第六百七十四話「バンド再開」
新年度が始まって最初の週末……、俺達は近衛プロダクションのスタジオに集まっていた。
「はい!注目!」
俺達を集めたのは近衛母だ。その近衛母が前に立って集合している俺達の視線を集めた。皆会話を止めて近衛母の方に集中する。
「来年度はいよいよ大ホールが完成するわ。その大ホールでのこけら落とし公演のためにまた今年一年間バンドの練習に励んでもらうわ」
「「「はいっ」」」
今近衛母から説明があった通りついに来年度に高等科と大学の間に建設中の大ホールが完成する。各科の小ホール完成の時にも俺達がこけら落とし公演をしたように、大ホールでも俺達が演奏を行うことになった。まぁなったというか小ホールで演奏をすることが決まった時に大ホールでもと決まっていたわけだけど……。
「中には久しぶりに演奏の練習をする子もいるかもしれないけどしっかりお願いね!」
「「「はいっ!」」」
ここに集まっている子は近衛プロダクションに所属していていつも俺達のバンドで演奏をしている子達ばかりだ。でもプロダクションに所属していてバンドメンバーだからといっていつも演奏の練習をしているわけじゃない。むしろお嬢様の集まりである俺達はそれぞれが忙しくてこうして集まる機会は滅多にないとすら言える。
バンドの練習も小ホールのこけら落とし公演が終わって以来皆で集まって行ったことはない。各自が勝手に練習していたかもしれないけど人によってはそう簡単に練習も出来なかった子もいるだろう。それにソロでいくら練習していても人と合わせたりしてみなければわからないこともある。
これから一年間バンドの練習をするために何年も前、ホールの建設が決まった時から予定を調整してきたんだ。それでも全員が毎回集まれるわけじゃないだろうけど、今回の大ホールのこけら落とし公演はこのバンドとしても最後の表舞台となるかもしれない。皆の気合も十分で予定もちゃんと確保してくれている。
「それではまずはそれぞれパートに分かれて以前の復習からするとしようかの」
「「「はいっ!百地先生!」」」
師匠の指示で皆が分かれ始める。まずはどれくらい腕が変わっているか確認するのだろう。指示や指揮は師匠に任せておけば良いので俺も自分の練習に分かれる。
よくよく考えてみればこのバンドの練習が入るからグランデをまた辞めなければならなくなったのかもしれない。土日などに集中してバンドの練習が行われるためにその時間は当然百地流の修行は出来ない。まぁ朝晩の俺だけの修行はなくならないんだけど……。
バンドの練習がなければグランデで土曜日くらいは時間を取っても怒られなかったかもしれないけど、グランデにも行く、バンドの練習もする、では師匠が許してくれないだろう。そういうこともあって結局二月末でグランデを辞めることになったんだと今更ながらに理解した。
まぁ……、グランデで茅さんと睡蓮の水着を見たり、着替えを覗いたりするのも良いんだけど、こうして皆とバンドの練習をするために集まるのも悪くない。えっちぃのは期待出来ないけどね。
いいんだよ。俺は別に皆とえっちぃことを期待しているわけじゃない。こうして皆で集まって可愛い女の子達に囲まれてキャッキャウフフ出来れば十分だ。それになにより俺が皆のことを性的な目で見ていると知られたら大変なことになる。変態だとバレたら皆に嫌われるかもしれない。それが俺は何よりも怖い。
無理にえっちぃことを期待しなくても、こうして皆を愛でることが出来ればそれだけで俺は満足だ。
「咲耶ちゃん……、お姉さんちょっと忘れて下手になってしまっているわ。合わせてくれないかしら?」
「茅さん?ええ、良いですよ。それでは合わせましょう」
同じピアノ担当の茅さんが申し訳なさそうにそう言ってきた。でもまったくそんなことはない。きっと茅さんは謙遜でそう言ったんだろう。俺も人と合わせて演奏するのは久しぶりだ。師匠が回ってくるまでピアノ担当同士で合わせておこう。
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バンドの練習も一段落して休憩していると薊ちゃんが元気良く声を上げた。
「そうだ!今年ももちろんバンドの練習の休憩時間にお勉強会をしますよね?」
「え?ええ……、そうですね……。しても良いかもしれませんね」
確かに前回のバンド練習の時はこういう休憩時間にお勉強会をしていた。でも薊ちゃんはその勉強会が嫌な筆頭だったと思うんだけど……。何で今回はこんなに勉強会に乗り気なんだろうか?
