第六百二十五話「喫茶店は大失敗」
店員以外人の居ない喫茶店に入る。この時点でもう嫌な予感しかしない。俺は引き返そうかと皆に言ったんだけど、皆はこれだけ空いているのなら少し入ってみようと言うので店に入ることになった。
「こちらがメニューです」
「ありがとう」
俺達が席に着くとメニューが渡された。でもメニューのほとんどは売り切れという表示になっている。残っているのは紅茶数種類と手作りクッキーだけだった。皆がとりあえずお茶を頼んだ後、下級生達がクッキーを頼もうとしていたのを俺は慌てて止めた。
「クッキー食べたい!」
「私も!」
「じゃあクッキーを四つ……」
「待って!」
「「「え?」」」
急に俺が大きな声を出したから驚いたのだろう。皆が俺のことを見ている。でも怯んでいる暇はない。ここでスルーしたらきっと大変なことになる。俺の本能がそう告げていた。何としても大惨事だけは避けなければ……。
「こっ……、このあと食事に行くでしょう?クッキーは一皿だけ頼んで食べたい人だけで分けましょう?」
秋桐達は一人一つ頼もうとしていたけどそれだけは駄目だ。このメニューを見て手作りクッキーだけ売れ残っているのが物語っている。誰も客のいない店……。外の店から買ってきた商品は売り切れているのに売れ残っている手作りクッキー……。この状況は危険だ。
「はぁ~い……」
「それじゃあ全員に飲み物とクッキーを一つで」
「かしこまりました」
店員係の二年一組の生徒がほっとした表情を浮かべてオーダーを伝えに下がった。あの表情は売れてほっとしたのか、量を減らしたのを確認してほっとしたのか……。何とも言えない緊張感の中でお茶とクッキーが届くのを待つ。他の皆は平然とおしゃべりをしているけど俺は緊張でそれどころじゃない。
「お待たせいたしました」
程なく俺達の前にお茶とクッキーが一皿運ばれてきた。オーダーから出てくるまでが早すぎる。それに俺の鼻にはもう口をつけるまでもなくソレがやばい物だとわかった。でも皆は気付いていないのかカップを持ち上げている。
「わーい!クッキー!」
「いただきまーす!」
秋桐達も前に置かれた皿に手を伸ばしてクッキーを頬張った。皆もカップを持ち上げて紅茶に口をつける。仕方がないので俺も一口確かめた。
「うっ!」
「――ッ!?」
「…………」
皆それぞれの反応をしながらカップを下ろす。さっきまで楽しそうにクッキーに手を伸ばしていた秋桐達も無言でクッキーを皿に戻していた。
「客がいないわけですね……」
「メニューに載っている外から買ってきたお茶請けだけ売り切れている理由がよくわかります……」
「「「…………」」」
秋桐達は完全に無言になってしまっている。何か切ない……。こんな秋桐達の姿を見せられるなんて……。おのれ近衛伊吹め!絶対に許さん!
「そもそもオーダーからお茶が出てくるまでの早さが異常すぎます」
「ですね……」
メニューに書いてある茶葉は確かにそこそこ良い物ばかりだ。でもお茶の淹れ方がまったくなっていない。お茶の良い所を全て殺してしまっている。これじゃ濁った泥水を啜っているようだ。
「ちょっとクッキーもいただきますね」
「あっ!咲耶ちゃん!やめた方が……」
秋桐達の様子を見て心配してくれたようだけど俺は構わずに手作りクッキーを一つ取って齧ってみた。その瞬間に広がるのは挽いた小麦粉の粉っぽさと生臭さ、そして砂糖がじゃりじゃりと砂のように絡む嫌な歯ごたえだった。
これはクッキーじゃない。小麦粉を生で口に含んだみたいな粉っぽさと生臭さがある。そして砂糖だ。確かにわざと砂糖の粒がじゃりじゃりとして歯ごたえがあるようにしたお菓子もある。でもそれは程よいアクセントになってこその話だ。これはまるで砂が入っているような不快な感じしかしない。
クッキーというのはお菓子の中でも比較的簡単に作れる。お菓子というのは分量や手順を絶対に守らなければならない。そんな中でもクッキーは多少横着をしても、量を間違えても大失敗はしないお菓子……、のはずだ。でもこのクッキーはあり得ないほどまずい。まったくクッキーになっていない。これはどういうことだ?
