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第六百十七話「忘れてたわけじゃないんです」


 まったく……、昨日の近衛母との対談は寿命が縮まる思いだった。最後は近衛母が折れたのか、あの場でこれ以上話し合っても無駄だと思って打ち切ったのか、表立って何か言われることもなくお開きにはなったけどむしろそれが不気味と言えば不気味にも思える。


 近衛母の性格からするといくらこちらが説得しようとしても近衛母が納得しなければ向こうが折れることはないだろう。そして折れていないのならばスパイかもしれない怪しい棗を潰す算段をしているかもしれない。俺が棗の保護に固執すれば俺や九条家ごと潰すという可能性もある……。


「はぁ~~~……」


「咲耶ちゃん、私と一緒のティータイムは楽しくない?」


「あっ、いえ……、菖蒲先生のせいではないのです。すみません……」


 今日は蕾萌会の授業を抜け出して菖蒲先生とマスターの喫茶店に来ている。だけど俺が溜息ばかりで気もそぞろだから菖蒲先生を不快にさせてしまったようだ。そりゃ一緒にお茶をしている人が自分の話もちゃんと聞いていなくて、溜息ばかりで気持ちも入っていなければ不快にもなるだろう。


「何かあった?頼りないかもしれないけど話くらいは聞けるわ」


「そうよね。相談には乗れないかもしれないけど誰かに話すだけでも楽になることもあるわよ」


「マスターまで……。菖蒲先生も、マスターも、ありがとうございます。実は……」


 ティータイムだというのに俺達以外の客が居ない。だからマスターまでこちらに来て一緒にテーブルを囲みながらそんなことを言ってくれた。マスターも菖蒲先生も俺が気軽に話したり相談出来る相手の中では最年長や人生経験が豊富な人達だ。それなら相談というか話を聞いてもらうだけでも何か良いアドバイスがもらえるかもしれない。そう思って掻い摘んで近衛母のことを相談してみた。


「なるほどねぇ……」


「一条派閥だった子がスパイかもしれないからということで、近衛様と咲耶ちゃんでその子の扱いの意見が違うってことかしら?」


 全て細かく話したわけではないし、マスターはあまり貴族間の暗黙の了解や貴族社会のルールというものを知らない。菖蒲先生は何となくわかってくれたようだけどマスターは少しピンときていないような感じだった。


「纏めるならばその認識で良いかもしれません」


「咲耶ちゃんは別に難波家のことも棗って子のことも好きなわけじゃないんでしょ?だったら近衛様に任せておけば良いんじゃない?」


 菖蒲先生の言うことはその通りだ。もし棗があの時俺に頭を下げて頼み込んでいなければ俺もそうしただろう。今までもそういったことは両親や近衛母に任せてきた。俺が下手に口を出すよりも大人達に解決してもらった方が良い。だけど今回は違う。


「確かに難波家とも棗君ともこれまで面識もなく恩も義理もありません。特に好意も敵意もない相手なので普段ならば両親や近衛様にお任せしていたでしょう。ですが今回はそうはまいりません。棗君は必死で私に頭を下げて保護を求めてきたのです。私はそれを引き受けた以上はただ黙って近衛様に棗君の身柄を差し出すというわけにはまいらないのです」


 少しだけ補足で棗が空き教室で俺に頭を下げた時のことを話す。棗にとっては恥になるかもしれないことを本人の知らない所で他人に言い触らすのはどうかと思うけど、二人に相談しているのはこちらなのだから必要な情報は伝えなければちゃんとしたアドバイスは貰えない。


「咲耶ちゃんったら……、本当に甘いわね……。泣き落としを使ってくる貴族なんていくらでもいるわよ?それでもその難波棗を信じるのね?」


「信じる……、と言えるかどうかはわかりませんが、私が棗君の身の安全を保障した以上は彼が私を裏切らない限りは私もそれを守らなければならないと考えています」


「だったらもう答えは出ているじゃない。相手が近衛様であろうと引く気はないって決めてるんだから後はそれに備えるだけよ」


「そうね。私は貴族社会のことはよくわからないけど先生の言う通りだと思うわ」


「そう……、ですね……。はい!そうですね!ありがとうございます!菖蒲先生!マスター!」


 何だか二人に話したら少しすっきりした気分になった。別に何か具体的な解決策が浮かんだわけじゃない。だけど二人に後押ししてもらったお陰で覚悟が決まったような気がする。