「ふっふっふっ!待ってなさいよ紫苑!今回は放課後の勉強会に加えてこっちでも勉強するんだから!次こそは負けないんだからね!」
「「「あぁ……」」」
薊ちゃんの言葉を聞いて皆も納得したという顔で頷いていた。つまりはそういうことだ。
紫苑が勉強会に参加するようになってから成績は鰻登りとなっている。学年末試験のようなテスト範囲の広い試験は苦手みたいだけど、普通の中間や期末試験はもう余裕だろう。同じように放課後の勉強会だけをしていては紫苑に勝てないと思った薊ちゃんは、このバンド練習の合間にも勉強会をして紫苑に勝とうとしているんだ。
動機やきっかけが何であれ、薊ちゃんがこうしてやる気になっているのはとても良いことだと思う。それも相手を貶めたりするのではなく、お互いに高め合って正面から堂々と勝負するというのならとても良い関係だろう。紫苑自身があまり裏で汚い手を使ったりしないので薊ちゃんと波長が合うんだろう。二人とも馬鹿正直というか何というか……。
「そういうことならば協力しないわけにはまいりませんね」
「うへぇ……」
「咲耶ちゃんまでやる気に……」
「あはは……。お手柔らかにね……」
薊ちゃん以外のメンバーはちょっと疲れた顔をしているけど嫌だと言う子はいなかった。まぁこの流れで一人だけ勉強会したくないとは言えないだろうけど……。
そういえばこうしてバンドメンバーだけで勉強会をしていたから、バンド練習がなくなった後に放課後に勉強会をすることになっても鬼灯達や紫苑を呼ぶということをまったく考えていなかったんだよな。今回はバンドメンバー以外とは放課後に勉強会をするし、こちらはこちらでまた別の勉強会と捉えておこう。
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近衛プロダクションでバンドの練習を行って近衛母と会ったけど特に何も言われなかった。山吹の教育係の時にも会っているけど特に何も言われないし、近衛母は伊吹の発言について把握していないのだろうか?
近衛母は近衛家と九条家をくっつけるために俺と伊吹の結婚を推進している。伊吹じゃなくて山吹でもどっちでもいいとまで言っていたくらいだ。そして近衛母は五北会サロンで起こっていることも全て把握している。どこかにスパイがいるのか、盗聴器等の類かはわからないけど、何らかの方法で情報を仕入れているのは間違いない。
だから伊吹と成績勝負をして許婚候補宣言の撤回を賭けたことも、伊吹が負けて九条家のパーティーで発表すると言ったことも把握しているはずだ。それなのに近衛母が何も言わないということはそれは近衛母も同意しているからということだろうか?
俺と結婚させる相手として伊吹は完全に諦めて山吹一本に絞ったから?それとも別の狙いがあるのだろうか?近衛母が何を考えているのかわからない。わからないから余計に不気味に感じる。
もう一月もすれば九条家のパーティーだ。その時になれば嫌でもわかるだろうけど、このまま黙って指を咥えて見ていると碌でもないことになるかもしれない。どうにかしたいけどさすがに俺だけじゃ近衛母にちょっかいをかけても返り討ちに遭うだけだし……、情報収集をしてくれるような諜報員もいないし……、どうしたものかな……。
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新年度が始まってそれなりに経っているからか皆の硬さも解けてきたように思う。元々ただの繰り上がりだったから環境が大きく変わるわけでもないし、藤花学園では新年度といってもそう目新しいこともないかもしれない。入学、卒業もどうせ内部進学がほとんどだし、新入生に外部生が少し増える以外はそう大きな変化がないのは当たり前かもしれない。
「…………そうでした!」
「え?」
「咲耶様?どうかされましたか?」
休み時間に急に立ち上がった俺にグループの子達がポカンとした顔を向けていた。でも俺はそれどころじゃない。少し時間を置いてから海桐花と蕗の様子を確認しようと思っていたんだ。新年度が始まってから少し経っているからそろそろ確認してみた方が良いかもしれない。
