第五百七十五話「落とした!」
「あ゛ぁ゛~~~……」
「咲耶様、大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」
滅茶苦茶体調が悪い……。原因はわかっている。アレのせいだ。もうすぐアレが始まるんだろう。この嫌な感じは何度経験しても慣れない。本当に女の子って大変だな……。
「いってらっしゃいませ、咲耶様」
「いってらっしゃいませ、咲耶お嬢様」
「いってまいります……」
椛と柚に見送られて学園へと向かう。でもテンションは最悪だ。体調も最悪だ。もうどこかで蹲ってしまいたい。でもそうもいかないので、ここの所恒例となっている玄関口の長蛇の列を抜けて教室へとやってきた。
「御機嫌よう」
「おはようございます九条様」
「咲耶様御機嫌よう」
適当にクラスメイト達と言葉を交わしながら席へと向かう。今日は先週末に七夕祭があったからグループの皆も早く来ているだろうと思った通り全員揃っていた。
「御機嫌よう咲耶ちゃん……。体調が悪そうですが大丈夫ですか?」
「おはようございます咲耶様!そろそろ生理の予定ですもんね!ドバッと来たら私に任せてください!」
薊ちゃん言い方!それと何を任せるんだ?拭いたりナプキンの装着をしてくれるのか?
「そろそろだと思っていましたけどやっぱりこうなってしまったようですね」
「咲耶ちゃんって毎回結構辛そうだよねー」
椿ちゃんの言葉に譲葉ちゃんがそう言った。…………そういえばそうだな。何かそんな気がする。
他の子達って結構生理中でも平然としている子もいるけど、何か俺は結構辛いことが多いような気がする。女の子初心者だし今生が初めての女の子体験だから比べようもないしよくわからないんだけど、もしかしたら九条咲耶お嬢様は生理が重くて辛いタイプなのかもしれない。
「今日はなるべく咲耶ちゃんの負担にならないようにしなければいけませんね」
「そうだねー」
「ところで先日の七夕祭で……」
皆が話しているのを聞きながらもやはり集中出来ない。体調が悪い時は話を聞いているつもりでもちゃんと聞けていないかったりする。何とか皆の話についていこうとは思っているんだけど、どうしても俺だけ皆より反応が遅れていたのだった。
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放課後に五北会へとやってきた。今日五北会に来たら起こることはわかっている。でも何でこうも毎回のように俺の体調や機嫌が悪い時に限ってこのイベントの日になるんだろうか……。
「御機嫌よう……」
「待っていたぞ咲耶!」
「……御機嫌よう、近衛様」
俺達が五北会サロンに入ると伊吹が俺の前にやってきた。いつもはいちいち関わってこないことが多いんだけど今日は恐らく近衛家のパーティーの招待状を渡してくるだろう。日程や今までのパターンから考えれば恐らく今日招待状が配られるだろうとは思っていた。思っていたけどいつもいつもタイミングが悪い。
「咲耶!近衛家のパーティーの招待状だ!」
「はい……」
「近衛家のパーティーなんだから今度こそペアのパートナーになってもらうぞ!」
「出席の可否と共に、そちらについても後日お返事させていただきます……」
体調が悪いからもうさっさと終わらせたい。そう思っている時に限って伊吹が絡んでくる。
「何だその返事は!もうここできっぱり俺のパートナーになると言えばいいだろう!お前は俺の婚約者なんだからな!」
だから誰がお前の婚約者なんだよ……。許婚の候補に一方的に宣言しているだけだろう。そんなものが正式な婚約者として認められるならストーカーは好きな相手と自由に婚約者になれるだろうが……。あぁ、面倒臭い……。今日は体調が悪いんだ。いい加減にしてくれ……。
「近衛様と私は婚約者ではなく、近衛家による許婚候補宣言を受けているだけの関係です。またパーティーへの出欠については両親が決めているので私がこの場でお答えすることは出来ません。家に持ち帰り家族と相談の上でお返事させていただきます」
あぁ、面倒臭い……。早く終わりたい……。
「何だ、その態度と言葉は!それが将来の夫に向かって言う言葉か!」
ああぁぁぁっ!もうっ!こいつはっ倒してやろうか!俺は今それどころじゃないんだよ!すぐにでも座りたいくらいなんだよ!もういい加減にしてくれ!
