第五百八十七話「漁夫の利」
夏休みが終わりに近づいてきたある日、九条邸の前には中等科二年三組の咲耶グループメンバーが勢揃いしていた。
「ふっふっふっ……。ようやくこの日が来ましたね……」
「今日は咲耶様と……、くふふっ!」
皐月と薊が悪い顔になってほくそ笑んでいる。しかし他のメンバーもそれを止めたり何か言うこともなく、むしろ同じような悪い笑顔を浮かべていた。
「この日のためにつまらない勉強を頑張ってたんだもんねー!」
「そうですね。でも最近は勉強をして頑張った分だけ成績が上がっていると少し楽しくなってきましたよ」
譲葉の言葉に椿がそう言った。椿の言葉に他のメンバー達もちょっとウンウンと頷いていた。確かに勉強なんて面倒なだけだと思っていた。何の意味もないと思っていた。しかし放課後に咲耶様と一緒に勉強するのは楽しく、しかも頑張れば頑張った分だけ成績が上がって行くのを実感出来るとうれしい。
「でもそれとこれとは別問題!」
「そうそう!成績が上がるとうれしいしやる気にもなるけど、やっぱり勉強を頑張る一番の目的はこれだから!」
「あはは……」
茜の言葉に蓮華が続ける。芹は苦笑いしていたが確かに否定は出来ないので何も言えない。芹にとっては勉強を頑張るのは元々当たり前のことではあったが、咲耶と一緒に勉強をするのが楽しいのも、勉強の結果成績が上がるのがうれしいのも、ご褒美がモチベーションなのも完全に同意だった。ただそれをはっきり言ってしまうのは身も蓋もないと思うだけだ。
今日は一学期の成績が上がっていた皆に咲耶様がご褒美をくださる日なのだ。グループメンバーの大半はそのために勉強を頑張っていると言っても過言ではない。皐月や芹は元々勉強を頑張っていたが、先ほどの言葉通り咲耶様からいただけるご褒美が楽しみでモチベーションになっているのは他のメンバーと変わらない。
「いざゆかん!夢の世界へ!」
「「「「「おーーーっ!」」」」」
薊の言葉に他のメンバーも拳を突き上げて九条邸へと向かったのだった。
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「御機嫌よう、皆さん」
(((((ほわぁぁぁ~~~)))))
全員で揃って九条邸の前に到着すると女神様が立っていた。にっこりと優しい笑みを浮かべたその女神様に心を奪われる。否!とっくの昔に身も心も奪われているからこそこのメンバーはここにいるのだ。
「ぁ……、おはようございます!咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
薊が我に返って挨拶を返したことで他のメンバーもようやく惚けていた所から戻ってきた。順番に挨拶を返しつつ気持ちを落ち着ける。咲耶様は発光物なので正面からずっと見てはいけない。それは常識だったはずなのに、それでもどうしても目で追ってしまう。そしてその姿を見詰めると一瞬にして心を奪われてしまうのだ。
普段は出来るだけ平静を装って接しているがそれも年々厳しくなってきている。年を重ねて成長されるごとに咲耶様の美しさは神懸かってきている。それを見て心を奪われるな、平静でいろという方が無理な話だ。しかし特別扱いされることを嫌がられる咲耶様にそのような態度を見せるわけにはいかない。
あくまで平静を装い、普通のお友達として接する。そうすることで咲耶様はうれしそうに微笑んでくださるのだ。それがまたメンバー達の心を激しく揺さぶり鷲掴みにしてしまっているのだがそれを表に出すわけにはいかない。
「それではどうぞ皆さん」
「お邪魔します!」
咲耶様に案内されて九条邸のサロンへと向かう。咲耶様はこの後に起こることを何も知らない。だからいつものようにのほほんと緩い笑みを浮かべられている。このお顔がもう少しで羞恥に染まるのかと思うとメンバー達はゾクゾクとよくない快感を覚えた。まるで無垢な子供に無修正のポルノを見せつけるような背徳的な快感だ。
「今日は皆さんが一学期のテストを頑張ったことを労うためのお茶会を……」
「待ってください咲耶様!確かにその通りですがそうじゃないんです!」
「はい……?」
