第六百八十二話「酢味噌に餡……」
観光を終えてホテルに戻って眠りについた。一泊目は皆疲れていたし時差ボケがあったからすぐに眠ってしまったけど、さすがに二泊目ともなれば皆もある程度は慣れている。
一泊目と違ってお風呂から上がると皆が俺の髪を乾かしたりお肌のお手入れを手伝ってくれた。でもその中で花梨が倒れてしまった。林間学校や修学旅行で皆はいつもこうして俺のお手入れの手伝いをしてくれているけど、もしかして花梨が気絶したように他の皆も俺の触るのを気絶するほど嫌々してくれているんじゃないかという気がしてくる。
何度も俺は臭いのかと思って悩んだり、皆から触るもの嫌だと思われているのかと悩んできたけどそれは違うと何度も説得されてきた。だけどこうして花梨が新たに加わったら途端に倒れたのを見るとやっぱり俺には何かあるんじゃないかと思えてならない。
他のメンバーは花梨をベッドに運んでからまた俺のお手入れの手伝いをしてくれたけど……、嫌なら嫌と、臭いとか気持ち悪いなら無理にしてもらわなくても良いんだけど……。
そんなことを考えているうちに俺のお手入れも終わり、皆も順次お風呂に入っていった。花梨は倒れてしまったからお風呂に入っていないけど昨晩には入っただろうし、何なら朝出かける前に済ませても良い。静かに寝息を立てている花梨の無事を確認してから消灯となった。
いつもより消灯時間が遅いかもしれないけど百地流の修行をしていないからかあまり疲れていない。思いっきり体を動かしていないから眠気もないというか……。それでも暫く布団の中で静かにしていたらいつの間にか俺も眠りに落ちていたのだった。
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まだ日も明けきる前の早朝に目が覚めた。いつもならこの後百地流の朝練に行かなければならない。でもこちらでは百地流の朝練も行けないしこんな時間に起きても……。
「って、うぉあっ!?」
目が覚めたから少し上半身を起こすとベッドの横に人影が見えた。驚いて飛び上がりそうになった俺は逆側にも、そして足元にも人型の影があることに気付いて口から心臓が飛び出る思いだった。
「こっ……、これは……?」
まだ暗いけど夜目が利く俺にはその姿が見えている。どうやら両脇と足元にある人影は頭を俺の布団の中に突っ込んだままベッドに寄りかかるようにしているようだ。眠っているのか死んでいるのか動く様子はない。
布団の中に頭を突っ込んだまま体はベッドに寄りかかっている人影だ。一つあるだけでも絶叫ものなのにそれが俺の周囲三箇所全てにあるとかちょっとしたホラーだろう。最初は驚いて慌てたけど落ち着いてよく見てみればその着ているパジャマは……。
「…………え!?これは何事ですか?皆さんっ!?大丈夫ですか?皐月ちゃん!譲葉ちゃん!蓮華ちゃん!しっかりしてください!」
三人のパジャマを見間違えるはずがない。お風呂上りから寝る前まで女の子達三人のパジャマ姿を見て大興奮で記憶に残そうとその姿を脳に刻み込んでいたんだ。俺の布団に頭を突っ込んでベッドに寄りかかっているのは皐月ちゃん、譲葉ちゃん、蓮華ちゃんの三人で間違いない。
これは一体何事なのか。何かの儀式のようにも思える。とても恐ろしい。ただいつから三人がこうなっているのかはわからないけどずっとこのまま放っておくわけにはいかない。まずは三人の息を確認してからベッドに戻さなければ……。
「大丈夫ですか?皐月ちゃん?意識はありますか?生きていますか?」
どういう状態なのかわからないので下手に動かすことも躊躇われる。まずは布団をめくって呼吸を確認した。三人とも呼吸をしているので生きているのは確かだ。
「まずはベッドへ……。一人で動かそうとしては危険ですね……。花梨、花梨!起きてください花梨」
「んん……」
下手に動かしては危険かもしれない。なるべく安全に動かせるように花梨を起こして二人で三人をベッドに運んでいる間に日も昇って起床時間間近になっていたのだった。
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今朝は驚いたけど三人とも特に問題はなかった。ベッドに移してしばらくすると三人とも目を覚ましたし何も問題はないと言っていた。一応医者に診てもらった方が良いとは言ったんだけど、三人とも原因に心当たりはあるし問題ないと言って聞いてくれない。
例え本当に原因に心当たりがあっても素人の自己診断ほど危険なものはない。絶対にそれが本当に原因とも限らないし医者に診てもらった方が良いとは思うんだけど、本人達が断固として譲らないのならば俺からはどうすることも出来ない。
仕方なく三人のことは本人達に任せて朝食を終えて一度部屋へと戻ろうとした時、皐月ちゃん達が廊下の向こうで薊ちゃん達と話しているのが聞こえてきた。
「……お風呂……、注意……」
「……布団も危険……。作戦を考えて……」
かなり遠い上に他の雑音が混じっていてよく聞こえない。ただ風呂とか布団とか聞こえたような気がする。そう言えばお風呂上りに俺の傍にいて花梨が倒れたし、三人も俺の布団に頭を突っ込んだ姿勢のまま倒れていた。もしかして……、やっぱり俺は……、臭いんじゃ……?
