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第六十二話「迷い」


 今日は終業式だ。一学期が終わってこれから夏休みに入る。長かったようで短かったような……、短かったようで長かったような……、怒涛の一学期も終わりを迎えた。


 色々なことがあった。俺の思ってたのと違う生活だったし俺の知る『恋に咲く花』とはまるで違うような気もする。最初の頃はまだ一年生だからゲーム中で語られていなかった部分はこういうものだったかもしれない、とも考えたけど今ならわかる。この世界は絶対にゲーム『恋に咲く花』とは別の世界になった。


 咲耶お嬢様も、皐月ちゃんも、薊ちゃんとその取り巻きグループも、伊吹や槐も……。ゲームでは登場しなかった兄や、水木や、茅さん……。周囲全てがゲームの『恋花』とは変わっている。


 これからも大筋では『恋花』の通りに進むとは思うけど、最早ここは別の世界だと思っておかないと思わぬことで足をすくわれることになるかもしれない。それでなくても『恋花』は咲耶お嬢様に厳しい世界だ。気をつけるに越したことはないだろう。


「それでは咲耶様、さようなら」


「御機嫌よう薊ちゃん」


 終業式も終わって皆ゾロゾロと帰り始める。今日はサロンに寄らない者も多い。終業式が終わったらすぐ解散だから早く帰って色々としたいこともあるだろう。かくいう俺もサロンには寄らない。ただ混雑が嫌だから時間をずらしているだけで混雑がはければすぐ帰る予定だ。


 暫く皆が帰って行くのを見送って……、教室に残っているのがほとんど俺だけになった頃……。


「九条さん、ちょっと良いかな?」


「鷹司様?」


 槐が三組にやってきて声をかけてきた。一体何事だろうか。槐が来たら碌な事がない気がするけど……。断る理由もないし話くらいは聞いてみないと何もわからない。


「ゆっくり話したいから移動してもいいかな?」


「え?ええ……」


 槐が歩き出したから俺も付いて歩く。廊下の人もかなり減っているけどまだチラホラ残っている者もいるな。俺と同じように混雑を避けようと思った者達なのか、早く終わったからちょっとここで夏休み前に皆と話していこうというのか。


 俺が槐と歩いているからかチラチラ見られているけど追いかけてきたり、声をかけてきたりする者はいない。そもそも本来なら五北会や五北家はこの学園でも恐れ多い存在のはずだからな……。何か俺がアレなせいかそんな感じはあまりしないけど……。


「う~ん……。ここでいいかな。ごめんね、こんな所まで呼び出したりして」


「いえ……」


 いつものバルコニーに出た所で槐が振り返ってそう言った。確かにこのバルコニーは何かと俺にとっても思い出深い場所だ。あまり良い思い出もないような気もするけど……。


 一年生の教室から人気のない、人に話を聞かれ難い場所と言えばここが一番良い。まぁここも下に人が居たりしたら聞き耳を立てられる可能性はあるけど、そんなことを言い出せばこの学園のどこも秘密の話が出来る場所は存在しないことになる。


 サロンは扉や壁も厚いけど今日も集まっている人がいるだろう。槐もそう思っているからサロンは避けたはずだ。中庭は死角も多いしウロウロしている生徒もいる。この校舎には屋上はない。向こうの別校舎にはあるけどこちらの建物は屋上が平じゃないからな。三角屋根の洋風な作りだからそもそも屋上がない。


 とことん隠れて内緒話をするつもりならもっと……、別校舎とかの空き教室に入って鍵をかけるとかあるだろうけど、そこまで徹底しないけどちょっと聞かれたくない話、という感じの時はこのバルコニーが一番良い。


「九条さんは……」


「はい?」


 何か言おうとし始めたから槐の言葉に耳を傾ける。


「伊吹のことが嫌いなのかな?」


「ぶっ!?」


 そして出て来た言葉に噴いてしまった……。


「ああ……、やっぱり……」


「いえ……、あの……」


 俺はまだ何も言っていない。伊吹が嫌いだとか、近づいて欲しくないだとか、関わってくるなだとかまだ何も言っていない。


「私は何も……」


「いいんだよ。九条さんの立場ではっきり『伊吹が嫌いだ』なんて言えないよね」


 槐は本当に小学校一年生か?とてもじゃないけどこの気の使いようは小学校一年生とは思えないぞ。


「えっと……、僕が言うことでもないんだけどさ……。もう少しだけ……、もう少しだけ伊吹にもチャンスをあげてくれないかな?別に伊吹を好きになって欲しいとか言わない。ただ……、友達としてもう少しお互いを知る機会くらいはあげられないかな?」


