第五十二話「脱走」
次第に夏休みが近づいてきた。日に日に暑くなり外に出るのも嫌になる季節だ。そして今日はついに皐月ちゃんと遊ぶ日でもある。
薊ちゃん達と遊んだ時は人数が多かったこともあり予定の調整が大変だった。結局良い日は空いておらず平日の放課後なんていうタイミングになってしまったわけだけど、今回は皐月ちゃんと二人っきりだから予定の都合もつけやすかった。日曜日を午前中から一日使って遊ぶことになっている。
今日はショッピングをすることになっているから現地で待ち合わせだ。家に招いてから一緒に出てもよかったけど、どちらの家に集まっても目的地が遠くなってしまうから現地集合ということになった。
約束の時間より早めに来た俺は皐月ちゃんを待つ。この辺りは高級店が並ぶ一画だ。庶民が行くような何とかモールとかとは随分様子の違う場所だ。俺はあまりこういう場所には来ない。だから何か独自のルール等があるとしたら俺はあまりそういうことを知らないだろう。
今日はワンピース姿だから妙に足というか下が気になる。スカートも気になるんだけど学園のスカートは制服だから我慢している。それに丈が長いからよほど下から覗かない限りはそうそう見られることもないだろう。
普段着では俺はあまりスカートを穿かない。穿いても絶対に下から見られることがないようなものを選ぶ。その上スパッツとか何か下に穿いた状態だ。パンツ一丁でスカートを穿くことは絶対にない。
あまりそういう格好をしていると母がうるさいから母の前では着物姿のことも多い。師匠の所で慣れたせいで着物の方があまり抵抗がなくなってしまった。それに着物なら下着を覗かれることはまずないだろうからな。着付けも慣れればすぐだから今では着物を着用することも多くなってしまった。
だけど今日のお出かけではそういう姿は困るからワンピース姿となった。下にスパッツを穿いているけどそれでも下着が見られるんじゃないかと気になって落ち着かない。
そもそもこのワンピースってやばくないか?服として欠陥じゃないのか?下から覗いたら上まで全部丸見えになってしまう。
小学校一年生くらいの子供が何を言ってるんだと思うかもしれない。確かに俺達はまだ胸も膨らんでないし、下着や胸を見られたからどうだって話ではある。だけど自分の個人的な感覚で言えば下着を見られるのは嫌だし、男に胸を見られるのも嫌だ。別にまだ膨らんでないとかそういう問題じゃない。
でも我慢だ……。今日はこれで我慢しなければならない。下着丸出しじゃなくてスパッツを穿いてるし大丈夫。落ち着け。大丈夫。下着丸出しじゃない……。
女の子って何でこれで平気でいられるんだろう……。俺ならスカートが捲れて見えてしまうんじゃないかと思って気が気じゃない。
「お待たせして申し訳ありません咲耶ちゃん」
「あっ、皐月ちゃん、御機嫌よう。まだ時間になっていませんから気にしないでください。私が早く来すぎたんです」
俺がそんなことを考えていると皐月ちゃんがやってきた。こちらが先に待っていたことを気にしているのか皐月ちゃんが謝る。まだ約束の時間にもなっていないんだから皐月ちゃんには何の落ち度もない。
「御機嫌よう。それで……、今日はどうするのでしょうか?」
チラリと俺の後ろに控える椛を見てから尋ねてきた。皐月ちゃんにはこの辺りでショッピングをするからとしか伝えていない。俺には俺なりの狙いと目的があるけどここでそれを言うわけにはいかないので軽く誤魔化す。
「まずは少しお店を見て回りましょうか?」
「え?ええ……。わかりました」
少し困惑した感じの皐月ちゃんを連れてお店を見て回ることにする。俺にも皐月ちゃんにもお付きの者がいる。当たり前だ。どこの家がお付きもつけずに街中をウロウロさせるというのか。
身の安全の心配もある。もしどこの家の子供か把握されていたら誘拐される可能性もあるだろう。それに何か事件や事故に巻き込まれないとも限らない。多額の現金やカードを持たせるわけにもいかないから、誰か大人が支払いをするというのもあるだろう。
俺の方には椛が、皐月ちゃんの方にも二人大人がついている。まずはこの五人で連れ立ってお店を見ていく。
