第六百十四話「余計なことを……」
木曜日の朝、玄関口の掲示板の前を通ると生徒会役員の再選挙の結果が貼り出されていた。副会長の欄には『難波棗』と書かれている。
「あっ!九条様!俺、当選しました!」
「御機嫌よう、難波棗君。生徒会副会長当選おめでとうございます」
声をかけられたので已む無く応える。向こうから声をかけてきているのに無視するというのはあり得ないけど、これだけ人がいる場で一条派閥の難波棗が九条咲耶にあんな親しげに声をかけるというのはどうなんだ?
折角一条派閥の目をくらませるために俺と棗の関係を知られないようにしつつ、一条家の狙いと思われる生徒会への影響力の拡大という目的を達成させ、棗が一条派閥に睨まれないようにしようと思ったというのに、その棗が人前で俺と親しく話していては全ては台無しになってしまう。
もちろんだからといって棗が話しかけてきたのに俺の方が無視するというのもあり得ないし、かといって親しげに長々と話していると一条派閥に棗の裏切りが知られてしまう。副会長に当選してうれしかったのかもしれないけど今の棗はあまりに迂闊すぎたと言わざるを得ない。
「はい!これも全て九条様のお陰です!これからは俺も生徒会副会長として九条様のために働きます!」
おいぃっ!だから人前で大きな声でそんなことを言うなっていうのがわからないのか!
「そっ、そうですか……。それでは頑張ってくださいね。御機嫌よう」
焦った俺はさっさと話を切り上げて足早にその場から立ち去った。もっと良いフォローの仕方もあったかもしれないけど、あまりのことに冷静にゆっくり考えることが出来ずその場から逃げることしか出来なかった。
棗が迂闊すぎたというのもあるけどあれはないだろう。もしかしたら棗には何か別の狙いでもあったのかもしれない。でも今の俺はそんなことを考える余裕もなくそそくさとその場から立ち去り教室へ急ぐことしか出来なかった。
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今日一日時間をかけてじっくり考えてみたけどやっぱり棗の考えがわからない。もしかしたら本当にただ当選したのがうれしくてあんなことを口走ってしまったのかもしれない。
ただ一つだけ可能性がありそうなのは、一条派閥の前で俺と親しい関係であることをアピールすることによって、一条派閥や難波家からの嫌がらせや妨害などを牽制した……、という可能性はあるかもしれない。
でもそれにしたってわざわざ俺との親密さをアピールする必要はなく、とりあえず今はまだ一条派閥であるかのような顔をしておけば良かった。一条派閥だって棗が副会長に当選したことで満足したかもしれないのに、まだ状況もわからない中でいきなりこちらの手札を切る必要はなかっただろう。
棗がどういうつもりであんなことをしたのかは結局本人にしかわからない。俺がこうして一人で考えても答えは出ないんだけど、それがわかっていてもどうしても頭から離れず考え事をしながらサロンへとやってきた。
「御機嫌よう」
俺が五北会サロンに入ると少しサロン内が静まった。最近は返事をしてくれる子も増えたのに今日は何か変だなと思いながらもサロンへと入っていくと……。
「おい咲耶!どういうことだ!」
「…………御機嫌よう、近衛様」
何故かサロンの真ん中付近で伊吹と槐が俺の前に立ち塞がった。
「突然『どういうことだ』と申されましても何のことを言っておられるのかさっぱりわかりません。せめて相手にわかるように話してください」
伊吹はお勉強はそこそこ出来るのかもしれないけど馬鹿だ。何の脈絡もなくいきなり相手にも自分の言いたいことが伝わっている前提で話してくる。何のことについて、何を聞きたいのかも言わずに、自分はわかっているから相手もわかっているだろうという前提で話してくる相手というのは前世でもいた。伊吹も完全にそのタイプであり、要点も言わずにいきなり問いかけてくる。
「お前、押小路柾に指示を出して生徒会長にさせたらしいな!それに難波棗に副会長になるように指示したのもお前だろう!裏は取れてるんだぞ!」
「はぁ……?」
裏は取れていると言われてもまったく合ってないんだが?
