲耶君!』
「はい」
「あっ!あの人は……」
新入生代表として挨拶をしたのは先ほど向日葵を助けてくれた女生徒だった。先ほども思ったがその所作は美しく、ただ歩いているだけでも気品のようなものが感じられる。何より身に纏った雰囲気が尋常ではない。貴族社会のことなど何も知らない向日葵ですらこの『九条様』だけは他の者達とは別格だということがすぐにわかる。
式は滞りなくあっさりと終わり、新入生達は退場してまた教室へと戻る。その移動中に列から離れて向日葵に話しかけてくる者がいた。
「ねぇねぇ、ちょっと!」
「え?わっ、私ですか?」
急に声をかけられて身構えてしまう。今朝もあんなことがあったばかりだ。元々人付き合いが苦手な向日葵だというのに、今朝のこととこの学園での自分の場違い感から普段以上に敏感になっている。
「そうそう。ね?あなた……、九条様が壇上に上がって新入生代表の挨拶をされた時に驚いていたけど何かあったの?」
「え……、えっと……」
馴れ馴れしく話しかけてくるその生徒に向日葵はどうしたものかと頭を悩ませた。下手なことを言えばまた余計な揉め事に巻き込まれるかもしれない。
「あっ!あたしは柴田八手よ。よろしくね。あたしもあなたと同じ五組だから貴族でも何でもないの。だからそんなに警戒しなくても大丈夫よ」
「はぁ?」
「あなたもしかしてこの学園のこと何も知らないの?」
「えっと……、まぁ……」
何も知らないという向日葵に呆れたと言ってから八手は色々と説明を始めた。この学園では一、二、三組は基本的に内部生が大半だ。そして四組は中等科から入学した外部生、五組は高等科から入学してきた外部生が大半を占める。
多少の移動や入れ替えはあるが基本的にはそう考えておいて間違いはない。相手の身元がわからない時はそれで大まかな出自や立場を推測することが出来る。
「へぇ……。そうなんですね……」
「それであなた九条様に随分反応してたわよね?もしかして……、あなたが今年主席だったはずの藤原向日葵さんなんじゃない?」
「え?どうして私の名前を……」
向日葵は八手の顔をまじまじと見た。今日が初対面のはずだ。それなのに何故八手が自分のことを知っているのか。やっぱり変な人に目をつけられているのかと身構える。
「だからあたしも一般外部生だからそんなに警戒しなくても大丈夫だって。ほら……、普通さ、新入生代表の挨拶って成績で一番の生徒が選ばれるでしょ?そして今年は過去最高点を叩き出して入学した才媛、藤原向日葵って子がいるって噂だったのよ。それなのにいざ新入生代表の挨拶は内部生でしょ?しかも当の藤原向日葵はその代表を見て驚いている。それってつまり……」
八手は声を潜めて向日葵の耳元に顔を寄せた。
「(本当はあなたが成績一位で新入生代表だったのに、九条様があなたから無理やり新入生代表の役割を奪ったんじゃないの?)」
「えっ!?ちっ、違いますよ!?あの方とは今日初めてお会いしましたし私はそのようなお話もいただいておりません!」
八手の言葉に向日葵は慌てて否定した。確かに過去最高点だと言われたが新入生代表を打診されたりはしていない。普通なら事前に挨拶の内容を決めるために前々から指名されているはずだ。自分にはそんな打診はまったくなかった。
「九条様はさ……、『あの九条グループ』の九条様なんだよ。だから……、色々な手を使って、本来はあなたが新入生代表を務めるはずだったのに、裏で手を回してその役目を奪ったんじゃないかなぁと思うんだけど?」
「あの方がそのようなことをするとは思えません……」
確かに『九条グループ』と聞けば貴族と縁のない向日葵でも知っている大財閥だ。そのような人物と向日葵では天と地、月とすっぽんだろう。それはわかっている。そのことに反論も異論もない。ただ今朝自分のことを助けてくれた『九条様』がそのようなことをされる方だとは思えない。それは八手が穿ち過ぎなだけだ。
「う~ん。そうかなぁ?向日葵は九条様と初対面だって言ったじゃん。じゃあ何でそんなこと言い切れるの?九条様が何て呼ばれてるか知ってる?『完璧女帝』だってさ。じゃあ貴族の面子でその『完璧』を守るためには不正で新入生代表の役を奪うくらいは平気でするんじゃないかな?」
「…………」
向日葵はそれ以上何も言わなかった。もちろん気持ちが揺らいだわけではない。『九条様』はそのようなことをされるような方ではないと確信している。だがこの場でこれ以上八手に何を言っても無駄だろう。
本来ならば勝手な推測でそんなことを言う八手の言葉を訂正させたいと思っている。しかしここでこれ以上言い合っても水掛け論にしかならず、八手を説得出来る根拠も証拠もない。だから向日葵はただ黙ることしか出来なかった。
八手の方も向日葵がそれ以上何も言わずに黙って教室へと向かって歩いていたので、何となく会話が途切れてそのまま教室へと到着したのだった。




