第五百六十二話「だから大声で言うな!」
ふぅ……。一時はどうなることかと思ったけど幸い何とかなってよかった。おりものシートは多少の吸収力はあるけど本格的な『アレ』が始まったら耐えられるようなものじゃない。生理用ナプキンとおりものシートがわざわざ別にあるということは用途や目的や効果が違うということだ。
俺は『アレ』が始まりそうだと思うといつも先んじておりものシートやナプキンを使っている。もうあんな大惨事はこりごりなわけで、多少もったいない使い方をしてでも大惨事の方を防ぐことに注力している。でもナプキンやシートだってタダじゃないし、面倒も増えるし、誰でも俺のようなもったいない使い方が出来るというものでもない。
本当につくづく女性ってのは大変なものだ……。みんなは閉経するまでこれから何十年もこういうこととうまく付き合っていかなければならない。それでもうまくやっている女性というのは本当に凄いと思う。俺みたいに女の子初心者だとあっという間に大惨事を引き起こしてしまいかねないので大変だ。
「ふぃ~……」
「あっ!咲耶様!朝からトイレなんてお腹が痛いんですか?」
「ぶっ!?しっ、紫苑っ!?」
俺がお化粧室から出てくると出入り口の少し先にいた紫苑が滅茶苦茶でかい声でそんなことを言った。九条家のご令嬢が腹痛で朝からトイレに駆け込んでいたなんて大声で言われたら大変だ。しかも別に腹が痛かったわけじゃないし!
「ちっ、違いますよ!」
「え?でもさっき何かとてもほっとしたような声を出されてましたよね?あれって間に合ってよかったっていう時に出る声ですよ!」
声!お前の声をまず抑えろ!そんな大声でなんてことを言うんだ!これが前世だったら『う○こマン』とか変なあだ名をつけられるパターンだろ!今生ではそんなことはないと思うけど、前世とかだったら学校のトイレで大をするだけでもからかわれたりした子もいるはずだ。
っていうかそもそも俺は大をしたわけじゃないし!大をすることが悪いと思ってるわけじゃないけど、人を腹痛で大をするためにトイレに駆け込んだみたいな誤解を広めるのはやめてもらいたい!
「ですからそうではなくて……」
「ん~?……あっ!ポーチを持ってますもんね!生理でしたか!」
「だから声!それと言い方!」
「ムグッ!」
もう我慢の限界に達した俺は紫苑の口を無理やり塞いだ。紫苑は俺がポーチを持っているのを見て事情を察したようだけど、こんな朝の登校時間にトイレの前ででかい声でやり取りするような内容じゃない。しかもデリカシーの欠片もない言い方だ。
紫苑も薊ちゃんとタイプが近いかとは思っていたけど、いくら薊ちゃんでもここまで無神経でデリカシーがない物言いはしない。あけすけでズケズケと言うのは紫苑の良い所でもあるかもしれないけど、それにしたって言い方というものがあるだろう。
「ムグムグ!ぷはっ!」
紫苑は俺が押さえていた口を何とか解放していた。そして第一声が……。
「咲耶様こそおかしくありませんか?人間は誰だって排泄しますし、女性なら生理だってきますよ!その当然のことを変に隠そうとするから余計に恥ずかしいんじゃありませんか?お腹が痛いならお腹が痛い。生理なら生理って言って何が悪いんですか!?」
「いや……、それはそうなのですが……。ですがわざわざ無関係の人にも聞こえるように大声で言い触らす必要はないでしょう?必要最小限の相手にだけ伝えれば良いはずです」
確かに紫苑の言っていることもわからなくはない。前世では学校で大便をしていたというだけで個室の上から水をかけられるとか、変なあだ名をつけられるとか、一部ではそういうこともあった。
もちろん大人になるにつれてそんなこともなくなっていくし、どこの学校でも全てそうというわけじゃない。それに学校で大をしても何も言われない子もいれば、執拗にからかわれる子もいただろう。それは個人差というか周囲との関係とか本人の性格とか色々な要素があるとは思う。
でもだからってフルオープンでいつトイレに行っただの、大をしただの小をしただの、生理がきただのと大声で周囲に言い触らす必要はないはずだ。しかもそれを言われて恥ずかしいと思っても何もおかしくない。紫苑がそれを言われても恥ずかしくないのだとしても、他の人も気にしないとは限らない。そういう配慮が足りないのではないだろうか。
「それはそうですよ!わざわざ人に言い触らす必要はありません!」
