第七百四十二話「中等科卒業旅行 前編」
ついに金曜日の授業が終わった。これで明日からは……。
「いよいよ明日からですね!」
「楽しみだねー!」
「二泊三日の卒業旅行!」
「うんうん!」
授業が終わった瞬間皆が集まってきた。俺達は明日の土曜日から二泊三日の卒業旅行に出かける。金、土、日でもよかったと思うんだけど何故か土、日、月の日程だ。どちらにしろ金曜日か月曜日を休まなければならないんだけど、何で土、日、月かと言えば皆の都合でこうなった。
「それでは皆さん、今日は明日からの卒業旅行のために早めに帰って準備をしてしっかり眠ってくださいね」
「「「はーい!」」」
今日は若干予定を変更している。いつもなら勉強会をしてから五北会サロンに行って帰るけど、今日は色々と準備とかもあるし勉強会はなしだ。俺や薊ちゃんや皐月ちゃんもサロンに寄らずに帰ることになっている。実際にすぐに帰るのかどこかへ寄り道したりするのかは知らないけど……。
俺も帰るとは言ってるけど一度帰って旅行の最終確認をしたら百地流の修行に行かなければならない。土日を旅行で休むことになるので今日はみっちりしごかれるだろう。それを思うと少し憂鬱だけど明日からのことを考えたら楽しみで仕方がない。
「御機嫌よう皆さん」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「さようなら咲耶様!」
「また明日ねー!」
皆それぞれ迎えに来ていた車に乗り込んで帰っていく。俺も明日のために色々準備しなくちゃな。
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土曜日の朝に皆との待ち合わせ場所へと向かう。昨日は楽しみすぎて眠れなかった!なんてこともなくちゃんとぐっすり休んでいる。というか師匠にしごかれすぎて疲れ果てて気を失ったという感じに近いかもしれない。準備は全て終わっていたから問題はないんだけど、今日から旅行に行くのをわかっていてあんなにしごくことはないと思う。
「御機嫌よう皐月ちゃん。早いですね」
「御機嫌よう咲耶ちゃん。結局このメンバーですね」
「おはようございます咲耶ちゃん」
待ち合わせ場所に来ていたのは皐月ちゃんと芹ちゃんだけだった。別にまだ時間になっていないので遅れているわけじゃない。でもいつもの学園の朝の面子と同じで何だかおかしい。
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう薊ちゃん」
「薊は朝から元気ね……」
少し待っているとちらほらと皆がやってきた。時間ギリギリを狙っているかのような譲葉ちゃんも遅れることなくちゃんと少し早めに来たので電車に乗り遅れることはなかった。
「それでは行きましょう!」
「「「おーっ!」」」
皆でいそいそと電車に乗り込む。今回の俺達の卒業旅行は飛行機も新幹線も使わない。実はその気になれば十分日帰り出来るくらいの場所へと行く。今回の旅行はローカル線の旅だ。そのため皆も荷物は少なく手荷物や簡単なキャリーバッグくらいしか持っていない。
とはいえ女の子達が旅行に行くのだから荷物がこれだけで済むはずもなく、俺達の荷物はそれぞれの宿に送られている。宿で荷物を受け取って、帰りも送るだけなので俺達はあまり荷物を持ち歩かずに旅行を楽しめるというわけだ。
こういう形になったのも行き先や宿泊先に問題があって、ぐるりと観光しながら移動してホテルは移動の最後に到着することになっている。だから先にホテルにチェックインして荷物を置いて観光に行くということが出来ないためにこうなった。
「咲耶ちゃんってローカル線って乗ったことがなさそうですよね」
「あー!わかるー!」
「皆さんの中の私はどういう人だと思われているのでしょうか……」
「えー?箱入りー?」
「世間知らず……、って悪い意味じゃないですよ?」
いやいや……、君達……、俺のことを何だと思ってるんだ?そもそも『世間知らず』で悪い意味じゃないってどういう意味なんだ?俺だってローカル線くらい乗ったことがあるぞ!そもそも前世は社会人だった俺だ。ローカル線ではないとしても電車通勤なんて慣れたものだったぞ!
「どういう意味で……、おや?あれは……」
皆とそんな話をして盛り上がっていると見知った顔が同じ電車に乗っていた。あれは五辻樒だ。何で樒がこんな時間にこんな場所にいるんだ?