「ちょっと伊吹……。今日の九条さんは本当に具合が悪そうだよ。その辺にしておきなよ」
そこへ少し離れて様子を見ていた槐が割り込んできた。槐まで関わってきたら面倒かと思ったけど一応槐は多少なりともこちらを気遣ってくれているらしい。日ごろは面倒で鬱陶しいと思っていたけど今はとても良い奴に見える。
日ごろから真面目で善行しかしない者がいつも通り善行を行っていても評価されないけど、日ごろ悪行ばかりしている悪人がたまに善行をすればとても持て囃されるのと同じことだろう。俺はそんなことで槐に絆されたりはしないけど、少なくともこの場をさっさと収めてくれるのなら誰でもいい。
「そっ、そんなことわかってる!おい咲耶!もう行っていいぞ!」
「……御機嫌よう」
色々と言いたいことはあるけど今は無理だ。もう早く座りたい。伊吹はブスッ!とむくれた顔をして前を譲ったのでいつもの自分の席へと向かう。槐は少しこちらを見てニヤリと笑いながら小さく手を振っていたけど、俺は少し会釈しただけでさっさと通り過ぎたのだった。
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今年の一学期は日程が狂ってしまっている。理由は原因不明の集団昏倒事件だ。以前にも言った通り一条校というのは日程や授業の単位数が決まっている。それを守っていなければ一条校とは言えない。
ただ今年の藤花学園中等科は原因不明の集団昏倒事件が起こってしまった。ガスや薬品漏れが原因かとも言われて、臨時休校になって原因究明が行われたけど結局は原因不明のままだ。
例えば全国的にパンデミックが起こって全校が日程の変更を余儀なくされるのならば、専門の部署や担当機関がその時の状況や条件に合わせて臨時に条件を変えてくれるだろう。でもその学校だけの特別な理由、特有の条件があるからといって授業日数や単位数を勝手に変えることは許されない。
藤花学園の場合も特例で許されるような条件ではなかったので、臨時休校になった分をどこかで補填しなければならない。だから一学期後半の日程は急遽変更され、夏休みが始まるのも遅くなることが決まっている。期末テストの日程も若干ずれ込み今日から期末テストだ。でも俺にとっては最悪だった……。
「うぅ~~~……」
「咲耶様、大丈夫ですか?」
「ええ……。大丈夫です……。午前で終わりですし少しの辛抱ですよ……」
今回は期末テストと俺の『アレ』がドンピシャで当たってしまった。しかも今回はいつもより重い……。テストに全然集中出来ない。
「咲耶ちゃん……、辛かったら保健室でテストを受けても良いんですよ?」
「ありがとう……。でも大丈夫よ」
何時間かの我慢だ……。あと少し我慢したら何とかなるから……。
その後もテストは続き、俺はテスト期間中に大変な思いをすることになった。でも今後もこんなことは起こり得る話なわけで、この程度のことで弱音を吐いていたら今後『アレ』の日の度に休まなければならなくなってしまう。これから何十年とこれと付き合っていかなければならないんだから、ここでへこたれていては先へ進めない。
……それにしても本当に女の子って大変なんだな。毎月こんな思いをしながら暮らしているなんて本当に大変だと思う。この前の伊吹の能天気さが、前世の何もわかっていなかった俺自身を思い出させられるようで余計に嫌な気持ちにさせられたのだった。
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『アレ』で辛いのも一日、二日ほどで収まり、一学期の期末テストも無事に終えることが出来た。でも……、俺やっちゃったんだよなぁ……。
「御機嫌よう」
「おはようございます咲耶様!」
「咲耶ちゃん御機嫌よう」
期末テストも終わり数日が経ち、今日は結果が張り出される日だ。こういうイベントの時は皆登校してくるのが早い。今朝も全員すでに揃っているけど俺はこの後成績を見に行くのが億劫だった。何故ならもう結果は予想出来ているからだ。
「咲耶ちゃん元気ありませんね?」
「生理は終わった所のはずだよねー?」
「ええ……。体調はもうすっかり良くなりました。ただ、今気分が乗らないのはこの後のことが原因です……」
譲葉ちゃんも何かはっきり言いすぎだな……。もっと『あの日』とか『女の子の日』とか言い方があると思うんだ。決して間違いでもないし悪いわけでもないのかもしれないけど、それでももうちょっと配慮やデリカシーのある言い方はあると思う。
