第五百七十二話「ご注文は計画的に」
入場者の事前確認を行ってから待っているとようやく一般入場開放の時間になった。開放時にすぐに入れるように事前確認出来るようになっているけど、事前確認のために早く来てずっと待っているのでは結局本末転倒のような気もする。
俺達が七夕祭の運営をしていた時から色々と考えていたけど未だに良い解決策はない。テーマパークやそういった客の入場を毎日行っているようなプロでも未だに答えがない問題だ。ちょっとそこらの子供が考えたくらいで画期的な解決策など浮かぶはずもない。
今日の出し物についてはパンフレットに書かれている。竜胆や秋桐達の演奏は朝一番に講堂で行われるようだ。俺達にとってはまず一番は竜胆達の出し物を観ることなので講堂へと向かう。その道すがら中等科の方から茅さんが歩いてきているのが見えた。今日も茅さんは後からの合流予定となっていた。
「あぁ!咲耶ちゃん!会いたかったわ!」
「御機嫌よう茅さん」
茅さんは清楚な私服を着ている。でもこれでも朝から大学に行ってきたようだ。去年も俺達は全員朝から学校を休んで七夕祭に来ていたというのに、茅さん一人だけ一時間目の授業を受けてから七夕祭に来ていた。大学の授業では一時間目の講義はまだ終わっていない。それでも朝から大学に顔を出してからこちらに来ると前から言っていた。
茅さんって結構破天荒というか、自由奔放というか、やりたい放題好き放題にしているように思えるけど、実は結構根は真面目なんじゃないかと思う。俺と関わるようになってからゲームの『恋に咲く花』の本来あるべき姿から逸脱してしまったかもしれないけど、それでも根の部分は変わっていないんだろう。きっと茅さんはゲーム世界では真面目で良いお姉さんだったに違いない。
「御機嫌よう正親町三条様。咲耶ちゃん、そろそろ向かわないと竜胆達の演奏に遅れてしまいますよ」
「あっ!そうですね。それでは皆さん参りましょう」
皐月ちゃんにそう言われたので講堂へと向かう。茅さんとは歩きながらでも話せるけど、竜胆や秋桐達の演奏はこの時間だけだ。俺達もやったからわかるけど朝一番の演奏は結構タイトなスケジュールだ。観客だって入場と同時にすぐに向かうくらいでないと間に合わない。
もっとスタート時間を遅らせるとかすれば良いんだろうけど、一枠何分で一日で何枠というような枠の数に限りがある。クラスの出し物や有志による演奏など希望者は多く、講堂と体育館をフルに使っても全ての希望者に枠を与えることは難しい。一つでも枠を増やすために朝に限らず全ての予定がタイトに組まれている。
「…………あら?よく考えてみれば今年からは小ホールが完成しているのでそちらも使えば枠はもっと確保出来るのでは?」
「そう言えばパンフレットによれば出し物も講堂と体育館だけになってますね?」
俺の疑問に薊ちゃんがパンフレットを広げて確認していた。でもそのパンフレットは俺も何度も確認しているので今更確認するまでもない。間違いなく出し物の予定は講堂と体育館しか載っていなかった。
「まぁ竜胆達の出し物は朝一番の講堂というのは間違いありませんから、それを観てから竜胆に確認してみましょう」
皐月ちゃんの言う通りなのでそれに全面的に同意してから俺達は講堂へと急いだのだった。
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俺達が講堂へとやってくると最前列が空いていた。別に俺達が最初の入場客というわけじゃないのにだ。何か空いているように見えるだけで誰かが席を取ってあるのかと思ったけどそんなこともなかった。周囲やスタッフに確認しても空席だというので俺達が最前列に座った。
「最前列が空いていてよかったですね」
「いや……、この演目で咲耶様が今日来られているのを知っていて最前列に座る馬鹿はいませんよ……」
「はぁ?」
薊ちゃんの言うことが良くわからない。来た順番に前列中央などの良い席から埋まっていくのが普通なんじゃないのか?
