第七百三十八話「咲耶ちゃん後援会」
鷹司家のパーティーの日、椛と茅と竜胆は集まって秘密会議を開いていた。茅と竜胆は招待客として招かれているが椛は招待されていない。今回椛はあくまで咲耶の付き人としてやってきた。だからあまり堂々と会場でうろつけない。菖蒲も招待されていないので三人だけで裏でこっそり集まっていた。
「それで結局私達の集まりの名前は何にするのよ?」
「ですから咲耶様翼賛……」
「それは正式に否決されましたよね?」
「「「…………」」」
三人の話は平行線を辿る。柚と杏のお陰でぼんやりと組織の方向性は決まってきたが、役割や方向性が決まれば決められるかと思っていた組織の名前がまだ決まっていない。
椛は『咲耶様翼賛会』などの名前を何度も提案しているが全員から反対されていつも否決されている。それでも次は『咲耶翼賛会』など微妙に言葉を変えて同じ提案ばかりしていた。他のメンバーからはもういい加減にしろと言われているが椛に諦める様子はない。
「じゃあ名前は良いからもっと具体的な活動内容を決めましょうよ」
「「う~ん……」」
竜胆にそう言われても二人とも唸ることしか出来ない。茅にとっては咲耶を陰ながら盗撮出来て、咲耶が何か困っていれば手助け出来るように見守っていられればそれで良い。正直この集まりの組織だの活動内容だのにはあまり興味はなかった。
椛は椛で元々咲耶にくっつき、かなりの時間を共に過ごしている。色々と相談されたり協力を仰がれたりもしている。だから椛にとっても実はこの組織がそれほど重要であるという認識はない。むしろ自分の役割を他のメンバー達にも奪われるとか、分けなければならないのではないかとすら思っている。
では何故椛や茅がこの組織の結成に賛成したかというと……、冷静になってみればただの思いつきと『影の親衛隊』への対抗意識だけだった。
影の親衛隊がかなり組織立っており、何やら闇組織や特殊部隊のように活躍しているという情報が入ってきている。それに触発されたとか、自分達もぼんやりしていたら立場を奪われかねないと思って動き始めたのだ。
ただその組織が自分の足を引っ張るのでは意味がない。椛や茅にとっては組織が自分の思い通りに動いてくれて、自分の得になるからこそ意味があることなのだ。自分が不利益を蒙ったり、得ていた物を組織で分けなければならなくなるのならわざわざ組織に協力する意味はないと思い始めていた。
『影の親衛隊』には紫苑という絶対的な隊長が居り、そこに海桐花と蕗という参謀が加わることで組織として動くようになり始めた。翻ってこちらの集まりには自分の利益や権力を要求する船頭が多く、迷走、空中分解の危機に瀕している。まだまともに纏まってもいない段階ですでにこの組織はお終いかに思われた。
しかしっ!
「あら?面白いお話をしているわね」
「私達も混ぜてもらえないかしら?」
「「「――ッ!?あっ、貴女達は!?」」」
密かに裏で会話していたと言っても完全に防音の施された、誰も近寄ることのない場所で話していたわけではない。椛が招待客ではなく咲耶のお付として来ていたのでバックヤードや控え室のある辺りでこっそり話していただけだ。
そもそも危険な会話をするつもりはなく、折角鷹司家のパーティーである程度のメンバーが集まっていたから決まっていないことを話し合おうと思っていたに過ぎない。組織の方向性や組織名の話し合いなので万が一多少聞かれてもどうということはない内容しか話さないつもりだった。
ただ椛と茅が興奮して口論になっていたので、本来は大きな声で言うつもりのなかったことまで少し話してしまっていたかもしれない。咲耶付きのメイドである椛が咲耶を支援するのは当然であり、茅や竜胆が咲耶派閥であることは周知の事実となっている。具体的な活動内容や変な組織名にならない限りは多少聞かれても問題はないはずだった。相手によっては……。
しかし聞かれてはまずい相手というものも居る。その相手に迂闊にも聞かれてしまったことに椛は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「マダム達……、これは……」
「いいのいいの」
「そうそう。取り繕わなくても良いのよ」
「もうこの子に聞いてるんだから」
「ごめんなさぃ~……、茅お姉様ぁ~……」
