第七百二話「キャバ……」
鈴蘭と紫苑の暴走と周囲の猛抗議が起こっている間にタイマーのアラームが無情にも鳴り響いた。
「さっ!もう時間よ!二人とも咲耶様から離れなさい!」
「まったく……、やりすぎだよ、鈴蘭」
「あんなうらやま……、じゃなくて露骨にやりすぎるのは禁止だったはずですよ」
完全に咲耶のフェロモンに中てられてふにゃふにゃになっている鈴蘭と紫苑を他のメンバーが引っぺがす。二人はあまりにやりすぎた。
別にメンバー達がやりすぎないようにしているのはお互いに紳士協定を結んでいるからではない。あまりに露骨にやりすぎたらいくら純情で純真で無垢な咲耶といえどこちらの意図に気付いてしまう。だからやりすぎないように、露骨にならないようにしようと取り決めしているのだ。
うっかりやアクシデントを装って少しセクハラするくらいなら良い。咲耶は初心で無垢なので少しくらいの接触なら気にせず流してくれる。しかしあまりにやりすぎれば『そういうこと』だと気付いてしまう。警戒もされてしまう。警戒している咲耶に悪戯することは不可能だ。
それなのにこの二人はやりすぎた。こんなことが許されるのならば先に接待を受けたメンバーもしたかった。いや、もうせずにはいられない。
「もう過ぎちゃったことは仕方ないわ」
「早く次にいきましょう」
「うんうん。早くしないと二周目が間に合わなくなるよ」
本当に酔っ払ったようにヘロヘロになっている鈴蘭と紫苑を運び出し、咲耶の両横には次のメンバーが座った。
「えっと……、よろしくお願いします」
「あの……、あの……、えっと……」
次に咲耶の隣に座ったのは芹と花梨だった。二人とも緊張でガチガチになっておりうまく話すことも出来なくなっている。
「ふふっ。お二人ともそんなに緊張しないで。まずは飲み物を作りましょう。お二人は何を飲まれますか?」
そんな緊張で硬くなっている二人を見て咲耶は慈しむような笑みを浮かべて優しくリードし始めた。今までのメンバー達は向こうからグイグイきていたので咲耶が聞き手側にまわっていた。しかし今度の二人はどちらも大人しい。そのままでは会話が弾まないので咲耶が気を利かせてくれたのだ。
「そっ、それではマスカットをお願いします」
「私はリンゴを……」
「はい。マスカットとリンゴですね。少し待ってくださいね」
二人の希望を聞くと咲耶は優しく微笑んですぐにジュースのカクテルを作り始めた。
「さぁどうぞ」
「ありがとうございます」
「いっ、いただきます……」
二人は受け取ったジュースを一口飲んだ。別に特別なことはない普通に売られている商品で作られたカクテルのはずだ。それなのにその味は特別なものに思えた。使っている原材料が特別なわけでも、配合が特別なわけでもない。ただ作り手が特別だとその味も特別に思えてしまうものなのだろう。
「とってもおいしいです」
「本当に……、凄くおいしいです」
「まぁ!ふふっ。フレーバーも炭酸も普通のものですよ」
咲耶はそう言って笑うが確かにおいしいのだ。例えば日本ではバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣がある。これがまだ恋人同士になっていない気になる女の子の手作りだったり、すでに付き合っているラブラブな彼女の手作りチョコだったならば、それは市販のチョコレートより格段においしく感じることもあるだろう。
手作りチョコレートは中々面倒臭い。湯煎せずに直接鍋で溶かしてしまったりすると風味が飛んで味や匂いのしないチョコレートになってしまう。そういったことを考えれば企業が工場で最適に作った製品や、プロのパティシエが作ったお菓子の方がおいしいだろう。しかし貰った相手や作ってくれた相手によってはそれらを凌駕する味に思えることもある。
咲耶が作ってくれたジュースのカクテルは確かに特別な原材料も、手順も、配合もしていない。しかしそれを『九条咲耶様が手ずから作ってくれた』という付加価値は計り知れない。『咲耶様の手が触れたかと思うだけでおいしく感じる』というのは起こりえることだ。
「ほらほら。芹ちゃんも、花梨も、遠いですよ。もっとこちらに寄ってください」
「ぁ……」
「んっ……」
