第七百二十話「順調」
生徒会役員選挙の週に入って数日が過ぎた。俺は相変わらず棗の応援演説に駆り出されている。柾が言ったように確かに俺は応援演説をしているだけで他の手伝いはしていない。他の棗の応援者達は演説の準備や片付け、あちこちで声かけやボランティア活動への協力など色々と忙しそうにしている。
俺は何もしなくて良いと言われていた通り、ただ協力者達が準備した舞台や壇上にあがって演説をするだけだ。終われば後片付けをすることもなく帰れば良い。でもそうは言われても実際に皆が働いているのに自分だけあとから来て手伝いもせず演説だけして、後片付けもせずに帰っていくだけというのは非常に気まずい。
俺が応援演説をするのは朝か昼だけにしてもらっている。放課後は皆との勉強会もあるし、そもそも授業が終わればすぐに帰る生徒と部活動に行く生徒がほとんどだ。そんな中で演説をしても効果が薄い。まったくないことはないだろうけど、さっさと帰りたいと思っている帰宅部の生徒達がいちいち演説に足を止めて聞いてくれるわけもない。
そんなわけで俺が応援演説をするのは朝か昼の効果が高そうな時だけにしてもらっている。そして俺は朝の登校時間をこれ以上早く出来ない。なので結局朝は準備の手伝いなど出来ず、片付けを手伝おうにも俺は一度も教室に帰っていないのでギリギリまで手伝っているというわけにもいかない。
結果やはり俺は準備や片付けはほとんど手伝わず、ただ後からやってきて演説だけしてさっさと帰っていくという形になっている。もしそんな奴が応援者の中にいたら普通は不平不満が溜まるよな……。
自分達はもっと朝早くから来て準備を行い、終われば片付けをしてから教室へと帰っている。それなのに準備もせずにふらっと遅れてやってきて、演説だけして片付けもせずに帰っていく者がいたら他の応援者、支援者は良い気持ちがするはずがない。それはわかっているけど朝はこれ以上早く来れないしなぁ……。
そもそも俺は自発的に棗の応援をしているわけじゃなくて、頼まれたから仕方なく応援しているのであって、その時に準備や後片付けのような雑用はしなくて良いから応援して欲しいと言われている。俺が準備も片付けもしないのはそういう約束で、俺はそれだから引き受けたのであって何も気に病む必要はない……、はずだ。でも気になる。俺の方が気にしてしまう。
「咲耶様!これでどうですか?」
「え?どれどれ……」
薊ちゃんが差し出してきたグラスを受け取ると……、ストローで吸い込んだり、一度に飲んだらやばいと察して少しだけグラスを傾けて少量だけを口に含んだ。その瞬間……。
「コフッ……」
「どうですか?咲耶様!」
薊ちゃんは目をキラキラさせて俺を見ている。でも俺がむせたことを見ていたはずだよね?わかってて言ってるのかな?そもそも俺に出す前に味見してみたらわかるんじゃないかな?
「薊ちゃん……、正直に言いますね?飲めたものではないです……」
「えぇ~……、そんなぁ……」
薊ちゃんに渡されたグラスを返しながら正直な感想を伝える。今はクラスで文化祭の準備を行っている。男子の大半は露店を作ったり、設備関係を整えている。女子は接客の練習と、提供するジュースのカクテルのレシピ開発に取り組んでいた。
「薊ちゃんはまずきちんと分量を量ってレシピ通りに作るところから始めましょう……」
「ちゃんとレシピ通りに作ってるんですけど……」
うん。絶対レシピ通り作ってないよね?レシピ通りに作っていてあんなに酸っぱいはずがない。明らかに分量を守っていないか、勝手に余計な物を加えている。どうして薊ちゃんはレシピ通りに作れば良いものに勝手に何かを加えて失敗するんだ?