 菖蒲先生やマスターが言ってくれた通り俺の中ではもう答えは決まっていたんだ。ただそれに対する覚悟が足りなかった。でも二人が後押ししてくれたお陰でそれも自覚出来たし覚悟も出来た。やっぱり人生経験豊富な人は頼りになる。


「いいのよ、咲耶ちゃん」


「ええ。また何かあればいつでも相談してね」


「本当にありがとうございます」


 やっぱりこう頼りになる女性って格好良いなぁ。茅さんも段々大人の女性に近づいてきたと思うけどまだ『頼りになるお姉さん』の域を出ない。でも社会人として世間の荒波に揉まれてきたであろうこの二人は『頼りになる大人の女性』と言うべき存在だ。こんなに格好良くて頼りになる綺麗な女性とか好きになっちゃう!


「ところで咲耶ちゃん?」


「はい?」


 あれ……?何か菖蒲先生の表情が……、顔の形は笑ってるのに目が笑ってない?


「そろそろ文化祭なのよね?私は招待状をもらっていないんだけど……、まさか忘れてなんていないわよね?」


「ひぇっ!?もっ、ももも、もちろん忘れてなどおりませんよ!」


 くわっ!と目を見開いた菖蒲先生の圧に押されながらも何とかそう答える。本当に嘘じゃなくて忘れていない。藤花学園の文化祭の招待客は厳格に管理されている。お金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんが通う学校ともなれば善からぬことを企む輩もいる。そういう者が文化祭や体育祭、運動会などを利用して入ってこないようにするためだ。


 だから事前に招待客はきちんと申告しなければならないし、それらの管理も徹底されている。入場時に身分証明したり、招待券と照らし合わせたりされるわけで、ただ招待券を持っているからといって簡単に入れるようなものじゃない。


 一人当たりの呼べる招待客の人数も限りがあるから下級生達の家族とかも呼ぶためには、咲耶お嬢様グループのメンバー全員に協力してもらって余っている枠で誰が誰を招待するかきちんと考えなければならない。皆だってそれぞれ呼びたい相手もいるだろうから、それらを呼んだ上で余った枠を出し合ってもらう形だ。


 そのため誰が誰に招待券を渡すか、誰が何枠残っているか、ちゃんと話し合って決めて学園に申請している。菖蒲先生やマスターだって呼ぶためにちゃんと皆で打ち合わせしたから忘れているなんてことはない。


 ただちょっともう券はきているのに菖蒲先生やマスターに渡すのを忘れていただけだ……。


「咲耶様、招待券をお持ちいたしました」


「もっ、椛っ!?」


 俺が少し困っていると突然椛が生えてきた。おかしい……。この喫茶店にはドアベルがついている。今ドアから入ってきたのならドアベルが鳴るはずだ。それなのに椛が突然現れたというのにドアベルは鳴らなかった。これはどういうことだ?それにまるで見計らったかのようなタイミングで出てきたし、その手には招待状の包みが握られている。


「さぁ、咲耶様」


「えっ?あっ、あぁ……。コホンッ……。菖蒲先生、マスター、遅くなって申し訳ありません。こちらが文化祭の招待状です」


 ずずいっ!と椛が招待状の包みを渡してきたのでそれを受け取ってから菖蒲先生とマスターに手渡した。何故椛がこんなタイミング良く招待状を持って現れたのかはわからないけど助かったことは間違いない。


「ありがとう咲耶ちゃん」


「是非行かせてもらうわね」


 二人とも招待状を受け取って喜んでくれたようだ。ちょっと生徒会だの伊吹や近衛母に絡まれるだのとアレコレあって遅くなってしまった。パーティーの招待状だったらこんな時期に渡したのでは遅すぎると言われてしまうレベルだ。


「でもどうしてこんな所に椛がいるのかしらね?」


 でも喜んでくれていたのも一瞬で菖蒲先生はジロリと椛を睨んでいた。二人は別に仲が悪いわけじゃないはずだけどあまり良い雰囲気とは言えない。一体どうしたんだろう?


