第七百十九話「進む文化祭の準備」
はぁ……。月曜日の朝だというのに憂鬱だ……。
『皆様、難波棗!難波棗をよろしくお願いいたします!難波棗はこれまで一年間生徒会副会長として職責を全うしてまいりました!生徒会の仕事については熟知しております!これまでの一年間の仕事ぶりは皆様もご存知のことと思います!藤花学園の生徒のために次の一年も働きたいと申しております!どうか!どうか難波棗を生徒会長に!清き一票をお願いいたします!』
月曜日の朝から俺は何故か棗の応援演説をしていた。去年は柾のために止むを得ずこういうことをしたけど、今年はこんなことはしなくて良いという話だったはずなのに……、どうして俺が毎年のようにこんなことをしなければならないのか……。
俺は生徒会なんて知ったことじゃない。しかも応援しているのが棗だなんてますます知ったことじゃないはずだ。それをこんな……。
そもそもで言えば棗がこれまで一年間もあったのに、実家や一条派閥との関係改善をしてこなかったのが悪いんじゃないのか?その尻拭いをどうして俺がしなければならないんだ!
まぁ……?そもそも実家や一条派閥との関係が悪化した原因が俺なわけで……、そのことについては悪かったと思っている。だからこそ藤寮に入れるように段取りをつけて、学園外で妙なことをする輩が現れないように影ながら護衛もつけていた。
同じく責任を感じていたのか柾も棗とぴったり一緒にいて守っていたんだろう。その過程で二人が真実の愛に目覚めて今や相思相愛になっていることは周知の事実だ。俺は同性愛に偏見はないので二人がそういう関係だからといって何か言うつもりはない。ただ俺を巻き込むのはやめて欲しい。
とりあえず!とりあえず今週だけだ!生徒会役員選挙の投開票が行われる今週末までだけ手伝ってやる!
とにかく棗を生徒会長に当選させる。それだけでも一条派閥は手出ししにくくなるはずだ。公人である生徒会長にさえしてしまえばそう簡単に表立って手出しは出来なくなる。それから棗と実家の難波家の関係を改善させる。
難波家は押小路家と同じ極位極冠は従三位だ。実質地下家の中でもほぼ最高位クラスであり、いくら一条派閥の者達といえどおいそれと難波家と表立って争うことは出来ない。棗と実家の難波家を仲直りさせて、難波家で庇護させるだけでも相当な抑止力になる。
一条派閥というか一条家は堂上家ですら簡単に切り捨てて潰してしまった過去がある。だからいくら地下家最高位クラスだったとしても難波家程度潰すことに何のためらいもないかもしれない。それでも実際に実行部隊にされるであろう他の一条派閥の地下家達よりも上位というだけでもそれなりに効果があるはずだ。
俺がすべきことは棗を生徒会長に当選させ、難波家との関係も改善させる。出来ることなら一条派閥とも仲直りさせて狙われないようにしてやることだけどそこまで出来るかは保障出来ない。そもそもそこまでは俺の責任じゃないし本人がやる気にならないことには不可能だ。俺が押し付けてやらせたり関係改善させたとしても意味はない。
……偉そうに言っている俺だって母との関係が改善するまでに考えようによっては十年近くもかかっていることになる。
今でこそ俺と母はそれなりに普通の母娘らしい関係になれたと思うけど、少し前までは親子というより生徒と先生のような堅苦しさがあったとすら言える。幼少の頃に母との関係がこじれてから徐々に改善されるまでかなりの時間を要した。そんな俺が偉そうに棗に『この一年何をしていたんだ!』なんて言えるはずもない。
でもそうだったとしても……、このまま棗と難波家の関係が悪いままなのは困る。今後棗がイジメられたり、ましてやそれを苦にして自殺でもしようものなら俺はご飯をおいしく食べられなくなるし、ゆっくり眠ることも出来なくなってしまう。俺のためにも棗をある程度安定した立場と状況にしておかなければならない。