まず柾に指示を出して生徒会長にさせたというのがそもそも間違いだ。柾が生徒会長に立候補するから俺に協力して欲しいと言ってきたのであって因果関係が逆になっている。そう言われたから応援演説に立ち、柾の生徒会長就任の支持を表明したのは確かだけど、別に俺が柾に指示を出して生徒会長になれと言ったわけじゃない。
棗に関しても副会長に立候補すればどうだと言っただけで最終的に立候補を決めたのは本人だ。いくら俺が言っても棗にその気がなければ断るだろう。ただ生徒会長に落選した棗が一条家とも俺とも対立せずに穏便に済ませられる方法として提案したに過ぎない。
「図星だから何も言えないようだな!」
伊吹は俺を指差し、鼻をスピスピと膨らませながら得意気に胸を張っていた。でもそれも長くは続かない。得意満面になっていたかと思うと突然表情を怒りに変えてさらに大きな声で図星だ何だと怒鳴りだした。
「九条さんが押小路君の応援演説をしていたことは全校生徒が知っているよね。それに今朝の再選挙の結果発表の場で難波棗君が九条さんに頭を下げて感謝しながら報告していた場面を大勢の生徒が見ているよ」
伊吹に続いて槐もひょっこり横から顔を出してそんなことを言ってきた。だからそれらは因果関係がまったく合ってない。
「それは因果関係が逆です。押小路様が生徒会役員選挙に立候補されたのは私が何か言ったからではなく、押小路様ご自身が決められたことです。その上で私に応援演説と選挙協力を頼みにこられたので引き受けたまでのこと……」
「何で咲耶が押小路の応援をするんだよ!それなら引き受けずに断ればよかっただろう!」
あぁもう……、伊吹はうるさい。そんなに大きな声を出さなくても聞こえている。
「押小路様は他に演説や協力を頼める相手がいないと言われたので引き受けただけのことです。それに押小路様には個人的に少しお世話になったことがあったのでその恩返しも含めてのことであり他意はありません」
「押小路に恩って何だよ!」
「まぁまぁ伊吹。あまり大きな声で怒鳴られたら九条さんも困っちゃうよ。それより九条さん、押小路君の件は仮にそれで良いとしても、じゃあ一条派閥である難波家の棗君についてはどういうことかな?」
またヒートアップしそうだった伊吹を槐が抑えてくれた。でも何かいやらしい表情になって棗のことについてネチネチと聞いてくる。別に俺はその部分を責められたからって何か困るわけじゃない。でも伊吹や槐は俺がそこを責められたら困ると思ってこうもネチネチと絡んできているんじゃないだろうか。
棗についての本当の所はそう難しい話じゃない。棗は一条家の命令で生徒会長に立候補した。だけど柾と対立するということは九条派閥と対立することだと思った棗は、露骨に選挙で負けることで九条派閥に敵対の意思はないとアピールした。
でもただそうやって九条派閥と敵対する意思はないと示して選挙で負けるだけでは、今度は一条派閥から裏切り者として責められることになる。そうなった場合に難波家は棗を切り捨ててお家の存続を図る。だから棗は選挙で俺に敵対していないと示すとともに、選挙が終わってすぐに俺のところへ来てその旨を伝え保護を求めた。
俺は棗の身柄を保障したけど、もしかしたら生徒会長には落選しても副会長でもいいから生徒会に入れたら一条家も納得するかもしれない。そう考えて棗に副会長に立候補することを勧めた。結果は今朝貼り出されて見事当選し、棗は感極まったのか人前で俺に頭を下げて感謝するというやらかしをしてしまった。
ざっと纏めるとこんな感じだ。これを突かれても俺は痛くも痒くもない。別に俺にとっては隠さなければならないこともないし、これが広まったからといって何か困ることもない。だけど棗はそうじゃないだろう。
折角一条家や一条派閥からの追及から逃れるために副会長に立候補して当選したというのに、俺との繋がりが大々的に知れ渡れば棗の立場が危うくなる。伊吹や槐はただこの部分を責めたら俺が困るとか、俺の弱味になると思っているのかもしれないけど、その結果何の罪もない棗の身を危険に晒しているだけだ。
五北会には一条門流もいるわけで、こんな場で本当のことを話せばどうやっても一条門流の耳に入ってしまう。かといってこのまま黙っていれば俺がいらぬ疑いをかけられたり、伊吹や槐にやり込められたと思われかねない。
「どうした咲耶!何で黙ってるんだ!」
