第六百五十二話「皆の圧」
先週末の鷹司家のパーティーを終えて翌月曜日の朝、俺は少しげんなりした気分でのそのそと準備を始める。
鷹司家のパーティーでは睡蓮が話題の中心だと思ったけど、昨日の日曜日には俺に大量の電話や面会の申し込み、場合によってはアポなしで突撃してくるご夫人達が大勢いた。
何でそんなことになったかというと、どうやら睡蓮のダイエットを成功させたのは俺だという噂が広まったのが原因らしい。実際には茅さんと睡蓮は週に三回グランデに通っているのに対して俺は週一日しか通っていない。そもそもダイエットのプログラムを組んだのは古堀先生であり、ダイエットを頑張ったのは睡蓮本人だ。それなのに何故俺がという話になったのかはよくわからない。
ただパーティーの時もそうだったけど、どうにもご夫人方は俺が睡蓮をダイエットさせたと思っていたようで、一緒にグランデに通いたいとか、どうすればあんなにうまく痩せられるのかと散々問い詰められた。日曜日になってもそれは止まず、むしろパーティーに参加していなかった家のご夫人達にまで広まったのか一層そういう相談が殺到することになった。
いつの世も女性が美を求めるというのはわからなくはない。でもちょっと睡蓮が痩せたからといって俺にそれを聞きに来ても意味はないだろうに……。もし本気でやるつもりならグランデに入会して古堀先生に本気のプログラムを組んでくれと頼めばいい。問題はそれを本人が耐えられるかどうかだけだ。
睡蓮は古堀先生のきつめのトレーニングにちゃんとついていっている。だからこそ痩せたのでありそれは俺や古堀先生の手腕や手柄ではなく睡蓮の努力の結果に過ぎない。俺に聞きにこずに睡蓮の努力を褒めてあげるべきだろう。
「咲耶様、また難しい顔になっておられますよ」
「あぁ、椛、おはよ……」
「…………」
「…………」
いつの間にか部屋に入ってきていたらしい椛の方を見て止まる。その頭にはホワイトブリムではなく猫耳が鎮座している。
「いっ、いつまでも私にそれが通じると思わないことです……」
「そうですか」
俺は何でもないことのように言い放つ。もう俺だって慣れた。今更あの時のことを思い出して恥ずかしがったりなんてしないんだからね!
「それではお召し替えいたしましょう」
「――ぶふぅっ!!!」
クルリと後ろを向いた椛のお尻に……、尻尾が……。
「ああぁぁぁっ!」
「いかがされましたか?咲耶様?」
「知りません!」
「尻だけに?」
「もう!椛の意地悪!」
ゆらゆらと椛のお尻で揺れている尻尾が可愛い。あの時の俺の恥ずかしさと、椛の猫耳、尻尾の可愛さにやられて、俺はもうわけがわからなくなりながら椛に着替えを手伝ってもらったのだった。
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百地流の朝練を終えてから学園へとやってきた。俺の部屋に来る時は椛もあんな悪ふざけをするけど外に出る時にまであんな格好はしない。柚も何も言わないし、もしかしたら椛は俺の部屋に入る直前にあれを着けているのかもしれない。
「咲耶様」
「咲耶お嬢様」
「「いってらっしゃいませ」」
「いってまいります」
いつも通り椛と柚に見送られて玄関口へと向かうと今日は周囲の生徒達が俺を見るなりヒソヒソしていた。コンサート以来皆普通に挨拶してくれるようになっていたけど今日は何か様子が違う。
「皆さん御機嫌よう」
「おはようございます!九条様!私のこともプロデュースしてください!」
「九条様御機嫌よう!私もダイエットしたいです!」
「え?え?」
俺が玄関口に入ると周囲からそんな声が殺到した。これはアレだ。鷹司家のパーティーの時のご夫人方とそっくりだ。女性が美を求めるのはわかるとは言ったけど中等科生くらいの子達まで無理にそれを求める必要はないと思う。でも皆だって少しでも綺麗になりたいと思うんだろう。その心を止めることは出来ない。
「え~……、皆さん落ち着いて……」
「私達は冷静です!」
「私も花園様のように綺麗になりたいんです!」
「咲耶様!」
「九条様!」
ヒィィッ!女の子達の圧が凄い!今までも結構凄いかと思ったけどそんなものの比じゃない。とにかくここにいちゃ駄目だ。逃げないと……。
「そっ、それでは御機嫌よう!」
「あぁ!九条様!」
「お待ちになってぇ~~~!」
さすがに逃げる俺を追ってくるような子達はいなかった。でも他にも待ち伏せしている子達が、あるいはすれ違う子達が皆俺に同じようなことを言ってくる。女性の美やダイエットに対する熱量と勢いが凄いことは十分にわかった。俺はわかったつもりで何もわかっていなかったということがはっきりわかった。
「はぁ……、ふぅ……」
まるで映画でゾンビに追われる登場人物のように廊下から逃げてきた俺はようやく二年三組の教室へと辿り着いた。ここならきっと安全だ……。
「御機げ……」
「九条様よ!」
「おはようございます九条様!」
「私にもダイエットの指導をしてくださ~い!」
ヒィィッ!ここでもか!ここでもなのか!?