お茶にしろ、クッキーにしろ、いくら下手でも失敗してもここまで酷いことになるはずがない。そもそも二年一組にだって料理が得意な子や、お茶やお菓子に精通している子の一人や二人くらいはいるはずだろう。いくら料理もしたことがないボンボンが多いとしてもここまで大失敗するだろうか?誰か出来る子がもっと指導してどうにか形にくらいはなるはずなのにそれがない。
「九条咲耶……、来ていたのか……」
「押小路様……、それに難波君も……」
俺達が席に座ってショックを受けていると柾と棗がやってきた。柾はこのクラスだからわかるけど何故棗も一緒なのかはわからない。
「俺達は生徒会と文化祭実行委員として巡回中でな。棗にも仕事を手伝ってもらっている」
「ああ、そういうことですか」
俺の疑問に気付いた柾が簡単に説明してくれた。どうやら柾は棗の面倒を良く見てくれているようだ。一条派閥も表立って棗に何かするとは思ってないけど、こうして柾が一緒に居てくれたらさらに手を出しにくいだろう。
「二年一組の喫茶店は近衛伊吹の強引な命令によって分裂してな。残っているのは近衛伊吹の命令に従っている者だけなんだ。経営も接客も全てその者達だけでやっている。だからとてもじゃないが飲食出来たものじゃない」
「なるほど……」
そう言われれば店員達も随分少ない。店が空いているから店員も少ないのかと思ったけどそれじゃおかしいことに気付いた。店員の人数や休憩時間は事前に決めていたはずだ。それなのに今店員が少ないのが客が少ないからというのはおかしい。客が予想より少なくとも事前に決めた配分で店員が配置されたり休憩に入ったりしているはずなんだからな。
柾に聞いた話によるとどうも俺が巻き込まれた例の一組の騒動の後も結局伊吹は騒いでワガママを言いまくったようだ。それに辟易した一部の一組生徒は文化祭をボイコットし、残った生徒もかなり分裂してしまった。今残っているのは伊吹に逆らえない家の子達くらいのようだ。
予算配分も、内装も、商品も、全て伊吹が勝手に取り仕切り決めてしまった。内装の飾りつけ自体はそこそこ凝っていることから予算のかなりをそういった表面的な部分に使ってしまったのだろう。お茶請けとして外部から購入したものは量が足りない上に、店のお茶や手作り品がまずいので買ってきたお茶請けばかりが売れてあっという間に売り切れてしまったようだ。
伊吹の顔を立てて来店した客は噂を聞きつけてお茶や手作り品は避け、買ってきたお茶請けだけを買っていった。当然まずいお茶や手作りだけ残り、伊吹に従ったり顔を立てる者が一巡すれば店に来る者は誰もいなくなった。それが今のガラガラの状況のようだ。
「それでももう少しマシなものが出来そうですが……」
完璧なお茶の淹れ方は出来なくても日ごろから舌が肥えていて、お茶の淹れ方くらい習っている子ならここまで酷いことにはならないはずだ。クッキーだって失敗しにくい手作りお菓子のはずなのにこうはならないだろう。
「こうなるのは当然ですよ咲耶様!残っている者は本物も知らない者ばかりなんですから!」
「紫苑……」
柾に続いて紫苑も外からやってきた。どうやら俺達が店に入ったと聞いて飛んで来てくれたようだ。
せめて紫苑が手伝ってくれていればもう少し違っただろう。紫苑はわがままっぽく思えるけどちゃんと本物がわかる子だ。かなりの財力を持つ萩原家で育てられただけあって本物を見る目は養われている。その紫苑が指導すればお茶ももっとマシになっていたはずだけど、どうやら今残っている店員達はとにかくお湯を注げば良いと思っているような子達ばかりらしい。
「どけ!お前ら!おう!咲耶!来てくれていたんだな!俺様を待ってくれていたのか!」
さらに間の悪いことに伊吹までやってきた。入り口付近で立ち止まっていた柾達や紫苑をシッシッと手で払うようにしながら調理室に入ってくる。
「近衛様、いくら何でもこれはひどすぎます。近衛様が中心となって進められているのならばきちんと指導されるべきでしょう」
