第五百五十一話「一人勝ち」
九条家の影達や近衛母から連絡があったのですぐに近衛邸へとやってきた。どうやら向こうはまだ到着していないようだ。本当にのんびりしているというか何というか……。
「いらっしゃい咲耶ちゃん。待ってたわよ」
「御機嫌よう近衛様」
近衛邸に到着した俺は近衛母と簡単な打ち合わせを行いながら応接室の隣の部屋に身を潜ませる。身を潜ませるといっても別にこそこそ隠れているわけじゃない。ここは応接室とコネクティングルームになっているからこの隣の部屋で話を聞きながら乗り込むタイミングを待つ、というだけだ。
九条家の影達や近衛母から連絡があったのは『これから進藤家が近衛家を訪ねてくる』という情報だった。どれくらいで到着するのかは知らないけど、もう少ししたらこの近衛邸に進藤家がやってきて、隣の応接室で近衛母と話をすることになっている。
俺達の企みは簡単なもので、適当に近衛母が進藤家の話を聞いて、丁度良いと思った所で俺がこの隣の部屋から応接室へと乗り込むというだけの作戦だ。ぶっちゃけて言えば作戦とも言えない。
そもそも進藤家がどういう話の展開をするのかわからない以上は備えや反論を先に考えておくことは出来ない。進藤家が何を言うのか、どういう話をするのかを聞いた上でその時の話の流れから乗り込むタイミングを捉え、話に割って入り、進藤家の企みを粉砕しなければならない。
結局出たとこ勝負なので事前の打ち合わせは意味がなく、臨機応変に近衛母と息を合わせて行動するのみだ。ただ俺と近衛母は目的や方向性は一致しているので連携はしやすい。今大路家を守り、進藤家の好きにはさせないという最低限の打ち合わせさえ出来ていればあとはどうとでもなる。
「それじゃ悪いけど少しここで待っていてね」
「はい」
近衛母に案内されたコネクティングルームで座って待っているけどこれは……、やばいな……。
この部屋はただ応接室と繋がっているコネクティングルームの隣室というだけじゃない。こちら側から見ると大きなマジックミラーで応接室の様子が丸分かりだ。しかもこちらの部屋にはカメラからの映像が映し出される機器が置かれている。応接室の録画も録音も全て完璧ということだろう。
俺が近衛母にいつも通される部屋とは違う隣の応接室は近衛家によって監視され録画・録音されている部屋ということになる。俺はいつも他の部屋に通されていて応接室もこの部屋も見たのは初めてだけど……、こんなものを見せられたら日ごろ通されている部屋も監視されているのかもと思ってぞっとする。
まぁ……、こんな部屋は近衛家に限らず大きな家には大体あるものだろう。かくいう九条家にもこの手の部屋がある。人のことは言えないしこういうことはあるだろうと思ってたから本音を言えばあまり驚きはない。それよりもむしろ驚いたのは近衛母があっさり俺を『応接室を監視している隣室』に通したことだ。
こういう部屋はあるだろうと思っていたし、こういう部屋で近衛母と進藤家のやり取りが見れたら今回のことはやりやすいとは思っていたけど……、まさかこんなにあっさり秘密の部屋に通されるとは……。
「咲耶ちゃん、もう一人も来たから咲耶ちゃんがしっかり手綱を握っておいてね」
「……え?」
近衛母が出て行ってから暫くするとまた戻ってきた。一体何事かと思っていたけどそこに居たのは……。
「咲耶ちゃん!お姉さんも来たわよ!」
「茅さんっ!?」
近衛母が案内してきたのは茅さんだった。どうして茅さんがこんな所にいるんだ?確か茅さんには杏の安全を確保してもらうように言っておいたはずだ。その茅さんがこんな場所にやってくるなんて何かあったのか?