「いえ……、ですから……、先ほどから紫苑が大きな声で話しているので廊下中に響いているのですが……」
俺はもう穴があったら入りたい……。紫苑の声がでかすぎて廊下中に響いている。何か登校中の生徒達にも少しチラチラ見られている気がするし最悪だ……。
「そうですか?そんなことありませんよ!そんなことよりも先週のパーティーに呼んでいただきありがとうございました!」
「あぁ、はい……」
そうかぁ……。紫苑はこのでかい声が普通なのかぁ……。無自覚で本人にとってはまったく普通にしてるつもりなんだってことだなぁ……。そりゃ俺と紫苑で会話がかみ合わないよな。
「馬鹿っ!紫苑!さっきから廊下で何を言ってるんだよ!あちこちに聞こえてるぞ!」
「何よ!あんたは関係ないでしょ!黙ってなさいよ!や・な・ぎ・ちゃん!」
「こっ……、このっ!だから柳ちゃんって呼ぶなって言ってるだろ!」
「まぁまぁ二人とも……。こんな所で大きな声を出していては周囲に筒抜けですよ。せめて場所くらいは変えましょう」
途中でやってきた錦織が紫苑を止めようとしてくれたんだろうけど逆効果だった。むしろ錦織に邪魔された紫苑はますますヒートアップして二人の口論が激しくなる。声もどんどんでかくなっているからもう完全に筒抜け状態だろう。やるにしてもせめてこんな声の通りが良い廊下じゃなくて、もっと声の聞こえない場所でやるべきだ。
「だって咲耶様!柳ちゃんが!」
「柳ちゃんって言うなって言ってるだろ!」
駄目だこりゃ……。
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何とか紫苑と錦織を宥めて二年三組の教室へと戻ってきた。するとグループの子達から何とも言えない目で見られていた。
「咲耶様……、大変でしたね……」
「こちらまで筒抜けでしたよ……」
「ははっ……」
もう渇いた笑いしか出ない。恥ずかしいやら情けないやら色々な感情が渦巻いている。自分でもこの感情をどう吐き出せば良いのかわからず苦笑いするしかない。
何かクラス中からもチラチラ見られている気がするし落ち着かない。何とも居心地の悪い一日になりそうだ。
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午前の授業を終えて食堂へと向かう。新一年生達ももう学園生活にも慣れたのか入学当初のような地に足がついていないような感じはなくなっている。こうして皆次第に大人へと成長していくのだろう。
「咲耶っち!」
「……ん!咲にゃん」
「こんにちは九条様」
「御機嫌よう、鬼灯さん、鈴蘭さん、花梨」
いつも通りに四組のメンバーとも合流して食堂の席に着く。朝もクラスのメンバーとは話したけど、やっぱり四組のメンバーが合流すると最初の話題は先日の九条家のパーティーの話になった。
「咲耶っちがさぁ……、普通のドレスで大丈夫っていうから自慢の一張羅で行ったのにさ……」
「……ん。あのパーティーにわたし達のドレスじゃ恥をかいた……」
「え?そうですか?そのようなことはないと思いますが……」
確かに四組メンバー達のドレスはあまり上等な物ではなかった。でも内部生だって地下家の子だっているし、外部生なんて一般生徒までいる。鬼灯や鈴蘭より程度の悪いドレスを着てきていた子もたくさんいた。鬼灯や鈴蘭が特別変だったわけでもないし、むしろそういう中ではマシな方だったと思う。
そもそもパーティーの時のドレスがどうとか言う方がおかしいのであって、仮面舞踏会なのだから家柄や家格なんて気にする必要はない。そういう日ごろの階級やしがらみや確執を気にせず楽しもうというのがコンセプトだ。
「それに衣装や小道具のレンタルもしていることは事前にお伝えしていたはずですが……」
うちでは一般生徒や地下家の子も呼ぶ前提だからこちらから貸し出し、レンタルを行っている。事前に申し込みさえしてくれれば送迎の車も、ドレスも、装飾品や扇子などの小物も何でも借りられる。
一部の一般生徒や地下家の子達はレンタルを利用しているし、レンタル部門も結構盛況だ。あまりドレスを持っていない子やしょっちゅう用意することが出来ない子はレンタルを利用すればいい。
「まぁそうなんだけどさぁ……」
「……ん。簡単に言えば舐めてた……」
「まさかあそこまでのパーティーだとは思っていなかったんです……」
ん~?