「あ……、皐月ちゃん、これなんてどうかな?」
「えっ!?こっ……、これですか?」
入った服屋で皐月ちゃんに勧めたものを見て皐月ちゃんは驚いていた。まぁ普通の、俺達みたいな上流階級の子供ならあまり着ないだろう代物だ。
別におかしなことはない。ただの普通の子供服と言えばほとんどの人は納得するだろう。ただブランド物でもなければオーダーメイドでもない。
確かにこの辺りは高級店が並ぶ一画だけど普通の一般客だってやってくる。客層として絶対に上流階級しか来ないとか、全てブランド品ばかりというわけでもない。少々お高いけど一般客でも利用する程度のラインナップも置いているような店だ。
普通の子供の普段着にするにしては世間一般的には少々お高いお店だろう。でもちょっとした子供のお洒落用に買ったりすることもある程度、とでも言えばいいんだろうか。チラホラ普通の一般人の親子連れもいる。逆にお供を連れて歩いている俺達の方が浮いているくらいの場所だ。
今回俺がこの辺りを選んだのにはもちろん理由がある。西園寺家のご令嬢を誘っても、ギリギリショッピングに出掛けられるレベルがこの辺りだった。これより下だと流石に誘うのは難しい。逆にこれより上すぎると俺の目的が達成出来ない。
「それではこういうのはどうですか?」
「えっと……、咲耶ちゃんは普段このようなものを?」
俺が、俺達にとってはかなり安くて出来の悪い物を勧めているとそんなことを言われた。俺が普段こんなものを着ていたら母に何を言われるかわからない。
「いえ、このような衣類は着たことがありません。着ていたら母に何を言われるかわかりませんから」
「はぁ……」
だったら何でそんなものを勧めているんだという顔で見られた。そろそろ皐月ちゃんには話そうかな?皐月ちゃんの協力がなければこれは成功しない。皐月ちゃんが乗ってこなければそれまでだ。そうなったらプランBに移行しなければならない。
「(皐月ちゃん……、お店でこういう……、普通の人が着ている服を買って着替えて逃げ出しましょう)」
「えっ!?」
俺がコソッと耳打ちすると皐月ちゃんは驚いて声を上げていた。お付きの者達は少し離れて見ている。俺達が買い物を楽しんでいるのに、いちいちその会話を聞きに来たり、何か言ってきたりはしない。よほどこちらが妙なことをしない限りはただ少し離れた位置から見ているだけだ。
ただこのお付き達がいたら俺達は自由に過ごすことは出来ない。妙なことをしようとしたり、変な所へ行こうとしたら止められる。それでは俺の計画は実行出来ない。
「(こういう所へ誘ったのは、まずはここで着替えを買って逃げ出すためです。皐月ちゃんが嫌ならば無理にとは言いませんが、少しお付きを巻いて二人で出掛けませんか?)」
「…………」
少し皐月ちゃんは黙って難しい顔をしている。今色々と考えているんだろう。まぁ少なくとも後で怒られるのは確実だと思う。別に悪いことをしようというわけじゃないけど、お付きの者を巻いて勝手に出歩いたとあっては怒られる可能性は高い。
でも俺はそれでもやろうと思う。全ては皐月ちゃんと仲良くなるために……。
「(わかりました……。だからこういう妙な服を勧めているのですね?)」
妙な服って……。別に普通だよ?俺のセンスが悪いわけじゃないよ?西園寺家のご令嬢から見たら妙なのかもしれないけど、世間一般では極々普通だからね?俺が変な服を勧めてるわけじゃあない……、はずだ。
「(いくつか着替えを買って……、人に紛れやすい格好に着替えて逃げましょう)」
「(わかりました)」
どうやら皐月ちゃんも乗ってくれたようだ。そうと決まれば後は早い。カモフラージュ用に俺達が着てもおかしくないような服と、普段の俺達なら着ないような、でも別に変なわけじゃなくて世間一般で着られているような服を買っておく。
服を買ったからっていきなり逃げ出すんじゃなくて、その後もいくつか店を見て回ったり、ちょいちょい買い物をして準備を整えつつタイミングを窺う。
「少し休憩にしましょう」
「そうですね」
皐月ちゃんと打ち合わせを済ませてから休憩を持ちかける。お店に入って荷物を置いて飲み物を頼んだ。
