第五百八十一話「助けてくれる人々」
本当に近衛家のパーティーは客が多すぎる。パーティーが始まってからの挨拶は近衛夫妻と伊吹が分かれて担当するから負担は減る。でもこの入場前の挨拶は表に立っている俺達が全て受けなければならない。その代わり挨拶も短めなんだけどそれにしても数が多すぎる。
「咲耶、疲れたか?」
「いえ……、大丈夫です……」
肉体的な疲れはない。精神的にはかなり疲れていると言えるけどそれを理由に挨拶を断るというわけにもいかない。俺が下手な対応をすれば九条家や九条派閥・門流まで非難を受ける。派閥・門流を背負うということはそういうことだ。俺一人の行いで派閥・門流全体に迷惑をかけることになる。だからこそ己をしっかり律しなければならない。
その後も挨拶を受けているとロータリーの方が少し騒がしくなっていた。丁度挨拶が途切れたタイミングでそちらを見てみるとある一団がこちらに向かって歩いてきているところだった。
先頭の真ん中を歩く少女はツインテールの髪を揺らして堂々とした佇まいで歩いている。その後ろに大勢の少女達が付き従っている様はまさに『女王様』という言葉がしっくりくる。その『女王様』と取り巻き達とでも言うべき一団が俺の前にやってきた。
「こんばんは!咲耶お姉様!」
「御機嫌よう九条様」
「咲耶お姉ちゃんこんばん……、あっ!ごきげんよう!」
「御機嫌よう、皆さん」
初等科の子達が勢揃いで竜胆に率いられていた。でも首を捻る。確か初等科の地下家以下の子達は近衛家のパーティーに呼ばれたり呼ばれなかったりだったはずだ。さすがに七清家の竜胆や、堂上家である李や射干はいつも呼ばれているけど、それ以下の地下家の子達は呼ばれないことも多いはず……、だったのに今回は全員が勢揃いしている。
「地下家以下の子達は呼ばれていない子もいたのでは……?」
「はい。そのことですがこの子達は私の取り巻きであり、咲耶お姉様の子飼いです!そんな子達を招待しない近衛家は礼を失するのではないでしょうか?ですから私の判断で全員連れてきました!よろしいですよね?近衛様!」
「あっ……、あぁ……?あっ!いや!待て!そんな勝手が許されるわけがないだろ!招待客を選ぶのはあくまで主催者だ!それを勝手に……」
「あら?よろしいんですか?この子達は咲耶お姉様が可愛がっておられる子達ですよ?近衛様はその子達を蔑ろにされると言われるんですね?それはさぞ咲耶お姉様の心証も悪いでしょうね!」
「なっ!?やっ……、それは……、うぐぐっ……」
やだ何この子格好良い!
竜胆は伊吹や近衛家に屈するどころか堂々と渡り合っている。まだ五年生だというのにこの貫禄、この弁が立つ頭の回転の速さ、さすが七清家のご令嬢だわ!俺が竜胆の同級生かそれ以下だったら『竜胆お姉様!』とか言っちゃいそうだ。
「それではこの子達は私と咲耶お姉様の責任において堂上家の会場の方へ連れて行きますね!」
「ぐぐぐっ……」
まだ苦悶の表情を浮かべて迷っているらしい伊吹を放って、竜胆は他の子達を連れて会場へと入って行った。入り口や受付で招待状のない子達に対して同じようなやり取りになっているけどそのまま押し通ってしまったようだ。
竜胆……、あんなに立派になって……。少し前まではちょっと生意気な所のある子供だと思っていたのに、いつの間にかリーダーとしてあんなにしっかりしていたんだな。やっぱり五北会の会長に就任してあれこれしていると責任感とか行動力が芽生えてくるのかもしれない。そういう役は面倒なだけだと思っていたけど案外侮れないものだ。
…………でも、今、何気に俺もその行動の責任に加えられてなかったか?
『この子達は咲耶お姉様の子飼いの~』とかあちこちで言って押し通ってるけど、それって最終的に全部俺のせいになるんじゃないかな?まぁいいけどね?
