第七百四十六話「花梨の不安」
卒業旅行も終わり、成績も確認した。全て順調にいっているはずだけど一つ不安な要素が出てきた。何故花梨は少し遅れただけであれほど怯えて必死で謝っていたのか……。
俺達は別に花梨をイジメたこともないし、何かしたこともない。あの日少し遅れてきたからといって責めたり、仲間外れにしたりなんてするわけがない。でも花梨はまるでそうされてしまうかのように怯えていた。そしてあの状況を見ていた周囲は一体どう思ったことだろうか。
もし何も知らない子があの状況だけを見ていたら、まるで俺達は日ごろから花梨をイジメていて、あの時のことを理由にして仲間外れにするような集団だと思われてしまいかねない。花梨が俺達を周囲からそんな風に思われるように貶めようと思っていたわけではないことはわかっている。わかっているけどあの態度の原因がわからない。何故花梨は急にあんなことを……。
と、俺が一人で考えていても答えが出るはずもない。だったらちゃんと答えがわかる方法を探るべきだろう。なので今日は花梨と芹ちゃんをうちに呼んでいる。花梨一人をうちに呼び出したらまたパニックになったり怯えられたりするかもしれない。だからちゃんと話が出来るように芹ちゃんも一緒に呼んでおいた。
「咲耶様、樋口様と吉田様がまいられました」
「はい。今まいります」
平日の放課後だというのに二人にはわざわざ足を運んでもらった。急な予定で五北会サロンや習い事にも色々と混乱が生じたけど仕方がない。こういうことはすぐに対処しておかないと後でと思って放置していると大変なことになりかねない。
さすがにその日すぐにというわけにはいかなかったので、芹ちゃんと花梨にそのことを伝えて出来るだけ早い日を空けてもらった。俺も習い事などで休める日を用意してもらいようやく今日来てもらったというわけだ。
「御機嫌よう、芹ちゃん、花梨。来てくれてありがとう。わざわざ呼び出してごめんなさい」
「いいえ。大丈夫ですよ。むしろこうして咲耶ちゃんにお呼ばれして得をしてしまいました」
芹ちゃんが可愛い笑顔でそう言ってくれた。芹ちゃんもまだどこか俺達に対して遠慮しているような所は見受けられる。だけど最近ではこういう所では普通にお友達らしく接してくれるようになってきたと思う。未だに遠慮されているのは家やお金や立場が関わるような場合だけだ。お友達として会ったり遊んだりすることにはこうして普通に接するようになってくれてきたと思う。
「あの……、えっと……、申し訳ありません!」
「花梨……」
「……」
そして花梨の方は相変わらずだった。これはもうただの遠慮とかじゃなくて完全に怯えられているように思う。俺やグループの子達からは何かしたつもりはない。それなのにどうしてこんなに怯えられているんだろう……。
「頭を上げてください花梨。まずはお茶でも飲んで落ち着きましょう」
「「はい」」
芹ちゃんと花梨は声を揃えて返事をしてくれた。でも二人の声のトーンは明らかに違う。芹ちゃんは普通ににこやかに答えてくれたのに花梨は表情も声のトーンも暗い。
花梨の様子は気になるけど玄関口でいつまでも話しているようなことじゃないだろう。とりあえず二人を応接室に案内してからお茶を飲んで一息入れる。
芹ちゃんに聞いてもらった情報だけど花梨があの日にいつも通りに登校してきたのは花梨のせいではないらしい。花梨はいつも鬼灯と鈴蘭と一緒に登校してきている。鬼灯も陸上部の朝練がある時などは早く出ていたけど今や一応陸上部は引退しているからね。
そんなわけで最近では三人揃って登校してきていたようだけど、あの日は俺達が卒業旅行から帰ってきて登校してくる日だから早く登校するべきだと花梨は二人に言っていたようだ。でも待ち合わせ場所で時間になっても二人は現れない。電話をしたり、藤寮の部屋まで訪ねたりしたようだけど結局二人が出てきたのはいつも通りの時間だった。
花梨は早く来て俺達に合わせるつもりだったのに、それを伝えておいたはずの鬼灯と鈴蘭が出てこなかったために花梨も結局いつも通りの時間になってしまった。そして教室に入ってみれば案の定俺達はもう全員揃っていた。それを見て花梨は頭が真っ白になってあんなことを口走ってしまったということだった。
