第五十八話「別荘にて」
動きやすそうな格好に着替えてきた茅さんに連れられて庭に出る。庭といっても建物から出てすぐ目の前とかじゃない。建物の裏手に歩いていくとテニスコートがあって、その脇を抜けながら木々の間にある小道をさらに進むと小川の流れる川原に出た。
川原には小さな小屋があり、炭火焼用のコンロが置いてある。他にもビーチチェアやパラソルといったものが置かれていて、完全にアウトドア用にセッティングされている。これが今日のためだけに用意されたのか、正親町三条家の別荘ではこれが標準装備なのかはわからない。
ただ一つ言えることはかなり本格的なものが並べられているということだ。
まぁあの小屋は恐らく料理の下準備や洗い物、用を足したりするためのものだろう。だからここは元々あの別荘に来た者がアウトドアを楽しむために用意されているものだと思う。というかそうであってほしい。今日のために全て用意しましたとか言われたら怖い。
小屋の感じからして茅さんと約束してから建てたものじゃないだろう。もう少し時間が経っていることが窺える。上下水や電気も通ってるみたいだし、遊ぶ約束をしてから建てるには時間が足りないだろう。
「今日のお昼はここでバーベキューにしましょう。お姉さんが作ってあげるわね」
「はぁ……」
カジュアルな格好に着替えた茅さんがバーベキューの準備をし始める。家人やメイド達がソワソワしながら見てるな……。その手付きや手際から考えて普段こんなことはしたことがないんだろう。俺の前でお姉さんぶってるけどこれは確実に素人ですわ……。
俺は前世も合わせたらそれなりに生きてるけど、前世でもインドア派だったしこういうことはそんなに得意じゃない。でも見てたらわかる。茅さんはこういうことをまともにしたことがないだろう。いや……、バーベキュー自体は楽しんだことがあるとは思うよ?でもそれは人に全てやってもらって楽しむだけだっただろう。
自分で準備して、自分で調理して、自分で焼いて、自分で後片付けをして……、そんなことはしたことがないのは見てわかる。
「あれ?何で?」
あーあー……、そんな方法じゃ炭に火がつかないでしょ……。
茅さんは適当に炭をばら撒いてそのまま火を着けようとしている。そんな方法で簡単に火が着くのなら誰も苦労しない。
段取りや下準備は家人やメイド達がしてくれたんだろうけど、これを考えてやろうと言い出したのは茅さんだろう。そして茅さんはこういうことをしたことがほとんどないと……。メイド達もハラハラしながら茅さんのことを見ている。
チラリと見てみればこの中で一番年を取ってそうな執事と目が合った。そして首を振る。どうやらこのまま任せていても駄目なようだ。
「茅さん、私にもさせてもらってもいいですか?」
「え?駄目よ。危ないわよ。それに咲耶ちゃんはお客様なんだもの。こんなことはさせられないわ」
ふむ……。まぁ断られるのは予想済みだ。でもはいそうですかと引き下がるつもりはない。
「バーベキューは皆でやって楽しむものではないですか?私だけ仲間はずれにされては折角のバーベキューの意味はないと思います。バーベキューは皆で協力し合ってやるから楽しいはずですよ」
「咲耶ちゃんと……、協力して……、楽しく……。そうね!それじゃお姉さんと一緒にしましょう!」
チョロイ……。この人大丈夫か?やっぱりお嬢様育ちだから世間知らずなんだろうか?何か茅さんのイメージがどんどん崩れていく……。最初はもっとしっかりしたお嬢さんだと思ったんだけどなぁ~……。