俺はお行儀良く近衛家のルールを守り、マナーを守ることしか考えていなかった。だからお友達がパーティーに招待されていなくてもそれは『そういうものだ』、『仕方がないことだ』と思い込んでいた。でも竜胆は俺のそんな凝り固まった常識をぶち破って『招待されていない子も自分の責任において連れてくる』ということをやってのけた。
俺だったらただ主催者の判断に任せて、その上で出来る行動しかしてこなかったのに、竜胆はそんな常識を打ち破り、仲間外れになる子が出ないようにしたんだ。その分、常識がないとか、マナーがなってないとか、主催者を蔑ろにしているという批判も受けることになるだろう。それでもそれを覚悟でそんなことが出来る竜胆は本当に大したものだ。
「伊吹君、咲耶」
「お兄様……」
「あれ?伊吹はどうしたんだ?」
「御機嫌よう、広幡様」
竜胆達を見送っていると兄と水木がやってきた。この二人も大学生になってもまだ一緒につるんでいるなんて他に友達がいないのかな?それとも指を一つ一つ絡めて手を握るような関係なのかな?良実×水木か……。腐っている子達はキャーキャー言って喜びそうな組み合わせだな。
「そちらは気にしないでください。近衛様は初等科五年生の子にも言い負かされてしまうというだけのことですよ」
「「ふ~ん?」」
俺の言葉に兄と水木は意味がわからないというような顔で小首を傾げていた。まぁさっきのを見ていないと意味がわからないだろう。別に無理に説明する必要も理由もないのでそのままこの話題は流しておく。
「俺はまたてっきり咲耶ちゃんの髪を掬ったり、キスしようとして振られたのかと思ったけどね」
「…………は?」
…………何?何故こいつがそんなことを口走る?おい……、もしかして……、お前か?伊吹に余計な入れ知恵をしたのはお前なのか?この野郎!そのお陰で俺がどれほどおぞましい恐怖を味わったと思っているんだ!
そうか。全部水木のせいだったか。じゃあ俺からもそれなりのお返しをしなければならないな?どんな刑が良い?良実×水木の真実の愛に目覚めちゃうか?お?やるか?やっちゃうか?
「咲耶、今絶対碌でもないことを考えてるよね?」
「いいえ?まったく?」
何か兄が笑ってない笑顔で俺に迫ってくる。俺は兄にそんな風に責められるようなことは何も考えていないぞ?ただちょっとチャラい水木にはそろそろ真実の愛にでも目覚めてもらおうかなと思っただけだ。むしろ責められるより褒められることだと思う。
「とにかく何を考えているか知らないけどその考えたことは絶対に実行しちゃ駄目だからね?」
「…………はい」
「い・い・ね?」
「はい」
俺が上辺だけ適当に軽く答えておこうかと思ったらさらに釘を刺されてしまった。まぁ兄は別にそれほど水木のことを愛しているわけでもないみたいだし、水木が真実の愛に目覚めて付き纏われても良い迷惑だろう。良実×水木の真実の愛はとりあえず見送ることにするか。
「それじゃまた後でね、咲耶ちゃん」
「はい。御機嫌よう、広幡様」
伊吹と何かコソコソ話していた水木が会場へ向かったので兄も会場へと向かった。何だ、やっぱり二人は良い仲なんじゃないか。これなら二人の真実の愛に……。
「咲耶?絶対さっき考えてたことをしようとしたら駄目だからね?良いね?」
「はい。もちろんです。何も悪いことなど考えておりませんし、何もいたしませんよ?」
会場へ向かって歩き始めていた兄は突然クルリと向き直ると戻ってきてそんなことを言った。そんなに念を押さなくても別に何も悪いことなんて考えていないのにな……。
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外での挨拶を終えると少し休憩して、化粧直しをするとすぐに会場に向かった。他の家だと開始の挨拶は子供達がするけど近衛家のパーティーは近衛母が挨拶を始める。そういう所からも実質的に近衛家を取り仕切っているのは近衛母なんだろうなというのがよくわかる。
「今までは伊吹と咲耶ちゃんには地下家の方の会場で挨拶を受けてもらっていたけど、中等科にも上がったしそろそろこちらの会場の挨拶を受けてもらうわね」
「おう!」
「……はい」
壇上でパーティー開始の挨拶が終わると近衛母がそう言ってきた。事前に知らされていたから驚きはしないけど面倒臭い。地下家以下の方の会場での挨拶は楽なものだ。いくら近衛派閥の者でも地下家以下の家が俺に舐めた態度を取ってくることは少ない。だから挨拶も楽だしこちらが気を使う必要もなかった。
それに比べてこちらの堂上家がいる会場で挨拶を受けるというのは色々と難しい部分がある。会話の一つ一つにも神経を使うし、相手によっては偉そうにしてくる馬鹿やら、こちらに何か失敗させたり、落ち度があるようにしようとしてくる者もいる。
うっかり余計な一言を言ってしまったがために名声が地に落ちるなんてザラにあることであり、そういった隙を一切見せてはならない。とても神経を使うものであり、地下家達の挨拶を受けるのとはわけが違う。
「特に伊吹は頼りにならないしこんな子だから咲耶ちゃんがしっかりフォローしてあげてね」
「はぁ?」
いや、知らんがな……。俺は俺が責められないように、九条派閥・門流の落ち度にならないように振る舞うだけだ。伊吹の尻拭いまでしてられない。というかそもそもお宅の息子さんですよね?その尻拭いを赤の他人の俺に頼むのが間違いじゃないですかね?
