第五十五話「無事帰還」
ショッピングモールの小物店で皐月ちゃんとお揃いの小物を買った。小さなガラスの中に樹脂か何かとラメや星が入っているような小物だ。小さな金魚鉢に金魚のフィギュアが入っている物とか、家が入っていて雪が降っているような物など、様々な種類があった。
俺と皐月ちゃんは二人でお揃いのキラキラしたラメと星型が入っている物を買った。これは今日の思い出の品だ。他には結局何も買っていない。
俺は今日こうするつもりだったから現金を持ってきていた。皐月ちゃんが欲しい物があったら一緒に買おうと思っていたけど、結局買ったのはこのお揃いの小物だけだ。
皐月ちゃんは遠慮してるのかと思ったけど多分違うかな?こんな庶民的なショッピングモールで売っている物は、珍しくはあるけど欲しくはないんだろう。服も小物もチープで、恐らく皐月ちゃんの部屋に置かれているであろう物の数々とは比べ物にならないと思う。
今回のことは皐月ちゃんにとっては珍しくて刺激的ではあったけど、欲しい物とか買いたい物は特になかったんだろう。ただ二人の思い出にこの小物だけ買った。これが欲しかったからというよりは、多分二人で脱走してこんな所に来た思い出や記念ということだろう。
もうそこそこ良い時間になりつつあったから脱走劇も終わりだ。またトイレに入って元の服に着替える。逃げる時に捨ててきたわけじゃなくて、鞄に入れていただけだからまた元の服装に戻るだけだ。
トイレから出た俺達は明らかにさっきまでと仕立てが違う良い服を着ている。こんな服でショッピングモールをウロウロしていたら色々と大変だろう。誘拐……、はまぁないだろうけど、人混みで服が破かれたり、汚されたり、そういうことは有り得る。
ショッピングモールで着替えた俺達は外に出てからお付きの者達に電話する。俺達だって当然携帯電話くらい持ってるわけで、今までは電源を切っていたけど、迎えに来てもらわなければならないから電話で呼び出さなければならない。
元居たお店の並ぶ一画に戻って待っていると椛と皐月ちゃんのお付き二人がすぐにやってきた。この辺りを探していたのだろうか。それとも電話してからすぐに向かって来たのか。
「咲耶お嬢様!」
「皐月様!」
息を切らせながらお付きの者達は俺達の前に立った。その表情は安堵の表情から徐々に怒りの表情に変わりつつある。
「咲耶お嬢様!一体何をお考えなのですか!」
「ごめんなさい」
流石に椛が殴ってくることはないけど、これならいっそ殴られた方がマシかと思うほどに物凄い剣幕で怒られる。
「皐月様、何故このようなことを……」
「ごめんなさい……」
ああ、何か向こうはこっちよりは静かな再会だな。向こうの二人がどういう立場の者か知らないけど、うちの椛は本来俺とそう変わらないくらいの立場だからな……。こういう時は遠慮なくガンガンに怒られる。両親も椛が俺に怒っても止めたりはしない。むしろ言ってやれと応援しているくらいだ。
「咲耶お嬢様!聞いておられるのですか!」
「はいっ!聞いています!」
ちょっと考え事をしていたらさらに怒られた。ここは椛の怒りが収まるまで少し大人しくしていよう。
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俺は散々椛に怒られて、皐月ちゃんの方は二人の付き人と色々話をしてようやく解放された。どうやらまだ家には伝えていなかったようだ。俺達が脱走したことはこの場にいる五人だけの秘密となった。
多分本当はそんなこと許されないだろう。付き人達の立場からしたら俺達がいなくなったとわかった時点で、すぐに家に連絡しなければならなかったはずだ。それを怠って黙っていたこの三人はそれがバレたら俺達の比じゃないほどに怒られるに違いない。
今回は俺達が自発的に脱走しただけで無事に戻ってきた。だけど俺や皐月ちゃんの立場から考えれば誘拐されたり、何か事件や事故に巻き込まれた可能性もあるかもしれない。それを家に黙ってここに居た付き人だけで探していただけだとあっては到底許されることじゃない。