「ちょっと貴女達!どきなさい!咲耶様のお邪魔でしょう!」
「道を空けなさい」
「あっ……」
「はい……」
教室に入っても美とダイエットを求める女の子達に殺到されるのかと思ったけど、俺が入り口で立ち往生しているとグループの皆が助けに来てくれた。頼りない奴でごめんよ……。皆の手助けがとてもありがたい。
「御機嫌よう皆さん」
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「さぁ咲耶ちゃん、どうぞ」
「ありがとう」
グループの皆が殺到してくる女の子達を統制し避けてくれた。俺はその間を歩いて席へと向かう。ようやく席に辿り着いた俺は一息ついてから荷物を片付ける。
「相変わらず凄い人気ですね咲耶ちゃん」
「皆ミーハーなだけよ!ちょっと睡蓮が痩せたからって咲耶様にあんなに群がって!」
「まーまー薊ちゃーん。そういう私達も同じ目的だしさー」
「…………え?」
皆に助けられて席に着けたと思ったのに何か皆の目が怪しく輝いている。これはもしかして……、俺ピンチ?
「私達の知らない所で正親町三条様と睡蓮と一緒に水泳に通われているそうで……」
「睡蓮ちゃんも随分痩せて可愛くなっていたって噂になっていますよ」
「咲耶ちゃーん?どういうことかなー?」
「いやぁ……、そのぉ……」
何で俺が尋問されてるみたいになってるんだ?別に俺はやましいことはしていないし、誰と一緒にどこで何を習おうと俺の自由なはずだ。それなのにこの皆に向かってそんなことは口が裂けても言えない。言ってはいけないと俺の第六感が教えてくれている。
「咲耶ちゃん……、私達は何も責めているわけじゃないんですよ」
「そうです。咲耶ちゃんがどこで何を習っていても自由ですから……」
「でもどうして私達に黙っていたんですか?」
「何かやましいことでも?」
「ヒィィッ!何もありません!本当です!」
皆が笑ってない笑顔で迫ってくる。とても怖い。中等科二年生の女の子に迫られたからといって何をビビッているのかと思うかもしれないけど、実際にこうして皆に迫られたら誰でもビビると思う。もしかして浮気を追及されてる旦那とかってこんな気持ちなのかもしれない。
確かに皆に黙っていたことは申し訳ないと思うけど決して、決してやましいことはない。茅さんと睡蓮の水着姿が見れるなとか、それを皆に知られたら俺がスケベだって思われるとか心配してたけど、してたわけじゃない。何を言っているかわからないと思うけど俺も何を言っているかわからない。
「じゃあどうして黙っていたんですか?」
「それは……、現在も週に一回だけ付き合っているだけですし、いつまた辞めなければならないかわからないからです。短期的に私もご一緒することになっただけで、ダイエット自体は睡蓮ちゃんが頑張っているからで私は何もしていません。それに最後まで見届けるわけでもなく最初の一歩を踏み出せなかった睡蓮ちゃんを応援するために茅さんと一緒に通うことになっただけなんです」
「「「へぇ~……」」」
うぅ……。何か皆の視線が痛い……。本当にやましいことなんてないのに……。ちょっと茅さんと睡蓮の水着姿が見れるぞラッキーとか、更衣室で着替えが見えちゃったりして?ムフッ!って思ってただけなんだ。実際今まで何回もグランデに行ってるけど未だに二人の着替えは覗けてないし、水着姿を少し見られて眼福って程度だけなんだよ!