「咲耶ちゃんって頭はとても良いのに……」
「純真無垢というか何というか……」
「本当に温室育ちの純粋培養って感じですよね」
「そこが咲耶様の魅力でもありますけど……」
「人を疑うことも知らないから悪意ある相手に騙されないか心配です」
まただ……。また皆が俺だけ除け者にしてヒソヒソやっている。まさか俺の悪口を言ったり、嫌な点をヒソヒソ話しているわけじゃないと思う。いや、思いたいけど……。でも……、ひょっとして……、本当に何か俺の至らない点についてや不満を口にしてるんじゃないだろうか。一度そう思うと何かそう言われているのではと思ってしまう。
「あら?咲耶ちゃん、眉間にシワが寄ってるわよ」
「茅さん……」
よほど酷い表情をしてしまっていたのか、茅さんが俺の眉間に指を置いてクニクニと動かした。言われてみれば確かに眉間に力が入っていたかもしれない。そう思っていると司会が挨拶を始めて朝一番の演目が始まった。
『それではリンドーズの皆さんの登場です!』
リンドーズという名前はちょっとどうかと思ったけど、それも二年目ともなれば慣れたものだ。最初の時はどうしてそんな名前にしたのかと思ったものだけど、今となってはグループのことを良く表していると思う。
「咲耶ちゃん、まだ険しい表情をしているわよ」
「あっ、はい……」
竜胆達の登場を見ているとまた茅さんに注意されてしまった。今度は眉間を指でクニクニはされなかったけど、折角下級生達がこれから頑張って演奏をするという時に険しい表情をしていたら可哀想だ。しかも本人達には別に関係ないことでそんな表情を向けるのはお門違いというものだろう。
『ワン、ツー、スリー……』
去年は練習不足であまり成功とは言えない演奏だったけど今年はどうなるか。そう思っていたけど始まってみて驚いた。皆去年とは比べ物にならないほどに上達している。
俺達と一緒にこけら落とし公演の練習をしていたから楽器そのものについて上達していてもある意味当然かもしれない。でもこれは違う。それだけじゃない。ただこけら落とし公演のための練習に参加していただけではこうはならない。きっと皆密かに百地師匠に習っていたに違いない。でなければ短期間でこうまで上達したりはしないだろう。
俺はあまりお嬢様らしく楽器などを習ってこなかった。本人に才能がないというのもあるだろうけど……。下級生達は音楽の才能でもあったのか。それとも教えている師匠が凄いのか。あるいはその両方なのか。皆去年とは見違えるほどに、いや、聞き違えるほどに上達している。
皆だって色々と日常生活で用事やイベントがあって忙しいはずだ。同級生グループの子達だって全員が集まるのは難しいほどに予定が詰まっている。下級生達だって似たような状況だろうに、それでも皆こんなに上手くなっているなんて相当頑張ったに違いない。
そう思っているとあっという間に演奏は終わってしまった。一枠何分と決められているのでそんなに何曲も演奏している時間はない。演奏が終わって静まり返っている講堂で、俺一人だけ勝手に立ち上がって拍手をしてしまっていた。
他の観客達は皆静かにしていたのに、俺一人だけ勝手に立ち上がりパチパチと拍手をしている。本当は良くなかったのかもしれない。でも俺は自分でも驚くほど自然に、何の意識もせずそうしてしまっていた。すると……。
薊ちゃんが、皐月ちゃんが、茅さんが……、グループの皆が立ち上がって拍手を始めた。それにつられるように次第に他の観客達も立ち上がり万雷の拍手が響き渡った。良く見てみればスタッフ達まで大きな拍手を送っている。
竜胆も、秋桐も、李も射干も、睡蓮も……、皆、皆よく頑張ったね。去年の苦い思い出から立ち直り、奮起して、よくここまで頑張ってきたと思う。本当に素晴らしい。
俺が五年生の時はどうだっただろうか?こんなに何かに必死になれていただろうか?