「私は押小路様にも難波棗君にも何の指示も出しておりません。知り合いとして応援した部分はありますがそれだけです。お話はそれだけですか?それでは御機嫌よう」
これでは俺が言い負かされて逃げたと思われるだろう。でもそれでいい。本当のことを言えば棗の身が危険になる。今更俺の評判が下がったとかそんなことは気にする必要もないだろう。そもそもこれ以上落ちようもないほどに俺の評判なんてものはない。だったら保護することを約束した棗を守る。
伊吹や槐はこの話題が俺のウィークポイントになると思って責めているだけだろうと思う。だけどそのためにただ一条家の陰謀で命令に逆らえず巻き込まれ、どうにかして乗り切ろうと敵であった俺にまで頭を下げた少年を殺そうとしている。
実際に命がなくなるかどうかではなく、伊吹や槐が今無理に暴こうとしていることは貴族としての難波棗を殺すことに等しい。伊吹や槐達にその自覚はなくとも、ここで俺と棗のことを暴露されるということはそういうことだ。
「おい!待て咲耶!まだ話は……」
「お黙りなさい!」
「「「「「――ッ!!!」」」」」
「ヒッ!?」
「あっ……、あぁ……」
通り抜けようとした俺の肩を伊吹が掴む。これ以上一条の目がある場所でこの話をするわけにはいかない。俺は少し威圧しながら一喝した。伊吹はその場で呆然として固まり、槐もポカンとした顔で止まっていた。俺がそんな声を出すとは思っていなかったのかもしれない。
クルリとサロン内を見てみれば上級生も下級生も、男も女も、全員が目を見開いたり、完全に固まったり、中には震えて抱き合っている女の子もいた。どう考えても空気が悪い。伊吹や槐が無遠慮にズケズケと触れてはならないことに触れてきたからではあるけどこの空気を作ったのは俺だ……。
「……ふぅ。どうやら私はこの場に居ない方が良いようですね。薊ちゃん、皐月ちゃん、ごめんなさい。今日は帰るわね。それでは皆さん、御機嫌よう」
「咲耶様……」
「咲耶ちゃん……」
一緒にサロンに来た二人に断りを入れてからサロンを出る。最後に振り返ってサロン内のメンバーに挨拶をすると俺は足早にその場を離れた。
伊吹や槐に棗を危険に晒しているという自覚はなかっただろう。そもそも事情を知らなければそんなことがわかるはずもない。精々あの場に居た者達の考えや推測というのは、俺が柾や棗に命令して生徒会役員に立候補させて当選させた、という程度のものだったに違いない。
でもその結果あの一条門流の目と耳がある場で俺と棗の繋がりが暴かれたならば、それは棗が一条派閥・門流から総攻撃を受ける引き金となる。そして九条派閥・門流も棗を信用出来ず保護することを嫌がるだろう。そうなれば頼れる者のいなくなった棗に待つのは過酷な運命だ。
別に俺にとって棗はどうしても守りたい相手でもなければ好きな相手でもない。どちらかといえばゲームの『難波棗』は嫌いな方だ。チャラ男の上に主人公達に咲耶お嬢様の悪口を言って印象操作したり、都合の良い情報だけを流して対立を促していたようにすら思える。
だけど!この世界の棗はゲームの『難波棗』とは違う!
あの少年は元々一条派閥の敵対者である俺に恥も外聞も捨てて額を床に擦り付けてまで助けを求めた。そんな相手をあんな場で晒し者にするわけにはいかない。伊吹や槐が知らなかったことだとしても、あんな場であのように晒し上げようなどという行為を見過ごすことも許すことも出来ない。
「椛……、今日はもう帰るので車を回してください。それから藤寮の男子寮の部屋を一つ確保してください」
サロンを出た俺は椛に電話をして指示を出す。伊吹と槐があんなことを言ってきたということは俺と棗の繋がりはもう全校生徒の知る所と考えて行動するべきだ。俺と棗が繋がっていると知れたら一条派閥・門流がどう動くかわからない。
海桐花と蕗のように棗も行儀見習いとして……、というのは無理がある。男である棗なら男の主人に執事見習いとして付くくらいのものだろう。男が女に付くというのは外聞的にも色々とまずい。
とりあえずまずは棗には難波家を出て藤寮に入ってもらおう。あと身の安全の確保のために九条家の護衛やSPをつけて守るくらいしか出来ることはない。
選挙も終わって一段落かと思ったけどそうもいかないようだ……。海桐花と蕗は今の所うまくいっているようだけど棗に関してはまだまだ解決まで時間がかかりそうだな……。




