第五話「これぞ百地流」
っていうか古舞踏って何?舞踊じゃなくて舞踏?舞踏って何だ?舞踏会か?
母が俺に日本舞踊とかを習わせようとしていたのは知っている。だけどこの怪しい爺さんの言う『百地流古舞踏』というのは聞いたこともない。
「ふむ……。入門させるかどうか適性を見てから判断する。入門する者と二人だけにしていただきたい」
先生らしき人がそう言うと母と兄は出て行った。『しっかり頑張るのよ!』とか母は言っていたけどこの百地流古舞踏とかいうのが何か母は知っているんだろうか……。
「ここがどういう道場か知ってやってきたのか?」
先生らしき爺さんが俺を真っ直ぐ睨みつけながら聞いてくる。でも生憎と俺は百地流古舞踏なんて知らない。
「いえ……、申し訳ありませんが私は百地流古舞踏というものは存じ上げておりません。私は格闘技を習いたいと言ったのですが何故かここに連れてこられたのです」
爺さんに嘘をついても仕方がないので正直に話しておく。入門させるかどうか適正を見ると言っていたんだから俺にその気がないとわかれば爺さんも入門を断ってくるだろう。
「格闘技?お前がか?」
「はい。柔術や合気道のような柔よく剛を制すような、体格差があっても女性や子供が大の男に敵うような格闘技を希望していました。ただ柔術や合気道は型の伝承がメインで実戦でどれほど戦えるかわからないのでもっと実戦向きのものが希望ですが……」
舞踊か舞踏かは知らないけど舞い踊りで自分の身は守れない。俺はこれから主人公補正で凶悪に成長する近衛伊吹にやられない程度には実力を身につけなければならない身だ。
「くっ!」
爺さんが顔を伏せてブルブルと震えている。怒りを堪えているのかな?そりゃそうだよな。入門の相談に来たと思ったら入るつもりもない別ジャンルの道場を希望している子供が来たんだ。無駄なことに付き合わされたと怒っても止むを得ない。
「くははははっ!そうかそうか!柔術や合気道はヌルイからここへ来たか!まさにうってつけ!見た目は幼女でありながら中身はまるで老練なもののふのような幼子よな!」
「…………へ?」
いきなり大声で笑い出した爺さんの言っていることの意味がわからずポカンとする。この爺さんは何を言っているんだ?頭がおかしくなった……、というか最初から頭がおかしかったのか?こんな所はさっさとお暇するに限る。別ジャンルの道場のようだしさっさと逃げ出そう。
「『百地流古舞踏』とは世を忍ぶ仮の姿!その真の姿は『百地流古武道』である!武芸十八般全てを網羅する百地流古武道こそが最強の武道なのだ!」
「…………はぁ?」
爺さん……、本格的に頭がやばいのか?やっぱりさっさとこんな所からはおさらばした方が良いな……。
「わかっておらんようだな。よかろう……。見よ!」
爺さんがそう言って立ち上がると壁を叩いた。すると壁がクルリと回転して出て来たのは……。
「武器?」
回転した壁の裏側には様々な武器が掛けられていた。剣、槍、薙刀、棒、鎖鎌、手裏剣、それはもう何もかもごちゃ混ぜで武器という武器をとにかく集めたのかと思うようなものがズラリと揃っている。
「はっ!」
「――ッ!?」
ヒュッ!と……、俺の頬のすぐ横を……、回転する刃物が飛んでいった。投げられた手裏剣は後ろでコッ!という音を立てて壁に突き刺さる。
おい!おいおいおい!この爺さんやべぇんじゃ……。いや、違う。完全にやばい人だ!危ない人だ!こんな所にいちゃいけない!早く逃げ出そう!