でもそれで助かったのは俺達の方だ。もし付き人達が家に連絡していたらこんな程度では済まなかっただろう。それこそ大騒ぎで警察まで動いていたかもしれない。今回ばかりはこの三人に感謝だ。
ただ不可解なのはこの三人が俺達がいなくなった時点で家に連絡していなかったことだな。自分達が監督不行き届きで怒られるから黙っていたとかじゃないだろう。この三人はそんなことはしないはずだ。
皐月ちゃんのお付き二人のことはよく知らないけど、大事な娘のお付きに選ばれている者がそんないい加減であるはずがない。普通なら自分が怒られてでもすぐに家や警察に連絡するような忠誠心の高い者が選ばれるはずだ。それなのに今回はこの三人は黙っていた。
椛だって俺が勝手にいなくなったら、両親に怒られることなんて後回しにしてすぐ家に連絡するはずだ。それなのにそれをしていなかったのが何とも不可解で……。
もしかしてだけど……、皐月ちゃんは途中でお付きの者に連絡していたんじゃないだろうか?携帯電話で居場所を確認されたり、連絡されたりするからと電源を切っていたはずだ。でももしかしたら……、皐月ちゃんは脱走してから一度お付きの者達に連絡をしていたのかもしれない。
皐月ちゃんのお付きの者経由で椛もその話を聞いていれば、俺達が自発的に脱走したのであって誘拐じゃないということはわかるだろう。それなら下手に騒ぐよりも、俺達が帰ってくるまで辺りを捜そうということになったのかもしれない。
そう考えれば皐月ちゃんの方があまり怒られていないことや、お付きの三人が家や警察に連絡していなかったことの説明がつく。
俺の想像でしかないけど皐月ちゃんに救われたのかもしれないな。本当ならそれは俺がしておかなければならなかったことだ。俺がこっそり椛にでも連絡してそう言っておかなければならなかった。少し出るけど心配するなと言わなければならなかった……。これは反省しなければならないことだ。
まぁ……、脱走したことは反省していない。またそのうちそういうこともあるだろう。ただやり方や周囲への心配をかけないように配慮は必要だった。今回の俺は少々考えなしだっただろう。今回っていうか毎回だって?やかましいわ!
椛達や皐月ちゃんのお陰で大事にならずに済んだ俺達は、今日のことはこの五人の秘密ということにしてそれぞれ帰路に着いたのだった。
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家に帰って家族の様子をこっそり窺ってみたけど何ともなかった。本当に椛は家に連絡してなかったということだろう。椛には滅茶苦茶怒られたけど俺としては助かった。ただそれは付き人としてどうなのかと思わなくもないけど……。
まぁこれは考えていても堂々巡りになってしまうだけだ。俺はそれで助かった。大事にもならなかった。それでよしとするのが良いだろう。
「それで今日西園寺家の子と出掛けてどうだったんだ?」
「えっ!?どっ、どうと言われましても……」
急に父に話を振られてキョドってしまった。別に父は普通に話の流れでそう聞いただけだろう。でも俺の方が後ろ暗いことがあるから明らかに不審な態度になっている。これは墓穴を掘ったかと思って周囲を見てみたけど、母も兄も不思議そうな顔をしているだけだった。これはセーフか……?
「あまり無駄遣いばかりするのではありませんよ?」
「はい」
母の言葉に素直に頷いておく。服とか帽子とかを買ったのはバレているだろうけど、庶民が着るようなプリントTシャツとかを買ったのはバレていないだろう。現物を見せない限りどんな物を買ったかわかるはずもない。
それにカード払いだから最終的に金額くらいは確認するだろうけど、何を何点買ったとかはいちいちチェックしないはずだ。レシートと買った現物を見せなければ気付かれることはない。そのためにカモフラージュで何点か必要ないものまで買ったんだからな。それが無駄だと言われたらその通りだけど……。
とはいえ別にまったく着る気もないのに買ったわけじゃなくて、ただ急いで必要でもないけどとりあえず買ったという感じだ。一生着ないわけじゃないんだから無駄ではない……、はず?