「――ッ!睡蓮……」
グランデの樽マダム達の後ろから姿を見せたのは睡蓮だった。睡蓮も五北会メンバーの家なので当然鷹司家のパーティーに呼ばれている。咲耶が鷹司槐のパートナーとして挨拶を受けている間に、挨拶の順番の早い竜胆や茅が椛と合流して話をしていた。
話に夢中になっていて気付かなかったがそう言えば多少順位が後になるとはいえ睡蓮が合流してくるのが遅かった。そのことに気付いていれば何かあったのかと警戒出来たのかもしれない。しかし椛と茅は口論に熱中するあまり周囲に注意が向いていなかった。その隙に樽マダム達は睡蓮から詳しい話を聞いてしまったのだろう。
この密談の場に現れたのも偶然ではなく、睡蓮にこの場で話し合いをしていると聞いてやってきたに違いない。ならば今更とぼけることも無視することも不可能だ。
「睡蓮ちゃんは悪くないのよ」
「そうそう。だから睡蓮ちゃんは責めないであげてね?」
「飴ちゃん食べる?」
「くっ!」
まさかグランデに通っていたことがこんな場面で仇となるとは……。茅の頭はそれで一杯になった。咲耶に近づき、水着姿を拝み、着替えを覗く為に睡蓮を利用してグランデに一緒に通った。しかしそのことでこの樽マダム達と茅と睡蓮は繋がりが出来てしまった。
それまでの付き合いといえばパーティーなどの社交場でたまに顔を合わせて挨拶をする程度の仲でしかなかった。しかしグランデで睡蓮が樽マダム達と親しくなってしまったせいでつい口を滑らせたのだろう。こうなってくると日ごろから睡蓮に餌付けしていたのも樽マダム達はこうなることを見越して狙っていたのかとすら思えてくる。
「そう警戒して睨まないでちょうだい」
「そうそう。私達は別に貴女達の邪魔をしたいわけじゃないのよ」
「飴ちゃん食べる?」
「「「…………」」」
樽マダム達の狙いがわからず下手なことは言えない。椛、茅、竜胆は警戒は解かないまま必死で頭を働かせていた。
「貴女達咲耶ちゃんを応援するために組織を作ろうとしているんでしょう?」
「それに私達も協力したいだけなのよ」
「咲耶ちゃんのためにこれからはもっと協力していきましょう?」
「それは……」
樽マダム達の言葉に椛と茅はアイコンタクトをする。樽マダム達がどういうつもりかはわかった。しかし組織については自分達と樽マダム達では恐らく齟齬がある。樽マダム達が考えているのは表のファンクラブのようなものを想定しているに違いない。それに比べて椛達が考えているのは裏方に徹する裏組織のようなものを考えている。
樽マダム達が参加して協力すべきなのは表で普通に活動しているファンクラブであり、椛達のこの組織ではない。確かに樽マダム達の影響力や財力、人脈など利点や利用価値は計り知れない。だが自分達が考えているのはそんな普通の表向きの活動をする組織ではないのだ。
ありがた迷惑!圧倒的ありがた迷惑!
しかし『貴女達が考えているような組織ではないので協力は結構です』とは言えない。それではどんな組織なのかと問われた時に答えられない以上は説明出来ない。
「ああ、大丈夫よ。貴女達の懸念も組織についてもわかっているわ」
「そうそう。普通のファンクラブのようなつもりじゃないから安心して」
「「「――ッ!?」」」
樽マダム達の言葉に一瞬緊張が走る。それと同時に組織についてまでべらべらとばらしたのかと茅が睡蓮を睨んだ。
「だから睡蓮ちゃんが口を滑らせたわけじゃないから責めないであげてね」
「私達の情報網だってそれなりに使えるでしょう?」
「咲耶ちゃんもそろそろ子供じゃいられない年頃だものね。そういう力も必要になってくるわ」
「その力を……」
「私達が……」
「貸してあげるわ」
「「「…………」」」
ゴクリと誰かの喉が鳴った。樽マダム達の迫力に気圧されたからなのか、その提案に何かを感じたからなのか、そもそも誰の喉が鳴ったのか、それはわからない。ただこの瞬間、確かにここに新たな組織が誕生したのだ。
これまでのような旧『アダルト三人衆』のようなあやふやで目的も実態もない集まりではない。明確な意思と目的を持ち、そのための手段と力を持つ集団……。咲耶を取り巻く第三の勢力が今確かにここに結成された。
「そうなると名前も必要よねぇ……」
「そんなの『咲耶ちゃん後援会』しかないでしょ?」
「シンプルイズベストね!」
