第六百二十二話「露店を楽しむ」
「咲耶お姉ちゃんこっちこっち!」
「はいはい。今行きますよ」
茅さんも合流したから皆で移動を開始した。一番はしゃいでいる秋桐がどんどん進んでしまうので追いかけるのが大変だ。
「あっ!あれおいしそう!」
「あとであっちも食べてみたいね!」
五年生達は歩きながら露店を物色していた。さすがに皆も朝食を済ませたばかりだからか今すぐ食べようとはしていないけど、何を食べたいとか、あとでどれを食べようとか今から選んでいるようだ。内部生とはいえ地下家や一般育ちの子達が多いからこういうことにも慣れているんだろう。
逆に俺達のグループの子達は堂上家がほとんどだし、こういったお祭り騒ぎでどうやって遊べば良いかよくわかっていない子達が多い。今も物珍しそうに露店を見ているだけで下級生達のように満喫出来ているというような様子はなかった。
同級生グループの子達だって初等科の時から七夕祭とかでこういうお祭りのようなことや、露店について経験している。七夕祭が企画される前だったら露店の種類や遊び方もわからなかっただろうけど、七夕祭で経験しているから存在や遊び方くらいは知っているはずだ。でもその楽しみ方があまりわかっていない。
やっぱり皆は育ちが育ちだから無邪気に喜んだり、騒いだりは出来ないんだろう。俺だって前世は庶民だったはずなのに今生ではお祭りの時にどうやって遊べば良いのかわからなくなっている。食べ物を選ぶ基準だっておいしそうとかじゃなくて、食べやすそうとか、立ち食いや食べ歩きする場合に汚れにくいとかそういうことを基準に考えてしまう。
俺達にとってはご令嬢らしく振る舞うということはもう体に染み込んだ当たり前のことであり、それを破ろうと思っても中々出来ない。どうしてもブレーキがかかってご令嬢らしくないことをやろうと思ってもセーブしてしまう。
前世では女の子が『こんなこと出来な~い』とか言っているのを見て『ぶりっこしてカマトトぶってんじゃねぇ!』とか思ってたけど、今の俺達も実際にそうなってしまっている。焼きイカを買って歩きながら串にかぶりついて食べるなんて出来ない。どうしても座ってナイフで切って一口ずつ食べなければ食べられない。
「そういえば芹ちゃんは出会った頃からあの子達のようではありませんでしたね」
「そう……、かもしれませんね」
俺がふと地下家で俺達との付き合いも後からだった芹ちゃんのことを思い出してそう言うと、何だか曖昧な表情で言葉を濁していた。何かまずいことを言ってしまったのかもしれない。
「ああぁぁ……、別に無理に詮索しようとか、変だとか、何か含む所があるわけではないのですよ!ただそう思ってしまったので言葉に出てしまっただけなのです!」
俺は慌ててフォローしようと言葉を紡いだ。本当に別に他意はない。ただそう思っただけだ。
「ふふっ。わかっていますよ。それに何か悪い意味や理由があるというわけでもないんです」
俺が慌ててフォローしていると芹ちゃんが笑ってそう答えてくれた。でもそれにしては一瞬表情が曇ったように思うけど……。
芹ちゃんは秋桐達と同じ地下家だ。内部生とはいえ蒲公英や桔梗と変わらない。秋桐も地下家ではあるけど貴族社会から距離を置いていた幸徳井家の育ちだから秋桐は一般人とそう変わらないだろう。空木は本家は堂上家だけど分家で家を継げない家系なので一般扱いだ。育ちとしては堂上家に準じるような育て方をされているかもしれないけど……。
でもその秋桐達はこうして露店を普通の子供のように楽しんでいるのに、芹ちゃんがそういう風に普通の子供のようにしているのを見たことがない。俺達と一緒になってから俺達に合わせているわけでもないだろう。何しろ俺達と一緒になる前から芹ちゃんはこんな感じだった。
「私は元々引っ込み思案で……、学園でもあまりお友達が出来なくてただ一人でオロオロしてたんです。でも咲耶ちゃんが私のお友達になってくれて……、それから今のグループの皆さんもお友達になってくれて……、だから何も悪い意味ではないんですよ」
「芹ちゃん……」
フッと優しい笑みを浮かべて芹ちゃんがそんなことを言ってくれた。でも違うよ芹ちゃん……。俺一人だけ仲の良い子が誰もいないクラスにされて、一人ポツンと浮いていた俺を助けてくれたのは芹ちゃんだ。あの時芹ちゃんだけは俺の挨拶に言葉を返してくれた。それが俺にとってどれほど救いだったか……。
芹ちゃんは引っ込み思案なんてことはない。皆が俺を無視している中で、一人だけ俺に挨拶を返してくれるほど芯のしっかりした子だ。少し遠慮しているのかな?と思う所は今でもあるけど、それは芹ちゃんが周囲に気を使える良い子だからに他ならない。決して引っ込み思案でオロオロしているだけの子なんかじゃない。
「九条様!どうして睡蓮だけ呼んでくれていないんですかぁ~!?」
「え?」
芹ちゃんとお互いに良い感じで見詰め合っていると急に袖が引っ張られた。そちらを見てみれば睡蓮がぷぅっ!と頬を膨らませて俺の袖を引っ張っている。
「睡蓮ちゃん?」
「皆招待してるのにどうして睡蓮だけ招待してくれてないんですかぁ~!?」
え?どうしてって言われても……。睡蓮は二条門流だし、何か俺のことが嫌いみたいだし、俺から誘う方がおかしくないかな?