「ほう……。この状況でもすぐに動けるか。やはり大したものだ。それでこそこの百地三太夫の後継者に相応しい!わっぱ!名は何という!」
「ひぃっ!」
爺さんが棒を持って追いかけてくる。棒と言ってもただの棒なら何でも良いというものじゃない。棒術で使うような本格的な、じゃないな。まさに棒術を極めたであろう爺さんが振るう本物の棒だ。
「ほれ!」
「――ッ!」
棒を足の間に差し込まれて転びそうになる。だけどこんな所で転んでたらこのクレイジーなジジイに捕まってしまう。こんなクレイジーな奴に捕まったら何をされるかわからない。
「ほっ!」
足をかけられて転びそうになった俺は前回り受身で転ぶのを回避すると同時にその勢いのままに立ち上がる。畳の上と違って板張りの道場で受身を取ったから床を叩いた手が痛いけどそんなことを気にしている場合じゃない。
「やりおるわい。ならばこれでどうじゃ!」
「うげっ!」
今度は後ろから襟を棒で引っ掛けられる。一瞬で首が絞まって気を失いそうになった。でもこんな所でオチたら何をされるかわからない。
「シッ!」
後ろから襟を引っ掛けられて持ち上げられた俺は後ろ蹴りで棒を蹴る。その反動と振動で襟を外して着地した。着地すると同時にまたすぐさま駆け出す。こんなクレイジーなジジイに構っていられるか!
「ほう!これも凌ぐか。これほどの人材が手に入るとは天に感謝せねばならんな」
ジジイは何か呟いているけど知ったことじゃない。もうすぐ出口だ。外へ出れば母も兄もいるだろう。さすがに大人の前でこんないたいけな女児を虐待していることが明るみに出ればこのジジイも困るはずだ。だからここから出さえすれば……。
「ぎにゃーーーっ!何だこれ!」
もうすぐ出口という所で……、俺の体は鎖に巻きつかれて身動きが取れなくなった。
「分銅鎖か!」
「よく知っておるのぅ。素晴らしい。ますます後継者に相応しい者じゃ」
このジジイは俺に怪我をさせないようにしていた。それでもこれだけ圧倒的な実力差で捕まってしまった。そもそも棒術を使ったり手裏剣を投げたり分銅鎖を使ったり……、これじゃ格闘技っていうより忍者みたいなもんじゃないか?
この分銅鎖だって俺に怪我がないようにうまくコントロールされていた。確かに鎖に巻きつかれて身動きは取れないけど痛みも衝撃もなかった。こんなことは相当熟練していてもそうそう出来ることじゃない。
「これじゃ格闘技じゃなくて忍者だろ!」
「忍者……。それもよかろう。わっぱがそう思いたければそう思えば良い。名前や形などどうでも良いものじゃ。そんなものは時代と共に移ろうものよ。なればわっぱが百地流古武道を極し後は忍者でも忍術でも好きに名乗るが良いぞ」
この爺さん……、本当に滅茶苦茶だ……。だけど完全に分銅鎖に巻きつかれて動けない俺にはどうしようもない。これまでか……。
「そもそもお前はありとあらゆる状況で生き延びる術が欲しいのであろう?ならば百地流古武道ほど最適なものもない。何を拒んだり悩んだりする必要がある?」
「え……?」
そう言われたらそうか?俺が考えていたのはサンボやシステマみたいなものも含めた何でもありのサバイバル術みたいなものだ。別に無手の格闘技に限定する理由はない。無手が良いと思ったのはいつも武器を持ち歩けないから無手での戦い方を身につけたかっただけだ。
この百地流古武道とやらなら武器ありも無手も全てが学べる。武器も特定の一つの武器じゃなくて何でもありだ。無手の格闘技という意味では微妙かもしれないけど、ありとあらゆる状況で生き延びるサバイバル術という意味においてはこれほど最適なものはないのかもしれない。
忍者や忍術大いに結構!これなら近衛伊吹にも対抗出来るんじゃないか?
「習います!百地流古武道を教えてください!」
「ほっほっ!そう言うと思っておったわ。しかし表向きはあくまで百地流古舞踏であることは忘れるなよ。舞踏の練習もしてもらうぞ」
「うっ……、まぁ……、止むを得ませんね……」
爺さんの言うことだけじゃなくて母の手前それなりに舞踏だか舞踊だかも身につけておく必要がある。爺さんがそれも面倒を見てくれるというのなら母の目を欺きつつ格闘技を習うにはやるしかないだろう。
それにしても……、兄はどうしてこんな所を知っていたんだろうか……。もしかして兄も習おうと思ったことがあったのかな?
「あとわしは百地三太夫だ。爺さんでもジジイでもないぞ」
「げっ……」
声が漏れていたか……。それともこれも忍術で人の考えていることが読めるのかな?