咲耶様は前から成績が上がったらご褒美をくださるという約束はしていた。今日は一学期の成績が上がっていたことへのご褒美の日だと伝えている。咲耶様はただ皆で集まってお茶会をするだけだと思っているようだがそうではない。メンバー達のご褒美の要求はこれからするのだ。
「今日は咲耶様にこれを着て接待していただきます!」
「え……?」
薊が今まで隠していた衣装を取り出して咲耶様に見せる。それを見て最初は首を傾げていた咲耶様だったが、薊が取り出した衣装が何か気付いて声を上げた。
「えっ?えぇぇぇ~~~っ!こっ、この衣装を私が着るのですか!?」
すでに顔を赤くされてプルプルと震えておられる咲耶様が可愛い。だがここで容赦するつもりはない。そのために皆はいつも勉強を頑張っているのだ。その頑張った分だけご褒美がいただけるというから成績もここまで上げている。ご褒美を貰うことは正当な対価であり、咲耶様はこの要求を飲まなければならない。
「ただこの服に着替えて少しだけ給仕の真似事をしてくだされば良いだけですよ!」
「そうそう!ただこれを着てお茶を淹れてくれればいいだけです!」
「うっ……。うぅ……。でっ、ですがぁ……」
顔を赤くして恥ずかしそうに震えている咲耶様はとても可愛らしい。こうしているだけでも十分にご褒美になっているがそれで引き下がるつもりはない。皆で厳選した衣装なのだ。サイズも一条椛に聞き、事前に注文しておいた。これを着せるまでは絶対に今日は帰らない。
「こんな丈の短いナース服など着れませんよ!?」
咲耶様は薊が持つ衣装、ナース服を指差してそう言った。グループメンバーが今回用意したのは言葉通りナース服だったのだ。
「咲耶ちゃん、これは九条病院の看護師達が着ている標準的なナース服ですよ?」
「それが恥ずかしくて着れないってどういうことですか?」
「九条家では真っ当な病院であるはずの九条病院で、恥ずかしくて着れないようなユニフォームを着用させているんですか?」
「ぅ……、そっ、それは……」
咲耶様の視線が泳ぐ。実際この九条病院の制服はそんないかがわしい物ではない。コスプレ用の際どい衣装ということもなく、膝上丈と言っても少し膝が出ている程度だ。白系統の薄い色で、ややタイトなためにパンティラインが浮いたり、下着の色が透けてしまう可能性はある。だがどこにでもある標準的なナース服だった。
しかし世間一般のナースが着用している普通のナース服だったとしても、とことん箱入りの深窓の令嬢である咲耶様にとっては恥ずかしい衣装であることに間違いはない。
グループメンバー達もこれが咲耶様にとって恥ずかしいギリギリの衣装だとわかっているから選んだ。これ以上際どすぎれば約束のご褒美と言えど咲耶様は断られるだろう。その咲耶様がギリギリ許容出来る衣装で、説得するに足るだけの根拠を添えて皆で必死に拝み倒す。
『九条病院で採用されている正式な制服なのに着れないのはどういうことか?』『膝上丈といっても膝が少し出ているだけでミニスカートとも言えない』『勉強を頑張って成績を上げたらご褒美をくれると言ったのは嘘だったのか?』
とにかく皆で咲耶様が反論出来ないように追い込んで行く。義理堅く約束は必ず守る咲耶様ならばこう言われたら絶対に最後は折れてくれる。これが際どい変態的な衣装だったなら何か理由をつけて断られるだろうが、九条病院で採用されている正式な制服を断る根拠はない。ここで制服の際どさを理由に断るということは九条家はナース達に公に出来ない制服を着せているということになる。
「…………わかり、…………ました」
「「「おおおっ!」」」
ついに咲耶様が折れた!メンバー達の口から喜びの声が漏れる。
「それでは咲耶様こちらへ」
ニヤリと笑った椛が咲耶様を着替えのために控え室に連れて行く。その時サロンに残った他のメンバーと椛は咲耶に見えないようにお互いにサムズアップして良い笑顔を浮かべていた。
「あれ?でもこれって一条さんは何もしてないのに咲耶ちゃんのナース姿を見れるだけ得をしているのでは?」
「「「…………あっ!」」」
確かに咲耶様の体のサイズをリークしてくれたのも、九条病院のナース服を用意してくれたのも椛だ。しかしこれは自分達が勉強を頑張ったご褒美だというのに、別に勉強を頑張ってもいない椛も一緒になって楽しめる。それは何だか椛だけ随分ずるいような気がしてしまう。
「まっ、まぁ協力者は必要ということで……」