この話を聞けば花梨が悪いなんて誰も思わない。そもそも俺達の場合は約束して早く来ているわけではなく、何故かイベント後の翌登校日などは皆自然と早く来てその話題でおしゃべりをしているというのが慣例になっているに過ぎない。
でも花梨からすれば自分が遅れたために俺達を待たせてしまったと思ってしまったようだ。それ自体は別にただの勘違いだったわけだし俺達も誰もそれを責めたりはしない。問題なのは花梨が口走った言葉だろう。人は咄嗟の時に考えてもいないことを口走ることは出来ない。つまりあれは花梨が日ごろから思っていることがつい出てしまったということだろう。
花梨はいつか俺達のグループから見捨てられるかもしれない、仲間外れにされるかもしれない、という不安を抱いているということになる。俺達がいくらそんなことはしないと言っても花梨本人がそう思ってしまっているのならどうしようもない。そしてそんな風に思われてしまう程度の絆しか結べていないのは俺達の落ち度だ。
「どうですか?少しは落ち着きましたか?」
「はい……」
そうは言っているけど花梨の表情も声のトーンも暗い。明らかに大丈夫じゃなさそうだ。
「花梨……、どうして花梨は私達が花梨を見捨てるなどと思い込んでいるのでしょうか?私達がいくら大丈夫だ、問題ないと言っても花梨が思い込んでしまっているのならば効果はありません。ですが私にはどうして花梨がそのようなことを思い込んでしまっているのか。それがわからないのです。私達のこれまでの絆はその程度のものだったのですか?」
「それは……」
俺の言葉に花梨はハッ!とした表情になってから視線を逸らした。今までの花梨の言葉や態度はつまり俺達を信じられない、親しい間柄ではないと言っているようなものだ。それに気付いたのだろう。しかしそれを伝えても花梨は本音を言い出せずに視線を彷徨わせている。
「はっ!?まさか……」
「……え?」
俺は自分の口元に手を当ててハッ!とした。そうか……。そうだったのか……。
「まさか……、まさか花梨は……、私にお腹をプニプニされるのが嫌だったのですね!そのことを言い出せないまま……、それなのに私が何度も何度も花梨の気持ち良いお腹をプニプニしたから……。なんということでしょう!全ては私が原因だったのですね!?」
「ああぁぁっ!ちっ、違います!違いますから!お腹の話はもうやめてください!あれは私も九条様の手で触っていただいて気持ち良く……、ってだから違います!今のは間違いです!なかったことにしてくださいぃぃっ!」
俺の言葉を受けて慌ててアウアウ言い出した花梨は何やら盛大にカミングアウトして真っ赤にした顔を覆って隠してしまった。
「プニプニのせいではないのですか?それでは一体何が原因でそのような……」
「私が役立たずだからです!一年の当初は九条様のお役に立つために呼ばれて私も多少なりともお役に立てると思っておりました!ですが九条様達と同じクラスになった今年は私は何のお役にも立てていないのです!あ……」
「「ん~~~?」」
顔を覆ったままの花梨はそんなことを口にしていた。本人も言うつもりはなかったのにパニックになってつい言ってしまったという所だろうか。それにしても言っていることがよくわからない。
「一年の時に花梨が役に……、というのは鬼灯さんと鈴蘭さんの件でのお話でしょうか?」
「……はい」
もう言ってしまったものはなかったことには出来ない。観念したらしい花梨が素直に話してくれるようになった。この場には芹ちゃんもいるけど聞かれても問題はない。花梨にもそれを伝えると今度は正直に話をしてくれた。
どうやら花梨は一年の時に俺が花梨に声をかけて仲間に引き込んだのは、鬼灯と鈴蘭の件で花梨が役に立つと思ったからだと思い込んでいるようだ。確かに協力してもらおうと思って親しくなったのは間違いない。でも別にそのためだけに花梨を利用したとか、役に立たなくなったらいらないなんて思ったこともない。だけど花梨はそうは思えなかったんだろう。そういう誤解を与えたのなら俺も悪かった。
