第五百二十六話「怒りっぽい椛?」
二月も半ばに差し掛かり短い三学期も終わりが近づいてきた。新年度になって、新入生達が入ってきて少しすると各ホールのこけら落とし公演が行われる。
こけら落とし公演でコンサートをするのは俺達だ。何でこんなことになっているのかよくわからないけど、何故だか俺達が各科を回って全ての小ホールのこけら落とし公演をしなければならない。
今回は予定が決まってから一年近くも練習に励んできたし、下級生組も演奏に慣れてきたのか最近は様になってきている。前のように練習が足りなくて満足に演奏出来ないということはないだろう。
もちろん師匠が面倒を見ているのだから前に下級生達を加えて一緒に演奏した時もそれほど問題はなかった。師匠なら何とか形になる程度までは仕上げてくれる。今年度の初等科の七夕祭で下級生達が行った出し物は失敗だったけど、あれは大人や師匠を頼らずに練習不足のまま行ってしまったからだ。
「おじいちゃん!やっぱりうまくいかないの!どうしたらいい?」
「おぉ、おぉ、そうじゃな。うまくやろうとして肩に力が入りすぎておるな。力ずくではなくもっと自然に流していけばすぐにうまくなるぞ」
秋桐が師匠にアドバイスを聞きに行くと師匠は好々爺然としただらしない顔で秋桐に答えていた。
…………俺の時と態度が違いすぎる。
師匠……、貴方はそんな人じゃないでしょう?俺に何かを教える時は『見て盗め!』とか言うじゃないですか。手取り足取り教えてもらう時というのは実際に俺が技をかけられている時くらいで、どうすればいいとかそんなアドバイスすらなかったですよね?
むしろやり方も教えられていないのに、いきなり全身を拘束されて錘をつけられて池に放り込んだりされましたよね?あれは何だったんですか?どうして俺には口で教えてくれないんですか?
「おじいちゃん!こっちは?」
「おじいちゃん教えて~!」
「ちょっと待っておれよ。順番じゃ」
下級生達に囲まれている師匠のあのデレデレの顔よ……。
気持ちは俺にもわかる。この可愛い下級生の天使達にああやって囲まれたら誰でもデレデレの顔になる。それは認めるけど師匠がこうもデレデレだと何かこう……、俺の時との態度の違いにモヤッとする。
「おじいちゃん、おじいちゃんと可愛い孫達に囲まれて随分ご機嫌そうですね」
休憩の時に師匠と二人になったので少しチクリと嫌味を言ってしまった。別にこんなことを言うつもりはなかったのについ……。自分でもどうしてこんなことを言ってしまったのかわからない。
「ふむ……。ヤキモチか?」
「なっ!?ちっ、違います!ただ師匠が皆さんに教える時は随分お優しいものだと思っただけです!」
そうだ。別に俺は何も思ってない。ただ師匠が皆には随分甘く教えているから事実としてそう言っただけだ!
「わしは出来ぬ者に出来ぬことをせよとは言わん。出来る者に出来ることをせよと言う。わしが咲耶に厳しい要求を出していると思うのなら、それはわしが咲耶なら出来ると思っておるからじゃ。それとも……、それはわしの読み間違いであるということかのぅ?」
「――!?」
師匠の言葉に全身がブルリと震えた。
「いいえ!師匠の目に狂いはないと私が証明してみせます!」
そうだ。師匠が『俺なら出来る』と思ってやらせているのに出来なければ、それは師匠の見る目や読みが間違っていたということになってしまう。そんなことは絶対に許されない。百地三太夫の最後の弟子として、俺は百地三太夫の名を貶めたりするようなことをするわけにはいかない。
「うむ。頼りにしておるぞ」
「はい!お任せください!」
よ~し!師匠の名にかけて!言われたことはきちんとやり遂げなければ!