皆本当に凄いなぁ……。下級生達だけじゃなくて同級生や上級生の皆も含めて……、本当に凄い。本当に何かのために頑張っている本物のお嬢様達なんだ。俺のような似非お嬢様とはまるで違う。皆……、本当に凄いよ。
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朝一番のリンドーズの演奏が終わったから下級生達と合流する。これから皆と揃って七夕祭を堪能しよう。
「茅お姉ちゃん!」
「睡蓮……、貴女一人だけ間違えすぎでしたよ。やるのならもっとしっかりやりなさい」
竜胆達と合流すると睡蓮がシャカシャカシャカッ!と素早い動きでやってきて、茅さんの隣に立っていた俺を突き飛ばしつつその場所を確保していた。別に茅さんの横なら反対だって空いているし、向かいに立ってもよかったはずなのに、何故わざわざ俺を突き飛ばしてその場に割り込むのか意味がわからない。
「それじゃぁ~……、今度茅お姉ちゃんが二人っきりで教えてくださぃ~!」
まるで猫がゴロゴロいっているかのような雰囲気で睡蓮が茅さんに甘えている。これは絶対確実に甘えている。まさに猫なで声とかそんな言葉がしっくりくるような感じだ。
「私は睡蓮が担当している楽器なんてどれも出来ないわ。習うのなら百地先生に習いなさいな」
茅さん……、確かに正論だけど身も蓋もない……。
睡蓮だってそんなことはわかっていて、ただ茅さんと二人っきりになりたいからそう言っているだけだ。それなのに自分はその楽器が出来ないから師匠に習えってそりゃないよって話だと思うんだ。
「それじゃぁ……、茅お姉ちゃんと九条様と睡蓮の三人で練習しましょぅ~?」
「そうね!それがいいわ!そうしましょう?ね?咲耶ちゃん!」
「茅さん……」
俺だって睡蓮が担当していた楽器はそんなに自信があるわけじゃないよ?コンサートのために俺は師匠に色々と楽器の練習をさせられた。誰かが欠けても大丈夫なように一通り全部覚えさせられた。でも一応出来るだけなのと、ちゃんと出来るのでは意味が違う。俺のは付け焼刃というか、万が一の交代要員として最低限出来るというレベルだ。
「それじゃまた全員で練習しましょうよ!ね?咲耶様!」
「「「う~ん……」」」
薊ちゃんの言葉に皆が反応に困ったという声を出していた。確かに去年は一年かけてコンサートの練習をしていた。でもあれは他の都合を減らして無理やり時間を作っていたものだ。それをまた今年もやれと言われても各家も納得しないだろう。去年一年だけという期限があり、近衛家なども強く後押ししたからこそ出来た芸当だ。
「咲耶お姉ちゃん!それより露店に行こう?」
「まぁ!秋桐ちゃんったら」
「「「あははっ!」」」
秋桐の提案で皆で移動し始めた。まだ七夕祭は始まったばかりでお昼にはまだまだ早い。それなのにもう露店に行こうとは秋桐も食いしん坊なものだ。
「咲耶お姉ちゃん!いか焼き半分こしよ!」
「えっ!?え~……、そうですね……」
秋桐が最初に食べたがったのはいか焼きだった。いや、いか焼きというと関西のイカの入ったクレープのようなものと混同されてしまう。この場合は焼きイカ、あるいはイカの姿焼きというのが伝わりやすいだろう。
俺も別に焼きイカ、イカの姿焼きは嫌いではない。前世でも食べていた馴染みのある味だ。でもこの食べ物はお嬢様が食べるには色々と厳しい。椅子に座ってテーブルに並べられてナイフとフォークで食べるのなら良いだろう。でもお祭りで食べ歩きをすることになると少々はしたない。しかも周りを汚しやすい。
この手のソースやタレは色が濃い上に垂れやすい。イカの姿焼きやたこ焼き、焼きそばなどを食べていてソースを服につけてしまった覚えがある人も多いのではないだろうか。しかもお嬢様が串にかぶりついてイカを食べるというのはどうなんだ……?
「はい!咲耶お姉ちゃん!秋桐はもういらないから全部食べて!」
「えぇ……、ありがとう……」
秋桐は半分こって言ったけどまったく半分になっていない。大半は残されている。しかも食べ方が上から食べるとかじゃなくて、横から腹だけ食べている。三角の頭は食べにくいと思ってスルーしたようだ。まぁ実際に三角が頭、丸い所が腹というわけじゃないけど、そう言った方が通りが良いと思ってそう言っている。学術的な定義がどうとか無粋なことを言ってはいけない。
どうにか俺が最低限お上品に見えるように残されたイカの姿焼きを食べていると……。
「咲耶お姉ちゃん!次は焼き鳥を買ってきたよ!半分こね!」
「うぇっ!?」
俺はまだ先ほどのイカを始末し終わっていないというのに、秋桐はもう次のものを買って来ていた。しかもまたタレで汚さないように気を使うものだ。まぁ祭りの屋台や露店なんてそんなものが大半なんだけど……。
「秋桐もういらない!はい!あげるね!次行ってくる!」
「ちょっ!待っ!?秋桐ちゃん!待って!」
俺が止める暇もなく秋桐は走っていき次々に露店で注文する。しかも本人は少しだけ食べて満足すると残りを全て俺に渡すという暴挙だ。
この後秋桐がたこ焼きや、焼きそばや、焼きとうもろこしといった定番メニューを片っ端から頼みまくり、俺一人では食べ切れないからとグループの皆にも手伝ってもらって何とか余すことなく食べ切った。でも皆それだけでお腹一杯になってしまい、昼食を食べる気にはなれずにお昼に食堂にはいかないことになったのだった。




