第七百七話「風船運びの練習」
今日の体育は風船運びの練習だ。ムカデ競走は前回練習したし皆納得のことなので誰憚ることはない。
「それでは誰から行きますか?」
「「「…………」」」
あれ?いつもならこういう時に一番最初に名乗り出るはずの薊ちゃんが黙っている。風船運びのメンバーは皆お互いに顔を見合わせていた。
「こういう時はいつも薊ちゃんが一番乗りだったような気がしますが……」
「うぇっ!?わっ、私はちょっと……、その……、後で……」
えっ!?明らかに薊ちゃんに避けられている!?もしかして俺……、薊ちゃんに嫌われてしまったのか?
いつもこういう時は薊ちゃんが一番最初に名乗り出てくれていた。それなのに今日は確実に嫌がられている。これは俺が知らない間に薊ちゃんに嫌われてしまったということではないだろうか……。そう思うと胸がギュッと苦しくなって息が出来ない。
「薊ちゃんはねー!いつも先に立候補して失敗してるから今度からは他の様子を見てからにするって言ってたよー!」
「ちょっ!?譲葉!それは咲耶様には言わないでって言っておいたでしょ!」
「えー?そうだっけー?あははー!ごめんごめーん!」
「……え?」
もしかして……、俺が嫌われたわけじゃない?
「はぁ~~~……。そうでしたか……。てっきり……」
「『てっきり』なんですか?」
「うわっ!いえ……、何でもありませんよ……。あはは……」
急に近くから顔を覗き込まれて声が裏返ってしまった。てっきり薊ちゃんに嫌われたのかと思った。そう思うと胸が苦しくて、呼吸も出来なくて、世界が足元から崩れ去ってしまったかのような気さえした。
でもそれは正確じゃなくて……、薊ちゃんが一番を避けようと思ったのはこれまでの失敗から学んだかららしい。そう言えば薊ちゃんはいつも一番に手を上げてくれるけど、毎回のように後悔しているような気がする。それならば一番に名乗りを上げるのを躊躇うようになったというのも頷ける話だ。
「それじゃ私が一番に行きますね」
「茜ちゃん……。はい。よろしくお願いしますね」
薊ちゃんが名乗り出ないので茜ちゃんが名乗り出てくれた。二人でスタート位置に立って準備を行う。
風船運びは二人が抱き合うような形になって、お互いの胸の間に風船を挟んで運び、一定のコースを走る種目だ。二人三脚のように足は固定されていないけど、間にある風船を落としたり割ったりしないように気をつけなければならない。もし落としたり割ったりしたらその地点からやり直しだ。
「それじゃー、声をかけるねー!よーい……、どーん!」
譲葉ちゃんの合図で走り出す。あまり強く抱き合うと風船が割れそうで怖い。でもあまり遠慮していると……。
「あっ!」
茜ちゃんと遠慮気味に抱き合っていたからか、途中で風船が抜けて転がってしまった。
「あっ!あっ!風が……」
慌てて拾おうとするけど軽い風船は風にあおられてふらふらと逃げる。ガスで膨らませたわけじゃなくて、呼吸で膨らませたから空高く飛んで行ったりはしないけど、何も固定されていない風船を風の吹いている屋外に放せばフラフラと流されてしまうのは当然の結果だ。
「捕まえた!さぁ、茜ちゃん!今度はもう少し強めに……」
「はい……。ん……」
逃げる風船を捕まえて、落とした地点に戻ってからもう一度二人で挟む。今度は風船を落とさないように先ほどよりは少し強めに抱き合った。
「咲耶ちゃんの温もりが……」
「うっ……。茜ちゃん……」
走ったためか頬を上気させてハァハァと呼吸を乱している茜ちゃんが妙に色っぽい。茜ちゃんはただ必死に走って練習しているだけなんだろうけど、中身が男である俺にとってはこれは刺激が強すぎる。性的なもののように思えて意識するなという方が無理な話だ。
「コーンを回りますよ」
「はぁ……、はぁ……。はい。咲耶ちゃん」
うぅ……。茜ちゃん……、色っぽすぎる。あの可憐な唇からハァハァと吐息のように乱れた呼吸が出てくるのを聞かされるだけでも前屈みになりそうだ。まぁ今の俺には真ん中の象さんがパオーンする心配はないんですけどね!
「ゴール!」
「はぁ……、はぁ……」
「大丈夫ですか?茜ちゃん」
俺はこの程度走っても呼吸が乱れることはない。別の理由で心臓がバクバクしたり呼吸が浅く速くなったりはしたけどそれは走ったからじゃない。でも茜ちゃんはあまり体力がないのか呼吸が乱れている。うちのグループの子達はお嬢様ばかりだからあまり運動が得意じゃない子が多い。
「だっ……、大丈夫です……。これは走って息が上がってるだけじゃないので……」
「うん……?」
走って息が上がってる以外に何故呼吸を乱しているんだろう?それとも心配をかけまいと思ってそう言っただけなのかな?