「ふむ……。ちと今まで褒めるのが少なすぎたか……。褒められ慣れてなさすぎて簡単に転がされすぎじゃな。今後の課題はこの辺りか」
師匠が独り言を言っていたけど、百地三太夫の最後の弟子としての使命に燃えている俺はそんなことよりも大切な決意を固めていたのだった。
~~~~~~~
三学期も終わりが近づいてきたけど全て順調だと言える。コンサートに向けた練習は十分に行っているから演奏の心配はない。万が一何かアクシデントがあった場合のフォローなども出来上がっている。そして演奏の練習の合間にグループの子達と勉強会もしているけどそちらも順調だ。
他の学校では三学期は中間テストがなく学年末テストがあるだけという学校が多いのかもしれない。でも藤花学園では三学期も中間テストと学年末テストの二回の定期考査がある。
勉強会に参加しているメンバーの成績はグングン上がっていて三学期の中間テストも出来がよかったらしい。まだ点数は秘密ということで細かく教えてもらっていないけど、皆の自信のほどからして確実に前回よりも成績が上がっていたのだと思われる。
あまり気乗りしないとはいえコンサートの準備も順調、皆の成績も鰻登り、九条家のパーティーもそろそろ招待状を出す準備に入らなければならない。
九条家のパーティー自体はまだ結構先だけど、迎える側であるこちらは去年のパーティーが終わると同時にすぐに次の準備に取り掛かっている。春休みのマナー講習もあるから招待状も早めに出さないとマナー講習に参加したかったのに日程が確保出来なかった……、なんて人が出ては大変だ。
「ふん♪ふふ~ん♪ふふふふ~ん♪ふんふんふふ~ん♪」
何か最近は色々とうまくいっている。とても順調な学園生活を送れている気がするし、重大な問題も発生していない。
グループの子達とはますます仲良く楽しく過ごせているし、本来はグループになるはずじゃない子達ともどんどん友達の輪が広がっている。鬼灯達……、本来なら咲耶お嬢様の敵になるはずだった子達ともうまくいっていると思うし、今の俺は男関連の問題もない。
邪魔な男達は皆『真実の愛』に目覚めていっているし、柾と石榴は途中で失敗してしまったけどあまりに邪魔なようなら今度はもっと本気で『真実の愛』に目覚めさせてしまえば良い。一回軽く『説得』したくらいで一生縛れるほど染められるはずもない。本気でやるのならもっと徹底的に……。
「くふふっ!」
俺が色々と考え事をしていると部屋の扉がノックされた。かけられた声で椛が来たのだとわかる。自室に迎え入れると水差しの水を換えたり、少し片付けなどをしている。
「あぁ……、そうでした……。椛」
「はい。どうかされましたか?咲耶様」
テキパキと片付けてくれている椛に声をかけると手を止めてこちらを向いた。その顔はいつも通りの可愛くて綺麗な椛の顔だ。でもここ最近椛はどうも怒りっぽいような気がする。それも本来お嬢様にあるまじき怒り方をしていると思う。
俺やグループの子達だから椛のあの顔や口調も笑って済ませているけど本来ならあんな言葉や暴れ方は許されない。それは椛が一条家のご令嬢と考えても、九条家のメイドと考えても、どちらでもだ。
「あまりこういうことは言いたくないのですが……、最近の椛は怒りっぽいのではありませんか?それにあのような怒り方はご令嬢としてもメイドとしても失格だと思います」
「――そっ、それは……」
椛も何のことを言われているのかわかっているのだろう。そして自分が注意されるようなことをしている自覚もある。
「ですが無防備すぎる咲耶様をお守りしなければ……」
「……無防備?」
椛の言葉に首を傾げる。俺がいつ無防備になったというのだろうか。俺は常に周囲を警戒している。今では師匠ほどではないにしても潜伏している者の気配を感じたり、つけられていることを察知したり出来るようになってきた。俺が油断して無防備になっていることなんて滅多にない。
「私はこれでも周囲の気配を察知して身構えていますよ」
「…………」
「椛……?ひゃあっ!?」
無言で近づいてきた椛が俺の首筋に手を這わせた。驚いて変な声が出てしまったけど椛はそのままさらに顔を突き出してくる。
「もっ、もももっ、椛っ!?」
「ほら、隙だらけではありませんか。私がその気だったならばもう咲耶様の唇は奪われていましたよ?」
確かに……。首に手を回してきた椛は俺の頭と顔を完全にロックしている。俺が本気で抵抗すればここからでも抜け出せるけどまさか椛に掌底を叩き込んで吹き飛ばすというわけにもいかない。椛が言うようにあのままキスしようとしていたら普通にされてしまっていただろう。でもそれとこれとは話が違う。
