第六十一話「女の方が強い」
昨日は薊ちゃんがやってきて大変だった。何か茅さんも薊ちゃんも、最初の印象からどんどん崩れていっている気がする。
いや……、俺にとっては好ましい変化のはずだ。茅さんとは敵対関係みたいなものから始まったわけだし、薊ちゃんだってゲームの『恋花』と違って何だか微妙な空気だった。それがこうして仲良くなれたんだから良い変化のはずなんだ……。
でも何だろう……。この言い知れぬ不安というか、何かとんでもない方向に曲がっていっているような漠然とした不安は……。
「御機嫌よう皐月ちゃん」
「咲耶ちゃん御機嫌よう」
考え事をしながら歩いていると教室に着いたので、いつも通り早くから来ている皐月ちゃんと挨拶を交わす。何だか最近は皐月ちゃんの態度も柔らかくなってきた気がする。これも良いことのはずだ。もう少ししたらゲーム『恋花』のように咲耶お嬢様と、最側近の皐月ちゃん、薊ちゃんのトリオになれるはずなんだ……。
席に着いて暫く待っていると次第に人が増え始める。そしていつもの元気な声が響いた。
「おはよう!」
「アザミ様おはようございます」
「アザミちゃんおはよう!」
「アザミ様ごきげんよう」
相変わらずクラスでも人気の薊ちゃんの声に全員が反応したのかと思うほどに返事が返っていた。未だに俺が声をかけてもほとんど無視されるか、一部が一応返事を返してくれるだけなのとは対照的だ。それでも一時に比べれば随分マシになったんだけど……。まだまだ皆と打ち解けるのは険しい道のりだ。
「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう薊ちゃん」
いつものように俺の前に来て頭を下げる。もう毎朝恒例だから皆も驚きはない。またかという感じで流している。
「昨日は部屋にあげていただいてありがとうございました!とっても楽しかったです!お部屋にあげていただいたのは私が初めてなのですよね?」
「え……?ええ……。家族や家人以外では初めてですね……」
いつもなら挨拶したらすぐ自分の席に行くのに今日は昨日のことを大きな声で話し出した。こんな話なら休憩時間や昼休みにでも出来るのに……。しかも声が大きい。まるで誰かに聞かせているのかと思うほどに大きな声で触れ回っていた。
「とっても感激です!それに今度の夏休みのおでかけも楽しみです!お揃いの可愛い小物を買いましょうね!」
「そっ、そうですね?」
だから声が大きいよ……。皆何事かと思ってこっちを見ているじゃないか……。いつもはあまり周りに関心がなさそうな皐月ちゃんまで見ているよ……。薊ちゃんが近くで大きな声で話しているから驚いているんじゃないかな?
その後散々おしゃべりしてから薊ちゃんは自分の席へと向かったのだった。
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お昼休みはいつものメンバーでいつもの席で昼食となった。何かもうこれも定番だ。俺の横には薊ちゃんと皐月ちゃん、向かいには茜ちゃん達四人が座っている。今日の話題は今朝薊ちゃんが話していたことに集中していた。
「アザミ様はお一人で咲耶ちゃんのお家に行かれたのですか?ずるいです」
「あら?それなら椿も咲耶様とお約束すれば良いじゃない」
椿ちゃんがそういうと薊ちゃんはしれっとそう答えた。でもそういうことじゃないと思うよ?皆に内緒で一人だけ約束して遊びに行ったからってことだと思うんだ。
まぁ俺も薊ちゃんとの約束について皆にわざわざ言わなかったから悪いのかもしれないけど……。ただまた五人が遊びに来るとかいう話になったら日程調整とか大変だし……、今回は薊ちゃんの希望とかもあったから二人っきりで家で遊ぶということになってしまった。