「はぁ?そうですか?」
うちのパーティーは派手さも抑えた地味なパーティーの部類だと思うけどな……。規模も特別大きいわけでもなければ派手なわけでもない。主催者側からの催しや出し物が色々凝っているわけでもないし、招待客は俺が好き嫌いで選んでいるから特別大物が多いということもない。
近衛家のパーティーは規模も大きければ招待客も上位の家は軒並み呼ばれている。とにかく派手で大規模というコンセプトだ。鷹司家のパーティーは逆に選りすぐられた上位の家だけのパーティーであり、演出も凝っていて高級というコンセプトのもとに用意されている。
九条家のパーティーは招待客も俺の好みが反映されているのであって家格の上下や貴賎はない。最低限嫌でも呼ばなければならない相手や、兄や両親が勝手に呼ぶ相手もいるけど、それにしても俺の好みがかなりの部分に反映されている。
一般生徒や地下家の子達が来ることも想定しているから豪華すぎたり、派手すぎないように気を使っているし、細かい決まりや作法を要求したりもしない。なるべくラフに過ごせるように料理も演出も形式も軽くしている。
「九条家のパーティーでそのように言われているようでは他の五北家のパーティーはもっと大変ではないでしょうか……」
「「「うっ……」」」
「まっ、まぁ……、そもそも私達はそんな大それたパーティーになんて呼ばれないさ!」
「……ん!それに近衛家のパーティーは地下家は地下家が集まる会場だから大丈夫」
「そうですよ。近衛家のパーティーなら大丈夫です……」
う~ん……。そう言われたらそうなのかもしれないな。近衛家のパーティーは上位の家が集まる会場と下位の家が集まる会場を分けている。下位の会場にいれば周囲も似たようなクラスの家が多いし大丈夫なのかもしれない。
俺にとっては規模が大きくて疲れるだけだけど、確かにあれだけ大勢の中にいればよほど変なことをしない限りは一人一人は目立たないのかな。それなら花梨が言うように隅の方にでも大人しくしていれば近衛家のパーティーの方が気楽なのかもしれない。
「ところでさ……、噂になってる謎の美少女ご令嬢ってまさか……」
「ええ。鬼灯さんの部活仲間の方です」
鬼灯がコソッと聞いてきたのでこちらも合わせてコソッと答える。そりゃ関係者からすればその噂のご令嬢が柳ちゃんだってわかるだろうな。大人達は知らない者も多かったかもしれないけど、家に帰って子供に聞けば真実を知った者も多いかもしれない。
「あははっ!マジ!?ちょーウケる!」
「……ん。笑ったら失礼……、ぷふっ!」
「くっ……、くくっ……」
鬼灯は堂々と笑い、鈴蘭は失礼とか言いながら自分も笑っている。花梨は顔を逸らして必死に我慢しているみたいだけど我慢出来ていない。皆酷いなぁ……。
「少し手違いであたかも私がやらせたかのように広まっているかもしれませんが違いますよ?桜が勝手にやったのです。私は関係ありませんよ?」
「そんな噂は聞いてなかったけど……、へぇ……、咲耶っちがやらせたのかぁ……」
いや、今それは違うって言ったよね?何でそう誤解を招くようなことを言うんだい?それじゃまるで本当に俺がやらせたみたいに広まってしまうじゃないか。
「でもさ……、二条様も女装してるし、錦織君も女装してるってことはさ……、逆もありなの?」
「逆?」
鬼灯の言葉に首を傾げる。逆って何?何のことを……。
「だからさ……、例えば私が男装して男のフリをするとかさ……」
鬼灯は少し頬を赤らめて視線を逸らせるとぽりぽりと顔を掻きながらそんなことを言った。
「「「あ~~~……」」」
鬼灯の言葉を聞いて皆が頷く。つまり男が女装して学園に来たり、パーティーに出席しても良いのなら、女である鬼灯が男装して学園に来たり、パーティーに出席しても良いのか?ということだろう。そういう意味の逆か。
「まぁ……、パーティーの場合なら招待した家が良いのなら良いのでは?」
「学園は先に校長などに話しておいた方が良いでしょうね」
皆至極真っ当な答えを言う。真剣に鬼灯の悩みを受け止めて、考えてあげている。本当にとても良い子達ばかりだ。
「そっか……。うん!ありがとう!」
何か吹っ切れたのか、鬼灯はとても良い笑顔でそう言って皆に頭を下げていたのだった。