「茅ちゃんからも連絡があってね。進藤家との対決の時は絶対に呼ぶように脅されちゃったのよ。それで仕方なく呼んだの。だから咲耶ちゃんと二人でここで待機しておいてね。一応この部屋は防音になっているけど、さすがにあまり大声を出したり暴れたりすると隣にも気配くらいは伝わるでしょうから気をつけてね」
「いや……、あの……」
近衛母はそれだけ言うと茅さんをこの部屋に放り込んでそそくさと出て行った。まぁいい加減そろそろ進藤家が来るかもしれないし備える必要はあるんだろうけど、それにしてもあんな説明だけで茅さんを放り込んで行くのはどうなんだろう。
「さぁ咲耶ちゃん!一緒に痴れ者の進藤飯桐と進藤家を叩き潰しましょう!」
「茅さん……、茅さんには杏さんの安全確保をお願いしていたはずですが……」
「大丈夫よ!杏は正親町三条家に匿っているわ!これであの痴れ者達には指一本触れさせることはないから!」
あ~……、うん……。そうね?近衛門流・派閥で近衛家に次いで家格が高いのは正親町三条家、つまり茅さんの家だ。その茅さんに逆らって何か出来る近衛門流・派閥の者は存在しないだろう。確かに杏は安全だろうさ。でもね……。
「茅さん……。私は杏には気付かれないように密かに杏を守って欲しいから茅さんにお願いしたのですが……」
ただ杏の身の安全を確保するだけなら茅さんがやったようにどこかに隠してしまえば良い。正親町三条家ではなくとも九条家で身柄を預かっても安全だ。でもそれじゃ杏にも進藤家にも何かおかしいと気付かれてしまう恐れがある。だからこっそり身近にいて杏を守れる茅さんに、杏や進藤家や周囲におかしいと思わせずに陰から守って欲しかったというのに……。
「大丈夫よ!杏には仕事を頼んでいるわ!だから杏もただ仕事のために呼ばれて缶詰にされているだけだと思っているはずよ!何せ日ごろから杏を正親町三条家の屋敷に缶詰にして働かせるなんて日常ですもの!」
「えぇ……」
茅さんも一応はちゃんとわかって考えてくれていたんだなということはわかった。でもその後の言葉が酷すぎる。時々杏がどこに行ったのか行方不明になっていることがあるのは知ってたけど、まさか茅さんが正親町三条邸に軟禁していたとは……。一体何をやらせているんだ?
「ちなみに……、杏さんにさせている仕事というのはどういったものなのでしょうか?」
「え?そうねぇ……。写真や画像編集とか、記事を書かせたり、新聞や広報を書かせたりかしら?時々交渉もさせたり、情報交換や情報収集もさせているわ」
うん?何かわかったようなわからないような?ジャーナリストとかマスコミ関係の仕事を希望している杏に、将来に向けてそれらしい経験を積ませてあげてるのかな?杏も特に俺に助けを求めていないし、茅さんと杏の付き合いがそれでうまくいっているのならそれでいいのか?
「無駄話はこれくらいにしましょう。来たようよ」
「――はい」
茅さんに言われてマジックミラーに映る隣の応接室へと視線を向ける。丁度近衛母に続いて進藤家らしき者が応接室に入るところだった。
『本日はわたくし共のためにお時間を取っていただきありがとうございます』
『前置きは良いのよ。私はそういうのが嫌いだって知ってるでしょう?さっさと用件を話してちょうだい』
スピーカーから流れてくる声は少し機械的な無機質さを感じさせる。でも聞き取りにくいということもなくはっきり聞こえる。相当高性能なマイクやスピーカーを使っているのだろう。小さな声で話している声を隠したマイクで拾っているはずなのにかなりはっきり聞こえる。
『これはこれは……。それでは単刀直入に申し上げます。ご覧の通り我が息子、飯桐が今大路家の娘に怪我をさせられましてね。そのことについて直談判しようと思い近衛様に許可をいただきに参った次第です』
そう言って脂ぎった小太りのおっさんが隣に座る飯桐の顔をこれ見よがしに指し示した。飯桐の頬にはガーゼが貼られている。怪我をした時にする処置だ。どうしてあんなガーゼを貼っているのかと思ったけどあれは杏にやられたのだと言い張るつもりらしい。