「薊、あまりレシピを守らないようだと調理、接客係から外すわよ」
「ちょっ!それは駄目よ!私は咲耶様と一緒に店員をするんだから!」
皐月ちゃんの言葉に薊ちゃんが食ってかかる。でもほとんどのクラスメイト達は皐月ちゃんの言葉に力強く頷いていた。皆も薊ちゃんの調理の危険さに気付いてくれたようでよかった。
「咲耶ちゃん、これでどうでしょうか?」
「……うん。これなら良さそうですね」
芹ちゃんが出してくれたカクテルを飲んでから頷く。俺達は今ジュースカクテルのレシピを試している。スタンダードな作り方やレシピはフレーバーなどにも書かれているし、少し調べれば色々と公開されているレシピを見つけることが出来る。
俺達も基本的にはそういった標準のレシピを踏襲しているけど、出来れば目玉商品になるような俺達のオリジナルレシピは出来ないかと挑戦中だ。
レモネードスタンドのメニューは基本的には標準的なレシピを採用することになっている。それは分量や割合さえ守れば誰でも作れる普通の味のものだ。一部、何故かレシピ通りに作ったと主張しているけどまったく別物に仕上がっている子がいるけど……。薊ちゃんとか薊ちゃんとか薊ちゃんとか……。
ただそれとは別に何かオリジナルカクテルのようなものが出来ればと思っているけどそう簡単にはいかない。俺達が今パッと思いつくようなことはすでに誰かが試している後であり、俺達が作るまでもなく成功している物はすでに完成されている。他にないようなことをしようとしたり、作ろうとしたらほとんどは失敗作にしかならない。
ただそんな物凄く変わったことをしなくても、少しレモン果汁とか酢橘とか、ライムとかグレープフルーツとか、酸味のあるような物を少量混ぜるだけでも印象はかなり変わる。お酒にしろジュースにしろカクテルに柑橘類の果汁などは良く合う。
ジュースでもサイダーとかにはレモンと書いてあるし、カクテルでもレモンやライムは定番中の定番だ。入れすぎずに少量を加えるだけならとても爽やかになって飲みやすくなる。薊ちゃんみたいに大量に入れたりしなければな……。
「それではこの基本メニューと、三種のオリジナルメニューで良いでしょうか」
「「「異議なーし!」」」
標準的なフレーバーのレシピと、少しだけ手を加えたオリジナルメニュー三種で決定となった。今回の文化祭は今までになくスムーズに進んでいる。
「それじゃこのオリジナルメニューの名前を決めましょうよ!」
「じゃあこれは咲耶様スペシャルで!」
「むっ!それじゃこっちは咲耶ちゃんスペシャル!」
「こっちは咲耶ちゃんミックスかなー?」
「ちょっ!?皆さん落ち着いて!そんなややこしい上に人名を入れるようなものはやめましょう!」
皆の意見を聞いてギョッとした俺は慌てて止めに入った。このまま黙って聞いていたら俺の名前が入ったジュースにされてしまう。いくら何でもそんな恥ずかしい名前の商品を出されたら俺はもう学園に来れなくなってしまう。自分達のレモネードスタンドで自分の名前が入った商品を出すとかどんだけ恥ずかしい奴なんだよ。
「え~?良い名前だと思いますけど……」
「名前が駄目ならSKYスペシャルとか?」
「皆さんもうちょっと真面目に考えてください」
「真面目に考えてるんだけどなー」
駄目だ。俺が止めなければ皆は本気で咲耶○○とかいう商品名にしかねない。とにかくそれだけは断固阻止だ。そんな恥ずかしすぎる名前なんて許可出来ない。
「では咲耶ちゃんはどのような名前が良いとお考えですか?」
「えっ!?それはぁ~……、そのぉ~……」
皐月ちゃんに突っ込まれてしどろもどろになる。俺はそういう名前を決めるとかはとても苦手だ。女の子らしい感性で可愛い名前の一つでも言えれば良いんだけど、中身が男である俺にそんな可愛らしいセンスなどあるはずもない。
「やっぱり咲耶スペシャルで……」
「わー!わー!それは駄目です!えっと……、えっと……、りっ、リンゴレモンとか!」
「「「…………」」」
「ないです」
えぇ……。何か皆に物凄い白けた目で見られている。どうしてだ……。リンゴのフレーバーにレモン果汁を加えているのならリンゴレモンとか、そういうわかりやすいのが良いと思うんだよ。名前を聞いただけでどんなものかわかるような、わかりやすいのが良いはずだ。
「名前が駄目なら……、あっ!それじゃあ『完璧女帝スペシャル』とかどうですか?」
「良いですね!」
「いや……、ちょっ……、待っ……」
「『完璧女帝スペシャル』『完璧女帝ミックス』『完璧女帝オールイン』とか」
「いいね、いいねー!」
俺の制止も効かずに皆がどんどん暴走している。しかもグループの子達だけじゃなくてクラスメイト達まで悪乗りしているのかやんややんやと持て囃している。これはまずい。この流れは危険だ。どうにかしなければ……。
「全て同じでは分かりづらいでしょう!もう少し変えましょう!それとどうせ内容がわからない名前にするのならスペシャルとかミックスとかよくわからない文字も取ってしまいましょう!」
「「「なるほど……」」」
今までは俺の言葉は全て聞こえないかのようにスルーされていたというのに、今度の意見は皆に聞こえていた。随分都合の良い耳だ。でもとにかくどうにか変えさせなければ恥ずかしい名前に決まってしまう。
「じゃあ『完璧女帝』『華麗女王』『清楚女王』なんてどうですか?折角このクラスにはお三方がいるんですし!」
いや、何が折角やねん。そんな名前が受け入れられるわけ……。いや、待てよ?