それでも棗が何かを失敗したり、イジメられたりしてもそこまでは知らない。それは本人の問題だ。ただその道筋もつけずに俺達が卒業すると同時に放置して後は知らないというわけにはいかないだろう。
「咲耶様!応援演説ありがとうございました!後の片付けはこちらでやっておくので咲耶様はもうお休みください!」
「そうですか……。それではお願いしますね」
応援街頭演説を終えた俺は後片付けは棗達に任せて教室へ向かうことにした。俺は朝の登校時間を早めることは出来ない。だからこんな時でもいつも通りの登校時間にやってきた。
当然そんな時間に登校してきたら一度教室に行って荷物を片付けてくる時間などない。登校してすぐに棗達と合流して朝の演説を行った。グループの皆に何も言えていなかったし早く教室に向かおう。
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「御機嫌よう皆さん」
「……御機嫌よう咲耶ちゃん」
「おはようございます、咲耶様……」
う~ん……。何か皆の様子がおかしい。挨拶は返してくれているけど明らかに皆のテンションが低い。
「あの……、皆さんどうかされましたか?」
「どうもこうもないですよ!どうして選挙の応援のことを言ってくれなかったんですか?」
「そうです!水臭いじゃありませんか!」
やっぱりそのことですよねぇ……。そのことについて言われるだろうなとは思っていた。今日は普通の登校日だったからいつも通り俺より後に登校してくる子がほとんどだった。だから俺が朝から棗の応援演説をしていれば登校時にそれを見て気付く子がいるだろうと思っていた。
皆だって何故今日俺が教室に来るのが遅いのかは応援演説を見てわかっていただろう。ただ何故それを事前に言ってくれていなかったのかと怒っているんだ。
「私もこのことを知らされて協力することになったのは金曜日の放課後、五北会からの帰りの時でして……」
「それでもグループチャットとかで言えましたよね?」
「はい……。すみません……」
ですよねぇ……。本気で皆に知らせようと思ったら、土日の間に連絡する方法なんていくらでもありましたよね……。それをしなかったのは俺の落ち度です。でも俺もまだ信じたくなかったんだよ。まさか今年も選挙の応援演説をさせられるなんて……。
「まぁまぁ……、この話はこれくらいにしませんか?咲耶ちゃんにも事情があったのでしょう」
「芹ちゃん……」
皆が頬を膨らませている中で芹ちゃんが間を取り持ってそう言ってくれた。芹ちゃん……、君はなんて天使なんだ!本当に良い子すぎる!
「はぁ……。仕方ありませんね……」
「それではこれは咲耶様への貸し一つということで」
「咲耶ちゃんは私達の言うことを聞くのだー!」
「あははっ……」
何故か俺が借りを作ったことになったようだ。でもそれくらいで皆が許してくれるのなら安いものかな。ともかく皆の機嫌も直ったようなのでよかったよかった。
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朝のホームルームが始まって担任から色々と連絡事項があった。今週は生徒会役員選挙があるし、文化祭の出し物についても正式に決定した。やるべきことやイベントがたくさん詰まっている。
「え~……、生徒会役員選挙は正式に立候補者が決まりましたので各自で確認しておいてください。文化祭の出し物については先週末の会議の結果はプリントの通りです」
う~ん……。去年の担任は色々と説明も丁寧だったけど今年の担任はあまりやる気が感じられない。プリントだけ配って勝手に自分達で中身を確認しておけという感じの説明が多い。そこは普通教師として生徒達にちゃんと口頭で説明しておくべきなんじゃないのか?