『我が息子が木曜日の放課後に校舎裏で今大路家の娘に話をしに行くと逆上した今大路家の娘に殴られたそうで……。全治一ヶ月の大怪我ですよ!こんなことが許されて良いのでしょうか?いいえ!よくありません!家格の劣る今大路家が、敬うべき格上である進藤家の嫡男に怪我を負わせるなど言語道断!』
いきなり熱弁を振るい立ち上がった進藤家の当主らしきおっさんはオーバーな身振り手振りで近衛母に訴え続けていた。
『ですので進藤家としては今大路家に相応の対応を求めるつもりです!そこで近衛家の皆様におかれましては今回の争いについては静観していただきますようお願いにあがったのです』
『確かに格下の家の子が格上の家の子をわけもなく殴ったのなら問題ね』
近衛母は口元に手を持っていってからそう答えた。考えを巡らせているポーズのつもりでそうしたんだろうけど、あれはきっと笑いを堪えるために口元を覆ったんだろうな……。
『でも今大路の子がその子を殴ってその怪我を負わせたという証拠はあるのかしら?』
『はっ!これは異なことを申される!上位の家が言えば例えそれが嘘であっても本当になる!それが貴族社会というものでしょう?今大路家よりも格上である進藤家が息子が殴られたと言っているのですからそれが真実となるのですよ!』
『ふ~ん……。なるほどねぇ……』
近衛母の目が細められ冷たい光りを放っている。これ以上はやばいな……。ここで乗り込まないと近衛母がこいつらを始末しかねない……。
「参りましょう、茅さん」
「……ええ、そうね。こんなクズ共始末してあげるわ!」
ひぇぇ……。近衛母だけじゃなかった……。茅さんがキレてる……。今まで静かだったから大丈夫なのかと思ってたけど大間違いだ。完全にぶち切れてブルブルと震えている。進藤家……、これはだめかもわからんね……。
「話は聞かせてもらったわ!」
『進藤家は滅亡する!』って続くのかと思ったけどさすがの茅さんでもそれは言わなかったらしい。
「なっ!?なっ!?」
突然乱入してきた俺達に進藤家の当主は驚いて固まっていた。でもそれだけじゃない。これまで黙って怪我人の振りをしていた飯桐が目を見開いて俺を見ている。俺がこの場にいれば全ては嘘だとバレてしまう。そのことに気付いたのだろう。
「貴方が進藤家のご当主でしょうか?私は九条咲耶と申します」
「くっ、九条家の……。ええ……、ええ……。もちろん存じ上げておりますよ。それで九条様が一体何の御用でしょうか?わたくし共は今大切な話をしておるのです。時間を改めて……」
ふむ?俺はこんなおっさんに会った覚えはない。いや……、近衛家のパーティーで顔を合わせたことくらいはあるのだろうか?少なくともこちらは覚えていないけど向こうが覚えていてもおかしくはない。まぁ相手の反応からして覚えていたようには思えないけど……。
「いいえ。私の話は今の件に関わっております。進藤様は先ほど『木曜日の放課後に校舎裏で』今大路杏さんに殴られたと言われましたね?私もその場に居合わせましたが今大路さんはそのようなことはされておりません。私が証言いたしましょう。それは貴方がた進藤家の狂言ではありませんか?」
「――ぐっ!」
「…………」
おっさんは顔を歪め、飯桐は視線を彷徨わせて俯いた。でも飯桐はすぐに顔を上げて口を開いた。
「でっ、でたらめだ!確かにあの場で九条様と顔を合わせたのは事実!でも今大路杏に僕が殴られたのは本当のことだ!今大路杏は九条様の派閥だと言われている。自派閥の者を庇おうと九条様が嘘をつかれているんでしょう!」
「ばっ、馬鹿!」
おやじの方はさすが海千山千の貴族だけあって今のは失敗だったとわかっているようだな。まぁどちらにしろ手遅れだけど……。
「ほう?進藤飯桐……、貴方はこの私、九条咲耶が嘘をついていると?そう言うのですね?」
「だってそうでしょう?何か証拠でもあるというんですか?またあの時の映像を出しますか?でもあの映像の後で殴られたんですよ!あんなものは証拠には……」
「貴方がたは先ほど言われていたではありませんか。格上の者が黒だと言えば白いものも黒になるのだと……。今大路家と進藤家でそれが通じると思っておられるのでしょう?まさか……、九条家と進藤家でそれが出来ないなどとお思いですか?」