「それでは私が炭の準備をしますので茅さんは私が失敗しないように見ていてくださいね」
「わかったわ!」
うん……。それでいいのか、茅さん?俺が自分でそう言ったんだから俺にとっては都合が良い。でもそんな簡単に騙されてどうするよ……。これって結局俺が茅さんの代わりに火を着けるだけで、協力じゃなくて代わってもらっただけだよね?まぁ本人は俺を見守る仕事に必死になっているようだからいいけど……。
とりあえず茅さんのことはおいておいてまずは火を起こそう。俺もバーベキューとか得意じゃないけどちょっとくらいはわかる……、はずだ。
まずこんな一気に全部炭を出してぶちまけても火が着くはずがない。一度片付けて小さいものだけ残す。それを互い違いに組んだりして空気が通りやすいように乗せる。
で、茅さんは使ってなかったけど……、俺は執事かメイドが用意してくれたであろう着火剤を使います。これを使わずに火を起こそうと思ったら相当大変だと思う。組んだ炭の上にジェル状の着火剤をビューッとかけて、火を着ける。
「うそ!もう着いた!?」
「まだです……」
確かに着火剤には火が着いたけどこれじゃ炭に火が着いたとは言えない。着火剤が燃え尽きればほぼ消えてしまうだろう。適当にうちわで風を送って火が広がるように……、何度も何度も少しずつ火を広げていく。
最初の小さな炭がかなり燃えてきた所で今度は残しておいた大きな炭を入れて……、またうちわで風を送って火を広げていく。
はぁ……、ほんとに時間と根気がいるな……。ガスコンロならちょっと『チチチチッ!』ってやったらすぐ火がつくのに……。バーベキューは準備や後片付けが大変だ。ただ焼いたものを食べるだけなら良いけど……。
「はい。火はオーケーですよ。網を乗せて食材を焼いていきましょう」
「そっ、そうね!それじゃお姉さんに任せて!」
う~ん……。チラリと先ほどの執事の方を見てみれば……、渋々ながら頷いていた。どうやらこれくらいは任せても大丈夫ということのようだ。
「それでは茅さんお願いしますね」
「ええ!きっと咲耶ちゃんにおいしいバーベキューを焼いてあげるからね!」
そういって勇んで……、恐々と網の上に……、隅の方にちょんっと串を置いた。串はメイドさん達が用意してくれたんだろう。小屋から下準備が済んでいる食材が出てきている。だけど……、茅さんの置き方をしていたらいつまで経っても焼けない。
チラリと執事を見てみればまた首を振っていた。どうやらこのままではまずいらしい。一度お手本を見せないとまずいだろう。
「茅さん、私もやっていいですか?」
「え?……そうね。協力して一緒にするから仲良くなれるのですものね?いいわ。でも気をつけてね」
「はい」
茅さんが差し出してくれた串を受け取って網の真ん中の方に乗せる。ついでにさっき茅さんが端の方に置いた奴も位置を直す。火がほとんどない端の方に置いてもいつまで経っても焼けないだろう。俺が炭を真ん中に火力が溜まるように置いたんだから間違いない。端に置いてても焼けない。断言する。
「茅さんも一緒に置きましょう。茅さんはここへ。私はこちらに置きますね」
「ええ。それでは一緒に置きましょう」
きちんと置く場所を誘導して俺と一緒に置かせる。これなら大丈夫だろう。茅さんは恐々置いてるけどきちんと火の上に置いてくれた。
チラリと執事の方を見てみればハンカチで目元を拭っていた。メイドさん達も感極まって、お互いに手を取り合っている。……それほどか?それほどなのか?
