第六百七十八話「皆のお陰」
やっぱりな。やっぱりな!どうせこんなこったろうと思ってたよ。そう。俺はわかってた。期待なんてしてなかった。だからガッカリもしていないし腹も立っていない。これは全て予想通りだ。
「ひっひっふー……、ひっひっふー……」
「咲耶ちゃんが怒りを抑える呼吸をしているわ……」
「相当お怒りなんでしょうね……」
違うから。別に怒ってないし気にしてないから。怒ったりガッカリしたりするのは相手を信じていたり期待しているから起こる感情だ。俺は伊吹に何も期待していないし信じてもいない。だからガッカリもしないし怒りもしない。これはただちょっと呼吸を整えているだけだから。
「咲耶ちゃん!何があったのかお姉さんにはよくわからないけれど、お姉さんが慰めてあげるわ!」
「むぎゅぅ……」
俺が怒りを鎮める呼吸をしていると茅さんに抱き締められてしまった。薄いドレスの生地に押し付けられると何だかダイレクトに茅さんの胸の感触が伝わってきているような気がする。
「ちょっと茅!ずるいわよ!咲耶ちゃんは私の胸の方が良いわよね?」
「ちょっ!?菖蒲先生!?」
茅さんに抱き締められていた俺を引っぺがして後ろから菖蒲先生が抱き締めてきた。後頭部に菖蒲先生の大人のお胸の感触が伝わってくる。前までは菖蒲先生はあまりこういうことに参加してこなかったというのに、何故か今日は随分と積極的に関わろうとしているようだ。
俺としては大人の女性である菖蒲先生のことを意識しないわけがない。菖蒲先生の大人ボディに抱き締められるというのはそれだけでも幸運なことでありついつい意識してしまう。
「ちょっと!何してるのよ!咲耶様を離しなさいよ!」
「そうです!大人は不潔です!」
「咲耶ちゃん!こっちよ!」
「咲耶ちゃんを救出だー!」
「ちょぉっ!?皆さん落ち着いて!」
茅さんと菖蒲先生が俺を引っ張り合っているとそこへ同級生の皆が参戦してきた。あっちこっちから引っ張られ、もみくちゃにされて何が何やらわけがわからなくなる。
「それくらいにしておきなさい!咲耶様の衣装が乱れてしまうでしょう!」
「「「はぁ~ぃ……」」」
そこへ椛が現れて皆を一喝した。椛の一喝を聞いて皆も落ち着いたのか手を離してくれた。ちょっと残念なような気もするけど、あのままだったら椛が言うように俺のドレスがペロンッ!なんてことになりかねなかった。俺が剥かれる前に収まってよかったと思うしかない。
「「「…………」」」
「あっ……、え~……、皆さん、少し端へ寄りましょうか……」
招待客達がこちらをじーっと白い眼で見ている。少女達がパーティー会場で引っ張り合いをしていたら何をしているんだと思われても止むを得ない。白い眼が居た堪れないので皆を誘導してとりあえず端へ移動する。あのまま周囲の目に晒されるのは耐えられない。
端へ寄って飲み物を頂いて一息つく。皆も落ち着いてきてこの場がどういう場か思い出したようだ。とりあえずまたすぐさっきの続きが起こるような空気ではなくなったのでほっと溜息を吐く。
「それにしても近衛のアホボンは腹が立ちますね!ね?咲耶様!」
「まぁ……、そう……、ですね」
いつもなら薊ちゃんにそういうことは言ってはいけないという所だけど今日ばかりは俺も同じ気持ちだ。いや、違うけどね?期待してなかったしこうなることはわかっていたよ?でもまぁ薊ちゃんの気持ちもわかるというやつだ。
「さっきの近衛様の発言から何があったのか大体想像はつくけどあまり気にしちゃだめよ。近衛家や一条家なんてあんなものなんだから。ね?咲耶ちゃん」
「はい。ありがとうございます菖蒲先生」
何か菖蒲先生の言葉には妙に力が入っていて説得力がある。もしかしたら菖蒲先生も昔は主家で苦労したのかもしれない。菖蒲先生が家を出て一人暮らしをしていることや、事ある毎に妙に派閥や上位の家を信用していないような言葉を言うのは何かそういうことが影響しているんだろう。
ともかく俺もいつまでもさっきの伊吹や近衛母のことを考えるのは精神衛生上も良くない。どうせ最初からこんなことだろうと思っていたし俺は何も失っていない。テストの成績で勝負しただけでこの約束が反故になったからって俺は何も失っていないんだ。だから怒る必要も気にする必要もない。
「私達もさっきのやり取りで何となくわかったけど気にすることないよ咲耶っち!それよりも睡蓮ちゃん随分痩せたね!」