「…………」


 ……槐は良い奴だな。もちろん槐には槐なりの計算や打算があるのかもしれない。でも伊吹と俺が、近衛と九条が争っていたら色々と大変なことになる。俺と伊吹が険悪ならそれぞれの門流も険悪になっていくだろう。


 今はまだ良い。兄が九条門流をまとめている。だから近衛や鷹司ともそれなりにうまくやれているんだろう。でも来年兄が卒業したら俺が九条門流をまとめなければならない。それは俺が嫌でもそうなる。俺に従うのが嫌でも、俺自身が人の上に立つのが嫌でも……、強制的にそうならざるを得ない。それが上の立場に生まれた者の責任だ。


 世間一般では金持ちや権力者の家に生まれたら一生楽して安泰で勝ち組だと思うかもしれない。俺だって前世ではある程度そういう気持ちも持っていた。でも実際にそういう家に生まれてみれば、ただ気楽で勝ち組な人生を悠々自適に送れるというわけではないとわかる。


 『ノブレス・オブリージュ』……、このご時世に何を時代遅れなことをと思うかもしれない。でも実際に現代でもノブレス・オブリージュは存在する。


 昨今の社長や役員は責任も果たさず自らの金儲けばかり考えている者も増えてしまった。でも本来経営者というのは雇っている社員達や取引先、最終的には顧客まで全てに責任を負っている。稼げる時に稼いで、あとは会社が潰れたから知りませんは通用しない。


 俺が九条家に生まれたから九条門流からチヤホヤされて崇められるだけの存在かと言えばそうじゃない。俺は門流の各家に対して責任を持たなければならない。外に対しては門流の行動をきちんと統制しておく責任がある。門流の家に対しては俺が外から守ってあげなければならない。


 前までのように……、咲耶お嬢様の二の舞になりたくないから全てから逃げ出すというのなら俺にここにいる資格はない。本当に責任から逃れるつもりなら九条家から出て自分一人で生きていかなければならない。それが出来ないのならば九条家としての責任を果たす。それが九条家に生まれた者の義務だ。


 そしてそれは俺だけの話じゃない。伊吹も、槐も、薊ちゃんも、皐月ちゃんも……、皆がそれぞれその中で生きている。背負っているものは違うとしても、それでも皆それぞれ自分の責任を果たしている。その中で俺だけが責任から逃げるなんて許されるはずもない。


「これから兄が卒業するまでに……、私がきちんと九条門流を纏め上げ、無闇に近衛門流や鷹司門流と争わないように管理せよ、と、そういうことですね?」


「えっ!」


「え?」


 俺が槐に確認したら何か驚いた顔をしていた。俺は首を傾げる。今の伊吹と険悪なままの俺が次期九条門流の長となったら問題になる可能性があるから、今のうちからしっかり纏め上げておけよという話じゃないのか?


「ええっとね……、九条さん?」


「はい?」


 何か額を押さえている槐に相槌を打つ。


「何でそんな話になってるのかわからないけど……、僕としてはただ九条さんが伊吹の……、せめてお友達になってくれたらなと、そう言ってるだけなんだけど?」


「はぁ?」


 俺が伊吹のお友達……。それは暗に近衛門流に降れという意味か?おお心の友よ、とか、お前の物は俺の物、とかそういう?


「何かまた難しいことを考えてそうだけど……、ただ伊吹と友達になって欲しいだけなんだよ。伝わらない?」


「え~っと……」


 俺と伊吹が友達になる……。何で?何で伊吹と友達にならなきゃならないんだ?伊吹は将来咲耶お嬢様を裏切り、貶め、地獄に叩き落す悪魔だ。その伊吹と友達になるってどういうことだ?自分を嵌める相手と友達になってどうする?


「また何か考えが飛躍してそうだけど……、本当にただお友達になって欲しいだけなんだよ。あ!それじゃ僕と友達になろう。ね?九条さん、今日から僕と九条さんは友達だ」


「え~……」


 何を言ってるんだ?槐だって咲耶お嬢様を破滅に追い込む鬼畜だろう?関係ないルートにまで出てきて何故かお笑いのお約束みたいに、本当に冗談みたいに咲耶お嬢様を破滅させる。それを笑いものにしているような奴らだ。


 確かにこの世界は『恋花』とは違う。次第に別の世界のように流れが変わってきている。だけど油断しないと決めた所だ。こいつらは息を吐くように咲耶お嬢様を破滅させる。まるでそうしなければいられないかのように……。


 もちろん『恋花』だって製作者達がシナリオを考えて作ったんだろう。ゲームの伊吹や槐はそのシナリオ通りに動いていたにすぎない。でも本当に、何の前触れもなく、まったく無関係のルートであっても、ただちょっと悪ふざけみたいに咲耶お嬢様を破滅させる。こいつらを許す?許せるわけないだろう?