「あっ!咲耶様!」
「え?咲耶ちゃん……」
「「…………」」
こちらを向いていた薊ちゃんが俺に気付いて声を出した。それを受けて他の子達から露骨に態度に出ていた。やっぱり……、皆が倒れていたのは何か俺に原因があったんだ……。うわ……。俺……、どうしたら……。
「昨日から思ってましたけどここの食事は何でもアメリカンサイズすぎて食べ切れませんよね!それに正直あまりおいしくありませんし、硬い肉ばっかりで飽き飽きです!」
「あはは……」
薊ちゃんの言葉に苦笑いしか出来ない。確かにこのホテルの食事は量も多いし肉ばかり出てくる。しかもその肉が硬くておいしくない。国によって好みというものはあるからホテルが悪いとは言えないけど、日本の高級ホテルでこんな食事だったら絶対に大変なクレームがくるだろう。
「それじゃ今日の観光も楽しみましょうね!」
「そうですね……」
「今日も酢味噌に餡博物館だー!」
「「「…………」」」
きっと薊ちゃんは気を使って話題を変えてくれたんだろうな。そして譲葉ちゃんは場を和ませようと思って……、なのかどうかはわからないけど、そんな薊ちゃん達の心遣いに感謝しながら俺達は今日の観光へ出かける準備をするために一度部屋へと戻ったのだった。
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一度部屋に戻って準備を整えた俺達はバスに揺られて観光へと向かった。今日はまず昨日とは違うルートを通って白い家を見学する。映画などでお馴染みの例の建物は案外チャチに見える。遠くから一部分が見えるだけなのでそう思うんだろう。確かに映画などのワンシーンに出てくるのでそういう意味での感動などはあるのかもしれないけどそれだけだった。
白い家を見学した後は再びバスに乗り込み移動して議会議事堂へとやってきた。こちらは俺にとってはあまり馴染みがないためか見ても本当に『へぇ』という感想しか出ない。映画などを良く見る者ならこちらも馴染みがある景色なのかもしれないけど、俺は今すぐにここを使った映画のワンシーンを思い出すことは出来ない。
「さぁ!それでは自由行動ですね!」
「今日は国立自然史博物館見学ですね」
各班の予定は事前に伝えているのでよほどのことがない限りはいきなり変えることは出来ない。警備や引率の問題もあるからな。自国に比べれば治安の悪いこの国で良家の子女が事件に巻き込まれたなんてことになったら大変だ。
各班は自由行動といっても事前にどこへ行くか報告しているし、学園生達が自由に移動出来る範囲には警備員や引率者が配置されている。俺達は今日はこのあと国立自然史博物館に見学に行くことになっている。
昨日が国立航空宇宙博物館で今日が国立自然史博物館なんてド定番中のド定番だけど仕方がない。そもそも昨日の見学は男子や薊ちゃんや俺向け。今日の見学は女子向けの内容だ。男子や俺達だけが楽しめる場所ばかり選ぶわけにもいかない。
「うわぁ!大きな象ですね」
入り口から入ると目の前のエントランスでいきなり世界最大の象の剥製がお出迎えをしてくれる。女子にとってはあまり気持ちの良いものではないかもしれないけど象の剥製を見てから一階の化石コーナーを見ていく。
映画などでもお馴染みの恐竜達の化石などが大迫力のままに展示されている。剥製や化石については女の子達にはあまりウケが良くない。男子や俺は毛皮や剥製や化石を見て大興奮なんだけどやっぱりこの辺りは男子と女子の感性などの違いなのだろう。
そしてやってきたのが二階。待ってましたの鉱石と宝石のコーナーだ。この辺りのコーナーに入った瞬間女の子達の反応が大きく変わった。