鬼灯が俺を励ましつつ話題を逸らそうと違う話題を振ってくれた。折角なのでもう伊吹の話題は忘れて鬼灯の話題に乗っかろう。
「そういえば睡蓮ちゃん……、今回はドレスもちゃんと用意していたのですね」
「当然ですぅ~!私がそう何度も同じ失敗をすると思っているんですかぁ~?それは失礼ですぅ~!」
「ああ、ごめんなさい。そんなつもりはなかったのだけれど……」
じゃあどういうつもりだったのかと聞かれたら困るけど、別に睡蓮が何度も同じ失敗をするような間抜けだと思っていたわけじゃない。ただ前回だって準備をしていなかったわけじゃないのに結局最終的な体型と用意したドレスが合っていなかった。今回もドレスを用意した時の寸法と完成時の体型にズレがあって気になったりしなかったのかなと思っただけだ。
「偉そうに言うんじゃないわよ睡蓮。結局今回もドレスが合わなくなっていて今日私に泣きついてきたくせに」
「あぁ~~~っ!茅お姉様ひどいですぅ~!それは言わないって約束だったのにぃ~!」
「なるほど……」
どうやら結局今回も前回同様ドレスと体型の寸法が変わってしまい、どうにも気に入らなくてパーティー直前にどうにかしてきたらしい。ただ前回は俺と茅さんに泣きついたけど、今回は俺が主催者側なので俺には泣きつけず茅さんだけに泣きついたということのようだ。
「本当に花園様はお痩せになられましたね。これでこの中では私が一番……」
花梨が自分のお腹を見ながらボソリと呟いた。小さな声だったので本当に近くに居た人にしか聞こえなかったようだけど周囲の聞こえていた人は苦笑いを浮かべている。俺達のグループは痩せていたり鍛えている子が多い。その中でぽっちゃり組と言えば睡蓮と花梨だった。その睡蓮が見事に痩せてしまったのだから残るぽっちゃりさんは花梨のみだ。
ダイエットをする前の睡蓮は少々太りすぎだったけど花梨は昔から今でも太りすぎというほどには太っていない。どちらかといえば思春期の女の子らしい丸さとも言える。この時期に無理にダイエットとかをするとかえって良くないような気もする。
女の子は痩せていれば痩せているほど綺麗になったと思い込んでいる子もいるけど、男の視点で見れば少し肉付きが良いくらいの方が可愛く見える。それに思春期の女の子はやや丸みを帯びるものであり、それを太っていると思って無理に痩せると骨と皮ばかりのモンスターになってしまう。
「花梨こそ気にする必要はありませんよ。このメンバーは細い子が多すぎるだけです。実際に健康やバランスを考えれば花梨くらいの方がむしろ健康的で標準的なくらいだと思いますよ」
「はい……」
うん。俺の言葉はまったく響いていないね。花梨は自分のお腹を見たまま暗い声で答えた。これは思春期によくあることなんだろう。太っているとか、可愛くないとか、ついつい見た目を必要以上に気にしてしまう。女の子ならある程度は仕方ないとはいえあまり気にしすぎるのも良くないと思うけど……。
「私は花梨くらい肉付きの良い方が好きですよ?アバラが浮くほど痩せているのは痩せすぎです。私は花梨のこのお腹の触り心地が大好きですよ」
「あっ!あっ!九条様!つままないでください……」
あまりに自信なさそうにしている花梨のお腹をプニプニとつまむ。ドレスを着ているのでいつものようにはいかないけど、それでも花梨のプニプニのお腹の感触が気持ち良い。やっぱり女の子はこれくらい肉付きが良い方が良い。
「そっ……、そんな……、咲耶ちゃんはアバラが浮いている女は駄目なのね……。わかったわ!お姉さん頑張って食べるわね!」
「ちょっ!?茅さんっ!?ドカ食いしてはいけませんよ!」
何かショックを受けたような顔をした茅さんは突然テーブルの料理を大量に取って食べ始めた。確かに茅さんはアバラが浮くほど細い。でも茅さんはそれでいいんだよ。無理に太った茅さんなんて見たくないし、無理にドカ食いしたら体を壊してしまう。
「咲耶ちゃーん!それじゃこれはー?これくらいあればいいー?」
「ひゃぁっ!?譲葉ちゃん、なっ、なっ、なっ、なんてことを!?」
譲葉ちゃんが俺の手を取って自分の胸を触らせた。花梨のお腹のプニプニ以上のタプタプがそこにはある。素晴らしい……。中等科三年にしてすでにこれだけのものをお持ちである譲葉ちゃんに拍手を送りたい。でもこんな人の目がある所で自分の胸を触らせるなんてしちゃだめ!