そりゃ土曜日の朝だから仕事が休みでもおかしくはない。樒は去年には大学を卒業しているはずだから今年から社会人だろう。社会人だし休日ということで空港の方へ行く用事があったとしても不思議ではない。不思議ではないんだけど……、何となく樒って暇人なのかな?という気がしてしまう。
普通だったら社会人一年目の折角の休日だったら彼女とデートしたりしないだろうか?それなのに一人でこんな方面への電車に乗っているとかボッチで寂しい奴なのかな?という気がするのは当然だろう。
「咲耶ちゃん……、どうかされましたか?」
「え?あぁ、いえ。何でもありませんよ」
まぁ久しぶりに見知った顔を見たというのはあるけどそれだけだ。樒のことなんて気にしていたら折角の旅行が楽しめない。皆と電車に揺られながらワイワイとおしゃべりを楽しもう。
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二時間ほどかけてやってきたのは半島の東海岸付近だ。海水浴場があるけど今回の目的は海じゃないので海には出ない。そもそもまだ三月中旬だというのに海に行っても泳ぐことも出来ないしね。漁港の市場で新鮮な海鮮をいただくというのも悪くはないけど今回は寄らない。
ローカル線に乗り換えて折角東海岸側へとやっていたのに西へと戻って行く。来た時と違って今度は山の方を通る電車だ。
「うわぁ!凄い!凄いですよ!咲耶様!」
「菜の花畑の中を通っているみたいですね!」
「こんなにすぐにたくさん見られるんですね。可愛い!」
皆黄色い菜の花のお出迎えに喜んでいた。このローカル線の沿線各所には菜の花が植えられてる。春頃には菜の花が綺麗に咲いて菜の花畑の中を電車が通っているかのような風情を楽しむことが出来る。ただ贅沢を言えばもう少し季節が後だったら桜と菜の花の綺麗なコラボレーションを見ることが出来たはずだ。
俺達は家の都合や学園の都合があってこのタイミングになってしまった。せめてもう少し遅ければ満開とはいかないまでも桜が咲き始めていたかもしれないのに残念だ。
「桜も一緒に咲いている時に見てみたかったですね」
「それはまた来て見ればいいじゃないですか!」
「まぁっ!薊ちゃんったら」
「「「あははっ!」」」
薊ちゃんの言うことは確かにその通りなんだけど、そんなことが出来るのなら最初から今回桜の咲いている時期に来れば済んだ話だ。俺達では中々そうはいかない。皆それをわかっているけど悲観的なことは言わず、ただこの時を楽しむ。
「あっ。ここで降りるんでしたね」
「菜の花綺麗だったねー!」
皆まだ菜の花の沿線の興奮が覚めやらぬまま一度駅から出た。ここからバスに乗って川の上流へと向かう。この川は滝が多い。やってきたのもそんな滝の一つだ。
「おー!雰囲気あるねー!」
「滝の前に鳥居が……」
木の板をかけただけの橋を渡って少し歩くとその滝はあった。譲葉ちゃんが言うように滝の前にある鳥居が良い雰囲気だ。
「あっ!穴がある!」
滝の方へ下りて振り返ってみれば岩をくりぬいたトンネルがあった。
「こっちから下りられるよ」
「いってみよー!」
川の方へ下りられる道があるので下りてみる。すると先ほどのトンネルの裏側に出た。別に何てことはないことのはずなのに何だか妙にワクワクする。
「へ~……。凄いですね」
皆なんだか語彙が貧相になっている。でも人間本当に感動したり感心したりするとあまり言葉が出てこないものだと思う。感動したと言いながらベラベラしゃべっている人は本当は感動していないだろう。
最初の滝を見てから移動して次の滝へとやってきた。そう……、この川は滝だらけなのだ。だからこの川沿いに滝を見ていく観光というわけだ。
「こちらは先ほどと変わってなだらかな滝ですね」
「大きな滑り台みたいです!」
今度の滝は先ほどのように垂直に落ちる滝ではなくなだらかに落ちる滝だった。蓮華ちゃんが言ったみたいにまさに大きな滑り台だ。
その後もあちこちを見ながら川沿いに下ってやってきたのは昔のトンネルの跡だった。元々はトンネルを掘って通していたけど残念ながら後に崩落してしまっている。今はただの谷のような感じだ。
「うわぁ!本当に層になってますね!」
崩壊したトンネル跡とその周辺の川によって削られた渓谷を見て歩く。ストライプ柄のようになっている地層が面白い。川を渡れるようにあちこちに道が出来ている。坂を上ったり、川を渡ったり、体力のないご令嬢達には少し厳しいルートだったかもしれない。
「はぁ……、はぁ……」
「椿ちゃん、大丈夫ですか?」
「はぁ……、はい……、はぁ……」
うん。まったく大丈夫そうじゃないね。他の皆も口数が少ない。息も結構上がってるしやっぱりお嬢様達には過酷すぎたようだ。
「少し休憩しましょうか。……ん?」
このまま駅まで向かうのは皆にはあまりに過酷すぎるので休憩しようと声をかけた。その時俺の視界の端に見知った顔が見えた。五辻樒……、あいつもこの川と滝を見に来たのか?偶然……、と片付けるには時間から行き先まで一致しすぎだよな……。まさか!?