「花梨……、何度も言っているはずですよ。確かに鬼灯さん達の件で花梨には手を貸していただきました。そのことで感謝もしております。ですが私達はお友達になったのでしょう?お友達同士で役に立つとか立たないとか、追い出すとか見捨てるとかそういうものではないでしょう?」
「九条様……」
俺は何度もじっくりゆっくり花梨に言って聞かせた。確かに一年の時に鬼灯達の件で花梨に手伝ってもらった。立場やクラスが丁度良かったから花梨を引き込んだというのは間違いない。でもそういった協力だとか打算だとか役に立つというだけで花梨とお友達になっているわけじゃない。
別に何か役に立つから傍に置いているわけじゃなくて、俺達は皆対等な友達だから今も一緒にいるんだ。それをひたすら説明し続けた。
「わかっていただけましたか?」
「はい……。いえ、わかっていたんです……。でも私なんかが九条様やそのグループの方々と一緒に居て良いのかって……、何の役にも立っていないんじゃないかって思って……」
花梨も俺に言われるまでもなくわかってはいたんだろう。でもあまりに自信がなかったり、周囲と釣り合わないと思って萎縮してしまっていたに違いない。
「花梨の苦しみに気付いてあげられなくてごめんなさい」
「いいえ!いいえ!九条様のせいじゃありません!私が……」
二人でヒシッ!と抱きしめ合う。
「すんっ……、すんっ……、ぐすっ……、よかったですね……。誤解が解けて……」
「芹ちゃん……」
それを横で聞いていた芹ちゃんも涙を流しながら頷いてくれていた。でもこれは芹ちゃんにとっても他人事じゃないだろう。
「芹ちゃん……、今回の件は花梨のことでしたが芹ちゃんも他人事ではありませんよ」
「……え?」
俺の言葉に芹ちゃんはポカンとしていた。でも言わずにはいられない。
「芹ちゃんだって未だに私達に遠慮して少し距離を置いているでしょう?それは今回の花梨の件と同じことだと思います。芹ちゃんも自分の家や立場から私達に遠慮しているのでしょう?TPOを弁えて使い分けるべき時というものは確かにあります。ですが私達だけの時はもっと心を開いて近づいて欲しいのです」
「咲耶ちゃん……」
「芹ちゃん!」
芹ちゃんの方にも手を開くとヒシッ!と抱き合う。俺達は三人で抱き合ってしゃがみ込んでいた。
「え~……、咲耶様?これは何でしょうか?何かのプレイですか?」
「椛……、いつから……」
急に声をかけられて驚いた。扉の方を見てみれば椛がこちらを不思議そうな顔で見ている。何か人に見られていたと思うと急に恥ずかしくなってきた。もしかして今俺達は恥ずかしいことをしていたんじゃないだろうか?そう思って花梨と芹ちゃんを見てみれば二人とも顔を真っ赤にして俯いていた。手はお互いに抱き合っているから顔を隠せないんだろう。何だか可愛い。
「今ノックをしてお声をかけたばかりですが……」
「そうですか……。ともかく!花梨!芹ちゃん!お二人とも!わかっていただけましたね?」
「「はい」」
今度の返事は今までとは違った。二人とも少し涙ぐんだ声ではあるけどはっきりと良い笑顔で頷いてくれた。それから俺達は席に戻って話を続けた。
これまでの俺達はコミュニケーション不足だったかもしれない。花梨や芹ちゃんが家格や立場の違いを気にして少し遠慮していることはわかっているつもりだった。でもまさかここまで気にしたり、気に病んでいるとは思ってもみなかったことだ。今回はそれがわかって、お互いにちゃんと気持ちを話し合えたのはよかったと思う。
もし……、今回のことに気付かず高等科になっていたら……、高等科から入ってくる外部生達が何も知らずに俺達と花梨の様子を見ていたらどう思ったことだろうか。もしかしたら俺達が花梨に家格を笠に着てイジメていると思われたかもしれない。そんな誤解を与える前に回避出来てよかった。
この日は結構遅くまで花梨と芹ちゃんと色々なお話をして、今まで以上に打ち解けることが出来たと思う。一つ心配事がなくなってすっきりした気持ちで明日からまた頑張れそうだ。