「この辺りは焼けてきていますね。ひっくり返しましょう」
「こっ、こうね……」
茅さんが俺に倣って串をひっくり返す。よしよし……、何とか成功しそうだな……。
「そろそろ焼けてきましたね。それではいただきましょうか」
「そっ、そうね……」
俺と茅さんは最初の頃に置いた串を取ってテーブルの上のお皿に置いた。前世なら豪快にそのままかぶりついてもよかったかもしれないけど、今生ではそれはさすがに憚られる。お皿に取って、串から外して……、タレも用意されてるけどまずはそのままいただいてみる。
「それではいただきます」
「いっ、いただきます」
何故か茅さんの方が緊張している。もっと気軽に食べればいいのに……。
「うん……。おいしいですね」
「ほんと……、おいしい……」
茅さんは味が心配だったのか。ほっとしたような顔になっておいしそうに食べ始めた。
メイドさん達がちゃんと下準備してくれているから、よっぽど焼くのを失敗しない限りはそれなり以上にはなるだろう。肉も野菜も良い物を使ってるようだし、何より自分達でこうして準備して焼いて食べたらおいしいに決まってる。
「さぁ、それでは皆さんもご一緒に焼きましょう」
「え?」
俺がそう言うと執事やメイドがポカンとしていた。でもこれだけの量だ。俺と茅さんだけで食べきれるわけがない。それに皆はただ周りに立たせたままで自分達だけバーベキューを楽しむというのも違うだろう。
今生ではそれでいいのかもしれない。でも俺はどうしても前世の感覚や考えもちらついてしまう。だからこういう場では皆で楽しく食事したい。
「バーベキューは皆で協力し合って食べるものです。良いですよね?茅さん」
「ええ。そうね……。一緒に楽しみましょう」
茅さんがそう言ったことで執事やメイド達も焼き始めた。もちろんそれは自分達が食べるためじゃなくて俺や茅さんの分だろう。でも今までは一切手を出すなという感じに茅さんに止められていたんだろう。それがなくなって皆で焼き始めてからは特に心配もなくバーベキューを楽しめたのだった。
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後始末もすると言い出して邪魔しかけた茅さんを連れて別荘に戻ってくる。確かに後始末もしようという気持ちは大事だけど、茅さんが手を出したら余計にメイドさん達の仕事が増える。そこで俺が適当に言いくるめて別荘へと戻ってきた。
「バーベキュー楽しんでもらえたかしら?」
「はい。とっても楽しくておいしかったです」
これは嘘じゃない。俺は前世でもインドア派だったけど……、今日のバーベキューは楽しかった。それに自分で焼いて青空の下で食べたらおいしいに決まってる。
「それにしても……、汚れてしまったわね……。丁度お風呂が沸いているし一緒に入りましょうか」
「えっ!?」
お風呂!?茅さんと?俺が?そっ、そそそっ、それはまずいんじゃないかな?だってそんなことをしたら茅さんのあんな姿やこんな姿が……。
「ハァ、ハァ……。ね?いいでしょ?汚れちゃったもんね?仕方ないよね?さぁ……、お風呂に入りましょ?最初は少し怖いかもしれないけど……、すぐに慣れるから……。ね?」
「ひぃっ!」
怖い!茅さんがおかしくなった!?っていうかバーベキューをしようって言い出したのもこれが狙いか?当然外でバーベキューなんてしたら汚れるし汗もかく。灰も飛ぶだろうし臭いもつくだろう。ご令嬢ともなればそんな状態でウロウロ出来ない。お風呂に入る。自然な流れだ。茅さんはこれを狙っていたのか!
やばい……。断る理由がない。いや……、色々とおかしいし断ってもおかしくないはずなんだけど……、でも断れそうにない。このままじゃ茅さんとお風呂に入ることになってしまう……。
「咲耶お嬢様、着替えをお持ちいたしました」
「椛っ!」
茅さんに迫られている中、救世主椛が現れた。その手には俺の着替えが用意されている。お風呂に入らなくても着替えだけすればどうということはない。むしろ他人の家でお風呂をいただくことに比べれば服だけ着替える方が良い。
「お待たせして申し訳ありません。ある者達に撒かれて咲耶お嬢様の居場所を見失ってしまいました」
「そっ、そうでしたか……」
後ろで『チッ』と舌打ちが聞こえたけど聞こえない振りをしておこう。俺はてっきりうちの車があとをついて来ていると思っていたけど、どうやら正親町三条家の手によって撒かれてしまったようだ。それなのによくここを見つけることが出来たものだ。
「こちらの方面で正親町三条家所有の物件や所縁のある場所、借りたり泊まるに足る宿などを虱潰しに捜しました」
なるほど……。ここが正親町三条家所有の別荘だったら、こちら方面に来たのであれば目的地である可能性がある。そうしてあちこち全て調べていったというわけだ。恐ろしいまでの執念だな。
「それでは着替える部屋をお借りできますか?」
「……いいでしょう。案内して差し上げて」
うわ……、椛と茅さんが視線で火花を散らしてる……。怖い……。俺じゃ間に入ることも出来ない。
ともかくこの後椛が用意してくれた着替えを済ませた俺はもう暫く茅さんと別荘で過ごし、夜になる前には家に帰った。もちろん茅さんは別荘に泊まることを主張し、椛が一歩も引かず俺を連れて帰るといい、散々にすったもんだの末に家に帰れたのだった。