「それは椛にいきなりあのようなことをされてはそうでしょう。それに椛を相手に本気で抵抗して怪我をさせるわけにもいきません」
「ですから隙だらけだと申し上げているのです!もしこれが徳大寺薊であったならば?西園寺皐月であったならば?正親町三条茅は?」
「皆さんにも怪我をさせるわけにはいかないでしょう?私がその方々に抱きついたって相手の方も驚きはしても怪我をさせられるような抵抗はされませんよ」
椛の言っていることは極端すぎる。家族や友達がいきなり襲い掛かってきたら無防備に刺されて死ぬだろう!って言ってるのと同じことだ。
そりゃいくら百地流で鍛えていても家族や友達相手にそこまで警戒していない。家に居る時はリラックスしているし、友達が近づいてきたからといって刺されると思って警戒したり身構えたりはしない。それは俺だけじゃなくて誰でもそうだろう。そんな時まで緊張していては気の休まる時もない。
「はぁ……。ですからそういうことではないのですよ……」
何か椛が呆れたように首を振っている。何が違うというのかわからない。これでも俺はちゃんと……。
「良いですか?咲耶様……。咲耶様の魅力は天元突破していて全ての人間を魅了して止まないのです!その咲耶様が無防備にしていてはいつ誰が間違いを犯すかもわからないのですよ!今だって私が急に咲耶様に襲い掛かるかもしれないのです!」
「私は椛に恨まれるようなことをしてしまっていたのでしょうか?」
今も椛が俺に襲いかかってくるかもしれないなんて、俺はそんなに椛に恨まれるようなことをしてしまっていたんだろうか……。自分でも知らないうちに相手を傷つけていることはあるだろう。でもまさか椛にそんな風に思われていたなんて……。
「ですから!それが間違いなのです!性的に襲われると言っているのですよ!唇を奪われたり!胸を揉まれたり!敏感なところを刺激されたり!何ならヴァージンも奪われるかもしれません!いいえ、やるつもりならそこまでするでしょう!」
「はぁ……?」
椛はハァハァと肩をいからせて力説している。でも俺は男に襲われないようにちゃんと警戒している。椛に襲われても抵抗する時に戸惑ってしまうだろうけど相手が男なら即K.Oする。
「男性に襲われそうになればさすがにちゃんと抵抗しますよ」
「ですからそうではないのです!咲耶様の周りにいる女達は皆咲耶様の体を狙っているのですよ!」
「…………」
「…………」
しばし椛と無言で見詰め合う。椛の目には力が篭っていた。俺に本気で忠言したいと思っているのだろう。でも……。
「あはははっ!もう、椛ったら!あはははっ!」
真剣な顔をして何を言い出すのかと思えば……。まったく椛の心配性もここまできたら病気の一種なのかもしれない。
俺の周りで同性愛、女の子なのに女の子が好きだと公言しているのは鬼灯だけだ。ゲームの時の鬼灯にはそんな属性はなかったのに何故こちらではそんな属性がついているのかはわからない。とりあえずそれは置いておいて今俺の周りにいる百合っ子は鬼灯くらいのものだ。
中には百合っ子だということを言えずに抱えている子もいるだろう。でもそれはそもそも百合っ子自体が少数派であり、そんなに大勢いるものじゃないからだ。だから俺の周りに居る子達が百合っ子である可能性は限りなく低い。他に何人か居たとしても割合から考えれば鬼灯の他に一人か二人もいれば良い方だろう。
俺のように元男の転生者で精神的に男だというのなら女の子が好きだというのも頷ける。でも他の皆は特にそんな様子もない。俺は精神が男だから皆のことを異性のように感じて好きになってしまうけど、皆はただ普通に同性の仲の良い友達だと思っているだけだろう。
「はぁ……。咲耶様がそうやって無自覚で無防備だから私がお守りしなければならないのですよ……。それともいっそもう私が咲耶様を奪って……」
俺が椛の言うことを笑い飛ばすと何やらブツブツと言っていた。心配してくれるのはありがたいことだと思う。でもありえない可能性ばかり考えて心配していては生活もままならない。
最近椛が妙に怒りっぽかったり、皆に対して少し刺々しいと思っていたけどまさかそんな馬鹿げた心配までしていたなんて……。椛は働きすぎの上に気を回しすぎではないだろうか。ここは椛も少しは気が休まるように何か考えてあげた方が良いかもしれないな。