「次は私だー!咲耶ちゃんやろー!」
「あっ、はい。そうですね。それでは次は譲葉ちゃんと……」
皆は前回の練習で俺がムカデ競走に行っている間にそれぞれの練習をしっかり行ったらしい。俺はムカデ競走に行っていた分皆と練習をしていない。今日は俺が皆と練習をして誰とペアを組むか判断するようだ。なので俺が連続で皆と順番に走ることになる。
「それじゃーいくよー!」
「ちょっ!?譲葉ちゃん!?せめてスタートの合図はしてもらいましょう」
いきなり走り始めようとした譲葉ちゃんを慌てて止める。スタートの合図もなしにいきなり走り始めるとかこちらが困惑してしまう。
「それでは私が……、位置について……、よーい……、スタート!」
芹ちゃんが合図を買って出てくれたのでその合図に合わせてスタートする。譲葉ちゃんとの走りは……、とても安定していた。
「譲葉ちゃん……、すごい……」
「あははー!咲耶ちゃんもっととばそー!」
茜ちゃんとの時は風船が上下左右どこへでも抜けてしまいそうになっていた。しかし……、譲葉ちゃんと俺が挟んでいる風船はとても安定している。手で掴んで動かそうとしても動かないのではないかと思えるほどの安定感だ。何故ならば……。
「咲耶ちゃんのおっぱいに包まれて風船が安定してるねー!」
「それは譲葉ちゃんもでしょう……」
譲葉ちゃんにはっきり言われて赤面しているのが自分でもわかる。確かに譲葉ちゃんの言う通りだ。俺と譲葉ちゃんの四つのバインバインに包まれて、風船はまるで厳重に梱包されているかのように安定している。四つの膨らみに四方を固められて落としてしまいそうな兆候はまったくない。
「ゴール!」
譲葉ちゃんも足が特別速いということはない。だからタイムとしては平凡なのかもしれない。だけど譲葉ちゃんとのペアで走った時の風船の安定感は抜群だった。何よりも風船を通して譲葉ちゃんの柔らかい膨らみのバルンバルンがこちらにまで伝わってくる。その感触といったらもう……。
「ぐへへ……」
「この~!譲葉!このこの!」
何故かゴールした後で薊ちゃんが譲葉ちゃんのバルンバルンをベシベシしていた。猫パンチのようなものなので痛くはないんだろうけど……、何故そんなことをしているのかはよくわからない。
「あははー!薊ちゃーん、くすぐったいよー」
「くっ、くすぐったいですって!?これだけのパンチを繰り出しているのに!?」
薊ちゃんは余裕で受け止めている譲葉ちゃんの胸部緩衝ユニットに衝撃を受けていた。これに関しては薊ちゃんの完敗だね……。
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遊んでばかりもいられないので次々に進めていく。次のペアは……。
「よろしくお願いします」
「はい、芹ちゃん。こちらこそよろしくね」
次は芹ちゃんの番らしい。緊張している様子の芹ちゃんの緊張を解そうとこちらは軽く接する。こちらまで堅苦しく対応したら芹ちゃんが余計に緊張してしまいかねない。
「それじゃ……、よーい、スタート……」
「――ッ!」
あまりやる気のなさそうなというか、元気のない薊ちゃんの合図でスタートする。まだ先ほどの譲葉ちゃんとのやり取りでのダメージが残っているのかもしれない。でも今は薊ちゃんにばかり気を配っていられない。まずはちゃんと練習をしようと芹ちゃんとしっかり抱き合って走る。
「さすが芹ちゃんですね。こちらも譲葉ちゃん並に安定しています」
「――ッ」
俺がそう言うと芹ちゃんはますます顔を赤くしてしまった。どうしたというんだろう?別に普通の会話だと……。
「あっ!?あの……、そういう意味では……」
「はい……。わかっています……」
芹ちゃんが何に恥ずかしそうにしているのか気付いた俺は慌てて取り繕った。でもわかっていると言いながらも芹ちゃんの顔はますます赤くなっただけだった。これは俺の致命的なミスだ。
芹ちゃんは俺達のグループの中で譲葉ちゃんに次いで胸が大きい。譲葉ちゃんと同じように風船が安定しているということは、譲葉ちゃんや芹ちゃんのように大きな胸のお陰で安定していますねと言ったも同然だ。これってセクハラじゃないのか?事実芹ちゃんは顔を真っ赤にしてしまっている。
しかも譲葉ちゃんの時と同じように、挟んだ風船を通して向こう側の感触が返ってくる。こちらが押し込んだら柔らかく押し返してくるその感触を意識しないはずがない。
「はい、ゴール……」
「薊ちゃん……」
顔は真っ赤になって、お互いの胸の感触を風船を挟んで感じあった俺と芹ちゃんがゴールすると、まだ落ち込んでいるのか、いつもの薊ちゃんらしくない低いテンションでゴールを告げられた。芹ちゃんの方は恥ずかしがって顔を真っ赤にしているけど風船自体は四つのバインバインに挟まれてとても安定していた。これで最後は……。
「最後は薊ちゃんだよー!」
「頑張って!」
「はぁ~~~……」
先に走り終わった譲葉ちゃんと茜ちゃんに声援を送られているけど薊ちゃんは深い溜息を吐くだけだった。本当に薊ちゃんらしくない。
「薊ちゃん!頑張りましょう!」
「はいっ!そうですね!咲耶様にそう言われたら頑張るしかありません!」
あるぇ?何かいきなりテンションが高くなったぞ?さっきまで落ち込んでいるかのように暗かったというのに、あれは一体なんだったんだ?