「くっ!おっぱいお化けめ!咲耶お姉様は渡さないわよ!」
「竜胆ちゃん……」
竜胆の言葉に俺は何とも言えない表情になった。確かに譲葉ちゃんは俺達のグループはおろか学年内でもトップレベルに胸が大きい。でも俺は……。
「ちょっと竜胆!譲葉がおっぱいお化けだったらそれを上回る咲耶様はどうなるのよ!言葉を選びなさいよね!」
「あっ……、咲耶お姉様、違うんです!そういうつもりじゃ……」
「はい……。わかっていますよ……」
わかっている。竜胆は別に譲葉ちゃんの胸の大きさでどうこう言いたかったわけじゃない。だから俺がそれより大きいとしても別に俺にもダメージがあるような悪口というわけじゃないのはわかっている。でもそう受け取られても仕方がないような言い方だったのは否めない。
「こんなの邪魔で大変なだけだよー?肩も凝るらしいしねー?まだそんなに凝ったことないけどー!それに将来グーパーですたいが大変なことになるんだよー」
「「「グーパーですたい……?」」」
一部の持たざる子達は持てる者である譲葉ちゃんの言葉に反発するような顔をしていた。そしてさらに一部の子は譲葉ちゃんの言葉の意味がわからないとばかりに首を傾げていた。
「クーパー靭帯ね……。胸を支えている靭帯で伸びたり切れたりすると再生されることもなく胸が垂れちゃうのよ……」
「へー!そうなんだぁ!凄いね!咲耶お姉ちゃん!」
秋桐はそう言ってニッコリ天使の笑顔を俺に向けてくれていた。でも本当にわかっているのだろうか?何が凄いというのか俺にはいまいち秋桐の言っていることがわからない。
「咲耶様のグループはいつも混沌としていますね」
「紫苑……」
貴女がそれを言いますか?と言いかけてやめた。紫苑も大概カオスを作り出しているけど俺が余計なことを言ったらますますややこしい事態になりかねない。紫苑も人のフリを見て我がフリを直してもらいたい。今気付いたということは今後紫苑のカオス値が改善……、されるわけないだろうな……。
「ふふっ」
「機嫌が直ったようですね、咲耶ちゃん」
「皐月ちゃん……」
俺が少し離れて皆の様子を見ていると皐月ちゃんが横にやってきた。その言葉でささくれ立っていた俺の気持ちが穏やかになっていることに気付いた。もしかして皆俺のためにわざと……。
「あっ、たぶん咲耶ちゃんが考えていることは違いますよ。皆はただいつも通りにハチャメチャに話しているだけだと思います」
「あはは……」
皆が俺を励ますためにわざとやってくれていたのかと思ったけど、それを言う前に皐月ちゃんに一刀両断にされてしまった。実際皆も狙ってやっているわけじゃないんだろう。ただ皆がいつも通りにしてくれていると俺もこうして心が穏やかで楽しい気分になってくる。そういう意味では本当に俺は皆に救われていると思う。
「咲耶お姉様!そろそろダンスの時間ですよ!私と踊ってください!」
「あぁ~!ずるいですぅ~!ダイエットに成功した私にご褒美として最初に踊ってくださぃ~!」
「駄目よ咲耶ちゃん!ファーストダンスはお姉さんと踊りましょう!」
「咲耶様!もちろん最初は私ですよね?」
「咲耶ちゃん……」
「咲耶お姉ちゃん」
「うぅ……」
いきなり皆に迫られて返答に困る。ここで誰を選んでも大変なことになるだろう。皆で話し合って決めてくれるのなら俺はそれに従うだけでいいから楽だ。でも俺が選んで決めるというのは誰を選んでも問題になる。俺に決断を迫るようなことはやめて欲しい。
とはいえいつまでもこうして問題を先送りにして相手に決めさせるばかりでもいられない。いつかは俺が何らかの決断を下さなければならない時がやってくる。果たしてその時俺はちゃんと決断出来るのだろうか……。