初日は何も問題ないと二人は言っていたけどむしろ初日からいきなりバチバチにイジメとかをする子の方が少ないだろう。紫苑とか薊ちゃんタイプの性格なら初っ端からいきなりぶっこんでいくかもしれないけど、普通の子達だったら遠巻きに様子を窺うところから入るはずだ。それで暫く様子を見てから徐々に周囲の対応が決まるケースが多い。
最初からいきなりやられるとしたらそれは前年からそういうことをしている者達だけだ。そして前年度は二人もそんなにイジメられている様子はなかった。でも今年度は二人がバラバラになってしまったから、様子見をしていた者達が今年度から徐々に二人にちょっかいを出し始めるかもしれない。
「私、用事を思い出しました。少し席を外しますね」
「あっ……」
「……お花摘みかな?」
皆は驚いた顔をしているけどそれどころじゃない。俺の可愛い後輩である海桐花と蕗がイジメられていたら大変だ。とにかく急いで確認しなければ気が落ち着かない。皆から離れた俺は一人で二年の教室に向かって移動したのだった。
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三年三組である俺が階段を下りれば二年三組の教室が近い。一組の海桐花を先に見に行くよりも三組の蕗を先に確認しよう。
抜き足差し足忍び足で二階の廊下を進む。完全に周囲に溶け込み目立たない俺を見つけられる者などいないだろう。
「(まぁ!九条様よ!)」
「(二階に何の御用かしら?)」
「(下手にお声をかけない方が良さそうな雰囲気よ)」
「(そうね……。温かく見守りましょう)」
二年の生徒達とすれ違っても何も言われない。平凡な一般人でしかない俺は二年に紛れていても目立たず気付かれないということだろう。これならもしかしたら教室の中に紛れ込んでも気付かれないかもしれない。でも一応念のためにまずは外から扉の中をそーっと窺う。
「ねぇねぇ!松本さん!今日のお勤めのお話聞かせてよ!」
「今日というか昨日なんですけどね……。朝は私達が行くよりも早く出られているようなので会えませんから」
「へぇ……。そんな朝早くから毎朝習い事に行かれているなんてさすがねぇ……」
お?丁度蕗が女の子達に囲まれていた。遠くて会話ははっきりとは聞こえないけど、表情や声や話し方からして揉めたりイジメられているという様子はない。まだはっきりとしているわけじゃないけど一先ず蕗の方は大丈夫そうだ。もっと詳しく調べたいけど通常の休み時間だからそれほど長い時間があるわけでもない。蕗だけに調査時間を割いていたら海桐花の方を調べられない。
特に問題なさそうだったので今度は二年一組の前に移動して同じように扉から中を窺う。こちらはどうだろう……。
「稲田さん!私も行儀見習いになれないかしら?」
「ごめんなさい。それは私では判断出来ません」
「え~?それじゃぁさっ!紹介!紹介してよ!」
「それも出来ません……。行儀見習いが主人に対して他の行儀見習いを紹介するなどあってはならないことです」
「稲田さんは真面目ね~……。他の家だったら行儀見習いなんてただの友達や話し相手みたいなものよ?」
んん?こちらは何か少し絡まれているような雰囲気にも見える。海桐花が何かをしつこく要求されているけど断っているような感じだ。もしかして海桐花はイジメとかカツアゲに遭っているのだろうか?少し注意深く耳を澄ませる。
「行儀見習いには紹介出来ませんが別の活動には紹介出来ますよ?」
「え?何それ何それ?」
「ですがそちらも選ばれた方のみしか参加出来ないんです。皆さんは参加する覚悟がありますか?生半可な覚悟ではこちらの活動には参加出来ませんよ?」
「ゴクリッ……」
「え~……、私はいつものようにお話が聞けるだけでいいかなぁ……」
「あははっ、私も……」
何か海桐花の空気が変わったと思ったら、その気迫に飲まれたのか海桐花を囲んでいた少女達の方が引き攣った顔になって引き下がっていた。どうやら海桐花の方が一枚も二枚も上手のようだ。もしかしたらイジメられているのかと思ったけど、蕗の方はイジメられている様子もなかったし海桐花も周囲を圧倒している。
あれがさらにイジメに発展したら大変かもしれないけど、あれだけ周囲から一目置かれていればそうそうイジメのターゲットにされることもないだろう。一応二人の安全が確認出来てホッと一安心だ。大丈夫そうだしちょっと顔を出して挨拶してから戻ろうかな。