「どんな服を買ったんだい?」
げっ!そこを突っ込んでくるのか!?全部見せろとか言われたらやば……、ってこともないか。脱走用に使った物は俺の鞄の中だ。他の買ってきた荷物の中には見られてやばい物は入っていない。
「女性の買ってきた物を知りたがるなんてお兄様はデリカシーが足りないのではないですか?」
「……え?う~ん……」
でも別に兄に披露してやる理由もないのでそう言っておいた。すると兄は本気で難しい顔をして唸り出した。デリカシーがないとか言われてショックだったのかな。
「ご馳走様でした」
これ以上ここにいたらボロが出そうだから早々に部屋に引き上げた。自室の机の上に皐月ちゃんとお揃いで買った小物を置いて眺める。
「椛、今日はごめんなさい」
「はい……。本当に怒っています」
あちゃ~……。まだ怒っているらしい。戻った時ほど口でガミガミは言われなくなったけど、まだ心の中では許してないということのようだ。
「え~……、怒っておられるところ大変心苦しいのですが……、これもどうにかしておいていただけると助かります……」
俺は恐る恐る今日脱走する時に着替えた服を鞄から出して椛に差し出す。さすがにこれをそこらに置いておくわけにはいかない。万が一にも母に見つかったら大事だ。かといって捨てるにしてもゴミ箱へポイというわけにもいかないし……。お怒りの真っ最中である椛にどうにかしてもらうよう頼むしかない。
「はぁ……、わかりました……」
そう言って椛は渋々受け取ってくれた。どうやら処分してくれるようだ。捨てるのかどこかに保管しておくのかはわからないけど、もうそうそう着る機会はないだろう。そもそも脱走するのに着ていくからこれを出してくれと言っても出してもらえるはずがない。
「このようなものを置いていたらまた同じ手に利用されてしまいますからね」
「うぅ……」
やっぱりまだ怒ってらっしゃる……。でもそう言いながら何とかしてくれるのが椛だ。ただ今後は買い物の度に買った物をチェックされるようになるだろう。同じ手口で脱走は難しくなるだろうな。
脱走しにくくなることを心配するなんてまた脱走するつもりかって?そりゃいつ何時そういう時が来るかもわからないだろう?また椛の目を掻い潜って脱走出来る方法を考えておく必要が……。
「咲耶お嬢様?また善からぬことを企んでおられませんか?」
「いいえ、とんでもない」
俺はフルフルと首を振る。椛がいる前で余計なことを考えるのはやめよう。そのあとまたちょっとお小言を言われてその日は眠りについたのだった。
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翌日、憂鬱な月曜日の朝も元気に藤花学園に向かう。いつも通り先に席に着いている皐月ちゃんに声をかけた。
「皐月ちゃん御機嫌よう」
「咲耶ちゃん御機嫌よう」
お?何か今日はいつもより笑顔が柔らかい気がする。やっぱり昨日遊んでちょっとは打ち解けられたかな?お嬢様同士のお堅い付き合いじゃなくて、もっとこう……、前世の、普通の庶民の友達同士のような、そんな砕けた関係に……。
「昨日はあの後どうでしたか?」
「え~……、まぁ……、二人には怒られました。まだ怒っているかもしれません」
「あぁ……、やっぱり……」
どうやら皐月ちゃんもお付きだった二人にはまた怒られたようだ。それにまだ許してもらえていないかもしれないという。うちの椛もそうだから皐月ちゃんとお付きの二人のやり取りが目に浮かぶようだ。何しろ自分も体験していることと同じだからな……。
「でもとても楽しかったです……。あのような経験はしたことがありません……」
「皐月ちゃん……」
何故か……、皐月ちゃんは少し寂しそうな、憂いのあるような顔をした。一体それはどういう意味だろう。
俺達のような、藤花学園に通うような子達は皆あんなショッピングモールになんて行ったことがないだろう。フードコートで食事したことなんてないだろうし、チープな小物屋や百円均一の物なんて買ったこともないに違いない。
でも……、皐月ちゃんの今の表情はそういうのとも少し違ったような気がする。それがわからないことには俺は本当の意味で皐月ちゃんと心からの親友にはなれないのかもしれない。ふとそんな考えが俺の頭によぎったのだった。