 製作者サイドはただの悪ノリで、最後に一幕咲耶お嬢様がコミカルに破滅させられるのを面白いと思って入れていただけかもしれない。でもそれで、そんなことで破滅させられる者の気持ちがわかるか?咲耶お嬢様がどれほど辛い思いをしたかわかるか?


 この世界がゲームの『恋花』と違うとしても……、いつ咲耶お嬢様に牙を剥いてくるかわからない。あの製作者達の悪意がこの世界でも出てこないとは限らない。そしてもしその悪意が牙を剥いた時……、どうしようもない。世界そのものの意思とでも言うような製作者の悪意は、そこに登場するだけの者にはどうすることも出来ない究極の神の意思になる。


「…………九条さんがどれだけ伊吹を、そして僕のことを嫌がってるかちょっとわかったよ。でも……、それでも!お願いするよ!伊吹にチャンスをあげてください!」


「鷹司様……」


 槐は……、俺に必死に頭を下げた。鷹司槐が……。あの鷹司槐が咲耶お嬢様に……。


 どうするんだ?これがまた罠だったらどうする?もしかしたら罠のつもりはなくとも結果的にそういう、咲耶お嬢様への世界の悪意に翻弄されることになるかもしれない。


 だけど……、ここまでされて……、ここまでさせて……、無視出来るのか?それに……、もしかしたら本当に……、俺も伊吹や槐と友達に……。


「――ッ!」


 俺は……、今何を考えていた?情に絆されたか?こいつらは甘い顔をして咲耶お嬢様に近づき、散々利用して、いらなくなったら遊び半分で破滅させる。場合によっては本当に死んだというエンディングもある。そんな奴らを……。


 俺は……。俺は……!


「あ!」


 後ろから槐の声が聞こえる。でも俺は後ろを振り返ることなく駆け出していた。廊下を走ってはいけないとかそんなことを気にしている余裕もない。ただひたすらにロータリーに向かって走っていた。




  ~~~~~~~




 ベッドに横になって天蓋を見上げる。俺はどうしたらいいんだろう?


 これが普通の世界だったなら……、とりあえず伊吹や槐とも親しくなろうとしてみたらどうだ?と思うだろう。それで駄目なら離れていけばいい。一度とりあえず親しくなろうとして、無理なら諦める。親しくなれたらラッキー、くらいで良いように思う。


 でも……、そんなに甘いか?ここはゲームの『恋花』とは変わってきているとはいっても基本は同じような良く似た世界だ。もしこの世界でも咲耶お嬢様が破滅するのだとすればそこには絶対にあの二人が関わってくる。


 最初から距離を置いて関わらなければ破滅フラグも回避出来るかもしれない。でも下手に関わって、それこそ逆恨みされたり、仲が悪くなったことが原因で破滅させられるなんてことにならないとも限らない。


 ここはゲームと違ってやり直しはきかない。一発勝負の本物の人生だ。俺の決断一つで咲耶お嬢様だけじゃなくて九条家の運命すら決めてしまうかもしれない。


 今でも父には口を酸っぱくして不正をするなと言っている。父も不正をするような人じゃないはずだ。不正を暴かれて没落というルートは回避出来ている気はする。でもまだわからない。何が起こるか……。それにゲーム中でも必ずしも不正がどうこうという話ばかりでもない。その一文も出てくるけど直接的には別の要因で破滅させられることもある。


「一体私はどうすれば良いのですか……」


 自分の声じゃないみたいな……、か弱い少女のような声が誰もいない部屋に響いた。



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― 新着の感想 ―
責任の話をすると家長である父が近衛との結婚を推し進めたいなら断る事は逃げになるわけだけども。母親が否定的だから纏まってはいないけど少なくとも政略的な婚約婚姻はするものだろう
[一言] 考えすぎだろ。 というかゲームの二人どんだけひどかったのよ。 咲耶の人をちゃんと見ないところとか嫌に固定観念にとらわれているところとか、こういところだけは好きになれないな。
[一言] 咲耶ちゃん……( ˘ω˘ )
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