「そう心配するな咲耶!全て俺に任せておけ!」
「「…………」」
自分の胸をドンッ!と叩いた伊吹に俺と近衛母の視線が突き刺さった。でも伊吹はどこ吹く風でまったく気付いていない。今この時だけは近衛母と心が通じ合っている気がする。
「まぁそういうわけだからお願いね」
「はぁ……。はい……」
パートナーに選ばれている以上はもうどうせ逃げ道などない。それならせめてパートナーとして最低限の仕事はするだけだ。でなければ九条家や派閥に迷惑がかかる。
「それでは参りましょうか、近衛様」
「おう!」
伊吹が肘を突き出してくるので仕方なく手をかける。別にこちらの腕を通して絡める必要はない。限界ギリギリまで離れてそっと手を乗せておけば良いだけだ。
「やぁ伊吹君、大きくなったねぇ」
「おう!」
最初にやってきたうちの両親に向かっての第一声がこれだ……。頭が痛くなってくる……。近衛家の息子が九条家の当主に向かって第一声が『おう!』はないだろう『おう!』は……。
「咲耶、しっかり伊吹さんの手綱を握っておきなさい」
「はい、お母様……」
父と伊吹が話している横で母が扇子で口元を隠しながらコソッと話しかけてきた。俺とパートナーの時に伊吹が馬鹿なことをすればパートナーである俺や九条家まで悪いことになってしまう。だから下手な相手とはペアを組めないわけで、伊吹をいかにコントロールするかが今日の俺の仕事というわけだ。
「御機嫌よう咲耶さん。最近ますます綺麗になってきましたね」
「御機嫌よう信子様。ありがとうございます。信子様もお変わりなく……」
うちの両親の次に鷹司夫妻の挨拶を受ける。信子様も普段は物静かな美人なんだけど何となく怖い。綺麗な美人は怖いというイメージそのままだ。
「咲耶ちゃんちょっと聞いてくれはります?うちの桜いうたらまた女の子の服ばっかり買うて困ったものやわぁ」
「御機嫌よう栄子様。今はこのような時代ですので桜のような考え方も支持されてしまいますものね」
「いいじゃないですか、咲耶お姉様!私が可愛い方が咲耶お姉様もうれしいですよね?」
いや、別にどうでも良いけど?俺は男には興味がない。例え見た目が完璧に女の子のようだったとしても真ん中に象さんがついている時点で対象外だ。だからどれだけ綺麗や可愛くなろうが、不細工だろうが、変だろうが、似合っていようが関係ない。
五北家の挨拶は多少緊張するけど気心の知れた相手だからまだ良い。相手も下手なことは言えないから上辺だけの挨拶で済むし……。でもここからは近衛門流や一条門流の家は特に要注意だ。何気ない会話の中でも何を仕掛けてきているかわからない。それを思うとこうして挨拶を受けるだけでも神経を使う。
「咲耶様、今日のドレスも美しいですな。薊のドレスの色が似てしまって申し訳ない」
「いいえ、徳大寺様。こうしているとまるで薊ちゃんとお揃いのようでとてもうれしいですわ」
「咲耶様!ありがとうございます!薊感激です!」
七清家の挨拶に入り、徳大寺家や久我家、広幡家などの家は随分とフレンドリーかつ下手に出た話し方をしてくれた。これじゃまるで俺の方が偉いのかと勘違いしてしまいそうになる。幼少の頃から周囲にこういう風に接してこられて伊吹が馬鹿に育ってしまったのも頷ける。これは子供が勘違いするものだ。
大臣家になっても中院家や正親町三条家までやや謙った感じに挨拶をしてくれる。上位の家が軒並みそうするのだからそれより下位の家が下手な態度を取るのは難しい。それでもこちらに偉そうな態度を強行すれば今まで挨拶してくれた家全てに喧嘩を売るようなものだ。
どうやら今日のパーティーでは他の家のご当主方に助けられたらしい。多分だけど先にあからさまにこうして上位の家の態度を示すことで、下位の家が下手な対応を取れなくしてくれたんだろう。
誰かが他の家にも言ってそう示し合わせてくれたのか。たまたま上の家がそうしたからそれに倣っただけなのかはわからないけど……、何にしろ上位の家が俺に礼を尽くしてくれたお陰で色々とやりやすくなった。俺は本当に人物に恵まれている。
その後の家は上位の家の目の前で逆らうような態度を取れるはずもなく、今年初めて伊吹と二人っきりで上位の家の挨拶を受けたけど特に問題もなく乗り切ることが出来たのだった。