遠慮して遠く離れて座っている芹と花梨を咲耶が招き寄せる。腰に手を回されて優しく抱き寄せられた二人は真っ赤になって借りてきた猫のように大人しくなってしまった。しかし二人は最初から大人しかったので抱き寄せられたから大人しくなったわけではない。
「きーっ!二人だけ特別扱いなんて……」
「うらやましい!」
すでに咲耶に接待されたメンバー達は、咲耶に優しくリードされている芹と花梨を羨ましそうに見ていた。
自分達は積極的に咲耶に絡んでいた。太腿に手を乗せたり、手を握ったり、腰に手を回したり、肩に体を預けたり……。数え上げればキリがないほどに咲耶にセクハラしてきた。話も自分から振って気持ち良く話すことが出来た。しかしそれだけでは駄目だったのだ。
芹と花梨はどちらも大人しく、しかも自分達の身分や家格の問題から少し引け目を感じていたり、遠慮したりしている。その遠慮や距離感があるからそれを無くそうと咲耶の方から積極的に動いてくれているのだ。
自分達は欲望のままに咲耶に迫っていた。そして咲耶にかわされていた。しかし芹と花梨は本人達が遠慮しすぎているために咲耶の方から積極的にリードしてもらえている。ドサクサに紛れて咲耶に悪戯するのも良いが、こうして優しく咲耶にリードされたい。むしろその方がご褒美ではないか。
他のメンバーは今更ながらに自分達の失敗と原因に気付いた。だがもう遅い。おいしい所は全て芹と花梨に持っていかれてしまった。
「あっ……、あああぁぁ……、さっ、咲耶ちゃ……」
「んんっ!九条様ぁ……」
「二人とももっと落ち着いて。まずは楽しいお話をしましょう」
咲耶に抱き寄せられ、甘い言葉で優しくリードされている二人を、他のメンバーは血の涙を流しながら見ていることしか出来なかった。
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芹と花梨と咲耶の甘いやり取りを見せ付けられてどれ程経っただろうか。今までと違い果てしなく長い時間が経ったような気がする。もう三人の甘い空間を見せ付けられるのも限界だと思った頃、ようやくタイマーのアラームが鳴り始めた。
「はい!しゅーりょー!」
「時間でーす!」
「お終い!離れて!」
アラームが鳴った瞬間全員が一斉に芹と花梨を咲耶から引き離した。まさかこんな手があったなど思いもしなかった。初心で無垢な咲耶にはアクシデントや事故に見せかけて悪戯する方が良いと思っていた。しかしそうではなかった。
うまく甘えたら咲耶様はとことん甘やかしてくれるのだ!芹と花梨はそれを証明してみせた!
「次は私が咲耶様に甘えて……」
「薊はキャラ的に無理でしょ……」
「まさかあんな手があったなんて……」
他のメンバー達はどうすれば自分も咲耶に甘やかしてもらえるか必死に考えを巡らせていた。しかし今更自分達がうまく甘えられるとは思えない。散々咲耶が奥手で無垢なことを利用して悪戯してきたのだ。今更芹や花梨のように初心や奥手や遠慮を前面に押し出してももう遅い。いくら咲耶でもそこまで露骨にされて気付かないはずがないだろう。
「ようやく私達の番だー!」
「それでは咲耶様、お隣失礼いたします」
「……え?椛もなのですか?」
最後に残ったメンバーは譲葉と椛だった。だがこれは成績が上がった子に対するご褒美だったはずだ。そもそも学園を卒業している椛は接待の対象ではないはずだろう。それなのにちゃっかり譲葉とは逆の隣に座っている。
「人数が奇数ですので」
「なるほど?」
他のメンバーが誰も文句を言わないのであれば咲耶がとやかく言う理由もない。いや、本当はあるのだが咲耶は何も言わないことにした。本当ならば成績が上がった者だけのご褒美だったはずなので咲耶が椛まで接待してあげる理由はない。しかし一人だけ除け者というのもどうかと思って、皆が何も言わないのならと受け入れた。
「咲耶ちゃーん!聞いて聞いてー!」
「はいはい。どうされましたか?」
譲葉はその天真爛漫な性格のままに咲耶に話しかけ続けた。突然話が飛んだり、常人には理解不能なことを言うが、咲耶はそれでも全てを受け止めてくれる。それがうれしくて譲葉の口は止まらなかった。
「咲耶様……」
「んっ!椛……」