「知るか!こいつらが出来ないのが悪いんだろう!俺様のせいじゃない!咲耶!お前までそんなことを言うのかよ!」
伊吹はそれだけ言うと扉を乱暴に閉めて出て行った。駄目だこりゃ……。一組の生徒達も伊吹の態度を見て完全に萎縮してしまっている。家や派閥の問題もあって逆らえないのかもしれないけどどっちもどっちだ。主家や主人がおかしいならばきちんと諫言するのも家臣の務めだろう。
「もう出ましょうか……」
「はい」
「「「…………」」」
俺達は二年一組の喫茶店から出た。滅茶苦茶空気が悪い。秋桐達はまだ無言になってるし……。
本当ならもっとアドバイスしたり、間を取り持った方が良いのかもしれない。でもそれは俺達の仕事じゃないだろう。一組が自発的にきちんと話し合ってどうにかすべき問題だ。それを部外者である俺達が口を挟むべきじゃない。
「食事は露店で済ませましょうか」
「――!秋桐たこ焼きが食べたい!」
「私はお好み焼き!」
「えっと……、えっと……、色々全部食べたい!」
ようやく秋桐達も復活したようだ。さっきまでのような秋桐達の姿なんて見たくない。あのクッキーがよっぽどショックだったんだろう。俺だって口直ししたい。何しろお茶で流し込もうにもお茶だって酷いものだった。ありゃ駄目だ。見た目にばかりこだわって、高い茶葉やお茶請けさえ買えば良いと思っていたんだろう。
去年の俺達のクラスがうまくいったのはグループの子達がきちんと良い物を選んでくれて、保存から調理から客に出すまで全てきちんとしてくれたからだ。お茶だってただお湯を入れれば良いというものじゃない。おいしくなるようにちゃんと淹れてこそお茶の良さが引き出される。
俺達は今までこういう行事のお陰で絆を深めてきたと思う。でもさっき見た二年一組のようにこういう行事のために衝突してますますクラスが分裂して空気が悪くなってしまうこともある。俺はそれをすっかり忘れていた。自分達がうまくいっているから皆行事をすれば仲良くなれるとどこかで思ってしまっていた。
前世だって中高生くらいの頃は学校行事で打ち解けることもあれば、意見が衝突したりしてクラスが分裂することもあったというのにそれを忘れていたなんて……。
「私達はああはならないように気をつけなければなりませんね……」
「はい」
「咲耶ちゃんがリーダーシップを取っている限りは大丈夫だと思いますけどね!」
反面教師とか人の振り見て我が振り直せじゃないけど一組の件は色々と思う所があった。伊吹と柾と紫苑の対立はかなり深刻なことになっている。このまま放っておいたら本当に危険なことになるかもしれない。でも一組のことに俺が介入すべきかどうかは悩ましい。
「今は私達のことを楽しみましょう!咲耶様!」
「そうよ咲耶ちゃん。アホボンのことなんて放っておけば良いわ。お姉さんのことだけ見てくれていれば良いのよ」
「咲耶お姉様を煩わせるなんて近衛家のボンボンは本当にどうしようもありませんね」
薊ちゃん、茅さん、竜胆がそう言ってくれる。でもやっぱり同じ学年として放っておくわけにはいかないんだろうな。竜胆だって自分の学年を纏めているはずだし、桜だって一年生を纏めている。俺達の年を纏めるべきは伊吹なんだけどその伊吹がこの調子ではどうしようもない。
あまり俺がしゃしゃり出て伊吹とますます対立することになったら破滅に近づくかもしれない。でもやっぱりこのままじゃ嫌だよな。それに紫苑の身も危険かもしれない。伊吹と対立したら紫苑が何かされるかもしれないし紫苑のためにもどうにかしなくちゃ……。
「咲耶お姉ちゃん!秋桐あれ食べたい!」
「はいはい。それでは行きましょうか」
秋桐が指差したのは焼き鳥の露店だった。焼き鳥の良い匂いがしている。どうして露店などの焼き鳥はおいしそうに思うんだろうか。やっぱり匂いに誘われているからかな。
伊吹と柾と紫苑の対立はどうにかしたいけど今は文化祭を楽しもう。そう思って俺達は露店を回って食事を摂り、午後からもあちこちのクラスの出し物を見て回って文化祭を堪能したのだった。