「少し席を外しますね」
「あ……、では私も……」
打ち合わせ通りに荷物を付き人に任せて飲み物を頼んでからトイレに向かう。皐月ちゃんと二人でトイレに入ってから、こっそり持って来た今日買った服に着替える。
トイレに入るタイミングも狙っていた。ここのトイレはそれなりに広い。家族連れや子供もうろうろしているから、俺達と似た背格好の子供が入りそうなタイミングでトイレに来た。素早く着替えた俺達はその子供達に混じってトイレから出て行く。
椛と皐月ちゃんが連れてきた付き人の一人は俺達の席で待っている。皐月ちゃんが連れて来た二人のうち一人は男性で席で待機。もう一人はトイレの近くまで来ている。でもさすがに中までは付いてきていなかった。それが失敗だったな。
子供達に紛れた俺達は、トイレの近くで待っているもう一人の付き人に気付かれることなく外へと出られた。今すぐ走って早く離れたくなる気持ちを抑えて慎重に店から離れた。
「はぁ……、やりましたね咲耶ちゃん!」
「そうですね。思いのほかうまくいきました」
ちょっと興奮気味の皐月ちゃんが俺にそう言ってきた。最初に着てきていたのは有名なブランドのオーダーメイドの服だったのに、今ではチープなプリントTシャツを着ている。
かくいう俺もパンツルックに着替え、髪を隠して帽子まで被ってるから、もしかしたら男の子にも見えるかもしれない。付き人達もまさか俺達がこんな格好でウロウロしているとは思うまい。
トイレに入る時に着替え用に買っておいた服をこっそり持ち込んでいた。何着も買った中の一つだから付き人達も把握していなかっただろう。そもそも俺達がこんな服を買って着るとは思ってもいないだろうしな。
「それで咲耶ちゃん……、これからどうするのですか?」
「ええ、少し歩いて移動しましょう。目的地はもう決まっています」
俺の言葉に頷いた皐月ちゃんは黙ってついてきてくれた。そもそも着替え用の服を買った店の一帯に来たのは店の立地も良かったからだ。俺はこれから皐月ちゃんを連れて普通のショッピングモールに行こうと思っている。
前世の俺からするとショッピングモールは身近なものだった。普通の庶民ならそういう店に行ったことくらいあるだろう。でも今生の俺達の環境じゃそこらのショッピングモールなんて到底入れない。俺達が行くような店と言えば有名なブランド店とか、オーダーメイドの店ばかりだ。
皐月ちゃんと本心から打ち解けようと思ったらもっとお互いの距離を近づけなければならないと思う。それなのに表面を取り繕ったような気取った店に行っても中々打ち解けられないだろう。だから俺は前世での俺がよく知るような、普通の一般庶民のようなことを皐月ちゃんと一緒にしてみようと思った。
こんなことをしたら後で怒られるだろう。それにこんなことをしたからといって皐月ちゃんと打ち解けられるという確証はない。でも学園での取り繕った態度や、ショッピングに行ってもあんな高級店でお上品にしていたら永遠に打ち解けられない気がする。
もっと素の……、本当の自分を曝け出して本心から接しなければならない。そういう意味で取り繕う必要のない前世のような庶民の生活をしてみたらどうかと思ったわけだ。
「あ、見えてきましたよ」
「うわぁ……。何だか見たことがあるような気がします」
少し歩いてやってきたのはこの辺りでもかなり大きなショッピングモールだ。もちろん俺は入ったことがない。皐月ちゃんもないだろう。俺は前世で似たような施設には入ったことがあるけどここに来たことはない。
テレビとかでも取り上げられている大型複合施設だから観たことはある。近くを通れば目立つ建物だから見たこともある。俺の場合は下調べもしてきているからある程度はわかっているつもりだ。
「あそこに行って何をするのですか?」
「え~っと……、そろそろお昼ですから食事にしましょうか?先ほどは休憩し損ねましたしね」
「あはは。そうですね」
ようやく……、皐月ちゃんが笑ってくれた。お昼にはまだ少し早い時間だけどお昼時になると混雑してしまう。朝から店を見て歩いて喉も渇いたことだし着いたらまずはお昼にすることにしよう。