「……まぁいいでしょう」
「それじゃー、皆で集まる日いつにするー?」
「え?え?」
「私はこの日はちょっと……」
「でも二月中までにしないと咲耶様がグランデを辞めてしまうかもしれないし……」
皆が何かの相談をし始めた。一体何を言っているのかわからない。
「あの……?皆さん?一体何のお話を……?」
「もう過ぎたことは戻りません」
「ですから私達も一緒にグランデに行く日取りを決めているんですよ」
…………は?
「えっと……?」
「咲耶ちゃんがとりあえず二月一杯まではグランデに通われることはわかっています」
「それまでに私達も一緒にグランデに集合して咲耶様と冬のプールを楽しむんです!」
「へぇ……」
何か俺の口から変な空気が漏れた。何というか……、何も言えない……。皆の言ったことはわかるけどわからない。言葉の意味はわかるけど、どうしてそうなったのかがわからないと言うべきか。
「あの……、それは……」
「もう決定事項ですから」
「あっ……、はい……」
また笑ってない笑顔できっぱりそう言い切られてしまった。とても怖い。俺には何も口出しをする権利はないらしい。浮気した夫が何も言えず肩身が狭い思いをするというのはこういうものかもしれない。俺は別に皆の夫でもないし浮気したわけでもないんだけど……、何故かそんなことを思ってしまう。
「咲耶ちゃんは気にしなくて良いですよ。咲耶ちゃんがグランデに行かれる予定はすでに把握していますから」
「そーそー!私達が勝手にその日に行くだけだからー!」
「そうですか……」
俺の知らない所で勝手に話が進んで行く。そして何故皆が俺の予定を知っているんだ?俺達は日ごろ別にお互いの予定なんて教え合っているわけじゃない。それなのに何故皆が俺の予定を俺に聞くことなく把握しているのか……。それはもしかして俺の予定を把握している立場の者の中に情報をリークしている者がいるんじゃないだろうか?
家人やメイド達はある程度俺の予定を把握している。門衛達だってそうだ。先々まで全て完全に把握しているわけじゃないとしても、俺の身の回りに関わる者達はある程度の俺の予定を把握している。万が一情報をリークしている者がいるとしても特定することは難しい。
「それじゃこの日に皆で一緒にグランデに行きますから!」
「一緒に泳ごーねー!」
「咲耶ちゃんの水着……、楽しみです」
「あはは……」
何も言えない。まぁ……、その日は皆と一緒にプールで遊べる日だと思えばそう悪くもないのかな?浮気を追及されている夫から一転して、妻や恋人を連れてプールで遊ぶ約束を取り付けたと思えばそう悪くないのかもしれない。
悪い方、悪い方に考えていても気分がブルーになるだけだし、それなら皆と遊ぶ約束が出来たと思った方が精神衛生上良いだろう。
まぁ……、このことを茅さんと睡蓮に伝えたら二人の反応がどうなるか心配だけど……、大丈夫だよね?というか皆が言うように誰がいつどこで何を習ってもそれは本人達の自由なわけで、俺達がグランデに通っているからって皆にグランデに通うなとは言えない。茅さんだってそれくらい……、わかってくれるかな?
大学生になってからの茅さんはとても落ち着いていて大人のお姉さんになりつつある。でもグランデに通うようになってから茅さんの様子が少しおかしい。昔の茅さんだったら俺と遊ぶ約束をしていた所に他の子達が入ってきたら相当怒っていたはずだ。睡蓮だって必死にダイエットしている所を他の人に見られるのは嫌かもしれない。
そうは思うけど……、俺にこれを止めることは出来ない。皆がグランデに通うのは皆の自由だし……、何より今の皆を止めるのは怖い。もしここで俺が口を挟んで皆を止めようとしたらきっと大変なことになる。
だから……、問題の先送りだ!
グランデで皆と鉢合わせしたら茅さんと睡蓮が怒るだろう。でも事前に伝えるのも怖い。かといって黙っていてはきっと怒るだろうし、グループの皆を説得してグランデに来るのを止めるのも不可能だ。
八方塞の俺はもう考えることをやめてなるようになるさと流れに身を任せることにしたのだった。