「それでわっぱ、お前の名は?」
「私は九条咲耶です……。これからよろしくお願いします……」
「そうか。咲耶、これからわしのことは師匠と呼べ」
「はい……、百地師匠……」
ともかくこうして俺は表向き『百地流古舞踏』、その実『百地流古武道』を習うことになった。百地師匠と話し合いを行い母をうまく誤魔化す算段をつけた俺と百地師匠は何食わぬ顔で母と兄を呼びここへ通うことが正式に決定したのだった。
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家に帰って自室で寛ぎながら考える。今日は非常に有意義な一日だった。最初は兄に騙されたかと思ったけど最終的に考えてみればかなり理想的なラインナップだ。
塾では小学校低学年の勉強からやり直しさせられるような苦痛は免れた。出来れば俺は小学校六年間の間に中学校、高校の勉強をやり直したい。先生にはまた後できちんと話をする必要があるだろう。あの場では高校の授業からとなったけどやっぱり中学校の勉強からやり直してもらおう。
フィットネスクラブもよかった。最初はあんな樽のマダム達のサロンと化している場なんて行くだけ無駄かと思っていた。だけどトレーナーと話してみた限りではあそこでも十分俺が望む程度のトレーニングも出来ることはわかった。
ようは通う人間がどれだけ頑張ってトレーニングをするかの問題であって場所は問題じゃなかったというわけだ。マダム達みたいにただダラダラと話をしに行くだけの場なのか、本気でトレーニングをしに行くつもりなのか。どうなるかは俺の心がけ次第だ。
そして百地流古舞踏……。あれはよくよく考えたら相当すごい所じゃないか?謂わば現代の忍者養成所みたいなもんだろう?それも観光名所になっているどこやらの忍者村とは違う。本物の忍者だ。
確かに現代に忍者なんて胡散臭いことこの上ない。だけど百地師匠の実力は本物だ。子供相手に得物を振り回していたクレイジーなジジイじゃない。あれは確かに熟練の技だった。少なくとも百地師匠なら近衛伊吹なんて片手で捻ってしまうだろう。もちろん今の園児の伊吹じゃなくて高等科に入った後の化け物伊吹をだ。
何も百地流古武道を極める必要はない。伊吹に絡まれても逃げられるだけの腕前があれば十分だ。そもそも俺はご令嬢なんだしな。忍者のようにヒョイヒョイドロンと逃げられたらベストだろう。
百地師匠はこれから毎日通えと言っていたけどさすがに毎日通ってはいられない。他にも習い事を始めたばかりだし……。そもそも怪しげな忍術ばかり習っていられないだろう。
フィットネスクラブと百地流古舞踏はすぐに、塾は新年度が始まる少し前から通うことになった。塾は新年度の開講分からだ。フィットネスクラブと百地流古舞踏は別にいつという区切りはないからすぐにでもということになっている。特に百地師匠は明日から来い、すぐに来い、とうるさかった。
母や兄が何とか取り成してくれたから少し先からになり、毎日来いというのも日数を減らしてもらったけどとにかく隙あらば毎日俺を通わせようとしてくる。さすがに百地流ばかり習ってもいられない。
「咲耶、ちょっといいかい?」
「お兄様?どうぞ」
俺が考え事をしているとノックして兄が声をかけてきた。さすがよく出来た良実君は勝手にレディの部屋の扉を開けたりはしない。扉を開けて兄を迎え入れると少し落ち着いてから兄が話しかけてきた。
「それでどうだった?少しは咲耶の期待に沿うことは出来たかな?」
「あっ!はい!とても理想的でした!さすがはお兄様です!ありがとうございました!」
そういえば兄にお礼も言っていなかった。あんなラインナップでうまく母を説得してくれた兄の働きはとても素晴らしいものだった。それなのにうっかりお礼も言っていなかったことに気付いて慌てて頭を下げる。
「ああ、いいんだよ。咲耶の思っていたものとは少し違うかもしれないけどお母様を説得するにはあれしかなくてね」
「いいえ、そんなことはありませんよ。とても感謝しています」
兄が言っていることもわかる。前日はあれほど頑なだった母を説得してよくぞあんな所に通えるように出来たものだ。母の説得が大変だったのもわかるしその中で最善の所を選んでくれたと思う。
「ふふ、咲耶の役に立てたのならよかったよ」
「はい!ありがとうございました!」
こうして俺は兄のお陰もあって自分が習いたいと思っていた習い事に通えることになったのだった。