まぁ教師なんてそんなものか……。生徒にとっては教師は唯一無二の存在だったとしても、教師にとっては毎年何十人といるその他大勢のうちの一人に過ぎない。クラス替えや卒業までに大きな問題さえ起こらなければ良いのであって、生徒達のためではなく自分の安泰と給料と出世のために毎日卒なくこなしているだけだ。
本当の意味で生徒のことを考えている教師なんてほとんどおらず、仮に教師になった直後はそんな理想に燃えている教師でもあっという間に周囲のベテラン教師に染められて、組合に染められて、『自分が担当している間に問題が表沙汰にさえならなければ良い』と考えて行動するようになる。
今年の担任だけが特別こうなわけじゃなくてこれが教師というものだ。
「今年の喫茶店は二クラスだけのようですね」
「本当ですね」
去年の喫茶店は五クラスが立候補して三クラスが認められたのに、今年は喫茶店希望のクラスがそもそも二クラスで両方とも通っている。火や水やお湯の関係で喫茶店が可能な教室は限られている。だから数に制限があるのは止むを得ないけど今年はまた急激に減ったものだ。
恐らく去年の三クラスの失敗を見て皆敬遠するようになったんだろう。勝算もないのに去年の惨状を見て今年も喫茶店をやろうと思う者は少ないはずだ。逆に言えば今年も立候補したクラスは何らかの秘策を練っているのかもしれない。
「今年は小物販売のクラスが多すぎませんか?」
「どう考えても去年の私達の真似ですよね!」
「まぁまぁ薊ちゃん……。文化祭の出し物など種類や出来ることに限りがありますし、同じようなものの繰り返しになるのは止むを得ませんよ」
実際本当に去年の俺達を見て真似しているクラスもそれなりにあるのかもしれない。でもそんなことを言い出せばキリがないし、真似してはいけないという決まりもない。むしろ他人の良い所はどんどん真似をして、さらにそこに自分達の創意工夫を加えていくことこそがより良い発展になると思う。
まったく完全に劣化コピーするだけじゃ意味はない。商売でも商品でもそういう二匹目のどじょうを狙うような者……、それどころか権利侵害をしてコピーするような者もいるけどそれらは論外だ。だけどただの劣化コピーではなく、良いところは取り入れてその上でさらに自分達が改良していくのなら、それは進歩とか進化と呼んでも良いものだろう。
「レモネードスタンドのクラスは他にありませんね」
「今までそういった露店を申請したというクラスがありませんでしたからね」
初等科の七夕祭りで露店を招くようになってから随分変わったとはいえ、それまではどことなく『露店なんて』と蔑むような部分や意識があった。中等科の文化祭でも高級志向や貴族志向が抜けず、出し物や販売物はそれに見合うようなものが好まれ、選ばれていた。だからこそ失敗していたとも言えるけど……。
たかが八百万円の予算で上位貴族達が真の満足を得られる物を用意するのは難しい。そこで本来なら創意工夫や付加価値をつけて乗り越えるものだと思うけど、これまでの藤花学園ではそういうことは難しかった。結果何をやっても中途半端で喫茶店も『必ず失敗する鬼門の出し物』となっていたわけだ。
今の世代の藤花学園の生徒達は幼少の頃から露店にも触れてきたし、ただ高級ならそれで良いという思考からは抜け出している。安い物やつまらない物でも付加価値をつけて高めることでそれなりの満足を得られることを知っている。
「三年三組の出し物も正式に決まりましたし、これからどんな準備をしていけば良いですか?咲耶様!」
「そうですね……。露店の店舗……、設備や外観を整える班と、接客の班に分かれて準備を進めるのはどうでしょうか?接客班は注文を受けたり金銭のやりとりはもちろんですがジュースもうまく作れるようにならなければなりません。そういった練習や提供するジュースの種類も決めていきましょう」
「面白そう!」
「私は接客がいいです!」
「なるべく多くのクラスメイトに接客やジュースを作る機会が回るようにしたいですね」
俺達だけじゃなくてクラスメイト達も一緒になってあれこれと決めていく。実際にフレーバーや果汁を買ってきて提供するジュースを試作することや、材木やシートを買ってきて店を手作りすることなどがどんどん決まっていった。
客からお金を取って商売をするんだからジュースの味や品質は一定の方が良いというのは確かにある。でもその時の担当次第で色々と味が変わるというのも面白い。飲めないような味のジュースを出すというのは問題外だけど、入れる人によって多少の個性が出るのはこういったものにおいて一つの醍醐味じゃないだろうか。
ある程度は分量やレシピを決めて守ってもらうけど、そこに少しの各自の工夫や個性が入るのは面白い。やりすぎないように接客係で揃って練習したり研究したいものだ。
「今日だけでかなり決まりましたね!」
「そうですね。元々それほど難しいことでも、やることが多いわけでもありませんから」
いつもなら文化祭の出し物の話になるとかなり揉めたり長引いたりする。でも今年はかなりスムーズに決まっていった。早速必要な物を買いに行ってどんどん準備を進めたいところだ。