「「――ッ!?」」
俺が扇子で口元を隠しながら少し威圧を込めてやると進藤親子は顔面蒼白になって震えだした。そんなに怯えなくても俺は怖くないよ。他の二人に比べたら……。
「まぁまぁ咲耶ちゃん。証拠もないのに近衛派閥の家を潰されても困るわ」
「おっ、おおっ!そうです!いくら九条家といえど近衛派閥の問題に……」
俺はタブレットを取り出して大きな画面で映像を流してやった。最初は飯桐が杏を殴ろうとした場面……。
「どうせ映像はここで終わりだ!僕はこの後殴られたんだ!こんなもの証拠には……」
『最近は便利な世の中になりましたね。誰もがこのような便利な道具を持ち歩き、いつでも録音も録画も出来るようになりました。事件や事故があった際もこうしてすぐに録画が出来ます。昔なら証拠がないと言い逃れられたことも言い逃れ出来なくなりましたね』
『くっ!』
『ぼっ、僕はこれで失礼する!』
『――ッ!咲耶様!咲耶様ぁ~~~っ!怖かった……。怖かったですぅ!』
『もう大丈夫ですよ。杏さん』
俺が映像を突きつけ、飯桐が立ち去る場面。その全てがタブレットに映し出される。俺が飯桐に見せた映像は俺のスマホで撮影した映像だが、このタブレットに映し出されている映像はそれをさらに別の視点から映したものだ。
「なっ……、何故……、この映像は一体……」
「私がいつ撮影したカメラが一台だと言ったでしょうか?貴方達の前に姿を現す前に私はもう一台のカメラも録画状態でセットしてから貴方の前に現れたのですよ」
「――ッ!はっ…………」
飯桐はその場に力なく崩れ落ちた。
「これで進藤家の嘘の主張は全て覆りました。そして貴方がたはこの九条咲耶のことを嘘つき呼ばわりしましたね……」
「ひぃっ!おっ、おゆ、お許しを……」
俺がギラリと目に力を込めると進藤親子は土下座を披露してくれた。でもそんなことで許されるはずがない。俺が許してもこの場にはもっと怖い二人がいる。その二人がこのまま許すはずがない。
「許せませんわね!近衛門流筆頭、正親町三条家の名にかけて進藤家の血が一滴でも入っている者は全て根絶やしにして差し上げましょう!一族郎党、いいえ、関係者にいたるまで全ての者を完全に根絶やしにします!」
「ひいぃぃっ!」
茅さんの怒りに触れておやじの方はついに失禁してしまったようだ。おっさんの失禁シーンとか誰得だよ……。
「まぁまぁ、茅ちゃん。それはさすがにやりすぎでしょう?ね?私が落とし所をつけてあげるわ」
「こっ、近衛様!お助けください!これは何かの間違いで……」
「そうね。それじゃ……、現進藤本家は全員その名を剥奪するわ。藤原北家利仁流進藤家を名乗ることは許しません。全員放逐します。進藤憲久・飯桐親子放逐後は憲久の弟、進藤憲矩の家族に進藤家を継がせます」
「そっ、そんな!?おっ、お待ちください!近衛様!派閥の家を見捨てると言われるんですか!?」
追放を言い渡された進藤家の当主は近衛母に縋り付こうとしていた。でもその当主を近衛母は冷たい目で見下ろして突き放す。
「貴方達は嘘をついた上にそれを指摘した九条家のご息女を嘘つき呼ばわりしたのよ。これが近衛家や近衛門流・派閥にとってどれほどの損失かわかるかしら?ねぇ?貴方達は九条家を敵に回す以上の何かを近衛家に齎してくれるの?それによっては私も考えるわよ?ねぇ?どんな利益を齎してくれるのかしら?九条家を敵に回す以上の利益よ?」
「「…………」」
進藤憲久・飯桐親子は最早言葉もなくその場に崩れ落ちた。目は虚ろで少し笑っている。ちょっと精神に異常をきたしたのかもしれない。今回は相手が思いの他馬鹿だったから簡単にケリがついた。茅さんはまだ怒っているけど近衛母にとっては上々の出来だろう。
今回も結局は近衛母の一人勝ち。総取り……。いつか俺は近衛母と対峙しなければならないかもしれない。でも今回も近衛母の良いように掌の上で転がされて、おいしい所は全て持っていかれただけだった。果たして俺はいつの日か近衛母に勝てる日が来るんだろうか……。