譲葉と話していると逆側に座る椛が咲耶の腰に手を回してくっついてきた。腰を撫でられた刺激に声を漏らしてしまった咲耶は少し顔を赤くして椛の方を振り返る。
「咲耶様……」
「んっ……、んっ……」
腰に手を回し、太腿に手を置き、肩に頭を乗せてくる。椛は会話は譲葉に譲って実利を取ることにした。この場でならばこれくらいは許される空気になっている。それを最大限に活かそうと咲耶に悪戯していく。
「咲耶ちゃん真っ赤だー!こっちもするよー!えーい!」
「ちょっ!?譲葉ちゃん……」
「あははっ!それー!」
咲耶と椛の痴態を見ていた譲葉が逆側から参戦してくる。両側から迫られた咲耶は進退窮まりされるがままになっていた。
「ちょっと譲葉!やりすぎよ!」
「一条さんもやりすぎです!」
二人の悪戯が度を越していると思った周囲が止めに入る。しかしそう簡単には止まらない。結局時間いっぱいまで譲葉と椛は咲耶を堪能し尽したのだった。
「時間よ!じーかーん!交代!二周目に行くわよ!私達は最初だからって遠慮してたんだから!二周目はもっとガンガンいくからね!」
譲葉と椛の時間が終わったことで全員一周は咲耶の隣に座る機会が回った。一回目の時は一番最初だったこともあって露骨なことはしないようにしていた薊が目をギラつかせて手をワキワキさせている。
「二周目全員回すためには少し時間を短くしなければなりませんね」
「仕方ないわね……。さぁ咲耶様!二周目を……、うっ!」
お茶会の時間は決められている。残り時間から考えたら一周目と同じ時間を取っていては全員に順番が回らない。そこで一組ごとの時間を短くしようと決まって咲耶の隣に座ろうとした薊は急に変な顔をして止まってしまった。そして一言……。
「おしっこっ!」
「「「…………」」」
薊のあまりにあんまりな言葉に全員が残念なものを見る目で固まってしまった。しかし当の薊はそんな視線など気にならない。
「ちょっとおしっこ行ってきます!すぐに戻ってくるから順番を飛ばさないで待っていてくださいね!咲耶様!皆も私がおしっこ行ってる間に先に始めちゃ駄目だからね!」
それだけ言うと薊は『う~!もっちゃう!もっちゃう!』と言いながら下腹部に手を添えてサロンを出て行った。残されたメンバーや咲耶はただ呆然と見送ることしか出来なかった。
「薊ちゃん……、『おしっこ』って……」
「もう少し言い方というものがですね……」
「まぁ薊だしね……」
徳大寺家と言えば七清家の上位貴族だ。その徳大寺家のご令嬢らしからぬ薊の言葉遣いや態度に全員が何とも言えない表情になっていた。ようやく立ち直って突っ込みを入れた頃には薊本人はもうトイレへと駆け込んでいたが言わずにはいられない。
「あー!すっきりしました!危うく漏れるところでしたよ!咲耶様の作ってくれたカクテルを飲みすぎましたね!」
「薊ちゃん……、まずは女の子がそういう言葉や態度ではいけないという所からお話しましょうか」
「へ……?」
笑っていない笑顔でそう迫る咲耶に薊はこんこんと女の子の振る舞いについてお説教……、いや、言って聞かされた。薊と同じ組で逆の隣に座ることになっていた蓮華まで巻き添えを食らう。
「いいですか?薊ちゃん。女の子があのような事を言ったり、あのような仕草をしてはいけません!」
「えっと……」
「言い訳しない!」
「はいっ!」
「どうして私まで……」
薊へのお説教……、マナー講習は薊と蓮華の二周目の時間一杯までかかり、結局薊は期待していたようなことは何も出来ないまま二周目を終えてしまったのだった。
当然他のメンバー達は薊が可哀想だからと時間や席を譲ってはくれない。他のメンバーはホクホク顔で二周目を堪能したというのに、薊と、その巻き添えとなった蓮華だけは悲しい二周目を送って今回の咲耶様によるご褒美の接待を終えたのだった。
今年一年間応援していただきありがとうございました。来年で三年目に入る本作ですが今後の咲耶様達の活躍……、よりも果たしていつ完結になるのやら……。来年中には終われるんでしょうか……。
ともあれ一年間ありがとうございました。来年も引き続きよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。