薊ちゃんが『華麗女王』、皐月ちゃんが『清楚女王』って呼ばれてるんだったよな?だったら二人もそんな恥ずかしい二つ名?を商品名につけられたら嫌なはずだ。これで俺の気持ちもわかってもらえたはずなわけで、三人でこの手の名前をつけることに反対したら皆を説得出来るかもしれない。
「良いですね!咲耶様と一緒に私のあだ名まで商品名にしてもらえるなんて光栄です!」
「まぁ悪くないですね」
薊ちゃぁ~~~ん!皐月ちゃぁ~~~ん!それで良いのか?とっても恥ずかしい名前を付けられていると思うぞ!それで良いのか?
「私は変えた方が良いかと……」
「そういうなら咲耶ちゃんが代わりの名前を挙げてください」
「ぅっ……」
そう言われると辛い。俺が候補をいくつか挙げても全て却下されてしまった。そんなに俺のセンスって悪いかな?そんなことはないと思うんだけど……。
「それではこれで決定ですね!」
「うぅっ……」
結局基本メニューは名前通りに、三種のスペシャルメニューは『完璧女帝』『華麗女王』『清楚女王』という名前に決まってしまった。俺は最後まで反対したんだけど、他の二人が乗り気だった以上はクラスの中で俺だけが唯一の反対だったわけで、多数決にしろ何にしろ俺の意見が通る見込みはない。
「はぁ……。もう良いですよ……」
とりあえず咲耶○○とかのネーミングから外れただけでも良しとしておこう。最悪の場合はそんな名前にされかねなかったわけで、それを思えばまだ何の意味かわからない今の名前の方がマシだろう。
「錦織君、露店の方の進捗はいかがですか?」
「ああ、九条さん。うん。良い感じだよ」
ジュースカクテルのメニューが決まったので店舗の出来を確認しに男子の方へとやってきた。男子達が日曜大工よろしくトンテンカンと釘を打ち付けている。腕は拙いながらもさすがは男子だ。貴族の息子達といってもこれくらいはやろうと思えば出来るらしい。
腕前や出来栄えがどうかはともかく、金槌で釘を打ち付けることくらいは……。
「あっ……」
「あ~ぁ……」
叩いていた途中で釘が曲がってしまって明後日の方へ向いてしまっている。やっぱり貴族のボンボン達じゃこんなもんか。でも俺が口を出すとまたややこしいことになりそうなので黙っておこう。
「メニューもある程度出来ましたので、女子の方も看板などや色塗りなどで協力出来ると思いますよ」
「そっか。それは助かるね」
メニューとレシピは決まったのであとは練習あるのみだ。しかも大半の子にとってはただレシピ通りに量って混ぜるだけなので難しいことはない。一部の子達が勝手にレシピとは違うことをしようとするのを止めるか、ちゃんとレシピ通りに作らせることだけが問題だ。
「次からは接客マニュアルを覚えた子達は看板や塗装の手伝いに回ってもらいましょうか」
「うん。そうだね。それじゃまずは今日のうちにある程度枠組みは完成させておかないといけないね」
今回の文化祭の出し物は本当に順調だ。この調子なら文化祭本番よりずっと前に準備が完了出来るかもしれない。俺が生徒会役員選挙に駆り出されているから何かと面倒かと思ったけど、これは思ったよりもうまくいきそうだ。