「咲耶様との逢瀬を私に邪魔されたと思っているのかもしれませんがそれどころではありません。話があるので少し顔を貸しなさい」


 だけど睨まれた方の椛は平然とした顔のままそう言った。それを受けて菖蒲先生も表情を変えると椛と一緒に少し離れていった。俺達以外客の居ない喫茶店の隅で二人でヒソヒソと話している。


「……茅が……、……このままでは茅に……」


「なんですって!」


「シッ!……ですから私達も……」


「そうね……。……協力……」


 二人の会話は聞こえそうで聞こえない。それにあまり聞き耳を立てるのもお行儀が悪いだろう。ここはマスターと一緒に話でもして二人が戻ってくるのを待とう。


「マスター、私達二年三組は手作りの小物やアクセサリーの販売をするので是非見に来てくださいね」


「まぁ!咲耶ちゃん達の手作りなの?それは是非寄らせてもらうわね」


 マスターがそう言ってくれたので二人で少し店について話す。でも詳しい商品を聞くと見に行く楽しみが減るからと商品の説明はしなくて良いと言われてしまった。確かに事前に商品が分かっていて見に行くのも良いけど、どんな物があるかわからずに現地に行って見ながら選ぶというのも楽しい。


「咲耶ちゃんの手作り!?それは絶対に買うわ!どれが咲耶ちゃんの手作りかわかるのかしら?」


「菖蒲先生!?もう良いのですか?」


 暫くマスターと話をしていると菖蒲先生が戻ってきていた。椛の姿はない。どうやら俺に招待状を渡して、菖蒲先生と話をすることが目的だったようだ。用が済めば邪魔にならないように控えておくというのも確かにメイドや執事には必要な能力だろう。まぁその主人に何も言わずに急に現れたり消えたりするのはどうかと思うけど……。


「ええ。椛の話はもう済んだわ。それよりも咲耶ちゃんが手作りした物を選んで買えるのかしら?」


「えぇ……、まぁ……、そういう予定にはなっております」


 前回の喫茶店の時のように、誰が作ったかわからないまま並べておく商品と、誰が作ったか明記されている商品を出そうという予定になっている。だからランダム商品の中にも俺の商品が混ざっているかもしれないけど、俺が作ったと明記されて並べられている商品を買えば間違いない。


「誰が作った物かわかるように明記している物と、ランダムに並べられている物を出す予定です」


「ああ、去年のクッキーと同じね」


「そうですね。そう考えていただければ良いと思います。まだ確実ではないので多少の変更はあり得ますが、最終的には似たような形態になるのではないかと……」


 クッキーの場合はこちらが管理していて、誰の作った物が欲しいと注文があればそれに応じてこちらがそれを出していた。でも今回のように商品を店頭に並べておく形だと色々な客が見に来て、手に取って、戻した時にぐちゃぐちゃになってしまう可能性が高い。


 どういう形で製作者が誰かわかるようにするのか。どうやって商品を並べたり販売するのかについてはまだ完全に案が固まっていない。俺はあまり運営に関わらないでおこうと思って商品作りにばかり没頭しているけど、そろそろ決まらないようなら何か手を打った方が良いかもしれないな……。


「咲耶ちゃんが手作りしてくれた物を買えるならそれで良いわ」


「あら?先生、他の子達のも買ってあげないのかしら?私は他の子達のも買ってあげたいわ」


「マスター……」


 さすが緋桐さん……。まるで聖母のようだ。グループの皆のことも可愛がってくれているというのが良くわかる。本来なら家格の差などから考えて、いくら親世代といっても地下家が堂上家のご令嬢達にそんな気持ちを向けるなんて許されないだろう。でも緋桐さんにそういう気持ちを向けられてもグループの子達は怒らない。いや、怒らないどころか喜びすらするんじゃないだろうか。


 普通の堂上家上位の家のご令嬢達では絶対にあり得ない。うちのグループの子達は皆素直だし、偉そうにしないし、家格の上下で相手を見下したり謙ったりしない。いや、相手を立てるということはするけど、それも別にただ相手に媚を売るわけではない。本当に皆とても良い子に育ってくれた。これなら不幸なバッドエンドは回避出来るだろう。


「文化祭……。今から楽しみね!」


「先生が楽しみにしてどうするの。ねぇ咲耶ちゃん」


「ふふっ!そうですね!」


 きっと菖蒲先生は俺の気持ちを解そうと思って冗談を言ってくれたんだろう。本当に……、素敵な先生に巡り合えてよかった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 椛サンは咲耶様を中心とした半径xxメートルを有効範囲として、どこにでも生える可能性があります。
[一言] 椛さん偶に有能!
[一言] 茅さんはあの二人の子達のおかげで噂が広まったのかな?
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