「それでは咲耶ちゃん、私とも遊びましょう?」
「え~っと……、また日程の都合がつけば……。ここ最近は遊んでばかりなので母も少し厳しくなっているので即答はしかねます……」
これは嘘じゃない。薊ちゃんは母に気に入られて予定がトントン拍子で決まったけど、あの後最近遊びすぎだと指摘もされている。遊ぶなとは流石に言われないけど暗に頻度が多すぎると言われていると考えた方がいいだろう。
付き合いというものもあるから遊ぶなとは言われない。むしろ普通のご令嬢達はそうやって派閥や仲間と遊ぶのは当然であり、そういう場に参加しない方が問題があるといわれる。でも俺は母にパーティー禁止も言い渡されているし、勝手に外で付き合いしてくるなという圧も感じる。
これから遊ぶ時は母にある程度相談しておかないと後で何を言われるかわからない。都合のつきそうな日を決めておくのは良いけど、家で母に確認してからでないと確約は出来ないと皆にも伝えておいた。
「咲耶ちゃんの家は大変なんだね~」
「そう……、なのでしょうか……」
譲葉ちゃんの言葉に曖昧に答える。俺にはよくわからない。精神的に大人だからかもしれないけど俺には母の言い分も心配もわかるから……。それに前世では庶民だったからこんな上流階級のことはわからない。これが普通なのだと言われたら素直にそう受け取ってしまう。
「でも……、今度は咲耶ちゃんの家でゆっくり遊んだり、お買い物に行ったりもしてみたいです」
おお!蓮華ちゃんまでそんなことを言ってくれるなんて……。蓮華ちゃんは遠慮というか、むしろちょっと俺を怖いと思ってるのか避けているような所もあったけど、こうして話していると徐々にではあるけど仲良くなれている実感がある。
「そうですね!是非また遊びましょう」
「はい」
蓮華ちゃんは素直に頷いてくれた。あとはちょっと硬いのは茜ちゃんだけかなぁ?茜ちゃんだけはまだ何か距離があるというか、態度が硬いというか……。もうちょっと仲良くなってても良さそうなものだけど……。
「…………」
あれ?何か横からの視線が……?
横を見てみれば皐月ちゃんがじっとこちらを見ていた。ご飯が入っているわけでもないのにちょっと口というか頬が膨らんでいる気がする。何か怒ってる?
「皐月ちゃん?」
「何ですか?」
やっぱり怒ってる?滅茶苦茶ぶっきらぼうに返されてしまった。俺は何か皐月ちゃんを怒らせるようなことをしてしまっただろうか?
「何か……、怒らせるようなことをしてしまいましたか?」
「いえ、別に……。そもそも私は怒ってなんていません」
いや、怒ってるよ……。どう考えても絶対怒ってるよ。何でだ?今日は昼食の前から何かぶすっとしてた。怒らせるようなことをした覚えはないんだけど……。
「西園寺皐月は咲耶様に構ってもらえない、それに自分と咲耶様だけの秘密や唯一の思い出だったはずの物が他の人ともされるということで拗ねているのですよ」
「え?」
逆の隣、薊ちゃんの方からそんな言葉が聞こえて振り返ってみれば、何やら挑発的な表情で薊ちゃんが皐月ちゃんを見ていた。
「咲耶様との二人っきりのお買い物も、お揃いの小物も、自分だけが咲耶様としたと思って優越感に浸っていたのに、咲耶様は私を一番にお部屋にあげてくださいましたし、お買い物に行く約束もしてくださいました。それにお買い物に行けばお揃いの小物も買う約束までしてくださいました。だから西園寺皐月はヤキモチを焼いて拗ねているのです。そうでしょう?」
え?そんなことで?って言ったら怒られる……、よな?でも俺は皆と仲良くしたいわけで……、でもそれは皐月ちゃんにとっては仲の良い友達が他の友達と仲良くしてて嫌だみたいな感じなのかな?