「そうだねー……」
「でも何となく納得し難いというか……」
皆もわかっている。椛も咲耶様の説得に色々と手を貸してくれているし、衣装の用意や着替えなど見えない縁の下で協力してくれている。だが自分達へのご褒美のはずなのに、自分達と同じ努力をしていない者が混ざっていることへの何とも言えない気持ちが湧いてくる。
そんな話をして待っていると暫くしてサロンの扉が開いた。しかし扉は開いたというのに誰も入ってこない。
「さぁ、咲耶様」
「うぅ……」
扉の外から声が聞こえる。着替え終わった咲耶様は、しかしメンバーの前に姿を現すのが恥ずかしくて入ってこれないのだろう。少し扉の外で咲耶様と椛が言葉を交わした後、ついに覚悟を決められた咲耶様がサロンに入ってこられた。その瞬間……。
「「「「「うおおぉっ!!!」」」」」
「皆さん……、見ないでくださぃ……」
モジモジと内股でスカートを手で押さえた咲耶様が真っ赤な顔でサロンへと入ってきた。膝上丈といっても少し膝が出ている程度だ。しかし日ごろ隠されている咲耶様の膝が出ているというだけでもメンバー達のテンションは一気に上がった。
「さぁ咲耶様!お茶を淹れてください!」
「咲耶ちゃん!こっちもお願いします!」
「さぁ!」
「さぁさぁ!」
「あぅぅ……」
今日はお茶会で咲耶様がメンバーのことを労う日なのだ。だから咲耶様がメンバーにお茶を淹れていかなければならない。扉の前から近づいてこれなかった咲耶様がおずおずと近づいてくる。暗い扉から明るい近くに寄ってきた咲耶様を見て薊は顔を、いや、鼻を押さえた。
「ぶふーっ!こっ、これが……、咲耶様の……」
鼻血が噴き出すのではないかと思うほどの興奮に薊はもうボルテージが最高潮に、いや、最高潮を超えて振り切っていた。人間は興奮しすぎるとバカになる。誰もが経験のあることだろう。何故あの時は調子に乗ってあんなことをしてしまったのかという経験は誰にでもあるはずだ。
「咲耶様のナース服!咲耶様のナース服!」
カシャッ!カシャッ!カシャッ!とシャッター音が鳴り響く。スマートフォンを取り出した薊が咲耶様を撮影し始めたのだ。
「やぁっ!とっ、撮らないでください!だっ、だめぇっ!」
「あっ!薊だけずるいわよ!」
「私も撮るぞー!」
カシャッ!カシャッ!カシャッ!とシャッター音とフラッシュが一層激しくなった。メンバー達全員がこの瞬間を残そうととにかく撮影しまくる。
「だっ、駄目です皆さん!落ち着いて!あぁっ!撮らないで!撮らないでください!あぁっ!」
シャッター音が響きフラッシュが光る度に咲耶様がビクビクと体を震わせる。その顔には艶があり自らの体を抱くようにしながら悶えられている様は見ているだけで興奮を抑えられない。
「あっ!あっ!あぁ~~~~~っ!」
最後に一際体を反らせてビクビクと痙攣された咲耶様は、暫く硬直したかと思うと急にクタリと体から力が抜けた。それを椛がすかさず受け止める。
「咲耶様は気を失われたようなので今日はこれまでにしてください」
「そうですね……」
「咲耶様……、ハァ!ハァ!」
「咲耶ちゃん凄かった……」
椛の言葉に全員カメラを片付けつつ余韻に浸っていた。まだ興奮冷めやらず、上気した顔で呼吸を乱しながら全員やや恍惚としたうつろな表情を浮かべている。
「それじゃ今日はもう帰りましょうか……」
「そうだねー……」
まだ始まって間もないというのに全員そそくさと帰り始める。普通なら文句を言う者やまだ始まったばかりだと言う者も出そうだがそれはない。何故ならば全員すでにぐっしょりだからだ。このままここに居続けることは出来ない。かといってタオルや替えを用意しろと言うことも出来ない。
全員が熱に浮かされたようにフワフワした状態のまま九条邸を後にして……、車に乗り込む前に薊はふと思い出したことがあった。
「あれ?そういえばあのナース服は?」
「もういいじゃないそんなこと……」
「そうですよ。ばっちり撮影出来たし当分オカズには困らないです……」
「う~ん……。まっ、いっか!」
そう言われて薊も特にこれ以上考えることなく車に乗り込み帰路についた。そして……、とあるメイドの部屋には皆に撮影された緊張で咲耶の汁でぐっしょり濡れたナース服が完全密封されて保存されることになったのだった。