五辻樒は俺のグループの誰かのストーカーをしているんじゃないのか?そういえばあいつ、初等科の時の卒業旅行でも見たぞ!絶対ストーカーだ!
誰だ?誰を狙っている?うちのグループの子達は皆可愛いから誰を狙っていてもおかしくはない。今は皆と卒業旅行中だから余計な揉め事で皆の気分を害したくない。でもこのまま放ってはおけない。隙を見てか、あるいは帰ってから俺が一人で樒をとっちめておかなければ……。
「どうしたんですか?咲耶ちゃん。そんなに難しい顔をして……」
「え?あぁ……、どうやら私も疲れたようです。一休みしましょう」
(((((咲耶ちゃんがこの程度で疲れるなんて絶対にない……)))))
俺も疲れた振りをして皆と一休みしてから駅へと向かったのだった。
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再び電車に乗った俺達はのんびりと電車に揺られて半島の西海岸側まで戻ってきた。半島の付け根に近いこの場所から内湾の反対側へ行けばネズミの支配する王国や俺達がやってきた都内だ。今夜はここのホテルで泊まることになっている。
ぶっちゃけここからなら家にも帰ろうと思えば帰れるんじゃないか?と思う。実際帰れる。でも皆とお泊りすることに意味がある。それもこのホテルは露天風呂だ!
ホテルなんだけど四人部屋の和室を二つ借りている。その和室には露天風呂がついているのだ!ここから帰るなんて馬鹿な真似をするはずもない!皆と露天風呂だ!ひゃっほい!
「さぁ咲耶ちゃん……」
「それではお風呂に入りましょうか」
「……え?もうですか?」
今日の同室である皐月ちゃん、椿ちゃん、蓮華ちゃんがじりじりと俺の方へとにじり寄ってくる。若干手をワキワキさせているような気がする……。何かこれはまずいんじゃないのか?
「さぁ……」
「さぁ、さぁ!」
「さぁ!さぁ!さぁ!」
「ちょっ……、皆さん落ち着いて……」
何か怖い!思ってたのと違う!もっとこう……、皆でちょっと恥らいながらどぎまぎしつつ一緒にお風呂に入るようなものを考えていたのに、今の皆は何か怖い!
「心配しなくても大丈夫ですよ咲耶ちゃん」
「不安なのは最初だけです」
「空の星を数えている間に終わるよ」
「ヒィッ!?皆さん落ち着いて!冷静に……、冷静に話し合いましょう!」
何か今の俺はゾンビに追い詰められている人みたいな感じだ。ここにきて今更一緒にお風呂に入らないとか言うつもりはない。そもそも修学旅行とかで大浴場でもうすでに一緒にお風呂に入ったりしている。だから一緒に入るのが駄目だとか言うつもりはない。だけどこれは何か違う気がする!
「ここには余計な教師も入浴時間制限も消灯時間もありませんからね……」
「ふっふっふっ」
「覚悟してくださいね咲耶ちゃん」
「ちょっ!まっ!アッー!」
俺の言葉も空しく皆は俺を無理やり剥いてお風呂に放り込んだ。三人で背中のみならず手足の先まで全てを洗われて、お礼にと俺も三人の背中を流して……、俺は大変な経験をしてしまったんじゃないだろうか……。
いつも読んでいただきありがとうございます。前話で致命的なミスがありましたので訂正のお知らせです。
第六百八十四話にて鬼灯、鈴蘭、紫苑も卒業旅行について聞いている描写があるのに、前話や今話以降に鬼灯達は知らなかったことになっております。
第六百八十四話にて知っていた方が訂正され、知らなかったというのが正史となります。致命的なミスを犯し読者の皆様に混乱を招き申し訳ありませんでした。訂正してお詫び申し上げます。
それとは別で、中等科のアメリカ修学旅行より前までは最後に旅先を紹介していましたが、アメリカ修学旅行から行き先や移動ルートについて紹介しておりません。もし詳しく知りたいという方がおられるようでしたら卒業旅行は最後に後書きで紹介しようかと思いますが……、特にわざわざ知りたい方はおられませんかね……。
いませんよね……。はい……。特に要望がなければこのまま書かないでおきます。