それなら皐月ちゃんも皆と一緒に遊べばいいのにと思う。だけど皐月ちゃんの気持ちもわからなくはない。自分と親しい友達が、自分を放って他の友達と仲良くしていたら、何ていうか……、モヤモヤ?嫉妬?そういう感情が湧いてくる気持ちは俺にもわかる。皐月ちゃんも今そういう気持ちなのか……。
「ごめんなさい皐月ちゃん。皐月ちゃんの気持ちを考えていませんでした」
最近でこそこのグループの中に皐月ちゃんも一緒に入っておしゃべりしたり食事したりするようになった。でも元々ここは薊ちゃんのグループで皐月ちゃんは外様だ。そんな中でこちらだけ盛り上がっていたら自分だけ仲間はずれみたいに感じても不思議じゃない。俺の配慮が足りなかった。
「ちっ、違います!私はそのような……」
皐月ちゃんは真っ赤になって慌てて否定したけど、その態度こそが表していると思うんだよな……。まぁ可愛いから見てる分には良いんだけど、そのせいで皐月ちゃんに辛い思いや悲しい思いをさせるわけにはいかない。
「それではこうしましょう。今度はここにいる七人で、家に遊びに来るでも、お買い物に出掛けるでも良いので一緒に遊びましょう」
これだけの面子の都合を合わせるというのは至難の業だろう。そんな約束をしようと思ったらかなり先になってしまうはずだ。それでも……、皆で遊ぼう。この七人で……。『恋花』でもいつも一緒だった咲耶お嬢様のグループ皆で……。
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お昼に七人で揃って遊ぶ話になったけど……、当然日程が合うはずもなく、全員が揃う日はかなり先という結論になりまた話し合うことになった。その件は一旦置いておいて持ち越しとなり、放課後は皐月ちゃんと薊ちゃんの三人で連れ立ってサロンへと向かう。
「御機嫌よう」
サロンに入っていつもの奥の隅の席へ向かうとすぐに茅さんがやってきた。
「咲耶ちゃん、徳大寺さんはもう咲耶ちゃんのお家に伺ったのよね?」
「え?ええ」
いきなりそう言われて曖昧に頷いて答える。元々薊ちゃんが訪ねて来る日のことは茅さんもいる前で話したから覚えていても不思議ではないけど……、それにしても他人の遊ぶ日までいちいち覚えているものだろうか……。それにそれが何だというのかわからない。
「それじゃ前の約束通り咲耶ちゃんのお家にお呼ばれする二番手は私ね。いつお伺いすれば良いかしら?明日?明後日?今度の土曜日にする?そうよね。休みの日の方がゆっくり出来るからそうしましょう」
「え!いや……、あの……」
確かにそんな話はしていたけどいきなりすぎる。明日だの明後日だの、今週末だのと言われても予定というものがですね……。
それに予定どうこうよりも……、薊ちゃんと皐月ちゃんがめっちゃ見てる!こっちを見てるよ!しかも聞き耳まで立ててる!絶対あれは聞き耳を立ててるよ!
薊ちゃんはまだいい。薊ちゃんは昨日うちに来た所だし、茅さんが二番目にうちに来るだの何だのと話していた時も同席していた。気にはなるけど知ってるから良いという所だろう。でも皐月ちゃんは滅茶苦茶睨んでいる!あれは絶対に睨んでるよ!
自分のことは呼ばないのに茅さんを先に呼ぶのか?って顔に書いてあるよ……。どどど、どうしよう……。どうしたらいいんだ?
でも茅さんをうちに招く約束は確かに前からしていた。今更茅さんを呼びませんとは言えない。というか断る理由もない。茅さんと遊ぶとか来るのが嫌だということじゃないからだ。茅さんのお誘いを断る理由はない。
「何だ。咲耶の家に遊びに行くのか?じゃあ俺も行ってやるよ!いつだ?」
そして伊吹が割って入ってくる……。お前は来るな!家に来るなという意味もあるけどここにも入ってくるな!話がややこしくなる!もう俺に構わないでくれ!
「近衛様は来ないでください。これは私と咲耶ちゃんとのお約束です。近衛様は関係ありません。余計なことに首を突っ込まないでください」
「「……え?」」
俺と伊吹の声が重なる。茅さん今何て言った?伊吹にお前は関係ないとか来るなとか言わなかったか?
茅さん……、正親町三条家って近衛門流ですよね?しかも茅さん最初は俺と伊吹のことについて怒って俺に絡んできたんですよね?それが今の言葉は何ですか?まるで伊吹なんかどうでも良いというか、むしろ邪魔みたいな言葉に聞こえるんですけど?
「聞こえませんでしたか?私と咲耶ちゃんの間に入ってこないでください。それからあまり咲耶ちゃんにも近づかないでください。私の咲耶ちゃんが穢れてしまいます」
えぇっ……、そこまで言う?それ大丈夫なのか?伊吹が怒ってキレたりしたら大変じゃないか?
「…………」
あ……、シュンとした伊吹はトボトボと帰っていった。怒らないのか?ゲーム『恋花』の『俺様王子』近衛伊吹だったら、あんな舐めた口を聞いてくる相手なんて男でも女でも関係なく叩きのめしていたと思うけど……。
薊ちゃんやそのグループ、皐月ちゃんがゲームの時と変わってるように、もしかして伊吹も変わってしまっているんだろうか?