「わぁ……、綺麗……」
「咲耶ちゃん、これも見てください」
「すごーい!」
「あはは……」
やっぱり女の子は光物が大好きらしい。正直に言うと俺はあまり宝石とかを見ても感動しない。確かに綺麗とか面白いと思うものもあるけど女の子達のテンションにはついていけない。
「薊ちゃんも見て」
「はいはい」
うん……。薊ちゃんもテンションが低いね……。航空機や化石を見ていた時は滅茶苦茶テンションが高かったのに鉱石・宝石コーナーになった途端にあからさまにテンションが下がっている。一応見ているけど『ふーん』『へー』という言葉しか聞こえてこない。
男子達も鉱石・宝石コーナーはあまり興味がないのか先ほどまでのテンションとは打って変わって静かになっている。やっぱりこれは男の子と女の子の差なのかもしれない。でも一人だけ男子の中でも熱心に宝石を見ている者がいた。ちょっと離れて行動しているけどそっと近づいて声をかける。
「やはり宝石などの光物が気になりますか?」
「えっ!?くっ、九条さん!?どうしたの?向こうにいなくて良いの?」
俺が声をかけたら錦織は明らかに慌てていた。確かにあまり皆から離れていられない。ズバッと用件だけ言っていく。
「グループの女の子達も光物が大好きなようですし、やっぱりそういうのに興味がありますよね?や・な・ぎ・ちゃん」
「やっ!俺は……、そんな……」
顔を赤くさせて否定しようとして、でもはっきり否定出来ずにオロオロしている。とても面白い。女装っ子である柳ちゃんならきっと光物とかも大好きなんだろうと思った通りだった。
「咲耶ちゃーん」
「はい。今いきます。それではね、柳ちゃん」
「――ッ」
皆に呼ばれたので錦織を置いてその場を離れた。錦織をからかっ……、錦織に和ませてもらった俺はグループの皆と合流してまた見学を続けて行く。そして……。
「これが……」
「ホープダイヤモンド……」
「綺麗……」
「大きいねー」
俺達はついにいわく付きのホープダイヤモンドの前に来ていた。大きさが大きいというのもあるけどまず色が珍しい。紫外線を当てると一分以上も赤い燐光を発するとのことだ。そして何よりもこのダイヤモンドは呪いの宝石などとも言われている。
まぁ実際にはほとんどの呪いはこじつけや誇張であって呪いなんてものがあるはずもない。ただこれだけ人を惹きつけて止まない宝石だったらそういったいわくの一つや二つや五つや九つくらいはあっても不思議ではないんだろう。
「いくら綺麗でも呪いは……」
「そんなのどうせこじつけよ」
「まぁそういうお話が付き纏うことも魅力の一つなのですよ」
皆でホープダイヤモンドを見ながらあれこれと話す。もっとあっちこっちじっくり見たいけどここも一日で見るには広すぎる。展示も多く、全てをじっくり見るにはこの修学旅行では時間が足りない。
班によっては昨日今日と同じ場所を回ってじっくり見ている班もいることだろう。あるいはあちこちを早く見てたくさん回っている班もいるかもしれない。
俺達は一日一つの博物館を見てゆったり過ごした。それでも全てを満足するまで見るには時間が足りない。ここは他の博物館なども含めて何度も、何年も見ていられる場所だと思う。ただ俺達にはそんな時間はないので見たい物だけ手早く見て済ませるしかない。結局有名どころだけを軽くさらっただけで俺達は時間がきてしまった。
「もう時間ですね。集合場所に向かいましょう」
「「「はーい」」」
もっと皆と色々と楽しみたい気持ちはある。でももう時間だ。今日ホテルに帰ったら明日は最後の見学をしてから国に帰ることになる。飛行機内でも仮眠くらいはするけど今夜が修学旅行のホテルでの最後の一夜だ。