「ほらほら睡蓮。咲耶ちゃんが困っているわよ」
「茅お姉様ぁ~!」
茅さんが止めに入ると俺の手なんか投げ捨てるように離してすぐに茅さんの方へと駆けていく。そしてドムッ!という感じで茅さんに抱きついていた。秋桐が俺にタックルしてきてもボフッ!とかそんな感じのイメージだけど、ちょっと太ましい睡蓮がやるとドムッ!という感じのタックルだ。細い茅さんでは受け止めきれずによろけている。
「睡蓮、貴女また太ったんじゃないかしら?」
「太っ!?……だってぇ~、茅お姉様とお会い出来ないんですぅ~。ストレスでつぃ~……」
どうやら睡蓮は茅さんと会えないストレスで食べ過ぎてしまっているらしい。ただの言い訳に聞こえるけどそれは本人にしかわからないのでそれは良いだろう。でも問題は確かに少し前までの可愛いぽっちゃりから今では太ましい感じになってきている。これ以上はやばい。これ以上そっちへ行ってはいけない。
「前までは可愛げもある程度だったけれど、これ以上太ると本当にただのデブになりますよ。そんなに太ったらもう一緒に歩いてあげないので注意しなさい」
「そっ、そんなぁ~~~!」
茅さんは相変わらず容赦がない。でもあれは睡蓮のためを思って言ったんだろう。このまま曖昧にしていたら本当に睡蓮は取り返しがつかないほど太ってしまいかねない。あまり子供のうちから過度なダイエットはするものじゃないけど、睡蓮の太りすぎに関してはそろそろどうにかした方が良い。
「ダイエットなんて無理ですぅ~!うぅ~~~……」
何か知らんけど睡蓮が俺を睨んでいる。そこで何故俺を睨む?俺が食べさせすぎたわけでもないしダイエットをしろと言ったわけでもないのに……。
「それじゃ九条様ぁ!私と一緒にダイエットしてくださぃ~」
「えぇ……。私ですか?」
縋るように俺の腕にしがみついてきているけど表情は厳しい。縋っているというより睨みつけられている。俺そんなに睡蓮に睨まれるほど嫌われるようなことしたっけ?
「仕方ないわね……。咲耶ちゃん、お姉さんも一緒に頑張るから少しだけ睡蓮に付き合ってもらえないかしら?週に一度でもフィットネスクラブに行けば良いでしょう。膝に負担がかからないように水泳なんかが良いんじゃないかしら?」
「えっ……?」
フィットネスクラブで水泳?茅さんと睡蓮と一緒に?
ぐへへっ!茅さんの水着姿かぁ……。大学生になってから何か茅さんってとっても素敵なお姉さんになったし、そんな茅さんの水着姿が毎週見れると思えば悪くないかもしれない。いや、むしろ良い!
「これまでと違って私は最近咲耶ちゃんとあまり会えないでしょう?ね?お姉さんのためだと思って」
「茅さん……」
そうだ。卒業して五北会を抜けてから茅さんと会える機会は激減している。もしこんな今の素敵なお姉さんである茅さんを一人にさせていたら、大学でチャラくて悪い男に騙されてしまうかもしれない!こんな素敵なお姉さんになった世間知らずのお嬢様である茅さんを一人にしておくのは危険だ!俺がしっかり守ってあげなくちゃ!
「わかりました!私は昔フィットネスクラブ『グランデ』に通っていましたし、予定をどうにか空けて週に一度三人で『グランデ』で泳ぎましょう!」
「ありがとう咲耶ちゃん」
「睡蓮はあまり泳ぎたくないですがぁ~、九条様がそこまで言うなら仕方ないですぅ~」
皆で文化祭を回るはずだったのに睡蓮が現れてから何か変な話になってしまった。でも良いか。最近茅さんと一緒にいられる時間も減っていたし、茅さんの水着姿が拝めるのなら安いものだ。予定を空けるのが大変だけど……。
「(よくやったわ睡蓮!)」
「(えへへ~……、茅お姉様と咲耶お姉様の水着姿見放題ですぅ~)」
何か茅さんと睡蓮もやる気になったのか表情が引き締まって……、はいないな?むしろ何かだらしない表情に見えるけど大丈夫か?