「ああ……、咲耶ちゃんは体調が悪かったですもんね……。もしかしてテストの結果が思わしくなかったんですか?」
芹ちゃんだけはすぐに察して心配そうな顔をしてくれた。確かにその通りなんだけどいつまでもここでグダグダしていても仕方がない。踏ん切りをつけてさっさと張り出された成績を見に行こう。
「まぁそうなのですが……。こうしていても埒が明きません。さっと行って見てしまいましょう」
「そうですね」
「ほーい!」
皆でゾロゾロと玄関口へと戻る。張り出されている成績上位者を見てみれば……。
「やっぱり……」
結果を見て俺はがっくりと項垂れた。一位、九条咲耶……、点数は九百九十八点……。持ち帰った問題用紙に書いておいた解答と同じく一問間違えている。
この問題は答えをわかっていた。わからず間違えたわけではなく、一問二点の選択問題で答えがわかっていながら書いた選択肢を間違えてしまった問題だ。悔やんでも悔やみきれない。当日は生理……、アレが重くて全然集中出来ていなかったんだけどそれは言い訳にはならない。最悪だ……。一問間違えてしまった……。
「咲耶ちゃんはさすがですね」
「ほんとだー!全然問題ないじゃーん!」
「え?いえ……、ですが一問間違ってしまいましたよ?」
何か皆の反応が思っていたのと違って俺の方が困惑する。皆には点数を上げろ上げろと言っておきながら自分は点数を落としてしまった。もっと皆に非難されるかと思ったけど皆はそんなことを何も言わなかった。
「「「…………」」」
お互いに顔を見合わせてから……。
「あははっ!」
「ぶっちぎりの一位の咲耶ちゃんに何も言えませんよ」
「そうそう!むしろ今まで一問も間違えないことの方が驚きだったんですから!」
「たまには書き間違いや勘違いくらいあるよねー」
「あの時の咲耶ちゃんは本当に『あの日』で大変そうでしたし、一問しか間違えていないことの方がむしろ驚きです」
おお……。芹ちゃんはさすがに『あの日』と言ってくれた。何か薊ちゃんとか譲葉ちゃんはあけすけに『生理!』とか言ってくるから、女の子にとってはそれが普通なのかと思う所だったよ。やっぱり芹ちゃんが一番常識人ってはっきりわかんだね。
一度満点を取ってしまってから俺は、今までずっと満点を取り続けなければならないというプレッシャーを感じていたのかもしれない。でも今回ケアレスミスで満点を逃したことでその呪縛から解かれたのだろう。オール満点記録は途切れてしまったけど何だか妙に清清しい気分だ。
「とりあえず他の子は……」
気を取り直して他の子の成績も見ていく。皐月ちゃんは二位をキープ。点数も若干伸びている。俺との差が縮まってきているようで何かそのうち抜かされるのではないかという気さえしてしまう。
芹ちゃんは前回から一つ上げて今回は五位。槐も順位を七位に上げている。伊吹も一つ上がっているけど九位とあまり振るわない。十位以上はそこまでで前回とあまり変わらず、ほとんど同じメンバーが多少成績を上下させているだけのようだ。
そして十一位以下の面子はといえば……。
「ついに椿ちゃんが鈴蘭さんを追い抜きましたね」
「ありがとうございます!これも咲耶ちゃんの指導のお陰です!」
いつもは大人しい椿ちゃんが元気な声でそう応えた。前回と順位が逆になって十五位椿ちゃん、十六位鈴蘭と入れ替わっている。鈴蘭が落ちたというより椿ちゃんが伸びた結果だ。あと柾が前回二十位から十七位に上がっている。
名前の張り出される成績上位者はこれだけだったけど、授業が始まってから渡された成績表では他のメンバーは蓮華、譲葉、花梨までは並びは前回と同じだった。そこから茜、薊、鬼灯となっている。前は鬼灯が花梨の下だったのに茜、薊の二人が鬼灯を追い抜いた。その下の錦織、紫苑は変わらず……。
こうして知り合いの名前だけを上げたら、特に順番が変わっていないように思える子達もいるけど、うちのグループの子達は全員点数や順位は上がっている。ついに鬼灯を追い抜くという下克上も起こったし、このままいくと本当に皆成績がかなり上位に食い込みそうだ。
こけら落とし公演の練習がなくなった分、放課後に勉強会を開いているけどその効果ははっきり出ている。これはその内うちのグループの子達が上位独占というのも現実味を帯びてきたな。