「それじゃいくよー!位置についてー……、よーい……、ドーン!」
譲葉ちゃんの合図で走り出す。でもこれは……。
「うわっ!わっ!風船が……」
「薊ちゃん……、もう少し体を寄せましょう」
走り始めたは良いけど風船が暴れまくる。少し油断しただけですぐにどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。先ほどまではあれほど安定していたというのに薊ちゃんとではまったく安定しない。その理由は……。
「うぅ~~~っ!」
「あっ、薊ちゃん、落ち着いて……」
泣きそうな表情になっている薊ちゃんを宥める。薊ちゃんとでは風船がまったく安定しない理由……。それは……、薊ちゃんの……、胸が……、ほとんど凹凸のないストンと落ちる絶壁だからだ。
薊ちゃんだってまったく胸がないわけじゃない。それに昔、俺達の胸が膨らみ始めた頃は普通だった。いや、他の子達より早く膨らみ始めたのか、皆の中でも大きい方だった時もある。でも薊ちゃんの胸の成長は鈍化してしまった。今では茜ちゃんを下回る俺達の中で最小の慎ましい胸だ。
そんな薊ちゃんの慎ましい胸では風船を囲んで固定することが出来ず、フラフラ、ツルツルと風船が上下左右に逃げそうになる。そんな状況では走ることもままならずうまく進めない。
「うっ!くっ!もうっ!」
「あっ!薊ちゃん、そんなに強く……」
俺がそう言いかけた瞬間……、パァンッ!と俺と薊ちゃんの胸の間で大きな音が鳴り響いた。
「ひゃあっ!」
「…………」
風船を固定しようと強く抱き締めあった結果、風船は圧に耐え切れずに割れてしまった。それくらいで割れるようなヤワな風船じゃないと思うけど、たまたまブラの金具などに当たったのだとすれば割れても不思議ではない。男子だったら胸板だけで割れなかったかもしれないけど、俺達はブラをしているから金具に引っかかれば割れやすいだろう。
「うっ……、うぁ……、あぁ~ん!もういやぁ~~~!」
「薊ちゃん……」
風船が割れたショックで暫く呆然としていた薊ちゃんは、ようやく我に返ったのか叫びながら俺の胸に顔を埋めてきた。本気で泣いているわけじゃないんだろうけど、自分の思っていた通りにいかなくて悔しいんだろう。そんな薊ちゃんを無理やり引き剥がす気にもなれずに背中をポンポンと軽く叩いて落ち着くまで待つ。
「ぐへへっ!咲耶様のお胸……。役得!役得!」
「薊ちゃん?もう大丈夫ですか?」
何かブツブツと言っている薊ちゃんをそっと気遣う。こういう時になんて声をかければ良いのかわからない。
俺は中身が前世男だし自分の胸が大きくても良いことは何もないと思っている。でも生粋の女の子である薊ちゃんにとっては自分の胸の成長は重要な問題だろう。それに俺だって自分の胸には興味がないけど他の女の子達の胸には興味がある。
俺は別に巨乳でなければ認めないということはない。小さい胸には小さい胸なりの良さがある。だけど思春期の女の子達が自分達の体の成長について悩むというのはわかる。でも悩むことはわかってもどう声をかけてあげれば良いかはわからない。
「咲耶ちゃん!薊ちゃんだけずるいです!」
「そーだよー!咲耶ちゃーん!私もー!」
「まぁまぁ皆さん……。今は薊ちゃんを励ましてあげましょう」
俺達が抱き合っていると皆が駆け寄ってきた。でも今は傷心の薊ちゃんを癒してあげよう。ここで無理に薊ちゃんを引き剥がすほど無情にはなれない。
「うぇっへっへっ!咲耶たま~~~……」
「絶対薊ちゃん狙ってやってますよね……」
「咲耶ちゃんの優しさに付け込んでます」
「いーなー……」
この後、薊ちゃんが落ち着くまで暫くの間その頭を抱き寄せて背中を撫でてあげていたのだった。