「咲耶ちゃん!いつまでそうしているんですか?」
「さぁ!行きましょう咲耶様!」
「あっ、は~い!そうですね!行きましょう茅さん、睡蓮ちゃん」
折角の文化祭なのにいつまでもおしゃべりだけしているわけにもいかない。皆から少し遅れていたので慌てて追いかける。
「咲耶ちゃん、これは何でしょうか?」
「これは射的ですね」
皐月ちゃんが珍しそうに見ていたのは露店の射的だった。折角の文化祭なのにプロの露店ばかりを見るのもどうかと思うけど、俺達が初等科に居た頃の七夕祭では射的はなかった。初めて見たのなら興味を持つのも止むを得ないかもしれない。
「むずかしーよー!」
「譲葉は下手ね!私が手本を見せてあげるわ!って、当たらないじゃない!これ壊れてるわよ!」
「薊ちゃんも当たりませんね」
皆もう射的をやり始めたようだ。でも中々当たらない。射的はこれで結構難しいものだと思う。まぁ的屋がやって商売として成立するんだから絶対に店の方が儲かるわけだしな。
「咲耶ちゃんはこういうの得意そうですね」
「うぇっ!?なっ、なななっ……」
隣の皐月ちゃんにそう言われてしどろもどろになる。百地流古武道には『砲術』ももちろん存在する。師匠と一緒に火縄銃のようなマスケット銃の射撃訓練をしたり、最新式のハンドガンやライフルなんかを目隠ししたまま素早く分解したり組み立てたりする修行もさせられた。何で皐月ちゃんがそのことを知っているのかと思って焦ってしまった。
「そうですね。咲耶ちゃんって何でも出来てしまうからこういうのも得意そうです」
「咲耶様!私の敵を取ってください!」
「う~ん……。少しだけですよ?」
文化祭だし露店ばかりも楽しんでいられない。ちょっとだけ射的で遊ぶくらいならいいけどいつまでもここにいるのも良くないだろう。ちゃちゃっといくつか景品を落として終わらせよう。
「おう!次はお嬢ちゃんがやるかい?」
「はい。まずはこれでお願いします」
三発で五百円が最低単価らしい。高いのか安いのかわからないけどとりあえず三発を頼む。でもたぶん藤花学園の生徒が相手だからぼったくり価格なんじゃないだろうか?知らないけどね。
「あぁ!咲耶様でも駄目ですか……」
一発目ははずれ。
「おしー!」
二発目もはずれ。
「当たったのに!」
三発目はかすったけど景品は倒れず。
「はっはっはっ!残念だったなお嬢ちゃん!」
的屋のおっちゃんが笑っている。でももう大体わかった。この銃と弾の弾道特性、威力がわかれば景品を落とすことなど造作もない。
「もう一度」
「ムキになってお小遣いがなくなってもしらねぇぞ!ほらよ」
銃はそのままに弾だけ受け取る。銃の精度が悪いから真っ直ぐ飛ばない上に弾も歪だから弾道が安定しない。でも三発も動きを見れば十分だ。あとはこの銃と弾の特性を利用して狙えば良い。
「お?お?お?」
「え?」
「三発とも全部景品を落とした!?」
一発で一つずつ景品を落とす。威力が弱いけど景品の重心を考えて当てる場所を工夫すれば倒せないことはない。
「もう一度」
「くっ!まぐれは続かなねぇぞ!お嬢ちゃん!」
また三発受け取って倒す。三発受け取って倒す。三発受け取って倒す。
「あの大きいのはあんな銃じゃ倒れないよね」
「あれは取れないように出来てる景品だろうな」
いつの間にかギャラリーも集まってきている。それに景品ももう残り少ない。景品の残りは四つ。弾はこれで最後だ。確かに巨大でこんな威力の弾じゃ倒れそうもない景品が鎮座している。でもあれも狙いどころさえ良ければ……。
「うおおっ!信じられない!あんな大きな景品が倒れた!?」
「最後に残った弾で二つの景品を同時に倒すなんて!」
最後の三発で四つ残っていた景品を全て倒した。百地流『砲術』を使えばこの程度朝飯前……、って、あっ!だから目立ちすぎたら駄目じゃん!?
「お嬢ちゃん……、もう勘弁してください……」
「あっ……、えっと……、景品はいりません……。皆さん、行きましょう」
「あっ!ちょっ!咲耶様!」
「咲耶ちゃん待ってぇ~!」
あまりに注目を集めすぎた俺は慌てて射的屋から離れて逃げたのだった。