「いや……、あの……、咲耶様翼賛会……」
椛の意見など聞くこともなく樽マダム達は勝手にどんどん話を進めていってしまう。組織名は『咲耶ちゃん後援会』に決められ、活動内容もまさに後援会という形のものになっていく。椛や茅が止めようとしても樽マダム達を止めることは出来ない。
「立場やネームバリューから考えて会長は一条さんちの椛ちゃんにお願いしようかしら」
「椛ちゃん……」
三十前……、もとい二十代半ばの椛が『ちゃん』呼ばわりで困惑する。しかし樽マダム達から見れば椛などまだまだひよっこの『ちゃん』扱いだ。
「じゃあ正親町三条さんちの茅ちゃんは副会長ね」
「菖蒲ちゃんも所属してるのよね。だったら菖蒲ちゃんは参謀ってところかしら」
「竜胆ちゃんは待っていてね。やっぱり年齢や立場っていうものはあるから、竜胆ちゃんは後継者ってところかしら」
「いや……、あの……」
椛達が何も言う暇もなく勝手に組織まで作られていく。役職も決められるが止めようがない。
「おばちゃん達は裏方で若い子達を支えて指導するだけだから顧問で良いわよ」
「こうなってくると手駒……、実働部隊も必要になってくるわね」
「予算はうちからも出すけど人材はお願いね」
椛や茅がポカンとしている間に本当に本物の組織が出来上がってしまっていた。紫苑達の組織も子供が作ったにしては良く出来ている方だろう。また忠誠心や行動力においては相当なものだ。しかしこちらはレベルが違う。本当に、財力と権力と経験を持った大人達が本気で組織を作っているのだ。
その組織力、財力、影響力、人脈は桁が違う。子供の遊びではない本物の後援会があっという間に出来上がってしまった。
「それじゃこれからはより一層よろしくね」
「ははは……」
「こんなはずでは……」
茅と椛はあてが外れた。しかしそれは咲耶にとってはとても重要で大きな力となる組織が誕生した瞬間だった。
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「……ということになったのよ」
「ふぅ~ん……」
椛のこれまでの説明に菖蒲は気のない返事をしていた。というか恐らく菖蒲はまったく実感が湧いておらず事態を理解していないのだろうと椛は判断した。
「菖蒲!事の重大性がわかってないでしょ!?あのマダム達が本気で組織を作ったのですよ!?しかも私達が役員で!」
「わかってるわよ。でももうあのマダム達が本気で作ったのなら今更なかったことには出来ないんでしょ?だったら慌てても仕方がないしやめることも出来ないじゃない」
「それは……」
平坦な声でそう言う菖蒲の言葉に椛は何も言い返せなかった。咲耶が心の中で『樽マダム』と呼んでいるグランデのマダム達は皆一筋縄ではいかない各界の重鎮やその妻達だ。その影響力は計り知れずマダム達が結託すれば近衛家や九条家でも無視し得ない。
菖蒲は事の重大性をわかっていなかったから反応が鈍かったのではなく、相手の強大さがわかっているからこそ、それを聞かされて『今更慌ててももうどうしようもない』と理解したのだ。
「それに案外これで良かったんじゃない?これでちゃんと組織も固まって役割も仕事も決まったじゃない。あのまま空中分解して消滅してたかもしれないことを考えたらこれで良かったのよ。それなのに椛は何が不満なわけ?」
菖蒲はいつまでも組織名も方針も方向性も決まらないことに呆れていた。それを思えば外部からの干渉があったとはいえ全てきちんと決まって活動が始まりそうなのは良いことだとすら思える。咲耶のことを一番に考えているはずである椛が、ちゃんと咲耶のためになる組織が出来たというのに何の不満があるのかわからない。
「咲耶様翼賛会……」
「……は?」
ぼそりと呟いた椛の言葉に菖蒲が首を傾げて耳を向ける。
「名前!『咲耶様翼賛会』がよかったのに!『咲耶ちゃん後援会』なんて芋くさい名前なんて嫌です!」
「はぁ……。そんなこと……?」
「そんなことって何!?名前は大事なんです!それがわからない菖蒲はここの支払いをしてください!」
「ちょっ!?待ちなさいよ!私も給料日前で持ち合わせが……」
「「…………」」
こうしてその日も二人は鞄の底まで漁って中に小銭が転がっていないか探し、財布の中身を全て出してギリギリで支払いを済ませたのだった。




